第17四半期「vs ホロウワークの執行者、キョウカ(前編)」
「キョウカ、さん?」
「妹よ」
シズナはそれだけ答えました。
「え?」
リョウはおどろいてふたりにかわるがわる目を向けました。
目鼻立ちなどは別にして、今涼しげなキョウカの無表情と、いろいろな感情のせめぎ合いがあきらかなシズナの面貌とは似ているどころか対照的です。背格好は、キョウカのほうが少しだけ小柄。髪はシズナが銀色の長髪なのにたいし、キョウカのほうは、やや短めにととのえた黒髪です。
「似てない?」
シズナはじゅうぶんにキョウカを警戒しながら、リョウの真横に立ちました。そして、片腕にぐっと押しつけられたのは、なんとあかがね色の本でした。
「え――どうして、これを?」
これをエージェントさんが持っているということは、それは、夜の秘密を知られてしまったことを意味するはずでした。けれどもシズナは、とりあえず今は何も追及しようとせず、
「地図が浮かびあがったの」
と、キョウカから目を逸らさないまま、言いました。
「地図?」
リョウは開き癖のついたページを開いてみました。そこには、リョウにはちょっと地図には見えませんが、六角形の、カメの甲羅のようなかたちの判が押されていました。
――リョウは、シズナを見ました。コンサルタートルの最期を、このひとは知っているのか、どうか。
問いかけてみる隙はありませんでした。
「用件は、ご理解いただけていますね、シズナ」
「わからないわね。ここまでしなきゃならない理由は」
「ここまで、とは?」
キョウカは首を傾げることも、眉を顰めることもありません。
「一連の出来事について、お父様が御存知ないとでも思ったのですか? そうだとしたら、シズナ。認識を改めるべきです」
「相変わらず、悪趣味ね。プライバシーって考えかたが存在しないんだから」
「組織の代表者にとって、従業員の動向を把握することは当然の義務です」
「誰が、従業員よ」
シズナは叫ぼうとしましたが、声は弱々しく細り、感情を託しきれませんでした。
「シズナ。あなたの退職手続きは、正しい手順を踏んでいません」
キョウカは咎めるふうでも、赦すふうでもなく、言いました。
「わたしは、有効な辞令を受けた覚えもない。あんたたちの一味に加わりたいだなんて、そんな厚顔無恥な宣誓をしたこともない。――本当は、一度も思ったことなんてない。あんたたちといっしょに、仕事がしたいだなんて」
「しかしあなたは今、『エージェント』と称していらっしゃる」
シズナは唇を噛みました。
キョウカの言いかたは、嘲弄も、さげすみも、非難も、糾弾も、どんな響きも帯びてはいませんでした。
「あなたが、『エージェント』ですか。シズナ。遺憾に思います。あなたの手腕では、レジェンド・リクルートのポテンシャルを――」
「あんたに関係ないでしょ!」
「お父様のお考えは、ご存知のはずです」
「だからって、それに従う必要はないでしょ? わたしは、もう――」
「シズナ」
キョウカはたしなめるわけでも、諭すわけでもなく言いました。
「あなたの行動には、理念が感じられません」
「あんたの態度にもね」
「ヴィジョンの実現のためには、多少の犠牲もやむをえません」
決意も、諦観もなくキョウカは言いました。
「用済みってわけ。もう、わたしは――」
「いいえ、われわれはあなたを必要としています、シズナ。――そして、レジェンド・リクルートも」
「必要と……」
シズナは、鋭くキョウカをにらみつけました。そして誰にも聞こえないほどちいさな声で、
「能力を、でしょ」
「来ていただきます、シズナ。レジェンド・リクルート」
「エージェントさん」
リョウは横目でシズナに目配せしました。
「オレ――」
そして背筋を伸ばし、就活の姿勢を――。
「ちょっと――」
シズナははげしく、御叱責しました。
「馬鹿! 逃げるわよ!」
「え?」リョウは何度でも、さっきのお辞儀を思い返して、「でも、オレ――」
「勝てる相手じゃない!」
少なくともこのシチュエーションで、とシズナはもはや直観的に悟り、強引にリョウの手を引いて走りだしました。
手はすぐはなれましたが、たしかな体温はリョウにコンサルタートルのシズナを連想させました。ふたりは、霧の中、ふたつの影となって、湖のほとりを走っていきました。
その背後、木立から三つ目の影がふっとあらわれ、どんなプロジェクトのデッドラインよりも絶望的な速度で、前方の影たちを追い上げていきます。
――キョウカ。
シズナは思いました。
――どうして、こんなに強くなってしまったの……?
