第4四半期「人事部長、サカミ(後編)」
……そんなことが起きているなんて、もちろんリョウは、まったく知らなかった。
「――そうか。じゃあ本当に、何も覚えていないんだね」
サカミの念押しに、こくり、ただリョウは機械的にうなずいた。
なにしろ、レジェンド・リクルートのことを明かすわけにいかなかったので、リョウの説明はふだんに輪をかけてたどたどしかったが、サカミはうなずいたり、なにか考え込んだり、たまに問いかけをはさんだりしながら、辛抱強く耳を傾けていた。
「ふうむ……そうか」
「――すみません、本当に」
ふと、そんな言葉がでてきた。ほんとうに、何も考えず、ぽっと口をついて出た。本心そのものを語ることはできなくとも、話を聴いてもらったことで、気持ちが変にやわらいだのかもしれなかった。そして、もっと楽になりたかった。
「何がだい?」
「オレのせいで、選考が――」
「――しかし君は、何も覚えていないんだろう?」
あっ、とリョウは思った。うかつだった。けれどもサカミは、あえて追及しようとはしなかった。
「まあ、そう思ってしまう気持ちもわかる。……だが、今回の選考をどう扱うかは……正直、僕にもわからない」
「そう、なんですか……?」
「ああ」
サカミはうなずいた。
「部下に任せてあるんでね」
あの女のひとかな、とリョウは思った。
「まあとにかく、今は何も心配しないほうがいい。――が、最後にひとつだけ、聞いてもいいかい」
「なんですか……?」
リョウの目が泳いだ。サカミのまなざしは、たしかにこちらの胸もとに、そそがれている気がした。それは誤解ではなかった。果たしてサカミは、
「それは――弊社のカツバトではないね」
と、指摘したのだ。
――そうだ、当然そこに目がいくに決まっている。話題に上らないほうが不自然だった。
でも、カツバト着用は義務ではない。
ただ就活生は、ほとんど全員カツバトをつけているというだけの話だ。そしてリョウの愛機は、見ようによってはあんまりカツバトらしくない。
どちらかというとネクタイに見える。
だから誤魔化しもきくのではないか……そんな甘い期待が、どこかにあった。
でも、ZAKURO社内部の人間であるサカミの目が誤魔化せるはずもなかった。
そして……。
――キリサキ専務!
そう、開発者とされているキリサキ専務。
リョウは、ZAKURO社内の人事制度のことなんて、よく知らない。それは、リョウがとりわけ世の中のことに疎いせいでなく、社外の人間は誰も知らない。
ただキリサキ専務ほどの権力の持ちぬしであれば、採用活動の結果くらい、たやすく左右できるのではないだろうか?
だとすると、キリサキ専務に取って不都合な、マサシの生きた証であるはずの、このカツバト・プロトタイプを身につけたリョウがあらわれた時……。
キリサキ専務はどう思うだろう?
ふつうに考えれば、リョウを不合格にして、ZAKURO社から遠ざけようとするのではないだろうか?
そんなことに、今まで頭が回らなかったのはおろかというほかなかった。
――いや、ちがう。
そんなこと、エージェントさんも指摘していなかった。
さっきの説明と考えあわせると……。
そうだ、エージェントさんはオレの本がなくなるまで、レジェンド・リクルートをあてにしていたのだから、そこは心配しなくて当たり前だろう。
ボッチ島では、このカツバトがなければ、そもそもリョウはレジェンド・リクルートに変身することもできなかったはずだし……エージェントさんの言うことがほんとうなら、本物のレジェンド・リクルートになってしまいさえすれば、存在そのものが忘れられてしまうのだから、リョウがこのカツバトをつけていたという事実そのものが、キリサキ専務たちの記憶からすっかり消えてしまうはずだ。
部分的にしかうまくいかなかったという、レジェンド・リクルートへの変身。それは、キリサキ専務の記憶を変えられたのか、――それとも?
もし、できていないのなら、リョウの考えでは、今回の就活は絶望的なわけだが……。
――だとすると……。
リョウはけんめいに考えた。いつも通り頭がまわってくるにしたがって、いよいよ苦悩は深くなっていくばかりだ。
――今は、父さんのことをZAKURO社の人に聴いてもらう最後のチャンスかもしれない。
もちろんサカミとキリサキ専務との間柄は、リョウにはわからない。
もしかすると、腹心の部下かもしれない。
ここで不用意な発言をすれば、その情報はキリサキ専務につつぬけになって、リョウの身にさらなる危険が――そんな恐れだってある。だから、ロジカルに考えてみると、いいかげんに誤魔化してしまうのがいちばんよいにちがいない。
にもかかわらず、リョウは何となく、サカミに、信頼とまではいわなくても、親しみくらいなら少しは、感じはじめていた。
それは、このひとがリョウの心身を気づかってくれたからだろうか?
誠心誠意――に見える態度で――話に耳を傾けてくれたからだろうか?
