第6四半期「神と英雄と」
地図、それはボッチ島のものだ。
もちろん、こんなもの見るまでもなくこの頭脳にすべておさまっている。が、この地図には書きこみがなされているのだった。先ほど、朱雀に通告をおこなっている間に、機内のゴーダがいくつか印をつけておく手はずだったのだ。
――「マル」と「バツ」。すなわち、残す施設、壊す施設。
花鏡院の顔はすぐにくもった。
「……この、『かもめ亭』というのは……?」
エリカの実家だ。
知能指数測定不能のこの男が、ゴーダの表情のおかしなゆらぎを、見のがすはずもなかった。
「――ここがなぜ、『マル』なのです?」
「あ、いや、醇麗さん、それは――」
今回の計画について、花鏡院とゴーダの間には、じつは認識にずれがある。
花鏡院としては、不要な施設はすべて取り壊し、最終的には「ウツロニウム」精製のための工場やラボ、化学プラントに変えてしまいたい。
その立場からいくと、「かもめ亭」は物資運搬のために、どうにも不都合な位置にある。山頂の採掘場から、ここを突っ切って、ひとすじに運河を走らせたいのだ。
だから――。
――それが本心だった。
が、島民に多大な影響力を持っているらしいゴーダの存在は、できれば計画終盤まで利用したい。
……と、いうことは、ほどほどに機嫌をとっておいたほうがいい。
あの、読了に一秒も要らない二千ページの「小冊子」で力説――というかたんに反復――されていたように、あくまで「観光産業の拡大・伸長」とか「島の経済の発展」とかいう噴飯ものの観点から、BOCCHI-21の「理念」とやらにある程度、寄り添っているふりをしておいたほうがいい。
だから花鏡院は、こんな言いかたをした。
「この『かもめ亭』という宿が、それほど島の経済に貢献しているとは思えませんね」
「あ、醇麗さん、それは、おじさんとおばさん――」
ゴーダはあわてて言葉を選びなおした。
「あ、宿のご主人と、奥さんが、その……『好人物』ってやつだからなんで……つまり、利益度外視っていう意味なんで」
花鏡院の目が光った。
「利益度外視では、BOCCHI-21的には不都合でしょう? 例外を設けていいのですか? 立ち退いていただく他の旅館の方々に、どう説明をつけます?」
「あの……そうじゃないんですよ、醇麗さん。つまり――」
「意見があるなら、はっきりおっしゃってください」
「つまり――もしご主人と奥さんが考えかたを変えてくれたら、ものすごい儲けになると思うんですよ。それは、つまり……『傾聴』があるんで」
「傾聴?」
花鏡院は、はなはだ、いぶかしげだった。
「はい、醇麗さん」
興味をもってもらえたと思い、ここぞとばかりにゴーダはうなずいた。
「つまり……エリカが……あの、オレの、おさななじみっていうか……そういう人間、あ、人物が、その、いるんですけど……」
ゴーダがこうも、ほっぺを赤らめたり、しどろもどろになったりするわけは、花鏡院には理解不能だが――。
「あの、大学生なんですけど……傾聴の名人なんですよ。あの、だから悩み事のある就活生たちが、たくさん来て……あの、相談するんですけど、お金を取ればいいのに、全然、ビジネスでやる気がないんです。つまり、そういう意味なんですよ、醇麗さん」
花鏡院は、ゴーダの意図しているのとはまったくちがう意味で、その「エリカ」という存在に関心をもちはじめていた。
――……わたし、エリカです。よろしく、お願いします……。
思いだした。ウツロ教授との商談のとき、同席していたあの目立たない、お茶くみの女。
あの女は、ボッチ島出身だと言っていた。それはたんなる世間話にそう知ったまでのことで、その時は、それだけの話だったが――。
「しかし、大学生ということは、島に在住していないでしょう?」
「でも大学四年なんですよ。それで、大学院に進学するなんて言ってるんです」
そう言ってゴーダは、文字通り、べしっと膝を打った。勢いのあまり、けっこう痛かったので、打ちどころを軽くさすりながら、
