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就活生RYO -Grand Design-  作者: 就活史編纂室
第2期「カツモンたちの夜」
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第9四半期「リョウの異変」

 それから、シズナは明け方まで、暗黒の企業につとめるビジネス・パーソンたちがようやっと仮眠くらいは取りはじめるあの時間まで、シズナにとってはとてもなじみ深い、けれども今ではごくかぎられた知識人や、カルチャーセンターにでも集う物好きたちだけに解読可能ないにしえの言葉でつづられた物語を、読みふけっていたのでした。


 これからのヒントになりそうな箇所のある一頁一頁に、ドッグイアをつけながら目を通し、読み終わるころには、犬耳だらけの怪物と化したその本をもって、シズナはさっそく外にでました。


 雲ひとつないのに、陽はちょうど真上に来るころなのに、まるで不慣れな現場に突然呼ばれて肩身の狭い若手社員のように、萎縮気味の、くすんだ光だけがこの町にはとどきます。


 ト音記号のようにゆがんだ外廊下を歩きながら、シズナは興奮、自嘲、焦り、やっぱり興奮、の入り混じった気持ちで、本の中身を思い返していました。



 ――()()()()()()()()()()



 その生まれたての言葉が居座っている箇所という箇所に、あの日以前、しるされていたのはいったいどんな言葉だったか、今ではもう思い出すことができません。けれども物語の中身は、無邪気に読んでいたころ思いも寄らなかった「気づき」に満ちていました。


 ――そうよ。そうだったんだわ。「からっぽ」の存在なのよ、レジェンド・リクルートは。


 それは、無私だとか、無我だとか、「空」、「悟り」。あるいは、滅私、などと、社訓ふうに言い換えてみてもいいでしょう。そんな、まさに英雄的境地。


 ――「わたくし、わたくし、わたくし」。つまり、自我よ。自我なのよ。邪魔だったのは。


 いらないんだわ、モチベーションなんて。


 邪魔なんだわ、志望動機なんて。


 そうだ、あの時は、ボッチ島の時は、あいつ、生きのびることに必死だった。そのとき、「自我」なんて厄介なものの介在する余地なんて、なかったはずじゃないか。


 ――それよ、それこそが、鍵だったのよ。必要条件だったのよ。


 紅茶とクロワッサンの時間にしけた六畳間であいつと面談なんて考えただけでそれこそこっちの意欲が萎えてくるような過ごしかたですが、今、足はしぜんと速まっていきます。

 

 ――今度こそ、証明してみせる。わたしは、わたしの、才能を。


 そのころ、ちょうどエリカがリョウの部屋を訪れていたのでした。


「ありがとう、エリカ」


 弁当箱をうけとったリョウの、心からのお礼にまたブローチは青みを増してしまうのでした。その光を、エリカは声でかき消そうとするように、


「がんばってね、リョウ」


 そしてことさら、


「わたし、応援してるから」


「うん。オレ、きっと『カツバト』の――父さんの秘密を、突き止めてみせるよ」


 エリカは胸がやっぱり痛くて、


「でも、選考は、四次まであるんでしょ? まだ、ずっと先の話じゃない」


「そうだけどさ。でも、エージェントさんがついてるから――」


 と、噂をしているとそこに影。はたしてシズナがやって来て、戸口のエリカをにらみつけたのでした。それから、リョウの大切そうに提げている弁当箱を指さして、


「――これ、何」


「あ、エージェントさん。これは、エリカがお昼ごはんを――」


「エージェントさんのぶんも」


 エリカはどこか遠慮がちに言いました。


「――あります」


「ふうん」


 シズナは不機嫌そうに、包みを強奪し、ぴく、と鼻を動かして、


「まあ、今日はもらっとくけど。今後、こういうこと、しないでもらえる?」


 その言葉の意図をはかりかねている様子で、すっかり困惑してしまったエリカをフォローするように、リョウは、


「でも、エージェントさん。オレたち、お金が全然ないから――」


 するとシズナは、


「あんたは黙っときなさい」


 と、一喝。


「いい? 全ての主導権は、わたしにあるの。わたしが全て、勘案し、分析し、判断し、そして、指示するの。今後、一切の口答え、反抗的態度、異議、提案、質問その他は許さないから。もし、少しでも違反したら、――ひどいわよ」


 そしてリョウとふたり、部屋に入っていってしまいました。強く閉ざされたドアの前で、エリカはかすかな疑念を抱かざるをえませんでした。


 ――「エージェント」さんって……。


 就活そのものはできなくったって、座学で就活を研究しているエリカですから、この世界にそういう職業が存在しているということは、もちろん、知っています。


 ――あんなに、高圧的なものなの?


