第20四半期「リスタート」
目を醒ましたきっかけはシズナのノックでした。
シズナのほうは、派手な寝癖と腫れぼったい目元のまま、むくりと起き上がるリョウを見て、意外の感に打たれずにはいられませんでした。
「あ」
と、まだ重力に苛まれているらしいふたつのまぶたを意志の力でどうにか支えあげているといったふうに、
「おはようございます」
もうとっくに正午をすぎていました。が、そのことにはとくにふれず、
「……どういうつもり?」
すぐに本題にはいったのでした。キョトンとするような、ぎくりと身を震わせるようなリョウを見て、
「昨日の件だけど」
「すみません」
リョウは、上体だけ起こしたまま、うなだれている格好でした。
「すみません、じゃわからないでしょ! ――なんで、あんなことしたの」
かたわらに、リョウは目を落としました。本の不在がありました。
「それは――」
リョウはもう一度、「すみません」で済ましてしまおうかとも思いました。が、「正直に」というコンサルタートルの言葉がシズナの声でひびいて、
「あのままじゃ、みんな、危なかったから」
シズナはくっと唇を噛んで、
「どうすんのよ! あの本がなきゃ、あんた、まともに就活できないじゃないの!」
するとリョウの腹の底から、自分でもおどろくほどすんなりと、
「できます」
のひと言がでてきました。このひと月、本当にたくさんのことを教わったのでした。
「オレ、できます」
シズナはとうとう、かすかなおののきを感じながら、言いました。
「あいつらね……? カツモンたちね! あんたをここまで思いあがらせたのは」
カツモン、という知らないはずの言葉が、しかしリョウに個性豊かな夜店の恩師たちをすぐ連想させました。そして、カメのおじいさん。
「言いなさい。あいつらになにをふきこまれたの? なにを教えられたの。――あいつら、わたしのこと、何て言ってた?」
するとリョウが、シズナの目を見て言ったのは、
「カメのおじいさんが、エージェントさんそっくりだったんです」
と、答えともつかない答えなのです。
シズナは顔だけ軽く横に向けて、目はしにリョウをとらえました。
リョウは、これまでのことを正直にうちあけて話しました。毎晩の夜店のこと、やさしいシズナのこと――そしてコンサルタートルの名前に差しかかったとき、シズナはぐっと何かをこらえるような表情をしました。
「……やっぱり、『入れ知恵』があったんじゃない」
あのカメの甲羅のような地図を頼りに、キョウカのもとに駆けつけたとき、そこにコンサルタートルの姿はもうなく、ただ、マナの痕跡だけが埋火のように残っていました。すべてを悟るのに、それでじゅうぶんでした。
コンサルタートルと、リョウとの対話。いや、それは「対話」などという仰々しいものでなく、リョウとしては一見、たんなる、他愛ない雑談にすぎませんでした。けれども、
「オレ、教えてもらった気がするんです」
「なにを」
「怖がってるばかりじゃ、ダメだって。……エージェントさんの言うことで、わからないことがあったら、きちんと聴いてみよう。納得いかなかったら、きちんと意見しようって」
「……なにを考えてるの、いったい」
それはすぐそばのリョウでなく、もういないコンサルタートルに思わず向けてしまったむなしい問いかけでした。
わかりません。
なぜ、コンサルタートルは、あの緑色の本をシズナに贈ってくれたのでしょう。
リョウを「からっぽ」にして、操り人形に変えてしまえば、就活がやりやすくなるということをほのめかすためならば、自分のほうでもリョウに接触をはかって、なにか前向きな影響を与えようとしたことは、矛盾しているでしょう。
かといって、シズナを出しぬいて、自分がリョウを教育するつもりでいたのなら、選考ギリギリのこんなタイミングまで待っていたわけがわかりません。
いや、あのコンサルタートルにかぎって、シズナを出しぬく、ということは考えられません。そんなたくらみをするはずがないのです。
――本当に、なにを考えていたの?
シズナは思わず、親指の爪を噛んでいました。
――わからない。ぜんぜん、わからない。
コンサルタートルは、シズナを、リョウをどこへみちびこうとしていたのか?
それをいまとなってはもう絶対に問いかけられない、確かめられっこないという事実がシズナの胸に危険な重さでわだかまりつつありました。
込みあげてきそうな感情をシズナは恐れていました。そして、性急に出した結論は、
「もういいわ」
いろいろなことを熟考するには、いまは疲れすぎていました。
「就活は――」
「エージェントさん!」
つづく、シズナの言葉を勝手に予測して、リョウは抗議の意思を表明しかけました。けれども、シズナのほうは――。
所期の目標を達成し、万人の好意を強奪するあの黄金の笑みの仮面の奥で、下品にほくそ笑む父親の未知の素顔がちらつきます。
――やめるわけない。ここで、やめるわけがない。
ここでドロップアウトしたら、それは、やつらの思うつぼ。それだけは、ぜったいに嫌。ぜったいに、悔しすぎる。
「一次選考は、予定通りエントリーする。それまで、体調管理。――以上!」
そして、足早に部屋を去って行ったのでした。
以上、第2期「カツモンたちの夜」となります。
第3期も、明日より更新して参りますので、
引き続き、何卒宜しくお願い申し上げます。




