第2四半期「ゴーダとネズミ」
「いってえなあ」
と、そのくせすこしも痛くなさそうに、ニヤリと意地悪い笑みさえ浮かべながら、ゴーダはリョウを見下ろしています。
すぐ脇ののぼりには、彼自身と同じくらいでっぷり肥ったキンギョのロゴマーク。
ゴーダは、島いちばんの大旅館・アズマニシキの若き経営者でした。
リョウは、ぼそぼそっとちいさな声であやまりました。しかしゴーダは、いやみったらしく頭を振って、
「なあ、うすのろ。お前、二重の意味でうすのろだよ。つまりさ、目の前にこれほどのインフルエンスをもったこのオレがいるってのにさ、気づかず『猪突猛進』してきたこととさ。今は――」
と、ご飯をかきこむようなしぐさをしながら、
「オレたち島の人間にとって『かきこみ時』ってやつなのに、こんなところでブラブラ油のセールスやってるところとさ。つまり、そういう二重の意味を、シンプル極まりない『うすのろ』なんて言葉に託したのさ、オレ。今、一瞬で」
「さっすが、ゴーダ。含蓄に、富んでる!」
と、巨体のかげからでてきたのは、いつもどおり、ネズミ(21)です。ゴーダとは対照的なひどく細い手をリョウの肩におき、もう片方の手で、両目のかくれるほどの前髪を忙しくかきあげながら、
「ゴーダから、学ぼうとしろよ。ゴーダはなあ、本気になればZAKURO社にだって入れるような『人財』なんだぞ。それをさ、就活やめてぼくら島の人間のことを考えようとしてくれてるんだ。お前、『BOCCHI-21』の要綱読んだのか?」
そう言われても、なんのことかもわかりません。無知っつらのリョウに、すかさずネズミは、デコピン、しっぺ。
「ゴーダが策定してくれた、ボッチ島の改革プランだよ! この島はな、今ボランティア目当ての就活生たちに頼りっきりなんだ。観光産業だって、就活遺跡ばっかりさ。それってさ、全然サステイナブルじゃないよな? だから、ゴーダは島外企業をどんどん誘致しようと……。お前、恥ずかしくないのか? 同い年だぞ? 幼なじみだぞ? これが、――このスケールが、これがゴーダのマインドなんだよ」
「まあまあネズミ、そう熱くなりなさんな」
まんざらでもなさそうに、そう言って、ふいにゴーダは、リョウの抱えたあるものに目をとめました。そしてすかさず、強奪。リョウは、蹴とばされたねこのような悲鳴をあげて、とびかかろうとしましたが、頭っから、ネズミの両手とゴーダの片手におさえつけられ、ぺしゃんこにつぶされるばかりです。
自由なほうの手でゴーダは悠々とそれをかかげ、ところどころ、声にだして読みあげました。それは、あかがね色の本でした。
「なになに。『なんでもできる伝説の就活生、レジェンド・リクルート』」
わっはっは、とゴーダの上げた声に、街角の就活生たちが何人も振り返ります。
「『自己実現だけでなく、他者実現』『社会貢献でなく、宇宙貢献』……」
ゴーダとネズミの笑いは爆発し、おさえつけられるまでもなく、しだいにリョウがちぢんでゆくのは――そしてこのまま消えていけたらどんなにいいだろうと思いはじめてしまうのは、それがたまたま古書店で手に取った一冊などではなく、まぎれもなくリョウ自身の手帳であり、今馬鹿笑いに汚されているのが、やはりまぎれもなく、リョウ自身の書きつけた、それも日夜夢中につづりつづけた、自作の物語だったからでした。
ゴーダは目のはしの、今リョウの目をうるませているのとは全然意味のちがう涙をぬぐい、
「これ、まちがいなく傑作だよ、お前。つまりさ、――もちろん、『含蓄に富んだ』意味でさ」
と言って、なんと一枚やぶりとると、くしゃくしゃに丸めて、ポケットにねじ込んだではありませんか。思わずリョウは声をあげました。けれども身体中のちからは今やぬけて動くことができません。
「従業員一同、あとで楽しませてもらうよ。つまりさ、いくら仕事の場って言ったって、そこそこの娯楽があったほうが、ノーストレスにノーリツ上げられるってエビデンスもあるからさ」
そして本を放りました。父からもらった、とても大切なものです。飛びついたぶざまなリョウを、今度はすこしニュアンスのちがう笑いで見おろしながらつめたくゴーダは言いました。
「でもな、うすのろ。いいかげん現実見たらどうだよ。オレたち、もう二十一なんだぜ。つまりさ、他者実現より、まず自己実現だろ? お前、これからどうすんだよ」
「そうだよ、あのボロッちい旅館」
「親子そろってさ、お前ら、ビジネス・センスゼロだよ」
「義理の、だけどね」
ネズミがゴーダに劣らないくらい、意地悪く笑いながら補足しました。
「せっかく温泉があるのにさ、それ使わせないなんてさ――何考えてるのかわからないよ。まあ、どうなったってオレは知らないけどさ、つまり、今だけは。でも、ひとたびBOCCHI-21が始動したら、そうはいかないぜ。つまりさ、貴重な観光資源なんだからさ」
ゴーダがぎろりと目を光らせ、
「そうさ。立ち退きさ。取り壊しさ。強制シッコウさ!」
ネズミが得意になってつけくわえます。ゴーダは、
「まあそれまでにせいぜい、ぶるぶる『身振るい』しながらさ、『身の振りかた』ってやつを考えといたほうがいいぜ。まあ妄想力じゃ、頭ひとつぶっ飛んでるみたいだけどさ、それも、生かしようがないんじゃなあ。つまり――」
と、こぶしをつくって、やけにやさしく、ゆうゆうとガラスケースをこつ、こつ。その向こう側――リョウにとっては地底よりも火星よりも遠い、向こう側――には、
「これが、ないんじゃあなあ」
――「カツバト」。
ネズミも、ゴーダも、就活生でもないのに、おなじものをつけています。九割九分九厘。その普及率は、ダテではありませんでした。
このごろでは、就活だけでなく、法廷でのあらそいや、日常のささいなもめ事まで、バトルでけりをつけようという風潮がでてきているくらいです。
ふたりは、貴重な貴重な残り一厘のひとりがここにいると思うといよいよおかしくなり、やぶられたページをわなわなと惜しむリョウを見おろし、からからと高笑いをあげました。そこに、声がかかりました。
「――ちょっと!」
やって来たのは、エリカ(21)でした。