第11四半期「第二次カツモン会議(後編)」
まるで懲罰房のような部屋の中で、弟蜂が見たリョウの姿は、
――物語……?
――そう、物語。
弟蜂は言いました。
――なんにもない、椅子も机もない部屋のまんなかで、坊や、うずくまって、それこそカメみたいに……尻を持ちあげて、上体は低く、土下座でもするみたいにうんと低く伏せて、地べたに本をひろげてさ。それっていうのもあかがね色の、立派な装丁の本だが……右腕をこせこせ動かして、一心不乱に何か書きつけているかと思えば、それが物語。
――ふーん……?
と、ソリューニャンは考え込んで、
――で、読んだのかい?
――いいや、詳しくは。オレはさ、悪いがつくり話には興味が持てなくてね。お前らも戦場に行けば嫌っていうほどわかるだろうさ。現実ってやつのほうがよっぽどつくり話じみてるってね。なにしろ、オレが部隊にいたころ……。
と、またはじまりそうになったので、
――しかしコイツの話では、
慌てて飛んできたのは兄蜂。
――開いてあるページに走らせただけで、それがどれだけひどいもんかわかっちまうって話でね。っていうのも、どうやら主人公は坊や自身。坊やが就活生になって、つぎつぎに試練が襲いかかる……まではいいんだが。どうも筋立てとして、それに打ち勝つんじゃなくてさ、つぎつぎに失敗していく、という内容らしいのさ。そして失敗するたび、坊やは自分自身の短所を痛感する。じぶんがどれだけ嫌な、卑怯な、劣った、みじめな、おろかな、耐えがたい、けがらわしい、救いようのない人間かを思い知っていく。どうも、そういう物語らしい。
――そ、そんなあ。
と、「塹壕」からお尻だけ見えた状態でリスクヘッジホッグがなげきをあげます。
――それ、最終的に……どうなっちゃうの?
――さあな。それは坊や……いや、お嬢様のみぞ知る、ってところじゃないのか。
――ええ、じゃあ、やっぱりお嬢様に命じられて……?
――もちろん、そうだろうよ。さっきオレが報告したことを思いだしてみてくれよ。女が言っていただろう。
「リョウにとって、就活はあこがれだったから。それはこれまで物語を聴かせてもらってきて、よく、わかってるつもりだから」。
――この言葉から察するに、あの坊や、じぶんで考えた物語をひとに聴いてもらうのが気晴らしみたいなものだったんじゃないのか。
しかし、コイツが……弟が見た坊やの人相ってのは、とても趣味や娯楽に興じてる人間の表情じゃなかった。
目はコウモリか、ヤマネコみたいにぎらついて、真っ赤に血走って。
そのまわりは火山の爆発でうまれた湖みたいに落ち窪んでさ。
異様に濃い隈もあるし。
頬はこけている……なんてモンじゃない。えぐられちまってるみたいに見える。
だらしなく空いた口からよだれなんかも垂らしちまって、身体中、いっつも小刻みに震えている。
たまに書いたぶんを口に出して読んでみて、きっと後々お嬢様に叱られないためだろう、できばえを確認しているらしいんだが、声はもう声になってない。
さながら錆びた公園のブランコで、きいきい、きいきい、老いた金具のこすれあうような、そんなわびしく不快な音が漏れてくるだけだっていうのさ。
――うわあ……。
持ち前の描画能力をいかして、途中まで、マトリックマはそのさまをお腹に描いてみようとしていました、法廷画みたいに。が、思っていたよりよほど悲惨な状態らしいので、クレヨンを投げだしてしずかな非難の声をもらしたのです。
――お嬢様……これは、さすがに……。
とっくに気絶してしまっていたウケタマワリマウスの上体を助け起こしながら、オソレイリマウスがコンサルタートルに難詰の言葉をむけました。
――ご老人。……甚だ恐縮かつ遺憾ながらもうしあげますが、……どう、責任をとられるおつもりですかな。
――おい、ネズ公。
ダイエンジョウが言います。
――お前、年寄りに向かってそんな言いかたはねえだろう。なあ、リクガメの爺さんよ。
――いいえ。
オソレイリマウスは真っ向から反論します。
――お年寄であればこそ、長年生をいとなんできたものとしての威厳と誇りをいまこそ示していただきたい。お嬢様にこのような策を採用させたのは、他ならぬあなたでしょう。あなたこそが、……言葉が悪くて恐縮ですが……「入れ知恵」を、なさったんでしょう!
コンサルタートルは黙っています。
――そして、我々もです。あなたの頼みがあってこそ、我々もこのようにつとめて静観をたもってきたのです。それが、いつの間にかこんな最悪の状態を招いてしまった。
すると甲羅のホワイトボードに、ぽつりと、水底からの気泡のように、言葉が浮かびあがりました。
――最悪では、ありませんじゃ。
――ご老人!
