第12四半期「祭りのはじまり(前編)」
「からっぽ就活生の物語」。
死んだ父さん もういない
けれども彼は こだわって
消えない未練が 情けない
からっぽ からっぽ からっぽの
からっぽ頭の だめなやつ
(一部抜粋、リョウ、二十二歳の作品)
そこで物語の泉は、とうとう枯れてしまいました。これ以上、もう一言だって思いつけそうにないのです。
それなのに、――コン、コン。
ノックは容赦なく、なりました。今日の成果をたしかめるため、シズナがやって来たのです。
リョウは、タナカの言葉を思いだしていました。
「じぶんに恥じたくない」。
だめだ、オレは。オレはだめだよ、タナカ。オレは恥ずかしくて恥ずかしくてたまらない。こんなオレに生まれてきたことが恥ずかしくてたまらない。オレがオレでごめんなさい。
――コン、コン。
また、ノックの音。
すると……リョウは気がつきました。
どうも、様子がおかしい?
二度のノック。
それは、トイレノックです。
シズナはいつもきっちり、三度ドアを叩きます。
いぶかしく思っていると、ドアは勝手に開きました。
とたんに、月あかりが差しこみます。夜の、思いがけないあかるさに、リョウは目をほそめました。
そしてますます、わけがわからなくなりました。
ぼんやりと霞んだ視界に浮かびあがっているそのすらりとしたシルエット、やはりシズナとしか思えないからです。
そのシズナは、妙にたどたどしく、
「お――」と、口をひらきました。「お待たせ、したわね」
声はやっぱりシズナのものです。が、リョウがさらなる異変に気がついたのはその直後。
よく見ると、シズナはドレスなどまとっているのです。細身の、ばら色の、パーティー・ドレス。そして見たこともない、やわらかな笑み。
シズナらしからぬシズナは、おしとやかに歩いてきて、リョウのすぐ目の前で立ちどまりました。
そしてそっと片手をあげて髪飾りを解きました。
あわい銀色の髪が、かるく風になびきながら腰のあたりまでふわりと落ちかかります。ぼんやりしているリョウにほっそりと白い手が差しのべられました。
「行くわよ」
それからどういう道をたどったのか、それはよくおぼえていません。
気がつくとリョウは丘の上に立って墨色の森にかこまれた、夜露にきらめく草っぱらを見おろしていました。
そして気がついたのは茂みの合間合間に、ホタルより、星よりもまぶしいオレンジ色の何かまるい光がいくつもともっていることでした。そこら中から煙ものぼっています。
煙は、夜空の銀河にそのまま溶けこんでいるように見えました。なだらかな斜面をリョウはシズナにつづいてくだっていきました。近づいてみると、
「うわあ!」
それは久々にこころの漏らした声でした。
なんと、光や煙の正体はたくさんの夜店だったのです。
あたりはさながら、春のお祭り。
ランタンのあかりの下、焼き鳥や、ソーセージの焼けるおいしそうな匂いがただよい、元気のいい呼び込みの声が響いています。けれどもふしぎと歩いているのはリョウとシズナふたりきり。そしてそのシズナもここに来てとうとう、
「コン!」
と、発作的に声をあげたのでした。
「え?」
「ごめんなさい、コン!」と、シズナは慌てて顔を隠しながら、「煙に! むせちゃって! コンコンコンコン!」
「だいじょうぶ……ですか?」
リョウはおそるおそる尋ねました。肌のあらわな背中を、まさか、さするわけにもいきません。けっきょくシズナは、
「ありがとう。でも、だいじょうぶじゃないかも! コン! ひとりで、好きにまわっといて! ――あ、ついて来ちゃだめよ!」
これだけ言って慌てて青いテントの裏側に駆け込んでいったのでした。
そこで待っているのは、のらねこ、ではなくて、ソリューニャン。
――お疲れ様。
と、元の姿にもどったばかりの変わり身カツモン・キツネクタイをきちんとねぎらってから、
――でも、ずいぶん早かったね?
――みんなを変身させるだけでも、大変な労力なんだから。そこんとこ、わかってほしいコン!
