第20四半期「真情」
そのころAZUMANISHIKI館内では――。
エリカたち三人は知らなかったのだが、一階大ホールにゴーダと花鏡院醇麗の姿があった。
極秘会談なのだから誰も知らなくて当然だ。
一週間後に迫った「BOCCHI-21成果報告会兼記念式典」について、打ち合わせをしていたのである。
合図とともに、巨大な白布の覆いが取り除けられると、そこにあらわれたのは……。
「わかりますか、醇麗さん」
ゴーダは、得意気に言った。
「……これは何の真似ですか」
花鏡院は、あきらかに不機嫌そうだ。
しかしゴーダはそれに気がつかないのか、目の前のものについて得々と解説をしはじめた。
「リクルート・スーツですよ、醇麗さん」
花鏡院は黙って、いまいましげに見上げている。
無駄に精巧で、無駄に大きくて、無駄に予算のかかっていそうな、真紅のボディの、巨大ロボット……の、おそらくは模型が、布の中からあらわれたのである。
「ロボットっていうと、ちょっと違うんですよ、醇麗さん。つまり……まあ、そのへん詳しく語り始めると、小一時間どころか、もう五、六時間くらいかかっちゃうって話なんですけど――」
「手短に済ませてもらいましょう」
「まあ、木星連合軍と冥王星共和国軍のバトルなんですよ」
「もう一度、お訊きしましょう」
花鏡院は冷淡に言った。
「これは一体何ですか」
「鋼鉄宣伝特使、ネズ・ゴーダリオン(∞)!」
ゴーダは花鏡院にしてみれば理解不能のポーズとともに、叫んだ。
「……ってやつなんです、醇麗さん! つまり、AZUMANISHIKIの宣伝アニメの主人公の搭乗機なんですよ。主人公のパイロット、ゴーディ(18)は平凡な……っていってもかなり有能でそこそこイケメンな、ある旅館の若きトップなんですけど、ある日泊まりに来たエリナ姫(18)が――」
「宣伝アニメーションは、まあいいでしょう」
百歩以上譲って、花鏡院は言った。
「なぜこんなものを作る必要があったのか。――それが私のお尋ねしたいことです」
「それはもちろん、醇麗さん。この『リクルート・スーツ』を、BOCCHI-21のイメージ・キャラクターっていうか、もういっそシンボルみたいな立ち位置にしたらどうかなって、オレ思ったんですよ。つまり――」
――耐え難い。無能者の自己主張。
夢中で語りつづけるゴーダの横顔を見ながら、花鏡院は心からの軽蔑とともにそう思っていた。
――救い難い俗物だ、この男は。
「……それで、式典の時、今みたいにバッ! と布を取って、島中に……いやメディアを介して島外の人たちにも、一気にお披露目したらどうかなって、オレ、そうやって考えてるんですよ。つまり、やっぱりインパクトと親しみやすさの両立ってのが大事かなって、そう考えてるんですね。オレのマインドって、つまりそういう感じなんで」
――まあいい。あとわずかの辛抱だ。
「そんで、オレ、もう一つサプライズってのを考えてるんですよ。つまり……これ、デザインしたのオレの親友なんで。ソイツを、演壇に上げてやりたいんですよ。いきなり名前呼んで、デザインとか、コンセプトについて話聴くみたいな、そんな感じのコーナー設けたいんですよ。アイツ照れ屋だから、最初嫌がるかも知れないって、もちろんそれくらいはオレ予想つくんですけど、でもやっぱり、ガキの頃からの仲間なんで。マインドも共有してるし、これからもずっと、ずっと、一緒にBOCCHI-21創っていきたいんで」
――全て奪ってやる。
奪われた時、この男はどういう表情を見せるのか?