 それからエリカは、胸騒ぎとともに毎日包みを提げて部屋のドアをたたきました。それは毎日、シズナが二人ぶんの弁当を消費しつづけることを意味しているのでした。たまにエリカは、箱の中身を検分しているシズナの隙をついて、背後の部屋の中に目をやったり、あるいは直接、


「リョウの様子は、どうですか?」


 と尋ねてみたりするのですが、シズナはいらだちもあらわに、


「あんたには関係ないでしょ!」


 とだけ。


 だから、エリカには、知るよしもありませんでした。リョウが毎日、ほとんど食事も、眠りも、その他諸々も奪われて、一日一日、からっぽの操り人形、無力なでくのぼうに近づいていっていることなんて。


 ブリーフィングして示すならば、それは――。いえ、まさに、筆舌に尽くしがたい状態です。ただ参考資料として申し添えておくのならば、「修行」初日には、多少空腹を感じながらも、


「わたくしの志望動機は! 父さんと、『カツバト』の秘密を知りたい、ということです!」


 こう元気いっぱいに宣言していたリョウですが、これが五日目には、


「わたくしは、なんとなく、御社を志望しました」


 一週間目には、


「志望動機は、とくにありません」


 そして二週間も経つころには、


「志望動機って、いったいなんでしょう」


 やがてついには、今がもう何日目なのかさえ、見当がつかなくなり……。


 想像を絶するほどひどいことをさせているリョウのかたわら、椅子に座って緑色の本を繰りながら、シズナの胸の内は、


 ――こういうことでしょう。


 と、どこかここちよい感じもする怒りでいっぱいでした。


 ――そうでしょう、キョウカ、お父様。


 あんたらのやりかたは、つまり、こういうことでしょう。

 感情なんて、人間味なんて、就活の世界じゃ、少しもいらないってことでしょう。


 わたしは、その思想を、肯定なんて絶対しない。それでも、わたしは、――シズナは、勝たなきゃならない。手段を選んでいられないのでした。


 ――そういうことよね、コンサルタートル。


 何を尋ねても「はい」しか言わなくなった変わり果てたリョウをつれて、長い外廊下を歩きながら、シズナはこころのなかで、しがみつくように、問いかけました。


 ――それが、あんたの言いたいことなんでしょう。


 背中を蹴とばされ、部屋に押し込まれたリョウのそばに、あかがね色の本が投げつけられました。


「今日から、総仕上げにかかるわよ」


 あれほど大切な本がこんな、邪慳にあつかわれているのに、無機質な「はい」のひと言で済ますリョウを、シズナはしばし、黙って見下ろしてから、指示をくだしました。


「これからあんたに、物語を書いてもらうわ」


 ――そして、あんたは、あんたを踏みにじるの。あんたの、大好きな物語で。


 その、やりとりの中身までは聞こえなかったものの、実は一部始終を遠目に見ていた「仕事」帰りのシッポが、エリカになんとなく、その旨を話したのはその日の夕食時でした。


「アンちゃん、相当やばそうだったよ」


 と、肉詰めピーマンから、フォークと指先とでピーマンを剥ぎ取りながら、シッポは言いました。エリカは好き嫌いを注意することも忘れて、


「え? リョウが?」


「うん」


 と、シッポは大口に肉だねを放り込みながら、うなずきます。


「寸法、変わっちゃったね」


「そんなに……やせちゃったの?」


「そういうこと」


 シッポはお行儀悪く、つぎの一つをフォークでぶすり。でも、やっぱりエリカにたしなめる余裕はありません。


「オイラ、実際に測らなくても、目で見たらウェストとか身長とか、かなり正確な数字までわかっちゃうんだけどさ」


「そうなの?」


 それは、あきらかに、特異な才能にちがいありません。でもエリカは、ただ感心していることもできず、


「じゃあ、見まちがいとかじゃ、ないってことね」


「そりゃあね。――っていうか、体重だけじゃなくてさ。なんか、とにかく、やばそうだったよ。顔色とか、目つきとか……」


 そう言って、とうとう最後の一つを、ぱくり。


 お皿にのこったピーマンの山を、エリカはぼうっと、見つめていました。



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