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就活生RYO -Grand Design-  作者: 就活史編纂室
第2期「カツモンたちの夜」
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第7四半期「エリカの迷走」

 ちょっくらひと仕事終えて帰ってくると、工房のテーブルの上が、大変なことになっていました。


 といっても、しごくポジティブな意味で――牛乳、トースト、サラダ、バナナ、ヨーグルト、それからゆでたまご。ボランティアの女のしわざです。鼻をひくひくさせながら、それでもこんな時有効な悪態を模索しつづけた結果、


「オイラ、こんなに食べられないよ」


 と、唇をとがらせることに成功しました。ところが女は、


「うん。いっしょに食べましょう」


 などと、言いだしたではありませんか。







 ――エリカが来て、何日目になるのでしょう。食事は毎日つくっていましたが、二人で食卓についたことはありませんでした。どれもどこかしら欠けたお皿と、口もととをちゃかちゃか往復しつづけるフォークに、スプーンに、エリカは思わず笑みをもらしました。


 他のをあらかた胃袋におさめてしまうと、最後にシッポは人差し指と親指でたまごをつまみあげ、真贋をあやしむ宝石商みたいに、いろいろな角度に傾けはじめました。その対象物に負けず劣らずまんまるな両目が、ちかづいたり、遠ざかったり。


 エリカは口もとをハンカチでおさえ、もそもそとパンを咀嚼しながらその悪戦苦闘ぶりを見守っていたのですが、殻をカリカリと人差し指で引っ掻いてみたり、あげくバターナイフを突き立てようとしたりするのをとうとう見かねて、


「たまご、剝いてあげようか?」


 と、切りだしました。


 はっとシッポは我に返ったように、


「じ――自分でやれるよ!」


 そこでエリカはまだ手つかずのじぶんのたまごを持ち上げて、


「じゃあ、いっしょにやってみましょう」


 そう言って、テーブルに軽くぶつけて見せました。


 それからシッポも、はじめためらいを見せていましたが、観念したように、コン、コン。生まれたてのひびにそっと指先を差しこんで、ふたりの手のうちで繊細な格闘がはじまりました。


「ほんとうはね、もっとじょうずに、つるりん! って、魔法みたいに剝くやりかたもあるんだけど。それはまた今度ね」


「なんで? そっちのほうが楽じゃんか」


「はじめにね、きちんとしたやりかたを知っておいたほうがいいの。どんなものごとでも、そうじゃない?」


「なんだい、それ。たかだか、たまごだろ?」


「たかだかっていうけど、栄養たっぷりなのよ。このごろ毎朝ね、目玉焼きがつづいてたでしょ? だから今日はゆでたまごにしてみたんだけど。もっと、ほかのがよかった? スクランブル・エッグとか」


「あれは嫌いさ」


「そうなの?」


「だって、なんかでろでろしてさ。この町に似てるじゃんか。それよりも、オイラ、あれがいい」


「なに?」


「エッグ・ベネディクト」


「え?」


 エリカはちらりとシッポを見ました。まじめな表情で、でこぼこのなにかから、白いかけらを一枚一枚剥ぎ取っています。


「なんでそんなの知ってるの?」


「きのうオバサンが言ってた」


「おばさんって?」


「知らないオバサン。ほっそい犬連れてさ。ネックレスとかペンダントとかいろんなのじゃらじゃらぶらさげて、まじない師みたいな格好してやんの。見た目ほど金持ちじゃなかったけど」