オソレイリマウスが大きな声を出したので抱えられていたウケタマワリマウスも目を醒ましました。
――まあ! まあまあまあ、どうしたんですの! そんな……。
――ご老人、まだあなたは楽観論をおっしゃるのですか! よくも……。
するとコンサルタートルは、
――お嬢様を信じてください。
――信じたではありませんか! そしてこの有様です! 彼はどうなります! あの就活生は!
――彼にはほんとうに、ほんとうにもうしわけない。ずいぶんと、苦しい思いをさせてしまっていますでな。しかし……。
――なんですか、その他人事のような態度は!
――しかし、彼ならばきっとだいじょうぶ。すぐに、立ち直ることができますじゃ。そして、そのときには……。
――もういい!
オソレイリマウスは背を向けてしまいました。いましも甲羅になにか言葉が浮かびあがってきているかもしれませんが、もう読むことはできません。
――あなた、どうなさいましたの? わたくし、サッパリ状況が……。
――みなさん、そのカメさんはまったく、耄碌してしまっているにちがいありません。脳みそが、チーズのように発酵して、スカスカの、穴だらけになってしまっているにちがいありません!
――ずいぶん、言うねえ……。
ソリューニャンは気づかわしげにコンサルタートルを見やりました。が、彼は黙して語らず。腹を立てているわけでも投げやりになっているわけでもなく、何かをじっと耐え忍んでいるように見えます。
――でも、彼を責めてもなにも変わらないよ。いまはとにかくこの状況をどうにかしなきゃいけない。
――それには、まずあの本を取りあげなきゃいけない……かもな。
兄蜂が、コンサルタートルの手前もうしわけなさそうに言います。
――本? 本って就活生のかい?
――いや、……まあ場合によってはそれもそうだが、お嬢様の本さ。ここんとこ、毎日読み耽っていてね。
――……そうか、あの緑色の本のことだね?
――まあ! ご存知でしたの? おねこさん!
――ねこは、好奇心の生きものだからね。
――そしてそいつに殺される。気をつけたほうがいいぜ。オレが……。
――部隊にいたころの話は、またゆっくり聴かせてもらうよ。……まさかあの本が、お嬢様になにか、よからぬ思いつきを……ってことかい?
――お?
と、兄蜂。
――冴えてるな。たまにはねこに真珠をやってみるもんだ。
――うん。……うん?
――お嬢様はこのごろ、どうもあの本から、何かお嬢様の言葉で言やあ「ノウハウ」ってのを引きだしてるみたいなんだな。
――本のやりかたを、真似してるってことかい?
――それもお嬢様の言葉で言えば「まねぶ」は「学ぶ」のはじまりってことになるのさ。
――ずいぶんと、殊勝なおこころがけですこと! それこそ、お嬢様らしくもないお話で、まるで、「物語」ですわ!
――まあな。でも、そこは……。
と、兄蜂は、またコンサルタートルをちらり。
――本をくれた爺さんにたいする「リスペクト」みたいなモンもいちおうあるだろうからさ。
――「リスペクト」ですか!
と、憤慨もあらわにコンサルタートルをにらみつけるオソレイリマウスの注意を、とくに逸らそうとするわけでもなくソリューニャンは言いました。
――でも、僕としてはちょっと疑問だな。
――何が。
――優先順位っていうのを考えてみるとさ。いまは、就活生を救いだすのが先じゃない?
――もちろんそうさ。
兄蜂はうなずくみたいに、くい、と中空でからだをうごかして、
――あの本を、いまさら取りあげてみたって、それで坊やの状態がもとどおりになるわけじゃないからな。だが、どうする?
――うーん……。
みんな声をあわせて、おんなじように首を傾げました。首のないものは、おのおの適宜工夫して。そして、ぶつぶつと、勝手勝手にアイデアをつぶやきはじめました。
――就活生を、救いだす……。
――ずいぶん、弱っちゃってるよね。
――栄養! 栄養が大事ですわ!
――からだはどうとでもなる。オレが部隊にいたころ、蜂蜜味のレーションがあってね。あれがまた、吸えたシロモノじゃなくてさ……。
――それよりもこころが大事、ですわな!
――こころとなると難しいよ。
――どうする? どうやって元気づける?
ぺちゃくちゃ、わちゃわちゃ、ぴーちく、ぱーちく、やいの、やいの、やいの。
みんないろいろに頭を捻って、身体構造上、頭のないものはやっぱり適宜工夫してみるのですが、妙案はちっとも浮かんできません。
もうだめだ。
あんなにまで弱ってしまった就活生を、こころも、からだもいっぺんに元気にする方法?
それも、選考までに――。
だめだ、だめだ、だめだ。
思いつきっこありませんでした。
声をそろえて、みんなで、こう言いました。
――もうだめだ! 後の祭りだ!
そのときでした。
――祭り……?
ソリューニャンのひげが、ぴくり、ぴくりと震えました。そして、
――そうか!
月にお腹をむけて、ごろりん! 「ひらめいた!」のポーズです。
――みんな、いい考えがある!
個性豊かなおでこが、いっせいに集まりました。




