第2四半期「万物就活理論」
――リョウ! どうして、こんなところに?
それは、こっちのせりふでした。でも、いきさつを知るためには、一度大学をのぞいてみなければならないのです。
といっても、このごろのエリカは大学生らしいことをなにひとつしていません。
できていません。
修士課程にすすんでさらなる「就活学」の勉強をつづけようと決めてはいるのですが、ゼミの教授・ウツロ(60)はこのところ自分自身の研究にかかりきりで、エリカの卒業論文や研究計画書の指導どころではなくなってしまっているのです。
お金儲けをしたり、他人から敬われたりするのにとうてい役立ちそうもないことばかり考えるウツロのゼミは学生たちから不人気で、残ったのはエリカだけ。そのエリカも寝食も忘れてまで没頭している「研究」とは、いったい、どのようなものなのか?
ただひとつ言えるのは、名誉栄達にいっさい頓着なく、
――究極の就職先というものは、存在するのだろうか?
――善なる就活と、悪しき就活とのちがいは?
――そもそも「就活」とは?
などと、ただおのれの関心事だけをいつまでもひたすらに考えぬく、どこまでも清貧でちょっぴり愚鈍なあの愛すべきウツロ先生は、もう、そこにはいないということでした。
その日も、散らかった研究室に来客の姿がありました。
花鏡院 醇麗(21)。
ZAKURO社に次ぐ大企業、花鏡院コーポレーションのトップにして、知能指数測定不能といわれる頭脳派就活生です。
今年度の就活においては、あの絶対内定者・朱雀と双璧をなすほどの実力の持ちぬしであるともっぱらの評判。
彼は、顕微鏡をのぞきこんだままのウツロの向かいに腰かけて、いかにもつつましげに、けれどもたまに銀縁眼鏡の奥の目を鋭く光らせながら、「貴重なご説明」を拝聴しています。
「――ですから、万物は『就活』をしているのです。あらゆるものは、自己実現をこころざしている。陽の光が、大地に貢献すれば氷は水と化し、草木は花をつけ、鳥や虫たちに訴求する。空の上ではいかづちのひらめくほど熾烈な出世競争がおこなわれ、キャリアを断念した雲の一部は雪となり、雨となり天下りして地上をうるおす。そしてまた、植物の種子が大輪の花という将来の目標を掲げ、蜜蜂どもの外回りがはじまり、『生きている間に力を入れたこと』の一つも述べられないあわれな骸にさえ、大地の糧という働き口が与えられる――これが、この変わりつづける意志こそが世界の絶えざる『自己実現』、すなわち『就活』でなくて一体なんでしょう。ですからわたしは、この世の森羅万象を就活学の見地から、検討してきたのです」
ウツロが説明するなか、エリカは、そっと目を伏せました。
「そしてとうとう発見したのです。――万物に内在する、モチベーションのみなもとを。こちらをご覧ください」
顕微鏡をのぞいた花鏡院が、かすかな嘆声をもらしました。
「うつくしい。この、青いかがやきは――」
「『ウツロニウム』。仮に、そう呼ぶことにします。それこそが、この世の万物に自己実現をうながす根源的エネルギー、――この宇宙の神秘を一点に凝縮しているといっても過言ではない、究極の物質なのです」
「どのように採取されたのですか?」
ウツロは得たりとばかりに、
「じつは先日、あの就活の島……ボッチ島で大きな災害があったでしょう」
「ええ」
顕微鏡をはなれた花鏡院の眼が、おそろしく光ったのにエリカは気づきました。
「具体的な方法についてはまだお伝えできませんが、はじめて抽出に成功したのは、あの日でした」
「まだ日数が浅いようですが――その『方法』というのは、再現性の保証されたものでしょうね?」
「それは正直なところ、なんとも言えません。ただウツロニウムの実在が証明されたことは、まちがいなく、人類の歴史……就活史をぬりかえる、エポック・メイキングな出来事だといえるでしょう」
花鏡院は、言いました。
「それは、『カツバト』一強の就活市場の打破を意味する」
ウツロはニヤリとうなずいて、
