第4四半期「十五年前の事件<ヒュージ・インシデント>」
「ゆがみの町」。
もともとは、就活職人の町でした。スーツ職人、カバン職人、ネクタイ職人、靴職人。エナジードリンク醸造業者に、証明写真の専門技師――。
あのころ、就活はまだ戦いでしたから、就活生たちは道具の質には慎重に気を配っていました。なにしろ、ただ一箇所のスーツのほころび、たった一点の写真の染みが――文字通り――命取りになるかもしれません。万全を期すため、職人たちの高度な技術が、ぜひとも必要とされていました。
しかし時代は変わり、選考を死地とする考えかたはしだいに、古びていきました。
就活は依然として戦いでしたが、なにも命を賭すことはない、死ぬくらいなら次の御縁に期待しようというフレキシビリティが皆のマインドに備わってきたのです。
そうなると、スーツの耐久性はそこまで高くなくていい。むしろ、出費をおさえたい。最上級の一張羅より、そこそこの品複数着を常備したい。戦いのなか自分の血、ライバルの返り血にスーツが汚れることは茶飯事。
そこで死ねば、それが死に装束になるまでですが、生きて就活をつづけるかぎり、替えのスーツは、必要です。と、考えるとこれまでのように一着一着まごころの手縫いではコストが嵩んで大変です。望ましいのは、大量生産。
――こうして、職人の町はすたれていったのですが、ここで待ったをかけたのが、なんと他ならぬZAKURO社。
職人たちの技術が失われるのは惜しいと、一帯の土地をまるごと買い上げ、職人たちを保護、安価なものを求める層と高級志向の層、両者の共存共栄を図った、ここまでは、よいのですが――。
十五年前の某月某日、「ヒュージ・インシデント」発生。
空に閃光が。灰色の虹が。ふたつの太陽が。
――さまざまな証言があるものの、この地区の管理責任者であるZAKURO社の発表によると結局「詳細不明」の事故が起こり、一営業日にしてビルはひしゃげ、道路はたわみ、木々はねじ曲がり、町は奇怪なすがたに変貌してしまったのです。
――……
―……
……
「なーにが、『ゆがみの町』よ」
ミシン台の下にもぐりこんだり、マネキンを組み伏せたり、裁縫箱をこじ開けたり――遠慮なく物色作業に従事しながら、シズナはぼやきました。
「ゆがんでんのは、住人の倫理観でしょ」
捜索は、一時間にもおよびました。でも、何にもでてきません。シズナは、すみっこでシュリンクしながら事のしだいをうかがっていた少年、シッポ(15)に歩み寄り――そして、歩み寄りとは正反対の態度を示しました。シルクハットを取り上げたのです。
「返せよ!」
「あんたが、返しなさいよ!」
と、帽子をのぞき込んだって、奇術みたいに財布はでてきません。
「だからオイラ、もう持ってないんだって!」
ぴょんぴょん飛びあがって抗議するこの少年の供述によると、港で財布を盗ったのは事実だが、ここに来るまでのあいだ、財布は別のドロボウに盗られてしまった、今ごろはさらにまた別のドロボウが、いやきっとさらなるドロボウが、いや、もしかするとさらにさらに別のドロボウが……との、ことなのでした。
信頼の回復につとめているとはとうてい言いがたいその態度について、シズナが少々手荒い手段で改善を要求した結果、
「じゃ、いいよ。工房に――」
と、なぜかそこで少年はためらって、
「――部屋に、来れば。好きなだけ探せばいいよ。なんにも出てきやしないからさ」
結果、少年の証言の真実性が、いちおうは立証された事になるのでしょうか。
シズナはおもしろくもなさそうに、シッポの頭に帽子をおしつけると、さすがに疲れた表情で、散らかったままの床に腰をおろし、投げだしてあった黄色いノートを引き寄せました。表紙に、「アイデア1」と書いてあります。
「――お疲れさま」
キッチンから、どこか申し訳なさそうな声がしたかと思うと、エリカが、形のばらばらなコップを四つ、トレーにのせて持って来ました。