「シッポ」

 エリカは少し身を乗りだして、

「あなた、またドロボウしたの?」


「関係ないだろ」

 シッポは手にもったものを高く掲げました。

「――できた!」


 いかにも無邪気なその姿に、エリカは、ため息をつきました。


 それからふたつのたまごを並べてみました。つるつるのとでこぼこのと、一つずつでした。


 朝食後、紅茶を飲みながら、エリカは言いました。


「ねえ、シッポ」


「なに」


「ひとのものを盗るのは、いいこと? 悪いこと?」


「もちろん悪いことさ」


「そうよね?」


「だって、オイラが盗られる側だったら嫌だもん」


「うん。――そうよね。盗られたひとは、嫌な気持ちになるわよね」


「でもオイラ、金持ちしか狙わないからね」


「お金持ちだって、じぶんのものを盗られたら嫌な気持ちになるんじゃない?」


「なるかもね」


 シッポは鼻で笑いました。


「でもやつらは、盗られたものだけじゃなくたくさんのものを持ってるからね。きっと、そんな気持ちすぐに忘れちゃうよ」


「あなたはそれで、嫌な気持ちにならないの?」


「オイラが? 盗みで?」


 越えちゃいけない、一線だった。そう思いました。


「なるさ! 嫌で嫌でたまらないよ、こんなの! こんなの――惨めで、みっともなくて、馬鹿みたいさ!」


「じゃあ、どうして――」


「だから、そうしなきゃ、生きていけないもん!」


「でも、悪いことをしなくったって、仕事なら――」


「仕事? オイラたったの十五で、学歴も、職歴もないんだぜ? そんなオイラにどんな仕事があるっていうのさ?」


 と言ってから、シッポはハッとして部屋を見回しました。どこからどう見ても、スーツ工房です。


「ダメだよ、オイラには。――できないんだ。才能がないんだ。それに……」


「シッポ。あなたスーツが好きなんじゃないの?」


「好きさ」


「眺めたり、デザインしたり、じっさいに、手をうごかしたり――」


「大好きさ」


「じゃあ、それをやってみたら――」


「たしかに、オイラ、大好きさ! スーツを見るのも、考えるのも、それに、つくるのだって! でも、ダメなんだ」


「どうして」


「好きだけど、得意じゃないんだ」


「だってまだ一着もつくったことがないんでしょう? それでどうして、苦手だってわかるの?」


「わかるのさ!」


「どうして」


「だってオイラの父ちゃんや母ちゃんがつくったスーツ、すごくて、すごくて、すごすぎるんだ! オイラ、あんなふうには――」


 するとエリカは、シッポの目を見て、


「すごいじゃない!」


「え?」


「すごいことだわ、それって」


「それは――うん。父ちゃんも母ちゃんも、すごい職人だったんだと思う」


「ううん、ちがうわ、シッポ。あなたがよ」


「え? オイラ?」


「そうよ、シッポ。すごさがわかるって、すごいことなのよ」


 エリカが思い浮かべていたのは、今はもう疎遠になりつつある大学の友人らのことでした。就活生としてじっさいに就活をしている彼らは、就活学の講義や演習の発表で、自分の経験から獲得したリアルな言葉でじつにいきいきと、就活を語ることができます。


 ――あの就活生がすごい。


 なんの捻りもないそんなほめ言葉をいうとき、彼らにはほんとうにわかっているのです、なぜすごいのかどうすごいのかどこがすごいのか。


 そんな友人たちは、エリカにはまぶしすぎました。


「すごさが、わかる……」


 するとシッポは、しばらくその言葉を噛みしめるように、ストローに口をつけていたかと思うと、急に、椅子から飛びおりて、さっきエリカの整頓しておいた棚をひっかき回しはじめました。そして、


「――あった!」


 おしぼりで食卓を軽くふいてから、表紙に「アイデア∞」とあるノートを投げだして、中身を数ページ、捲ってみせました。エリカから見ればさかさまですが、そこに描かれているのは、やっぱりスーツ。デザインだけでなく、細かい文字もびっしり添えてあります。


 これは? と尋ねるエリカに、シッポは、こう教えてくれました。


「このアイデア、オイラのじゃないよ。この間まで、この近くに住んでた、『師匠』の考えたスーツなんだ」


「師匠? シッポ、スーツ作りの先生がいたの? この間、誰も教えてくれないって言ってなかった?」


「まあ、正確にいえば、『師匠』なんて言っちゃいけないのかもしれないけどさ。だって、オイラ、ひと言も話したことがないんだから。だから向こうは全然、オイラのこと知りやしないんだし」


 さっぱり、話が見えてきません。


「オイラ、その、――その日も、盗み、やっててさ。それで、ちかくのビルの、ある部屋に忍び込んだんだ。そしたらその部屋の机の上に、こんなノートが何冊ものっかっててさ。他に盗むものもないから、オイラ、しかたなく盗み読みしてみたんだよ。そしたら、このデザインが書いてあったんだ」


 エリカは、下線で強調された文字を読み上げました。


「『()()()()()()()()()()』」


 シッポはうなずいて、


「オイラ……その時、思ったよ。これは『すごい』って。何だかわからないけど、すごいアイデアなんだって。だから、急いでここに帰って来て、ノート持ってさ。それからすぐにもう一度さっきの部屋にもどって、書き写したんだ。今じゃもう、部屋はもぬけの殻でさ。どこに行っちゃったのかわからないし、そもそもどんな人なのかってこと自体、全然わからないけど、オイラ、その人のこと、『師匠』だって思ってるんだ」


 そして、エリカの目を見て、こう言いました。


「『すごさ』がわかるって、きっと、こういうことだよね。――()()()()()()()


「そうよ」


 エリカは、何もかも忘れて、うなずきました。


「そうよ、シッポ」


 紅茶のおかわりを淹れようかと思いました。クッキーを焼くのもいいかも。公園まで、散歩に出かけてみようかしら。――そんな気分がすうっとひろがるのを感じていました。


 しかし、ブローチは容赦なく青くうつくしく輝きはじめて、エリカを現実にひきずりもどしました。あわてて、胸に手をやる自分――。


「オイラ、やってみようかな。あの、就活生のアンちゃんの、スーツ」


 包みかくす手のうちで、宝石がじわっとあたたかみを増していきます。傾聴。青い光。きっと誰にも話したことのない、秘密のあこがれを明かしてくれた少年の、力づよい幸福感。初々しい情熱。それを、得体の知れない物質に変換していく、自分――。


「どう思う? エリカ姉ちゃん。オイラ、できるかな。オイラに、やれるかな」


「うん」


 そして、なぜかリョウの就活を、すなおに応援できないわたし――。エリカはブローチを隠す手に、いっそうちからを込めて、


「いいと思う。きっと、リョウもよろこぶわ」


 自分の本当の気持ちさえも分からなくなりながら、そう言ったのでした。



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