第11四半期「無限会社、ZAKURO社」
その日から、世界はすっかり変わってしまいました。けれども、そのことに気がつける者は、ごく限られています。
ここは無限会社、ZAKURO社内、某所。
某所? そんな言いかたは、プライバシー配慮のためではありません。
究極のフリーアドレス制が採用されているZAKURO社では、ビルの構造自体が刻々と移り変わるため、数分前の一本道が今は二またに分かれていたり、目下意見を戦わしているこの会議室が、一時間後、影もかたちもなくなっていたり――どこがどこだと、明確に指し示すことができないのです。
そのおかげで、社員一同、いつも新鮮な気持ちで業務に取り組むことができるわけですが、目指す場所がある場合、辿り着けるかどうか、運や能力次第なので、いくぶん、こころもとなくもあります。
そんなZAKURO社に所属する者のうち、ただひとり、いつも決まった執務室に到達することのできる人物がいました。
キリサキ専務です。
彼はいま、とにかく今日は高層階某所に出現したらしい執務室の、壁一面の窓から、ボッチ島の方角をいっしんに見つめていました。
ここと島とは、丸一日の船旅を要する距離に隔てられています。
しかし、キリサキ専務には、見えていたのでした。
そこで起こったある特別な出来事は、距離のいかんにかかわらず、見える者にはどんなに遠くからでも見えますし、逆にその素質をもたない者は、どんなに近くにいたって、少しも見えはしないのです。
キリサキ専務は、つぶやきました。
「レジェンド・リクルート」
それは、新しい言葉。生まれたての言葉です。
「レジェンド・リクルート……」
いつの間にか後ろに立っていたシルヴィア(年齢不詳)が、すかさず、問いかけます。
「レジェンド・リクルート、ですの?」
黒いパーティー・ドレスを着た、長く、うつくしい金髪の女性です。
「それは、いったい?」
「いたのか。シルヴィア」
キリサキ専務は、言いました。
「いつでも、おそばに」
シルヴィアは、薄ら笑いのまま、言いました。
「わたくしは、あなたに忠誠を誓う者。――見つかったのですね? キリサキ専務。お探しのものが」
「まさに、成就しようとしているのだよ」
キリサキは、言いました。
「長年の、構想が」
「心よりお慶び申し上げますわ。――つきましては。わたくしにも、業務をお与えくださいませんこと?」
シルヴィアの身体が、謎の光をまといはじめました。
すると……。
――――――……
――――……
――……
……
リョウが目をさますと、そこはいつもどおり、日曜亭の蒲団の中でした。
やけに、鮮明な夢を見ていたようです。
いつもの引き出しを開けてみると、そこにきちんと、あかがね色の本はおさまっていました。軽く捲ってみますが、見慣れた物語が目につくばかり。首を傾げて、それからはたと気がついて、胸元に手をやってみると、――なんだ、カツバトはありません。
――ほんとうに、夢だったのかな。
寝ぐせをなでつけながら、階段を下っていくと、戸口に、誰か来ていました。
――もしかして、と思いましたが、
「こちらの柱など、ずいぶん、昨夜の被害が濃厚と存じますのでやはりわたくしどものほうで修繕を云々――」
声は、あの女のひとのものではありません。
「だから、余計な世話だってのに! うちはもとからこんな有様なの!」
「しかし街中、大変なシチュエーションなのでして、ここだけノーマターというのは――」
「んなこと言ったって、げんに何ともないでしょうがよ」
水かけ論のかたわら牛乳をのみ、棚をあさってアンパンをくわえると、できるだけそっと、戸口に近づいていきます。
「――リョウちゃん!」
と、よびとめられたときはびくっとしましたが、オカミはひと言、
「んなモンくわえて、――曲がり角で変な女に激突するんじゃないわよ」
昨日のこと、やっぱりぜんぶ、夢だったのかもしれない。