「そうだ、醇麗さん……」
天啓でも直撃したようなおももちのゴーダの次なる言葉は、しかし花鏡院には当然予期可能なものだった。
「オファーを出したら、どうです? エリカに……就職の誘いをするんですよ、醇麗さん! つまり……つまり、オレなりの、ジャスト・アイデアってやつですけど」
案の定、ゴーダはうっとりと、そう御提案した。
「なるほど……」
と、めずらしく花鏡院が理解を示してくれたことも、ゴーダのうっとりに拍車をかけた。
「ねえ! それがいいですよ、醇麗さん! 多少高い給料を支払っても、全然、元は取れるはずですよ! つまり、エリカひとりぶんの給料くらい、予算からいったら、全然安いんで! 醇麗さん、オレ、こんな時しっくりのアホリズムを、当意即妙に引用可能なんですよ! つまり……つまりこれこそ、『安物買いの、ゼニ儲け』ですよ!」
「ゼニ」? そんなもの、花鏡院にはどうでもよかった。
重要なのは……「傾聴」。その技術だ。
ウツロ教授は言っていた。
話を「傾聴」された人物が、ごく微量ではあるがウツロニウムを放出するケースがみられる。
――くだらない。
それが、花鏡院の見かただった。しかしたしかに、実験の価値はある。ウツロ教授に提案してみれば、すぐに面会はかなうだろう。そうなれば、あの気弱げな女ひとり口説き落とすくらい、この自分ならわけもない。
――「かもめ亭」はやはり不要。しかしその女の利用価値は、見さだめておく必要がある。
それが、最終的な結論だった。
つづいて花鏡院は、本計画の要、山の頂に目を移した。
なめらかに、人差し指が等高線を縦断していき、やがて、ある一点にとどまる。
――「日曜亭」。
一次選考で「奇蹟」を起こした、あの就活生の実家。
地下には、莫大な資源――ウツロニウム――が眠っているはずだ。
ゴーダは、言っていた。
「あの、オカミとかいうのがね、醇麗さん。オレが思うに、おかしなやつなんですよ。温泉を使わせない温泉宿ってことで、馬鹿にされてるんですよ。……潰すなら、真先にあそこですね。つまり、もっと有効活用できるだろ、ってことなんですよ。オレたち、アズマニシキなら」
「なぜ、『温泉』があるとわかるのです?」
こちらは、そう尋ねたものだった。
「行ってみればわかりますよ、醇麗さん。つまり、あのあたりはどう考えたって、『地熱』っていうので、ホッカホカしてるんで! それに、看板にね、温泉のマークが書いてあるんですよ。……わざわざ看板出しておいて、お客はみんな門前払い。どう考えたって、オカシイですよね」
……その、「オカミ」とかいう人物の素姓はまだわからない。
ウツロニウムの存在を知っているのか、どうかも。
いや、正確な知識を有しているとは思えない。だが、何か秘匿していることは確かだ。それはやはり、見さだめなければならない。
そして、勧告しなければ。
もし、応じないようなら――。
「ハデにやっちゃってくださいよ、醇麗さん!」
その時ゴーダは、拳を振り上げていた。
「つまり、ぶっ潰しちゃったほうがいいって事なんで! ……あ、でも、その、未知の物質っていうのが採れるとしても……まるまる工場にしちゃったら、もったいないっていうのが、BOCCHI-21的見解ですよ。それは、例の冊子の千二百三十九ページ参照で……アズマニシキとしても、やっぱり温泉は有効活用したいんで――」
この男、まるで理解できていない。――事の重大さを。
就活が変わるのだ。
いや、人類が変わるのだ。
ウツロニウム。神秘の物質。
人間は、カツバトなしで、「奇蹟」を起こすことができるようになる。
異能の行使が、可能となる。
そうすれば……?
――人間は、神になる。英雄になる。
人間が神ならば、新技術でその神々を生みだす弊社はなんだ? 新時代の英雄どもに異能をさずける、この花鏡院醇麗は?
――摂理そのものだ。
かたわらで、ゴーダが無邪気に浮かれていた。