そうです、いまリョウがまだ緊張の解けないかたい表情でいくぶん身をこごめるような格好で見てまわっているお店のひとたちは、みんな風変りな容貌をしているのでした。
腰くらいまでしか背たけのないおじさん、目のまわりがまっくろなおばさん、笑うとキバののぞくおにいさん、いつもほっぺを膨らませているおねえさん、べろのながいおじいさん、葉っぱをくわえたおばあさん。
――もちろん、君のちからあってこその作戦だから、感謝してるさ。
みんなでキツネクタイにマナをカンパして、能力を使ってもらっているのです。
――でもひとつ忠告しておくと、君の演じたお嬢様、ぜんぜんお嬢様らしくなかったよ。お嬢様はぜったいに「ごめんなさい」なんて言わないし、「ありがとう」なんて、もっと言わない。それにだいいち、あの服装はさ。
キツネクタイはその能力の便利さにもかかわらず、「キツネってなんか胡散臭いから」という、まるっきり偏見でしかない理由でシズナに疎まれていました。だから、シズナのことはよく知りませんでした。
――それは、しかたがないコン!
と、キツネクタイは胸を張って言いました。
――オイラ、かわいい女の子に、なってみたかったんだコン!
ただただそれが大役を買って出た動機でした。
ソリューニャンは、どこからかふいに飛んできたチョウを目でおいながら、
――なれるよ。これから、毎晩ね。
そして翌朝、おとずれたシズナはいつものシズナでした。
ぱらぱらぱらと、あかがね色の本を捲ってみてから、こう言いました。
「今日は百ページ!」
リョウはすっかり困惑して、夕べのことを尋ねてみようとしました。
が、危うく、目つきの鋭い射的屋のおじさんの言葉を思いだしました。
――弾を撃つなら的を見ろ。言葉をはなつなら相手の目を見ろ。そうすりゃ、無駄撃ちはさけられる。一撃でしとめられないくらいなら撃つな。なにかすこしでもおかしなものを感じたのなら、時が来るのを待て。そして、撃ち落とせそうもないものにいつまでもこだわるな。いいか、フレキシビリティだ、ぼうず。人生の景品はひとつじゃない。
リョウはシズナの瞳をじっと観察しました。
そしてはっきりとわかりました。
どうやら、エージェントさんは昨日の出来事を覚えていないらしい。
でも、それってどういうことだろう?
リョウは時が来るのを、すなわち夜を待ちました。
はたしてシズナは、もうひとりのシズナが緑色の本に読み耽っているうちに、訪れました。今度は浴衣を着て。
けわしい道をかんこん、下駄で踏破したかと思えば、縁日についたとたん、
「鼻緒がコン! と切れたコン!」
「『コン』……?」
「下駄の音! かんこんかんこん、コンコンコン!」
と言って、ものすごい速さでテントの裏に消えていきました。
やきそば、フランクフルト、たこ焼き、お好み焼き、わたあめ、かき氷でお腹をいっぱいにすると、今夜のリョウは、ビニールプールをのぞきこみました。
赤いの、黒いの、白いの。たくさんの金魚がおよいでいます。
かたわらの椅子の、うずまき模様のメガネをかけたものしずかな青年が手もとの本と、苦戦するリョウとにかわるがわる目をやりながら、
――「ながれ」を見きわめることです。すなわち、大局観。金魚たちを見てごらんなさい。一見気ままに見えますが、きちんとながれにしたがって泳いでいるでしょう。人間の……おっと、わたくしたちの世界もおなじことですね。そこにはさまざまな「ながれ」があります。ヒトのながれ。モノのながれ。カネのながれ。そして、時のながれ……。
そして型抜き。
リョウがまわって来るのを、首をながーくして待っていたという、おっとりとした雰囲気の女のひとは、たった一本の爪楊枝とたった一枚の白くて薄っぺらいお菓子からチューリップ、ひょうたん、雨傘――つぎつぎと、生みだしてみせました。
リョウもさっそくテーブルについて、右手を黙々と動かしはじめました。が、
「あっ」
パキッと、潜水艦はまっぷたつにわれてしまいました。これでは海の藻屑です。女は長い首でのぞきこみ、
――あー。なにか迷いが、あるのかしらね。
「力が、はいりすぎちゃったかな」
的確な事後評価でした。
――うん……。あなたはじぶんの力に、疑いを抱いているんじゃない? だから、必要以上にちからを誇示しようと力んでしまうのよ。あなたたち人間は……。
「え?」
――ううん、わたしたちは、しょせんほんとうにじぶんのなかに埋まっているものしか彫りだすことはできないの。型ぬきも、それから、そう、エントリーシートも。あなたがどんな人間で、これまでなにをしてきたのか、これからなにができるのか。そんなのはあたまで考えることじゃないの。もう紙に埋まっているの。あなたにできるのは、無心な筆づかいで、それを彫りだしてあげることだけよ。力まず、焦らず、躊躇わず――。
それからしばらくのあいだ、リョウは時をわすれていました。
そしてとうとう、型から解き放たれたそれを、夜空の光に高くかざしました。みごとなロケットが、月に差しかかろうとしているのでした。