「御社の意向次第です。学者にとって興味の対象はつねに、技術そのものであり知恵そのもの。それをどう使うかとなると、もとより埒外の話ですからな。ただ、どうしても必要になってくるのは――」
「わかっていますよ」
涼しげにうなずく花鏡院に、ウツロは卑屈な笑みで頭を下げました。ほんとうに、ウツロ先生は、すっかり変わってしまいました。
「しかし」
と、花鏡院は言いました。
「『就活』時に観測される物質であるのなら、選考の現場、――例えばZAKURO社の選考などに赴けば、ある程度狙って採取することが可能では?」
「まさにそこなのです。――動物や植物とちがって、人間には自我というものがあるでしょう。これがまことに、厄介なものなのです。人間は、例えばあの植物のように――」
と、水やりをエリカに任せっきりの観葉植物を片手で示し、
「即自的に存在することは、不可能です。人間には欲がある。迷いがある。自我がある。――それは、つまり可能性を有しているということ。そして、その可能性に自覚的たらざるを得ない、ということです。だから、いつも幻惑されつづけてしまう。十年後、五年後、一瞬先の未来に……。そのことによって、ウツロニウムの輝きは減衰してしまうのです」
「なるほど。その意味でいえば『カツバト』も厄介ものですね」
「さすがです」
ウツロはちらり、とエリカにまなざしをやりました。
――君も、見習いたまえ。
おおかたそんな意味でしょうか。エリカは目を逸らしました。
「『カツバト』こそ、人間にいつわりの可能性を吹き込む最悪の技術です。なるほど、ひとはカツバトで賢者にも、猛者にも、王侯貴族にも、天才にも英雄にもなれるでしょう。しかしそれは、つかのまの夢。バトルが終われば彼らはまた、ただの凡人です。いやただの凡人よりタチが悪い、誇りと自意識ばかりが肥大した凡人です。次第に彼らはやさしい幻に甘んじて、厳しくも熱い真の望みから目を背けるようになる。真の望みなどというものが存在したことすら、そのうちに忘却してしまう。そしてついには、自己喪失の暗闇に陥るほかない。私が提唱した『虚人病』という概念は、まさにこの状態をあらわしているわけです。誰も、耳を傾けようとはしなかったが」
「『愚者の生は死よりも辛い』。その箴言が現代にあっては当てはまらないというわけですね」
「あなたのような賢者がそれを変えるのです。この『カツバト』一強の――ZAKURO社専制の世の中を」
花鏡院は静かに立ち上がり、つくられた会心の笑みで右手を差しだしました。
「――わたしたちが、です」
そして契約書と、狂喜の余韻に浸るウツロ教授と、ひとりぼっちのエリカだけが、残りました。
「就活が、変わる」
ウツロは独り言をつぶやきました。
「わたしたちが、変えるのだ――」
それからエリカの隣に来て、
「この私の頭脳。そして花鏡院コーポレーションの設備、資力、そして技術力。すべてが一体となったとき……。わかるね」
「……いえ」
エリカの声の弱々しさに、ウツロはどこまでも無頓着でした。
「素晴らしい。実に素晴らしいことが、おこる。長年の苦労が、報われるのだ。これまでわたしをけなし、蔑み、罵り、嘲笑ってきた連中も――今度ばかりは認めざるを得まい」
「……先生」
エリカは、もう耐えられませんでした。
「なんだね」
「先生は……。どうしちゃったんですか?」
「なにがだね」
「最近の先生、なんていうか、すこしも、先生らしくないです。何に使われるかもわからない研究を、お金儲けのために売っちゃうなんて――」
「金儲けのためじゃない」
ウツロはぬっとエリカに顔を寄せて言いました。
「因果関係を取りちがえてもらっては困る。私の研究の革新性が承認された。その結果として、金銭的援助を受けることになったのだ。君は、彼を――花鏡院醇麗を知らないのかね。いちおう君も、就活生のはしくれだろう」
と、ウツロは意地悪い笑みをうかべて、
「いや、就活生じゃないんだったな。君は――就活生には、なれないんだった」
エリカのこころが、凍りました。