リョウは、窓を閉め、シズナの横に座りました。
エリカの胸に、見慣れない宝石が居座っています。いっぽう、エリカのほうでもリョウの胸のカツバトに、あらためて、目をやらないわけにはいきませんでした。
「これ、緑茶?」
シッポは立ったまま、手渡されたマグカップに鼻先を近づけて、ぞんざいな口調でエリカに尋ねました。
「うん。そこにあったやつ」
さっきまでの殊勝な態度が嘘のように、シッポはどっかと腰を下ろし、
「気、きかないなあ。ボランティアのくせに。もう、夜だよ? カフェイン摂ったら、寝れなくなっちゃうだろ?」
「ガキだけでしょ、そんなの」
とくにエリカの肩を持つわけでもなく、むしろ横目でつめたく睨みさえしながら、シズナが言います。そして、惰性で見ていたノートを投げだして、
「たいした『アイデア』ね。『炎をはね返す、スーツ』『ふぶきをしのぐ、スーツ』『地球外就活用、スーツ』――どっかの誰かさんと、感性の次元がおんなじ」
と、白眼視のターゲットは、今度はリョウ。そのリョウは、「日曜亭」のとそっくりな、欠けた茶碗に黙って目を落としています。
「それ、見たのかよ!」
シッポは、相手が相手だけに噛みついてやれないもどかしさもあらわに、それでも憤然と立ち上がるだけは立ち上がりました。
「さっき、どこでも探せって言ったでしょ」
「そんなところに、隠せるはずないだろ?」
「居直るわけ? ドロボウのくせに」
「ドロボウは、副業! 本業は、あくまで――」
水かけ論が、お茶のぶっかけ合いに発展していきかねない危機的局面を迎えつつあったころ、ふいにリョウが顔を上げて、こんなことを言いだしました。
「ねえ、シッポ。そのノート、オレにも見せてくれない? かわりに――」
リョウは、そばにしっかり置いてあったあかがね色の本を差しだして、
「これも見ていいから」
何だかある種のいかがわしい商法みたいに、けっきょく押しつけられてしまった謎の本の、各ページにまるでミミズの大懇親会みたくぎゅうぎゅうに詰めこまれた、へったくそな――もとい、情熱的な文字という文字を、ぱっちりした目でいちおうなぞるにはなぞりながら、それでもシッポは時折目を上げて、リョウの反応をたしかめずには、いられません。
何かのまちがいじゃないか、それとも馬鹿にしてるんじゃと疑わしくなってくるくらい、熱心にリョウは読みふけっています。
蚊帳の外のシズナは、
「これ、何の時間?」
と、すぐ横に落ちていたビー玉をつま弾きにしてみると、ころがった先のキッチンから漂ってくるのは未知の、なんともいい匂い。
立ち上がり、のぞいてみるとあの女、なんとなく気に食わないあの女が、辛気くさい表情で、なるほど辛気立ちのぼる鍋の中をかき回しています。まな板の上には、玉ねぎやにんじん、じゃがいもの皮。気配を察したエリカが、これもまた、なんとなく気にさわる気弱げな笑みをうかべて、
「エージェントさん?」
と、コミュニケーションの糸口でも探ろうとしてきたので、シズナはそこを去りました。
いっぽう、空腹も忘れて読みに読みつづけていたリョウは、とうとう最終頁に到達。ノートをぱたん。
開口一番、
「オレ、これ着たい!」
と、言いだしたのです。
窓辺のシズナだけでなく、シッポ本人さえ、正気を疑ったくらいでした。
まだ就活慣れしていないリョウには、そう感じたわけを正確に言語化したり、ロジカルに説明したりはできそうにありませんでしたが、ぴかぴかの目が、口よりもずっと雄弁でした。それでもシッポは、
「オイラのこと、からかってる?」
とか、
「笑い者にしようとしてる?」
とか、たしかめておかずにはいられないのですが、頭を振るリョウの思いはやはり、きっと本気そのもの。ところがシッポの顰めていた眉は、疑いがひとつ晴れるたび、今度は悲しげな八の字になっていくのです。
そうとは気づかず、リョウは、
「あの、エージェントさん」
