第13四半期「誕生、就活生リョウ」
それから一週間のうちに、いったい、どんな大事件があったでしょう?
なんにもありませんでした。
なにもかもが、いつものように、退屈に、穏やかに、けれどもあっという間に過ぎていきました。
オカミは茶の間でパイプをくわえ、お茶を飲み、窓の外をボンヤリ眺め、たいせつな本のかたわらでうたた寝するリョウに、そっとタオルケットをかけました。
それから、洗濯して、ご飯をつくって、お風呂を沸かし、就活生どもをたたき返して、蒲団にはいる。その、くりかえしでした。
その夜、街では大きな音楽が響いていました。
証明書のかたづけが一段落し、ゴーダの呼びかけでお祭りが開かれているのです。
ここでも、かすかに聞こえます。
オカミは、ガラス戸を閉めました。
畳の上には、ちゃぶ台。その上には、魚の煮つけ、かぼちゃの煮物、大根のつけもの、海藻のみそ汁、それから、ご飯。
「うわあ」
リョウは上ずった声で言いました。
「いただきます」
オカミは、ちらりとリョウを見ました。
ふたりは、黙々と食べました。
「――ん」
と、リョウが茶碗を差し出しました。
「おかわり」
オカミは、よそって返しました。
リョウはそれからもう二度、おかわりしました。
音が止み、さっきオカミの閉めたガラス戸を、リョウはしずかに開けました。ひんやりした夜気と、虫の声が混じりこみました。
暖簾の向こうから、二つ湯呑みの乗ったお盆を持って、オカミがでてきました。
リョウは「ありがとう」と言いました。
オカミは、黙っています。
リョウは、あちち、あちち、と言いながら茶をすすって、
「ねえ、オカミさん」
と、言いました。
オカミは、リョウに目を向けます。
「オカミさんは、さびしくならないの?」
実は、鉄拳覚悟の問いでした。けれどもオカミの反応は、リョウが想像したのと、まるで裏腹。おもしろい冗談でもきいたような、屈託のない笑いをもらしたのです。
「さびしくてたまらないわよ、とか言ったら、どうする?」
リョウは、あいまいに笑いました。
「そうなの?」
「リョウちゃん。いつだったかも口、酸っぱくしたっけね。もう一度言うからよく聞きなさい。リョウちゃん、生活っていうのはね、こういうもんなの。これが生活なの。さびしいから、馬鹿さわぎに紛らそうだとか、退屈だから、ドンパチおっ始めようだとかね。アタシたち、そんな考えに囚われちゃ、いけないの。そういうところから、全部のまちがいってのはおこってくるの」
「でも」
「でもじゃないの」
リョウはさらにもう一歩踏みこんで、
「後悔とかは、ない?」
「……さあ、どうかしらね。なにせ、そんな記憶力ってのが、よくないほうだからね」
そう言うなりオカミは腰を上げて、
「さてと、――そろそろ、お風呂の支度でもするかね。リョウちゃん、そしたらあんた、先に入っちまいなね。アタシは――」
「ねえ、オカミさん。オカミさんはどうして、オレをここまで、育ててくれたの?」
オカミは急いで空にした湯呑みをかたづけようとして、前屈みになったまま、動きをとめました。そしてゆっくり、姿勢をもどし、
「アンタ。どうしたの、そんな、急に……」
リョウも、立ち上がりました。
「オカミさん。オレ、だめだよ。オレ、やっぱり無理みたいなんだ」
「なにが」
と、オカミはつぶやきます。
「オレ、オカミさんみたいには、生きられそうにない」
「そりゃ、アンタまだ、ガキんちょだもの。そのうち、わかるわ。アタシが言ってきたことの意味が。頭じゃなく、骨身に染みてね」
「オカミさん。オレ、もう子どもじゃないよ。もう、二十二なんだよ」
「まだ、二十二なのよ。人生は、つづいていくわ、リョウちゃん」
「ダメなんだよ、オカミさん。オレ、耐えられないんだ。ただ生きていくだけの人生なんて――」
「リョウちゃん!」
オカミの声が、一線を越えて鋭くなりました。
「それを言わないうちと、言った後とじゃ、明らかに、一切合切変わっちまう言葉ってのが、この世界にゃ、あるからね」
「それは、覚悟してる。オレ、考えたんだ、この一週間」
「リョウちゃん」
「オカミさん。オレ――」
「やめなさい」
しかしリョウは、オカミの目を見ました。
「やめて。――お願い。やめてちょうだい、リョウちゃん」
「――オレ、就活したい」
その時ばっと、外が光りました。後夜祭の花火でした。
「なんで」
オカミは、やっとそれだけ言いました。
「どうしてよ……」
「父さんのこと、知りたいんだ」
「死んだのよ」
「わかってる」
リョウは呼吸をととのえて、
「わかってるよ。でも、このままじゃ、父さんが、あんまり可哀そうだ」
「可哀そう? ――あの男が!」
ぐっと顔をゆがめてオカミは言いました。
「当然でしょうが。鞭打たれようが、唾吐かれようが、忘れ去られようが。あの男が、しでかしたことを考えれば――」
「父さんが、何をしたの? カツバトを、つくったんじゃないの?」
「知らなくていい!」
オカミは、断固たる口調で言いました。
「アンタは、知らなくていい。知る必要なんてない。知ってほしくない……」
「オレ、知りたいよ」
「知って何になる!」
いよいよオカミは、叫びました。
「何にもなりゃしない、不幸になるだけよ! アンタ、どうして、それが――」
「わからないよ。知らなきゃなんにもわからない。何にもできないよ。オレが、前にすすむことだって」
「知ったふうな口を利くんじゃない!」
「オカミさん! オレの話を、聴いてよ!」
「リョウちゃん!」
オカミは、いっそう声を荒らげますが、それは、懇願するようでした。
「人生は、物語じゃないの! 人生に、むくわれる戦いなんて、なにひとつありゃしないのよ。なのにどうして、戦う必要があるの。アタシは、アンタの――! アタシが! どれだけ!」
「オカミさん!」
リョウは、背すじをのばし、両腕をまっすぐにたらし、かかとをそろえ、上体を、九十度に――。
オカミはおびえた子どものような表情のまま、もう、何も言えなくなってしまいました。
「――宜しくお願い、致します」
お辞儀。
就活生リョウ、誕生の瞬間でした。
翌朝10:00、定刻通りに、旅客船エントリー号はボッチ島から出航しました。




