第5四半期「第一次カツモン会議(前編)」
シズナは、ソフトクリーム型のビルの、曲がりくねった外廊下を歩いていきます。
人の気配はなるほど、ほんとうになく、ドア横のプレートは、どれもぐちゃぐちゃに塗りつぶされていて、部屋番号はわかりません。
シズナは任意のひとつの前で立ちどまり、ドアノブに手をかけてから、名刺の切っ先で、プレートに軽くひっかき傷をつけました。
室内は、想像していたほどひどくはありませんが、ソファも、絵画も、本棚も、シャンデリアも、ウォークインクローゼットも、ありません。天蓋のないベッドに、消耗したからだを投げだして、シズナは、
――まあ、すこしの辛抱だから。
と、はげた天井を見ました。
ゆがみの町に、好んで来る人はいない。みんな、去っていきたがる。だから、空き部屋だらけのビルがたくさん――あの、エリカとかいう女が、そう言っていました。むかついたって、癪だって、先立つものがないこの状況、しかたがありません。とりあえず選考まで、ここでの滞在が決まりました。
外から、就活生どもの下品ないさかいがきこえてきます。
「貴殿を! 漢字一文字であらわすのなら! 『死』でございます!」
「わたくしの、『ガクチカ』――学生時代、地下に潜伏して行っていた活動――は、武器製造です!」
シズナは目をつむり、そのまま眠りにおちていこうと――した、その時でした。突然、こんな声がしたのです。
――ご無沙汰しておりますな、お嬢様。
反射的に起き上がったシズナの前、ついさっき入ってきた玄関前の暗がりからあらわれたのは、執事ネズミカツモン・オソレイリマウス。そして、
――ご機嫌いかがでございますこと?
メイドネズミカツモン・ウケタマワリマウス。
以下、
過激発言トカゲカツモン・ダイエンジョウ、
作図クマカツモン・マトリックマ、
万事解決ねこカツモン・ソリューニャン、
危機管理ハリモグラカツモン・リスクヘッジホッグ、
遠隔通信つがい蜂カツモン・ビートゥービー……とにかく、ダイバーシティに富んだカツモンたちが、勢ぞろいしているではありませんか。
――しかしお嬢様、これは嘆かわしいQOLの低下ですなあ。お屋敷とは、大ちがいです。
――お屋敷では、従業員たちが万事、お世話しておりましたものね!
「なんで勝手にでてきてんのよ、あんたたち」
するとウケタマワリマウスはにわかにキッと表情をひきしめて、
――「勝手に」? みなさん、聴きましたこと? 勝手に、ですって! なんとまあ傲慢なお言葉じゃございませんこと! そりゃ勝手にどこへでも出向きますわよ、わたくしたちカツモンにだって、権利というものがございますもの!
シズナは、このあいだの時計うさぎを思い出しながら、目の前の毅然とした小動物をにらみつけました。カツモンたちがそろいもそろってこんな反抗的な態度をとるなど、以前なら、考えられませんでした。
「わたしは雇用主よ? あんたたちは、わたしが必要な時にだけ――」
――お嬢様。
オソレイリマウスが冷静な、しかし断固たる口調でさえぎりました。
――お嬢様、以下乙は今日の午前中から夕方ごろにかけて、コンサルタートル、以下甲をよびだし、水先案内業務に従事させた。この事実に、相違ありませんな?
「なによ、いきなり。っていうか、なんで『甲』と『乙』とがあべこべなのよ」
――甲は甲羅の「甲」、乙は乙女の「乙」だからです! ……相違ありませんな?
「ないけど……。それが、どうしたの」
などとそらとぼけながら、心当たりはもちろんありました。
――その際、乙は甲にたいして規定額の……いいですか、半分以下の「マナ」しか支払っていないわけです。半分以下ですよ。お嬢様、これはゆゆしき事態ですぞ。大激震ですぞ。われわれカツモンと人間……すなわちお嬢様との長い長い歴史のなかで、こんなことがいままでありましたかお嬢様?
