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就活生RYO -Grand Design-  作者: 就活史編纂室
第1期「伝説の就活生、レジェンド・リクルート」
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第3四半期「虚人病」

 エリカは、ひいてきたスーツケースをいったんその場に立てると、すばやくリョウに駆け寄り、


「だいじょうぶ?」


 うん、と元気なく返事をするリョウを助けおこし、ズボンのよごれを軽くはらってあげると、あらためて、ゴーダのすぐ目の前まで、大きな荷物をひっぱって来ます。


 ゴーダはもう、しどろもどろ。


「ちがうんだよ、エリカ」


 と、ほっぺたをかすかに染めて、すぐさま弁解にかかります。


「これはさ、つまり、――そう、『コーチング』ってやつなんだよ。つまりさ、こいつ、今全然何もしてなくて、毎日ぼやぼやしすぎてて、このままじゃ、堕落しちまうからさ。そんで人間、痛みからしか学べないこともあるってわけで――つまりさ、『百聞は一拳に如かず』ってわけでさ……」


「たたいたの? ――たたかれたの?」


 と、エリカはリョウに問いかけます。しかし横あいからゴーダがぬっと来て、


「いや、ちがうよ、そうじゃないよ、エリカ。まだ、ぶん殴っちゃいないよ」


「『まだ』って?」


「いや、それはさ、エリカ。つまり、『ケツは熱いうちにぶて』って、言うくらいでさ――つまりさ、エリカ。オレが気にいらないのは、お前、なんでいつもこいつにばっかり、アグリーを表明するんだってことだよ」


「じゃあ、ゴーダ君たちはどうしていっつもリョウのことをいじめるの」


 エリカの問いかたは、あくまでおだやかでした。


「いや、だからさ。いじめじゃなくて、教育の一環ってやつで――」


 ここで要点を「見える化」とばかりにネズミが口をだしました。


「つまりエリカにはさ、――こんなやつより、ゴーダのほうがお似合いなんじゃないかって話なんだ」


 すかさずゴーダは、ネズミを、ぽかり。


「よけいなこと言うんじゃないよ、お前は」


 従業員むけの独演会でよくやるように、せきばらいを一つして、しきり直しにかかりました。


「つまりさ、お前、もったいないよ、って話なんだ。エリカ、お前さ、じぶんがどれほどの才能にめぐまれてるか、そこんとこよくわかってるのかよ? つまりさ、お前、大学生なんだぜ?」


 大学、その言葉で、あきらかにエリカの顔がくもったのをリョウは見のがしませんでした。


 この世界に、大学はたったひとつだけ。


 競争率となると、リョウにとってはその算出じたいが試験になってしまいそうなほど、たいへんな、ほとんどテンモンガク的な数字です。


 合格のしらせが、海をわたってとどいたときの島の人々のはしゃぎようは、どれほどだったでしょう。その時、すこしはエリカもたしかに誇らしげだったと、リョウはおぼえています。


 けれども、入学から一年、二年と経つにつれ、大学の話題はしだいに少なくなり、この春休みには、以前明かしてくれた研究計画はどうなったのか、今後どういう進路にすすむつもりなのか、そういったことをエリカはとうとう、ひと言も話してはくれませんでした。


 そして今、ぼそっと、エリカはつぶやいたのです。


「関係ないでしょ」


「関係なくないよ。だってお前、エリカ、『ノブレス・オブリージュ』だぜ?」


 と、ゴーダはちょうど今朝読了した新書から、うってつけの言葉を引いてみました。


「知ってるか? 持つものの、……いや、持たざるものの、……あれ、高貴なる、……珍奇なる? その、……なんだっけ。まあ、それは、いいんだけどさ。とにかく、ひとより余分に恵まれたやつはさ、全然恵まれやしなかったやつに、施しを、しなきゃならないのさ。お前の場合はさ、せっかくそれだけの頭脳、持ってんだから――それ、いつ使うんだよ。つまり、島のために、皆のために、使わなきゃさ」


「べつにわたし、ぜんぜん、恵まれてなんか――」


「いや、いや、エリカ。お前、それは古い考えだよ。つまり、美徳を謙遜とする――いや、謙遜を美徳とするのはさ。お前、誇っていいんだよ。だって、『就活学』だっけ? 立派な研究したんだろ? だったらもう、勉強は四年でおしまいにしてさ、大学院にいくなんていわずに――」


 大学院? リョウは、おどろいてエリカを見ました。初耳でした。


「これからは、実地で、島のために、貢献してほしいんだよ。つまりさ、――なんだ、オレ、ほら、策定したじゃんか、その」


 ここだとばかりにネズミが、――BOCCHI-21、と補います。


 ゴーダは重々しくうなずいて、


「そう、BOCCHI-21。だから、その、エリカ。お前、オレと――」


 その時、ぼうっと汽笛がなりました。


「あ、――いけない」


 エリカはつま先立ちで、――そんなことをしてみても港はまだずっと先なので見えるはずもありませんが、石だたみの通りの向こうにまなざしを投げました。


「リョウ」


 リョウは、うなずきました。そして、エリカといっしょに走りだしました。

後ろから、まだゴーダもネズミも何か叫びかけていましたが、それも喧騒にまぎれて、じき聞こえなくなりました。


 ふたりはしばらくのあいだ、無言で走りつづけました。スーツケースが、むかし、ボランティアの就活生が敷きつめてくれたという――そしてそれを実績に、建設会社に就職したという――タイルのすき間にたびたび車輪をとられ、がこんがこん危なっかしい音を立てながら小きざみに跳ねつづけていました。