エリカを問い詰めたときの、あの快感がまたよみがえった。
花鏡院は踵を返して、言った。
「よくわかりました、ゴーダさん」
――お前の救いようのなさが。
「本当ですか? 醇麗さん」
「――式典が」
花鏡院は言った。
「楽しみですね」
ちょっぴり、川の水に手を浸してみた。
つめたい。透き通っている。
あちこちで虫が鳴いている。風が通りぬけ、木々がざわめく。
懐かしい匂いがする。
まちがいなく、ボッチ島だ。
指先を、小魚がつつきにくる。何匹も群がってくる。
――オカミさん、どうしてるかな。
昨夜、AZUMANISHIKIでの会食のとき、花鏡院はこう言っていた。
詳細については、改めて……と。
きっと、日曜亭のことだろう。港湾地区の倉庫を「視察」した――させられた――とき、オカミの説得について、エリカを当てにしているようなことを言っていた。
なぜそう日曜亭にこだわるのか、わからない。
ゴーダが言うように「温泉」のためなのだろうか?
温泉。
いったい何なのだろう。
オカミさんには子供のころからお世話になっているし、ずいぶん可愛がってもらってきたが、そのエリカでさえ、「温泉」についてなにも教えてもらったことはない。
エリカもなんとなく立ち入り難いものを察して、あえて尋ねはせずにきたから、――もしかしたらそのおかげで、オカミはエリカを遠ざけずにいてくれているのかもしれないが。
鳥が飛び立った。
エリカは振り向いた。
光のかなたから、ふたつの影がちかづいてくる。
二人と一匹は難なく、エリカのかたわらに降り立った。
大きな波紋が立って、魚たちは逃げていった。
ネズミは釣竿にぶら下がった――と言っても針をくわえているわけではなく、先っぽについた手袋みたいなものに鷲掴みにされているナマズを繊細な手つきで取り外し、川に放ってやった。
――いや、あんたら、度胸あるて!
ナマズは言った。
――わし、ハッキリ教えてなかったけども、電気ナマズなんじゃって! もし、な? わしが百万ボルトでビリリとやったら、あんたら、な? 無事じゃすまんかったて!
「大丈夫ですよ」
ネズミは得意気に言った。
「これ、その辺も考えて、電気通さないようになってるんで」
――いや、大した誘拐犯、恐るべき知能犯じゃて! それにしても、な? 海に出てさ、陸に上がったのも驚きじゃったのに、空まで飛ぶことになるなんてさ、思わんじゃったて!
「それは僕も同感ですね」
サカミは深々とうなずいた。
タケキャプターは大した発明品だが、正直、あまり乗り心地というか、つけ心地のよいしろものではない。
それに、いざ飛んでみると花鏡院コーポレーションの防空網は思いのほか発達していることがわかった。あまり高度を上げすぎると探知されかねない。今後、うかつに使うことはできない。
ネズミによると先日も一機、「領空侵犯」をした小型機が撃墜されたという。
何でも戦闘機まで配備されているらしい。最早軍事力は国家レベルに達しているが、ZAKURO社はこの事態をいつまで放置するつもりなのだろう。
サカミの推理によるとすくなくとも三次選考まで花鏡院醇麗を泳がせておくことはキリサキ専務の計画上必須なわけだが、そうまでしてリョウに試練と勝利を与えたい理由はなんだ?
花鏡院醇麗はキリサキ専務のその意向を知っているのか?
……いや、知らないだろう。もし知っているのならじかにリョウに干渉し、ともすると身柄を拘束し、ZAKURO社との取引材料に用いるだろうからだ。
それでいて、これほど大胆なのさばりかたができるのは、勝利を確信している……つまり、ZAKURO社の一強体制を挫く奥の手を用意してあるからだろうが……。
――それが、Mana=ウツロニウムであるというわけか。
そして、サカミは思い当たった。
――そうか。だとすると、あの日曜亭の異常な厳戒体制はそれに関係している可能性が高い。日曜亭だけに存在している「温泉」……。それは、ウツロニウムの鉱脈のことなのか?
