第17四半期「囚われの白鯨」
リョウはバスに乗って、街に出た。港を目指すつもりだった。
ある意味、暴挙だ。
でもリョウにもちゃんと、わかっていた。
というより、予感はあった。
一次選考後、リョウを奇蹟の就活生と呼び、駆け寄ってきた女がいた。あれとおなじような出来事に、巻き込まれるのではないかと……。
――いや、大丈夫。考えすぎだ。
そう思いたかった。
変装したり、ことさら顔を伏せたりして歩けば、レジェンド・リクルートとしての自分を認めてしまうことになりそうで、怖かった。
さいわい、バスは空いていた。
けれども降車した、そのときだった。
「あ!」
と指差して、駆け寄ってくる就活生がいたのである。
「『奇蹟の就活生』!」
ぞくぞくぞくっと身体中悪寒が這いずりまわった。
就活生たちはむろんそんなことおかまいなしに、どんどん集まってくる。とうとう、リョウは取り囲まれてしまった。
――のだが、
「サインください!」
「写真、いいですか?」
「キャーかわいい! 頭なでなで!」
「座右の銘は?」
「なにかひと言、教えを!」
……奇蹟の就活生、それは単なるキャッチコピーのようなもので、実績もなく、就活経験もゼロに近いのにZAKURO社の二次選考を突破した、その異例の快進撃を指して各種メディアがそう表現しているだけのことらしいのだ。
なんだか、拍子抜けしたような気持ちもあった。
でも、こちらの実感と世間のイメージがかけ離れていることに間違いはない。リョウは居心地が悪くなり、そうそうに退散した。
港はなお危険だった。
就活生たちが集まって、出航の時を待っている。
就活生だけを、ボッチ島に運ぶ船。
――あの船に、オレも乗れたら……。
と、思うのだが、それは現実的じゃない。
いや、いまのリョウの実績があれば最高の待遇も夢じゃないだろう。が、街に出るなりあの持て囃されようでは、船内でどんなにチヤホヤされつづけるかわかったものじゃない。それはとても、耐えがたいことだった。
リョウはやむなく、ほかの渡航手段を探ることにした。
貨物船が停泊している。
遺跡をリョウたちが滅茶苦茶にしてしまった以上、もう土砂は採取できないのかも知れないが、ガラクタは相変わらず集まってくるようだ。
――あの中に、まぎれ込む……?
ふと、そんな考えも脳裏をよぎらないではなかったが、それは戯れにちかかった。
まさかそんな大胆な真似のできるリョウじゃない。
例えば今ちょうど積み込まれていったのは袋いっぱいの鉄くずだが、あのなかにこっそり身を隠して船内に忍び込むだなんて……。
それこそ物語じゃあるまいし、そんなこと本気で考える人がいるだろうか。
リョウはため息をついて、岸をなぞるように歩きつづけた。
いつの間に、それを踏み越えてしまったのだろうか。ふと背後を振り返ると、
――KEEP OUT
の、黄色いテープ。そしてフェンスがあった。
厳重に立ち入りを禁じられているエリアに、知らずにリョウは踏み込んでしまったらしかった。
厳重に、といっても気づきもしないうちに入ってしまえるくらいだから物理的にはそう大したセキュリティでもないのだろうが、就活生というのは礼儀を重んじる人たちだから入るなと言われれば入らない。そして、このあたりにはほとんど就活生しかいない。
だから、侵入防止にはこれでじゅうぶん、という判断なのだろう。
もっともな考えである。
ここは港の果てだった。
ものものしく隔離されているわりには、見張りのような者の姿もなくうら寂しい地区である。
――なにがあるんだろう。
リョウはあたりをうかがった。
大きく、真っ白い船が停泊している。
あれも貨物船だろうか?
いや、……軍艦?
いや……。
ちかづいてみて、リョウはびっくり仰天。
岸に繋ぎとめられたそれは、なんとクジラだったのだ。
それも、ただのクジラじゃない。ロープみたいなもので、これでもかというくらいがんじがらめにされている。おまけにリョウが間近まで行くと、
――苦しい、苦しい、苦しい!
なんと、しゃべったではないか!
――苦しい、苦しい、苦しい! 苦しいったら、ありゃしねえ!
リョウはおどろいた。もちろん、おどろいた。
けれども……言うほどのおどろきではなかった。
なぜなら、リョウは知っていたからだ。物語のおかげで、そしてもちろん、カツモンたちとの関わりのおかげで、人間以外の生きものだって、時には言葉を話しもするということを……。
「あの……どうしたんですか?」
――どうしたんですかって、見てわかんないかね?
クジラは大きな大きな黒目をリョウに向けた。
――捕まっちまったんだよ、こんなふうに!
捕鯨は禁止されてるはずなのに、とリョウは思った。
クジラはボッチ島のシンボルみたいな生きものだ。
島を訪れた就活生たちは、「感動したエピソード」としてよく面接でホエール・ウォッチングの経験を語るという。中学校では、クジラの偉大さと人間の傲慢さをテーマにした課外授業があったくらいだ。
花鏡院コーポレーションは、海の掟さえ変えてしまったのだろうか?
