彼とラジオとわたしの日常
わたしはその夜、ラジオをつけた。
すると、彼が子犬みたいにわたしのもとにやってくる。
「今日もお前はかわいいな」
「もう、何言ってんの? からかわないでよね?」
「え? ホントのことだけど?」
彼はいつもわたしを甘やかす。
それでいて、ドキドキさせてくれる。
「今日ね、会社でトラブルがあってさ」
「うん」
わたし達は、たわいもない日常のあれこれを話しながら、ラジオを聴いていた。
わたしはいつの間にか眠ってしまっていて、朝日が差し込み目を覚ました。
ああ、今日も眠ってしまっていた。
ラジオや彼の話し声は心地よくて、わたしはいつも途中で眠りに落ちてしまう。
起きた時には、彼の姿はなかった。
今日も満員電車に揺られ、出社する。
同僚にあくびを見られた。
彼女はわたしの顔を見るなり、口を開く。
「ちょっと、また寝不足?」
「ん? まぁ、そうかな……」
「まったく、彼氏とお熱いんだから!」
彼女は、羨ましいような、それでいて呆れたような顔をした。
「べつにそんなんじゃないんだけどな……」
わたしの独り言が口からこぼれる。
「ただいまー」
帰宅するが、返事はない。
彼の姿は見えなかった。
彼と一緒に暮らすようになって、もう一年ほどが経つ。
もともと彼が暮らしていた場所に、わたしが越して来た形だ。
いつも聴いているこのラジオは、わたしが来た時からそこにあった。
彼の大切なものだ。
ラジオが好きな彼。
こんなことを言うと変に思うだろうが、わたし達は、夜ラジオを聴くだけの関係だ。
わたしは今日もラジオをつけた。
彼が、わたしの隣にそっと来る。
彼はわたしを抱きしめてはくれない。
ただ横で、わたしの話を聞いてくれる。
「今日も、お疲れ様」
彼はわたしに、優しい眼差しで微笑みかけた。
この笑顔を見ていると、癒されて、今日一日の嫌だったこと、辛かったこと、不思議とみんな吹っ飛んでしまう。
夜も深くなり、わたしはラジオを消そうとした。
「もう少し一緒にいたいな?」
彼の甘い囁きが、わたしの耳に届く。
「だって、寝不足になっちゃうもん」
「いいじゃん。もう少し」
この時間が、この先も長く続くのかは分からない。
きっと、わたしがこれ以上を求めてしまったら、この関係は壊れてしまうのだろう。
彼はわたしに言う。
「こっちにおいで」
「もう、やだな、何言ってるの?」
わたしは、笑ってごまかした。
素直に『うん』と首を縦に振ってはならない。
それは、なんとなく分かっていた。
彼はわたしの返事に、寂しそうな表情を見せる。
ねぇ、そんな顔で見つめないでよ。
『わたしを連れてって』って、本音が溢れてしまいそうじゃない。
でも、彼に身を委ねてしまったら、わたしは連れていかれてしまうのだろう。
このラジオの中に。
このラジオは、わたしが引っ越して来た日からそこにある。わたしに、見つけてほしかったかのように。
彼はこの部屋から出られない。
だから、今のトレンドをこのラジオから、そして、わたしとの会話から得ている。
ここは、1K一人暮らし用の古いアパートだ。
今日もわたしは、ラジオをつけて、彼が隣に来るのを待っている。