……いっぽう、エリカはひろげた本をナマズに見せていた。
ナマズはバシャバシャ跳ねまくって抗議の意向を表明している。
――いや、読めんて! わし、言葉読めるようになったといっても、それは、な? あんたらがふだん使ってるのと同じ言葉!
「あ……ごめんなさい」
エリカは「貢献の儀」、つまりManaを宿して人間的な認識の光を獲得した不思議な生き物たちが、ふたたびもとの動物にもどっていくさまについて、詳細な描写のなされている一節を――無骨な直訳体で恐縮だけれど――ゆっくりと読み聴かせた。
「……就活生は、エージェントと旅をしていた。……しかし、エージェントは死んでしまった。就活生は……初めて気がついた。自分が深く、エージェントを愛していたことに。精励たちは、エージェントの亡骸を抱き、悲しみにくれる就活生の真情に打たれた。そして彼ら自身を特殊な生き物たらしめているManaをすべてエージェントに与え、憑代を脱ぎ棄て、彼ら自身はふたたび元の、認識の暗闇にもどっていく決意をしたのだった。それは彼らにとっては死に等しい行為だった。しかし、今この就活生を見棄てることは、彼らにとって死以上の何かを意味しているのだった……」
エリカはどうにか、声を乱さず読み終えた。
誰もエリカの心のなかの激しい波立ちに気がついた者はいなかった。サカミとネズミは、そろって拍手を送った。だが肝心のナマズは、
――いや、だからさ! けっきょく、わしはどうしたらいいんじゃて!
「……わたしが思うのは」
エリカは一生懸命自分を奮い立たせながら、言った。
「『真情に打たれた』っていうところが、すごく大事だと思うんです。そして、『この就活生を見棄てることは、彼らにとって死以上の何かを意味しているのだった』っていう、ここも……」
――ふむふむ、それで? どうすればわしはナマズに戻れるんじゃって!
「『真情』です。本気で……願うんです」
――いや、願っとるて!
「もっと、もっと、本気で。ただ死ぬこと以上の『死』、ただ生きること以上の『生』、そういうことについて、考えながら……」
と、言いながらエリカは罪悪感のようなものを覚えずにはいられなかった。わたし自身、きちんとした生き方なんてとうていできていないっていうのに、なにをえらそうに語っているの?
――こりゃ、エライ話になってきたて! 難しすぎて、サッパリわからんて!
「……もしかして」
と、エリカは遠慮がちに尋ねた。
「まだ……未練があるんじゃないですか?」
――未練? なんの未練じゃて! わしは……。
「ナマズさん、せっかく言葉を手に入れて、せっかく人間みたいにものを考えられるようになったのに、このままもとのナマズさんに戻っちゃうのはもったいないって、心のどこかでそう考えてるのかも」
――いや、心のどこかでって……な? だって、わし自身がそれをわからんのじゃて! わし自身が早く戻りたい戻りたいと言っているのに、な? 何でわしの心がそれとまるっきり反対のことを考えなきゃいかんのじゃて! わからんて!
「……しかし、時として」
サカミはうなずきながら言った。
「人間というものは……そういうものなのですよ」
――いや、じゃあ何か、つまりわしの中に、わし自身気づいていない「未練」なんてもんが、な? 存在するて、あんたら本気でそう言っているのか?
「多分……」
エリカはうなずいた。
「もどりたいって思っている以上に、まだもどりたくないって感じている、そういう何かが……あるんじゃないかって、思います」
――いや、じゃあ仮にそうじゃとして、な? わし、本当の本当に、これからどうしたらいいんじゃ?
「考える、ことだと思います」
エリカはまたも自己嫌悪に陥りながら、それでも言った。わたし、他人に――ナマズだけれど――そんなことを言える立場なの?
「考えて、考えて、考えて……」
――そしたら何か、な? わかるんじゃろうか?
「……かも……」
――いや、頼りないて! そこはどうどうと断言してくれて!
うつむいたまま黙ってしまったエリカの横顔に、実はネズミが心配そうにちらりとまなざしをおくっていた。