――いや、いや。そうじゃないんだ。あっしがフツウのクジラなら、確かに見逃してもらえたかもしれないやね。でも旦那……どうです? 今……何か気がつくことがないかね?
するとリョウは気がついた、
「白い!」
そう、これまでにリョウが目撃したことのあるクジラはみんな黒かったが、このクジラは白鯨だったのだ。
これにはクジラは大笑い。潮を巻き散らして大笑い。
――あっはっは! 旦那、おもしろいね。……だがちと世界を知らないね。あっしら白鯨の仲間には随分有名なやつもいるんだが……知らないかね? ……って、違う、違う。笑いごとじゃないぜ、旦那。あっし……今、どう考えたって、しゃべってるよね。旦那。
「うん」
リョウはわずかな期待とともに訊いてみた。
「……もしかして、カツモン?」
しかしクジラは、ピンとこない様子。
――カツモン? 何だい、そりゃ? ……いや、旦那。あっしね、マジメな話、自分が何モンだかわからなくて、そんでがんじがらめになっちまってるんだが……いろんな意味でね。
リョウはこれまでのいきさつを尋ねた。
しかしクジラは大きな、大きなため息をついて、
――いやね、旦那。本当に何も覚えてないんですよ。気づいたらこう……言葉ってやつに堪能になっちまっててね。こりゃどういうわけかって、方々尋ねて回ってたんだよ。あっしのこの変わりようについて、何か心当たりがないかってね。そしたら……魚ってのはどうも話の通じない連中だね。あっしが大口開けて近づくからって、慌てて逃げちまいやんの。……ねえ、旦那。考えられねえやね。この口は何のためにある? 食べるためだけじゃないやねえ。こうして言葉ってのを話すのもさ、この「口」って器官の、大事な大事な、大仕事じゃないのかねえ。……ねえ、旦那?
リョウはうなずいた。
――やっぱり旦那、さすが旦那だ。話をするなら、哺乳類同士に限らあね、魚なんてのはダメだ。話が通じないやねえ。……そんでね、旦那。話ついでになんだけれども……あっしを、自由の身ってやつにしてくれんかね?
リョウはまたうなずいて、……クジラにちかづいた。そして、思いっ切りロープをひっぱってみた。
名刺を取りだして、ノコギリの要領で引きちぎろうとしてみた。
くわえ込んだまま「ほほひふほへはひひはひはふ(宜しくお願い致します)!」と渾身の声量で挨拶し、音の振動で縄を解いてしまおうとしてみた。
……が、びくともしない。
――はあ。
落胆の大ため息が、リョウの前髪を悲しくなぶった。
――参ったなあ……旦那。あっしね、こう……せっかくこう人間じみてきたからにはね、ライフってのを満喫しようと思ってたんですよ。広い大海原をどこまでもどこまでも「自分探しの旅」ってのに出かけてね……。だって、そうでしょう、旦那? あっしが、あっしだけが他のどのクジラともちがうこんな能力に恵まれちまったのにはね、何か、意味ってモンがあるはずじゃないですか?
リョウはその言葉に顔を上げた。しみじみとした親近感が兆していた。
――それを知らずに、死にたくないやねえ。そんな悲しい終わりかたって、ないやねえ。……でもね、旦那。あっし、もう長くないらしいんですよ。
「え?」
――いやね、何だかかんだかって連中がね、あっしのことをね、「研究材料」ってのにしちまうらしくてね。まあ、早い話が……「クジラのたたき」ってやつさね。……はあ。あっしもう、終わっちまうんすかねえ。長い長いクジラ生、そして短い人生だったなあ。
ばふ、と、肩を落とすリョウの背中につめたいため息が吹きつけていた。
――どうにかして、助けてあげたいけど……。
来たときは漫然と過ぎるだけだった道を、あれこれと試行錯誤に頭を使いながらもどって行った。
すると向こうから、就活生たちの一団が。
リョウはとっさに身を隠した。
世間話が聞こえてくる。
「本当に、オニガワラさんにおかれましては、誠に気の毒な次第と相成ったようでございますね」
「わたくしなどは、彼の動機については全面的に支持いたします。……カツバトの時代に、終焉を!」
「ただ、手段がいけなかったのです! よりによって選考中に、ジンジィランドを爆破するなど! 暴力反対! 知略賛成! 花鏡院コーポレーション、万歳!」
彼らは足早に乗船口に向かっていった。
――そんな……。
オニガワラに関してずいぶんな悪評、それもまるきりのデマが罷り通っているらしいことをリョウはこのとき、初めて知った。
ジンジィランドを破壊したのは、オニガワラじゃない。
それは……。
――それは……?
いや、……リョウがエリカのところに駆けつける前に対峙した相手、あれはオニガワラはオニガワラだった。
しかし、オニガワラであってオニガワラでなかった。
――あれはけっきょく、どういうことだったんだろう……?
……リョウの足は、それからしぜんとオニガワラの道場に向いた。




