第2四半期「来訪者」
「――リョウ」
タナカだった。
「――と」
タナカは泣いているリョウを、それからむっつり顔のシズナを見て、言った。
「悪い、取り込み中だったか?」
「……別に」
シズナの言いかたは、いかにもそっけなかった。
しかしそんなこと、タナカは少しも気にする様子なく、うなずいた。
「そうか。オレは、タナカ。リョウのダチさ」
「……シズナ」
ぶっきらぼうに、シズナはいちおう名乗りはした。
「シズナか。よろしく。――おいリョウ、検査の結果なんだが……」
タナカはシズナを見やった。けれどもシズナは、外すつもりはなかった。異常なんて見つかるはずないことは、わかっていた。
「……教えてよ、タナカ」
リョウの言葉に、タナカはうなずいた。
「『異常なし』さ」
「本当に?」
リョウはすがりつくようなまなざしを、タナカに向けた。
「どこも悪くないのに、こんなに、こんなに苦しいの?」
タナカは神妙な表情で言った。
「悪いな、……リョウ。それについちゃ、オレにはどうしてやることもできないたぐいの問題かもしれん」
それから一転、つとめて陽気な調子で、
「……でもな。これが少しでもお前の励みになってくれればと思って教えるんだが……いい報せがあるぜ」
リョウの瞳に、かすかな期待がやどった。
タナカは、言った。
「あの二人……カウボーイのアンちゃんと海賊のアンちゃんな。どっちもピンピンしてるぜ」
「え?」
ずっとながれつづけていた涙が、ぴたり、止まった。
「どういうこと?」
まさかそこまでおどろかれると思っていなかったタナカは、逆に、リョウの大げさな反応におどろいた。
「ん? だから、……まあ、そうか、お前は覚えてないかもしれんが、あいつらも気失ってさ、倒れちまってたんだよ。頭打っちまってるかもって心配はあったんだけどさ、でもほら、あいつらふたりともでっかい帽子がトレードマークだろ?」
リョウは、言葉をなくしていた。
「あ、あれはカツバトでつくった空想なんちゃらだっけか? ――まあ、そんなら単にラッキーだったのかもな。頭も身体も、ピンピンしてるぜ」
「でも、……アオヒゲさんは、オレの目の前で……」
朱雀に、クビを飛ばされて……。
「――ウッ」
リョウは口をおさえた。よみがえった光景が鮮やかすぎた。
「おい、――大丈夫か?」
リョウはかろうじて、片手だけ上げて「ダイジョウブ」と合図した。タナカは、できるならここにいつまでもいたかった。でも、仕事柄それはかなわない。看護師によばれて、
「――また来るぜ」
とだけ言いのこし、部屋を出て行った。
リョウはすぐにシズナを見た。
聴きたいこと、聴かなければならないことが多すぎた。
シズナは、リョウが不安になるくらいか細い声で告げた。
「あんたは、レジェンド・リクルートに、なったの」
そのとき、どんな表情をリョウはしていたろう。
「オレは……それじゃあ……」
「――でも、何が起こったのかはわからない。あんた自身、何も覚えていないでしょ?」
リョウはますます不安げに、ゆっくりとうなずいた。なんだか、つづきを聴くのが怖いような気がしてきた。
でも、怖いのはリョウだけじゃなかった。
「わたしにもわからない。よく、わからないの。誰にもわからない。誰も、覚えていない」
誰も、覚えていない。
ボッチ島の時もそうだった。朱雀との、就活バトル。あの一件を、どうやらオカミも、ゴーダも、ネズミも、アヤコも、ヨシヒトも――いや、きっと島の全員が、「災害」と見なしていた。リョウ自身の記憶もあいまいだ。
でも、今回は、あの時とは明らかに感じがちがっている。なにが、ということは、わからないけれど……。
「それは……」
シズナは、まるで罪を告白するみたいに、弱々しい口調で言った。
「きっと、『にせもの』だったからよ」
「レジェンド・リクルートが……?」
シズナは、緑色の本に目を落としながら、けれどもそれを開く力はなく、言った。
「もし、本物のレジェンド・リクルートになることができれば、思いのまま、事実を書き換えることができる。黒は白になるし、闇は光になるし、希望は現実になるし、絶望は無に帰る」
「黒が、白……?」
リョウの頭は今、ただでさえうまく働いていない。
「そして、書き換え業務が完了したあとは、忘れられていく。忘れられたことそのものを忘れられていく。覚えていないことそのものを、忘れ去ってしまう。忘れられるために仕事をする存在、それが、レジェンド・リクルート」
「『忘れられるために』って、そんな――」
レジェンド・リクルート。
それはリョウが思いつきで物語に書きつけた、ただそれだけのごく私的な――ちょっぴり恥ずかしい――言葉でしかないはずだった。
それがいま、リョウの知らない秘密を宿して独り歩きしている――。
「だから人々は解釈に走る。本当はレジェンド・リクルートの存在していた理解不能な空白を、どうにか合理的に埋めてしまおうとする。科学とか常識とかロジカル・シンキングとか、いろいろな手段を使ってね」
「だから、ボッチ島の皆はあれを『災害』って……?」
リョウはひたすら怖かった。
「でも、エージェントさんは、どうしてそんなことを?」
と言いながら、まなざしは的確に緑色の本を探り当てていた。が、シズナがそれを見せてくれる様子はない。
「今回、レジェンド・リクルートは、事実を書き換えることまでは、きっとできた。でも、忘れられてしまうことは、できなかった。他の何人かにも、そして、あんた自身にもね」
その言葉にリョウが思い出したのは、あの、
――寂しい、寂しい、寂しい。
という、内なる声だった。リョウの瞳は暗くなっていった。
シズナは、目を逸らした。
「……みんな、オレのしたことを見ていた?」
その言いかたには、いつものシズナなら引っぱたきたくなるような、甘えのようなものがにじんでいた。
「会場は、ひどい混乱だったわ。でも、見たやつはいるでしょうね。まちがいなく」
「オレのしたことを、覚えている……?」
それは望ましいことなのか、それとも? 葛藤を感じながら、リョウは尋ねた。
「それは、わからない」
「……『にせもの』だったから……」
そのつぶやきがシズナをつらぬいた。
今すぐ、ひとりになりたい。
急にシズナはそう思った。なんにも言わずに、立ち上がった。
リョウはすぐ、じぶんの軽率な言葉を後悔した。これではまるで――カツバト・プロトタイプ起動のきっかけをつくってくれた――シズナを責めているみたいだ。なにかフォローしなければ、と思って声をかけようとした、
「あの――」
けれども今シズナが抱えているのは、リョウごときからのどんな言葉でも、ぜったいに軽くなりはしないたぐいのものだった。
「――外の空気をすってくるわ」
とっさに思いついた言いわけの陳腐さに、また失望を深めながら、シズナは部屋を出て行った。
「ん……?」
部屋のすぐ外で、男の声がした。
顔を伏せたまま、足早に通りすぎてしまったシズナには、それが誰だか認識することはできなかった。けれども、わかったところで、引き返したろうか?
「エージェント」としては、そうするべきなのかもしれなかった。でも、いまは――。
男はいちおう、シズナに気を留めた。けれども、それもほんの一瞬のことだった。それから、
「――失敬」
室内にむかってひとこと、そう言うと、うなだれているリョウの前に、立った。
「――リョウ君、だね?」
リョウは顔を上げた。
人事部長・サカミが、そこにいた。




