第14四半期「祭りのおわり」
その夜訪れたシズナの姿を見て、リョウは驚いたのなんの。
紅のスーツ。まとめあげた髪。ツンと不機嫌そうな目つき。
つまり、いつものシズナだったのです。
「エージェントさん?」
もっとも、それは見た目だけでした。シズナは軽くせきばらいをしてから、
「行くわよ」
やっぱり、手を差し出してくれたのです。
歩いたのは、いつもとちがう道でした。
湖畔です。
黙って前を行くシズナの、思いのほか細い後ろ姿をぼうっと見つめながら、リョウはなんだか、こんなペースで前にも歩いたことがあるような気がしていました。
ふいに、シズナは言いました。
「選考まであと一週間ね」
魚が跳ねました。
はい、とこわばってリョウは答えました。ドレスや、浴衣のシズナと話すのとは、やっぱり感じがちがっているような気がしました。
「緊張してる?」
リョウは一瞬ためらいました。不用意なことは言えないと妙に頭ははっきりしていて、
「あの、だいじょうぶです」
「『だいじょうぶ』ってどういう意味?」
夜のやさしいシズナが、こんなふうに積極的に会話を持ちかけてくることなんてこれまでありませんでした。
リョウはまだまだ注意して言葉をえらびました。
「あの、エージェントさんのおかげで、就活は、うまくいくと思います」
「『わたしのおかげ』って?」
「それは、エージェントさんの、あの、ご指導ご鞭撻」
でも突然、不慣れな言葉を乗せられたリョウの舌はあっけなくもつれてしまいました。
「あんた、わたしがなに考えてるか、わかってるの?」
「え?」
「わたし、どんなふうに『ご指導ご鞭撻』した?」
「それは――」
よく考えもせず言ったことをリョウはたちまち後悔しました。苦しい沈黙に陥っていると、シズナはとつぜん立ちどまって、
「ねえ」
こんなことを言いだしました。
「わたしのこと、どう思ってる?」
それこそ、どう答えたものか見当もつきません。
「どうって?」
「どう思ってる?」
リョウは、目をぱちぱちさせながら、
「……いや……」
「嫌い? 憎い?」
「あ、いや、そんなことは……」
シズナは言いました。
「正直に言ってみて」
「えっと――」
戸惑いは、すこしもなくなりそうにありません。
「あの、やっぱり、エージェントとして、とても――」
「そういうのいいから」
静かに、けれどもきびしく頭を振って、
「正直に」
――言われたとおり、正直にリョウはつぶやきました。
シズナは笑いました。
シズナの笑い声を、はじめて聴きました。
リョウのほうは、思ったままを言葉にしそこなったもどかしさを抱えるはめになりました。
「わたしね、ずっと、エージェントにあこがれてたの」
シズナは、ふたたび歩きだしながら、そっと正直に打ちあけました。
それを聴いたリョウは、なんだか虚を衝かれた思いでした。リョウを知ろうとしないシズナのことを、リョウのほうだって少しも知ろうとしていなかったことにがつんと思いあたりました。
この人、どんな人なんだろう。どこで生まれて、なにを好んで、なにに怒りながら、なにを悲しんで、なにをあきらめて、生きてきたのだろう。なにを求めて。
さっきつぶやいたような感情しか抱いたことのなかった目の前の紅スーツの女の人が、急に生きた謎のかたまりに見えてきて、リョウはくらくらと、湖面の月に目を落としました。
シズナはせきばらいをして、
「あんたは? 就活生に、あこがれてきたんでしょ?」
「あこがれ……なのかな」
あらためて考えてみると、それほど単純じゃないような気もしてきました。リョウのまわりには、ずっと就活生たちがいて、オカミがいて、エリカもいて、それから、あかがね色の本があって、その本をくれた父さんが、記憶の中にはいました。
それはつまり、そんなふうにして、リョウという人間の、「履歴」はつくられてきたということで――。
けっきょくリョウは、こんなふうに表現しました。
「オレは、就活する。父さんのことを知りたい」
敬語をわすれていました。
……それからしばらくのあいだ、ふたりは、ゆっくり、ほんとうにゆっくり、歩きつづけました。
短い会話がぼつぼつ交わされましたが、そのどれもが、あとになればきっとみんな忘れてしまうような、他愛ない話ばかりでした。
やがてリョウには、つよく、気になりはじめたことがありました。
「エージェントさんは」
なぜ、エージェントになりたくて、なぜ、就活を戦いたくて、なぜ、オレをあんなふうに?
リョウは、まじめに考えれば考えるほど、何から問いかけていいのかわからなくなって、すぐには言葉をつぐことができませんでした。
よばれたシズナはふりかえろうとしました。しかしその時、すさまじい風音とともに、なにかが一閃。
シズナの首が、とびました。
「え……?」
リョウは、駆け寄りました。
そこにはシズナの首も、からだもなにもありませんでした。
ただ、ひとつの岩がころがっていました。
岩ではありませんでした。
「あ――!」
岩みたいにごつごつした、コンサルタートルの甲羅でした。
霧が立ちこめてきました。