「それは――でも、コンサルタートルは、気にするなって言ってたわ」
――言わせたんでしょう! お嬢様、甲の甲羅はカラカラでございますよ! ただでさえご老体でいらっしゃるのに嘆かわしい!
――お嬢様、これはなにもカメさんだけの問題じゃございませんの。わたくしたちね、これをきっかけに「組合」を結成いたしましたの! そう、これは「団体交渉」なんでございますわ! ……ねえお嬢様。これはわたくしたちにとって、死活問題ですの。わたくしたちカツモンはね。マナを食べないことには、生きていけませんのよ! そしてそのマナを食べられるかたちにまで純化してくださるのは。お嬢様しかいらっしゃらないわけですの! この意味、おわかりですこと?
「わからないわけ、ないでしょ」
――だったらなぜ、こんなむごいことができますの!
「だから、それは……。わかったわよ、あとで、払うわよ」
――「あと」っていつですの!
「あとは、あとよ」
――お嬢様。……これまでお嬢様はお感じにならずに済んできたかもしれませんが。外の世界というのは、ことほどさようにマナのとぼしいところなのです。お屋敷を思いだしてごらんなさい、お嬢様。楽園のような場所だったでしょう。ひそやかで、穏やかで、マナに満ち溢れ、時にむしばまれることもなく……。
「そう? まるで地獄だったけど」
――お嬢様! お嬢様は雇用主としての自覚をお持ちにならなければなりませんぞ! いますぐ、お屋敷におもどりください!
「いやよ!」
――お屋敷にいたころ、お嬢様のからだは、呼吸をするように……いえ、呼吸をするだけで、マナにみたされていった。それゆえお嬢様はマナが不足するという感覚をご存知ないままにこれまですごしてこられたのです。なんというめぐまれた、なんという幸福な境涯! しかし外の世界では、そうはいきません。
――そうですわ、お嬢様! このままでは、マナはうしなわれていくばかり。そしてお嬢様のマナがスッカリなくなってしまえば、それは、わたくしたちも……。
ワッと顔を覆ってウケタマワリマウスは泣きだしてしまいました。チュウチュウと。その背中をさすりながら、オソレイリマウスは、
――お嬢様! いまならまだ間に合います! お嬢様、屋敷に、ホロウワーク家におもどりください! そして旦那様、キョウカ様と和解なさってください!
「いや! ――それだけは、いや!」
――マナがなくなってしまえば、お嬢様御自身もどうなってしまうかわかりませんぞ。
「あんなところにもどるくらいなら、死んだほうがましよ!」
――そんな言葉をつかうのはおよしなさい! お嬢様にはわかっていない、わかるはずがないのです、その言葉の重みは。
「あんただって、同じでしょ? ――なによ、カツモンふぜいが」
――聞き捨てなりませんな! お嬢様。そんな態度でいらっしゃるから、今回の件も……。
「だから! 別に、踏み倒そうとしてるわけじゃないし――あとで払うって言ってるでしょ?」
――だから「あと」っていったいいつですの! なんの保証があってそんなことをおっしゃるんです!
そこでシズナは、しぶしぶ、まるで叱られた子どもの言いわけのように、不思議なちからをもった就活生――レジェンド・リクルート――に、ZAKURO社の内定をとらせるつもりだと打ちあけました。
カツモンたちはいっせいにため息をもらしました。失望、落胆、幻滅。これまでの冒険のなかで、シズナがとりわけ懇意にしてきたカツモンの声も混じっていました。
――お嬢様、本気でおっしゃってるんですの?
「本気よ」
――それで……どうなさるおつもりなのですかな?
どこか、腫れ物あつかいといった感じのする穏やかさで、オソレイリマウスが尋ねます。
シズナはぐっと唾をのみこんで、
「――ホロウワーク家を、ぶっ潰す」