と、交渉をもちかけはじめています。シズナは、窓辺にひじをつき、向かいのビルの汚い壁しか見えないはずなのに、外に目をやったまま。
「オレたち、お金なくなっちゃったんだよね」
「敬語」
あ、とリョウは同じ内容を即座に言いなおしました。するとシズナは、
「そうよ。そのガキのせいでね」
「だったら、スーツとか、靴とか、鞄とか――」
「買えないわね、当然。だから、そのガキに仕立てさせようっていうの?」
「オレ、これが」
と、リョウはノートを示して、
「着てみたいんです」
シズナは馬鹿にするように笑って、
「いいんじゃない、好きにすれば」
それから少しだけ低い声で、こう言い添えました。
「格好なんて、どうだって。どうせ選考じゃ、関係なくなるんだから」
その言葉の意味を、半分だけ正確に理解したリョウは、いよいよ目を輝かせ、シッポに手を差しだしました。ところが、差しだされた側は、もうすっかり意気消沈の体。
「シッポ、どうしたの?」
リョウはシルクハットの落ちてしまいそうなほどしずんだ顔を覗き込みました。
「お腹すいた?」
――もう少しだからね、とキッチンからエリカの声がします。けれどもシッポはちからなく頭を振って、
「あのね、アンちゃん。オイラ、たしかにスーツ職人だよ」
「うん」
「死んじゃった、父ちゃん、母ちゃんもそうだった。――そうだった、らしい。オイラ全然覚えてないけど」
「うん」
「スーツを見るのも、試着してみるのも、ただ生地をさわるくらいのことだって、大好きさ。でもね、オイラ」
シッポは言いました。
「まだ一着も、仕立てきったことがないんだ」
はっ、と窓辺からシズナの嘲り笑いが聞こえました。するとシッポは一転、躍起になって、
「だって、だって、しかたないじゃないか? 材料だってろくに手に入らないし、修行だって、父ちゃん母ちゃん死んじゃった後じゃ、ろくに教えてくれるひともいないし、それにオイラ、いつも腹ぺこで、頭がぼうっとしているし、――どうすればいいんだよ?」
「はいはい」
蔑みもあらわに、シズナは言いました。
「なにもかも、環境のせいってわけね。むっかつくわ。あんたみたいな考え方のやつ、わたし大嫌い」
「『せい』ってわけじゃないよ。本当のことなんだよ」
「だったら、盗みをしても許されるっていうの?」
「許してもらおうなんて思ってないやい。オイラ、生きていくために、しかたなくやってるのさ」
「生きていくため? 他人の所有物を奪いながら、他人様に迷惑をかけながらじゃなきゃ、あんた生きていけないっていうの? ――じゃ、死ねば?」
「どっちだよ、先に奪ったのは!」
鍋をかきまわしていたエリカの手が、とまりました。ブローチは、充血した目玉のように赤く光っています。
「ZAKURO社……キリサキのオッサンじゃ、ないのかよ! 『就活特区』とかいってさ、職人のこと――父ちゃん、母ちゃんのこと、守るそぶりだけ見せといてさ、しれっと自分だけ、カツバトで成功しやがってさ――十五年前のことだって、あれは事故なんかじゃない、事件さ! あいつら、『カツバト』をひらめいて邪魔になったんだ、職人たちのことが! だから殺したんだ! みんなを! 父ちゃん、母ちゃんを!」
リョウはきいんとつめたい衝撃をうけました。「キリサキ」の名を、「マサシ」に置き換えてみると、つまり――。
同時に、話のなかのある一点に重大な引っかかりを感じてもいました。
「十五年前」。それはリョウにとっても父母が亡くなった年です。
ZAKURO社の、事故。マサシの死亡。そして、「カツバト」のリリース。キリサキの躍進。十五年前――。
しかしシッポはますます熱くなっていき、質疑に応じてくれる様子でもありません。
「オイラたち好きで、こんなとこ住んでるんじゃないやい! お前らよそ者に、なにがわかるんだよ!」
エリカの手は、とまったまま。ブローチは赤いまま。
シッポは立ち上がり、壁に黄色いノートをたたきつけると、そのまま、部屋を出て行ってしまったのでした。




