誰も知らない戦い
時系列がみだれてしまい、はなはだ恐縮ですが、その数時間ほど前、ようやくリョウがほんものの眠りにつきはじめたころ、未明の「ゆがみの町」の、大蛇の背中のような目抜き通りを、ある男が歩いていました。
両眼をぎんぎんにして呼びこみをかけていた灰色スーツの就活生たちは、けっして時事問題に通じているほうではありません。
けれども、さすがにその風貌、――清潔感、という通念など軽く焼きつくす、腰までの長さの赤髪。地球最後の日を思わせる、惑星直列的姿勢の正しさ。そして神話的多頭竜を彷彿させる、八本のネクタイ――を目にしては、自己紹介を待つまでもなく、その男の正体を、誰もが悟らざるをえませんでした。
往来の就活生たちは、うつむき、黙りこみ、目をそらし、路地にながれだし――こうして、またたく間に眠りに落ちてしまった眠らない町のこの通りに、しかし、逆に好機とばかりぞろぞろつどってくる命知らずの就活生たちもありました。
「これはこれは、絶対内定者・朱雀様におかれましては」
いかにも挑発的に名を呼ばれ、朱雀は立ち止まりました。状況把握を急ぐまでもなく、包囲されているのは明白です。
ネクタイがわりに鉄球をぶら下げたもの、肌という肌に隙間なく自己PRのイレズミを彫り込んでいるもの、合金製の巨大な就活鞄を両手に提げているもの。
だれも、カツバトをつけていません。
「益々、ご健勝のことと存じます。早速ですが、貴重なお命頂戴し――」
狼のかぶりもの、毛皮のスーツという身だしなみの就活生が、名刺をくわえ、前足を地面につけました。そして――。
「――わたくしども一同、社会的地位の向上に努めたく、存じます!」
――ダッシュ。なんという腰の低さ。そして、アジャイルさ。
どこに行くにも徒歩かランニングで、これまで一度も交通費の支給を受けたことのないまさに人間離れした四肢の筋力をぞんぶんに活かし、標的の喉元にあっという間に到達すると、そのまま名刺をねじ込もうと、こころみるのですが、突如朱雀は身体を仰向きにのけ反らせ、のけ反らせ、まだのけ反らせ――ついに背面は、地面と平行に。
――逆・最敬礼!
化け物が、と狼はつぶやきます。いかれた就活、しやがって。
彼も彼とて即座に身をひるがえし、あらためてエリアの確保に努めるのですが、気づく間もなく肉薄していた朱雀は、がしっとかぶりものを、鷲掴みに。
大きな傷のある素顔が露見したかと思うと、朱雀は耳もとに口を寄せ、ゼロ距離で、大音声の、自己紹介。
――鼓膜破壊、完了。
両耳をおさえ、のたうちまわる素顔の狼就活生を目の当たりにし、ひるんだ気持ちを強引にかき消そうとするかのように、つぎつぎ、就活生たちは飛びかかっていきます。
しかし――。
あるものはお辞儀に腹を貫かれ、あるものは背中に血文字の自己PRを書きこまれ、あるものは精神破壊ディスカッションの犠牲となり、あるものは物理的PDCAサイクル――P:パイルドライバー、D:ドラゴンスクリュー、C:チョーク、A:アックスボンバー――に悶絶し、そして、とうとう立っているのは、モヒカン肩パッド就活生ひとりだけになってしまいました。
徐々に、朱雀は近づいてきます。就活生は、持ち前の臨機応変さを生かして、
「あ――どうでしょう、貴殿におかれましては、わたくしどもと、こ、こここ懇意にしていかれては」
けれども、朱雀は、無言。ただ、機械のようにつめたいふたつの目だけが、腰をぬかした就活生を見下ろしています。
「だ、だだだだって、そ、そうでしょう。き、きき貴殿のスタンスは、は、はは『反・カツバト』ではないですか。で、で、でしたら、わわわたくしどもとあ、ああアライアンスを結成し、わ、わわわたくしどもとぜひ、く、く、くく『空想ベンチャー特区』のか、開拓に――」
けれどもその提案が、最後まで静聴されることはありませんでした。その後、彼にどのような処分が下ることと相成ったのか。――それは、ご想像にお任せします。
それから朱雀は、町外れ、先夜リョウや、シズナ、エリカ、キョウカたちのいた町外れからさらに外れた一角に足を向けました。
忘れられた場所。
誰も、近寄ることすらない場所です。がれきのただなか、螺旋状にねじれたビルがありました。
その中庭に、朱雀は入っていきました。
そして、ちいさくいびつな――まるで、誰かのお墓のような――岩の前で立ち止まると、返り血にまみれたマントを脇に投げ、姿勢をただして頭を垂れました。
目をつむり、そのまましばらくの間、朱雀は、ただただ不動の姿勢でそこに立っていました。
――螺旋の隙間から、中庭に朝日が満ちていきました。