坂道を下りながら、少しずつ頭がまっとうな現実認識を取りもどしてくるのを、リョウは感じました。
ところが、街中に差しかかると、いちめん真っ白。内定証明書まみれなのです。
ほうきや、ちりとりで武装した「アズマニシキ」の従業員たちが、それをせっせとかき集めています。メガホン片手にゴーダが、
「みんな。今こそ、ちからを合わせるときだぜ。オレが、『復興の音頭』ってやつを踊って、みんなを元気づけてやるよ。BOCCHI-21もさらにブラッシュ・アップして、みんなの暮らしをきっと元通り――いや、それ以上のクオリティに高めてやること請け合いだよ!」
そこで、ゴーダはリョウを見つけました。
「――おい、この、うすのろ! この大変な時にぶらぶらしやがって、いったい何考えてるんだよ!」
「何も考えてないのさ」
と、背中のかごに、せっせと内定証明書をほうりこみながら、ネズミ。
リョウは、おずおずと、いったい何があったのか、ふたりに尋ねます。たちまち、ゲンコ、デコピン、しっぺ、飛びヒザ蹴り。
「お前、ふざけてんのか?」
「大まじめに、言ってるのか?」
後者だと、リョウは答えました。
「だとしたらいよいよ、どうかしてるよ。現実逃避なんてもんじゃないよ。まさか、日曜亭だけ無事だったわけでもないだろうに」
リョウは、その通りだと答えました。
「まさか?」
ゴーダが、表情をこわばらせました。
「あの、オンボロ宿が?」
「山の上のほうは、被害がなかったのかな」
ネズミも、納得いかなそうです。
「そんなわけ、あるか。だってお前、ものすごい爆発だったんだぞ。島中、無事じゃいられないよ」
ふたりとも、わけがわからない、といったふうに首を傾げます。
リョウだって、わけがわかりません。そこでいよいよ、核心的な名前を口にしてみることにしました。
「朱雀?」
やはり、ゴーダは釈然としないようです。
「絶対内定者の、朱雀? それがいったい、どうしたっていうんだよ。そりゃ、確かにこんな時朱雀でもいてくれれば、千人力で縁側だろうが屋根だろうが、持ち上げてくれるだろうけどさ。でもな、リョウ。こういう時は、あるものを前提にして考える、つまりファクトベース思考ってのを、徹底しなきゃ、意味がないのさ」
「まあまあ、ゴーダ。そんなこと、コイツに言ったって――」
ネズミは急に口をつぐみました。そして肘で、ゴーダの脇腹をつつきます。
エリカの父、ヨシヒト(51)と、母、アヤコ(49)がやって来たのでした。
「やあ、みんな」
会釈するヨシヒトに、リョウとネズミは、頭を下げました。
ゴーダは、その余裕もなく、
「あ、お父さ――おじさん、おはようございます」
「ああ、ゴーダ君。大変だったねえ」
「はい。でも天災っていうのは――その、あの、人間万事、塞翁が馬ってことで」
「ん?」
「あ、はい、あの、馬の耳に、ネンブツってことなんですよ、おじさん。つまり、地球に何言ったって、聴いてもらえやしないわけで、地球だって、そりゃドカンと怒る時は怒るってことなんで」
「ああ、そうか。そういう意味か。まったくだね。もしこれが人間相手なら、われわれ客商売の人間としては、すこしは説得してみせる自信もあるんだがね」
「とくにおじさんのところは、――エリカも、いますからね」
アヤコは上機嫌にほほ笑んで、
「そうね。エリカがいれば、こんな時、みんなの話を聴いてあげてくれるかもしれないわね。――ねえ、あなた」
世間話はまだまだつづいていくようでしたが、やがて聞こえなくなりました。
リョウはそのまま、港にまでやって来ました。
ここに船が来るのは、週に一度だけ。
今日は閑散としていました。潮の匂い、かもめの鳴き声。リョウはベンチに腰かけて、水平線に目を凝らしました。
そのまま、どれくらい経ったでしょう。
とつぜん、真横に気配を感じたのです。
「――ここ、いい?」
リョウはおどろいて、声のほうを見あげました。
なんと、立っていたのはシズナでした。