湖は終わり、だだっ広い草地に差しかかったころ、急にシズナのスピードが落ちはじめました。まるで、熱病にでもかかったみたいに顔中真っ赤で、汗だらけで、呼吸のたびにひゅう、ひゅうと甲高い音がもれています。
「エージェントさん」
リョウは思わず、肩をかそうとしました。が、シズナは、
「さわらないで」
と、弱々しく、押しのけます。そして、
「――上よ!」
と、注意を促しました。
見上げると、うつくしい影が舞っていました。
いや、舞っているのではありません。
お辞儀です。
靄がかった星の光に全身まみれながら、しなやかな身体をひねり、反らし、屈し――天球儀のように自在に回転させながら、全方面に向けすばやくお辞儀をくりだしつづけているのです。
――「八方美人」。
キョウカの、奥義でした。
リョウは、キョウカと、彼女主役の懇親会場と化した夜空とに見とれていました。我に返った時、影はもう荒鷲のように目を光らせて、急襲の構えをとっていました。
リョウは、今度は問答無用の力を込めてシズナの手をひきました。そして、もと来た道を引き返し、木陰に逃げ込むと、
「桜の盛りも、――過ぎましたッ!!!!!!!!」
挨拶の風が散り落ちていた花びらをいっせいに噴き上げ、夜空にはかない薄紅色の帯がかかりました。それが、リョウたちを「見えない化」しました。
やわらかく湿った花びらの上に、憤懣も、動揺もないキョウカが降り立ったころ、露っぽい草地を走りきったリョウとシズナとの前に、でこぼこのシルエットがあらわれていました。
「ここは――」
と、思わず言いかけてリョウは口をつぐみました。そこは、やさしいシズナに連れられて通った縁日のぬけがらでした。リョウは、隣を走るシズナの様子を横目でたしかめようとしました。が、そこには誰も見あたりません。
シズナはもう、気づけばリョウのずっと後ろを、足をひきずるように、ようやく歩いているのでした。リョウは駆け寄って、もう一度、シズナの肩を支えようとしました。
が、シズナはもう今度はただ無言でかたちばかりリョウの腕を押し返したかと思うと、すぐそばの、青いテントの裏の切り株に座りこんでしまいました。ここがいったいどんな場所なのか、不思議に思うゆとりもないようです。
「エージェントさん」
リョウは、近くの屋台の、氷もとけて水だけになった水槽からラムネを一本取ってきて、店番だったぐるぐる眼鏡のお姉さんにこころの中でお礼とおわびとを言いながら、差しだしました。
かこんっとちいさな球体が引っ込んで、じわあ、泡の噴きだす得体の知れない飲みものを、気味悪がっている場合ではありませんでした。シズナは、喉にぴりぴりと妙な清涼さを感じながら、ひと口、ふた口飲みました。それから、
「あんたを」
と、深い悲しみの声で言いました。
「からっぽにしたつもりだったのに」
そしてもう一度、光る容器につらそうに口をつけるシズナの様子に、リョウは、言葉のつづきをうながすこともできません。
シズナは立ち上がり、最初の夜のリョウみたいにこころもとない足取りで無人の縁日を歩きはじめました。虫たちの憩うチョコバナナ、わびしく唸りつづけるわたあめ機。
ずらり、並んだひょっとこが、当てのないふたりを見下ろしています。お化け屋敷には、リョウのぶち抜いた突破口がくっきり残っていました。
リョウは、なんとなく、石ころひとつ、ひろいました。
そして、的当ての、最後までとれなかったうさぎのぬいぐるみ目がけ、遠慮がちに放ってみました。うさぎは、当たり前のように撃墜され、景品口から転がり落ちてきました。
それをそっと、リョウは無人の椅子に据えておきました。
「マナさえあれば」
シズナが、ふともらしました。
「自由に使えるマナさえあれば」
マナ? カメのおじいさんを呼びだした、青い光。カツバト・プロトタイプを起動してくれた、青い光。
――そうすれば、キョウカ。
シズナは片手に持ったビンを、
――あんたになんて、負けやしないのに……!
型抜きの机に、投げつけました。たちまち、ビンは砕け、ガラスがきらきら、砂糖細工の船やチューリップや雨傘が、泡だった波にながされ、落ちていき、そして最後に、光るものがぽとり。
光るもの。丸いもの。青いもの。
急にシズナがくだけたビンに走り寄って、思わず膝をつきながら、ビー玉をつまみ上げ、つきあたりの、誰もいないカラオケステージからもれてくる、誰にもあたっていないスポットライトの光に透かしはじめた時、何事か、とリョウは思いました。
そればかりか、さらに意味不明にも、わずかに生気を取りもどしたかのような声で、
「あの女」
と、言いはじめたではありませんか。
「あの女。――あんたの、知り合いの……」
思いあたる人物は、ひとりしかいませんでした。