 かわりに持とうと、リョウは手をのばしました。


「ありがとう」


 エリカは息をきらしながら言いました。


「でも、だいじょうぶ。――っていうか、ごめんね」


「なにが?」


 リョウも、息をきらしていました。


「わざわざ、見送りに来てくれるなんて」


「ううん」


 と、リョウは言いました。どうせ帰っても、と思いました。


 旅館や民宿の建ちならぶ目ぬき通りをぬけ、見えないバトル真っ最中の就活生らの波をかきわけると、いっきに潮くさくなり、やがてほんものの海が見えてきます。

 最後の直線を、ふたりは、さっきの便で来た就活生たちとすれちがいながら、心持ち、ペースを落として走りつづけました。飾りものの煙突から、もっともらしく煙を吐きだしながら、月に一度のエントリー号は、ベロのようにタラップをのばし、島をでる就活生たちをすいこみつづけています。


「ぎりぎりになっちゃった」


 というエリカに、


「エリカ、また、『傾聴』?」


 と、リョウはたずねてみました。エリカは、うなずいて、困惑したように笑いました。


 エリカの実家、かもめ亭はこじんまりとした――よくいえばアットホームな民宿ですが、長期休暇中だけ、異例の、それもあの大旅館、アズマニシキに次ぐ、いやもしかするとそれをも凌ぐほどのにぎわいを見せるのでした。


 なぜか? それはほかならぬ、エリカのおかげだったのです。この世界でまれな大学生、それも、「かわいらしい」大学生のうわさを聞きつけた就活生たちが、帰省中のエリカを一目みようと、そして知恵を拝借しようと、さまざまな困りごとを抱えて、あの若葉色のちいさな暖簾を寄ってたかってくぐっていくのでした。


 はじめのうち、エリカは持ちかけられるさまざまな相談ごとに、具体的なアドバイスを示したり、客観的な判断を口にしたり。


 つまり、いちおう知識人のたまごとして、ふさわしい態度をこころがけつづけたのでしたが、いいかげん肩が凝ってきたころ、ふっと身体の力をぬいてみると、ある事実があきらかになったのです。


 それは、エリカはみちびくより、指し示すより、ずっと、ただ「聴く」ほうが性にあっているということなのでした。


 目の前の相手の話について、そうだとも、そうでないとも言わず、ただ黙って、しずかに聴いているだけ。


 批判精神の旺盛な就活生であれば、すぐにこう指摘することもできるでしょう。なんだ、そんなこと。ナンセンスな。誰だってできるじゃございませんか。いかなるスキルも、テクニックも必要としないではありませんか。


 エリカ自身、むかしそんなお話を本で読んだときには、似たような考えを抱いたものです――なんという物語か忘れてしまいましたが、ひどく聴き上手な、もじゃもじゃ頭の女の子がでてくるお話でした。


 だから就活生たちは、張り合いをなくし、もっとばちばちと議論のできる誰かを求めて、つぎつぎと「かもめ亭」を見かぎっていくのではないだろうか? いっぽうでは、不思議とやすらかな気持ちも感じながら、エリカはそう、心配していました。


 けれども――。


「――ふうん。みんな、そんなにたくさん、悩みごとがあるんだね」


 リョウは、足をとめて言いました。


「うん。――まあ、そうね」


 エリカも、立ち止まりました。もう、船はすぐそこです。


「でも、就活生さんの悩みって?」


「それは……」


 エリカは申し訳なさそうに、苦笑しました。


「言えないわ。いちおう、守秘義務があるもの」


 義務、ということばに、リョウは足もとの石ころを見ました。


 ぼうっ、ぼうっと、就活生にあるまじき時間感覚の持ちぬしたちを最後の汽笛が急かしにかかっていました。


 乗船口から、乗組員らしきひとが、おそらくは出航前の最終確認かなにかのためにあらわれました。

 そして胸もとに例のものがない、しかしスーツケースは引いているエリカは、いったい乗客なのかどうか、うさんくさそうに、見つめています。


 エリカは手をあげて、


「あ、すぐ行きます!」


 そしてリョウに、こんなことを言いました。


「ねえ、リョウ。リョウもわたしもね、――ほら、つけてないでしょ? カツバト。最近ね、カツバトを使う人たちのあいだで、変な『病気』が流行っているみたいなの。それはね、『虚人病』っていって。理想の自分に変身しつづけるうち、自分がいったい何者なのか、とうとう、わからなくなっちゃう病気なの。ねえ、リョウ。それって、すごく怖いことよね」





 ――そんなこと、オレに言われてもなあ。

 もうほとんど覚えていない、いわば外の世界にむけて遠ざかっていくエントリー号が、のんびり、水平線のかなたに消えていくまで、けっきょくリョウは、じっと立ちつくしたままでした。


 あかがね色の本を開き、ちいさくため息をつくと、またすぐ、閉じてしまいました。





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