それとも、理屈でどうこう説明できない、一種の直観のようなものだろうか?
「……ふうむ……。まあ、いいか」
サカミはぜんぶがぜんぶ腑に落ちた、というわけではなさそうだった。それでももう、行ってしまおうとしていた。
なぜだろう? リョウを慮ってのことだろうか?
――わからない。
でもやはり、リョウにはサカミが信用に足る人物だという気がした。
いや、それはもしかしたら、たんに自分勝手な思いなしかもしれない。つまり、たいせつな志望動機のひとつである父の話をここで聴いてもらって、それで就活をふっ切れるかどうか、ためしてみたかったのかもしれない。
――いずれにせよ、リョウは、
「……あの」
とサカミを呼びとめ、物語をつくる時みたく、脚色しながらではあるけれど、父・マサシをめぐる事情について、誠実と不誠実とのあわいで、語りはじめたのだった。
「ん……」
エリカが目を開けたとたん、のぞき込んでいたシッポは慌てて飛びすさった。そして、かたわらの男の白衣を引っ張った。
「ん……?」男は振り返った。「おお、目、覚ましたか!」
「あれ……」
おそるおそる、エリカは身体を起こしてみた。――さいわい、発作の影響はもうなさそうだった。
「――よかったなあ、おい」
男はきまり悪げなシッポの頭を、笑いながらぽんぽんたたいた。
「別に、よかないよ!」
「照れてんのか? こういう時は、すなおに喜びを爆発させとくモンだぜ」
「わたしは……」
まだ、夢うつつだった。が、さっきのできごとを思い出すとすぐ、最低な気分がおそってきた。
――わたし、なに、やってるんだろう?
なんにもできないくせに、無理して、お辞儀なんかしたりして、それでけっきょく、人に迷惑をかけて……。
「あの……すみません、でした」
消えそうな声で、エリカは言った。
「『すみません』?」
男は、カラッとした調子で言った。
「『ありがとう』じゃなくてか?」
「あの……」
「安心しな。リョウもさっき、退院したぜ」
「え?」エリカはおどろいた。「リョウを知ってるんですか?」
「オレ、タナカ」男は、親指を立てた。「リョウのダチさ。よろしくな、エリカ」
――どうして、わたしの名前を? 不思議に思って、エリカは、シッポを見た。
シッポは、リョウを見舞うエリカとわかれて、ひとりゆがみの町に帰ったはずだった。すくなくとも、エリカには、そう言っていた。
――が、
「――アンちゃんじゃなくて、アンちゃんのスーツ……の、ボタンを見舞いに来たんだ」
そしてたまたま、タナカに背負われたエリカを見かけたとのことだった。
「――そう、だったんですか」
「おいおい」とタナカはかつてリョウに言ったみたいに、「敬語、やめてくれよ」
エリカはとまどった。
「リョウのダチなら、もうダチ同然だろ? ――なあ、おい」
「オイラ別に、『ダチ』なんかじゃないよ!」
シッポの、まんざらでもなさそうな抗議に、タナカは笑った。
よく笑うひとだな、とエリカは思った。その観察にともなっているのは、まちがいなくじんわりと、あたたかい気持ちだった。けれども同時に、ダチ、友達、その言葉でリョウとの関係性をかためられることに、なぜかひっかかる自分もいてしまうのが嫌だった。
――わたしにとって、リョウは……。そして、リョウにとって、わたしは……?
あわてて、エリカは頭を振った。
すくなくとも今、そんなこと考えている場合ではないはずだった。そんなことより、リョウの状況だ。
タナカは一転、神妙な顔つきにもどった。
「ああ、無事は無事、なんだけどな……」
もどかしそうだった。
「……オレには就活のことはわからん」
「どういうこと、ですか……?」
「いや……」
タナカは少しの間、なにか考えてから、慎重に頭を振った。
「あいつが決めることさ」
「え?」
「リョウが、自分自身で、決めることさ。……そうじゃなきゃ、何がどう動いたって、何も変わりゃしねえ」
――就活をつづけるか、どうか、っていうことかな?
エリカの胸は、痛みに支配された。
「まあすくなくとも、身体のほうがなんともない以上、いつまでもこんなところにいてもしかたないのさ」
エリカは、つぶやいた。
「ひとりで、危なくないのかな……」
「ああ、それはだいじょうぶ。心配いらない」
力強く、タナカは言った。
「なんかあいつの、エージェント? とかいう女が、迎えにきたからさ」
そしてまた、ぐっと親指を立てた。
その言葉に、エリカは――。
もちろん、安心させようとして、心配をかけまいとして教えてくれたのにちがいなかった。
それなのに――。
「……そうですか。それなら、よかった、です」
そう言ったエリカの表情を、ちらり、シッポは盗み見ていた。
でも、それだけだった。なにか、言葉をかけるわけではなかった。




