♦ 序章 夢 ♢
♦ 序章 夢 ♦
「ハァー・・・」
甃の道を歩く俺の足取りは重かった。慣れた道のはずが今日は少し進むのを躊躇ってしまう。
「やっちまったなー・・・」
辺りには人影はおろか物音ひとつしない。まっすぐに伸びた甃の道に綺麗な星空が浮かぶだけだった。
そんな道を歩きながら俺は独り言をぼやいていたのだ。
「あれは言い過ぎたよなー・・・もうちょい配慮するべきだったか・・・」
今日の・・・いや、過去の失敗を気にしても仕方がない、そんなことは重々承知である。
「今回はフォローしたんだけどなー・・・」
しかし、この後の事を考えると、どうしても億劫になるというものだ。
今日もまた〝あいつ〟に長々と嫌味を言われるのかと思うと、考えただけで気が重くなる。
まっすぐに伸びた〝振り返りの道〟を五分ほど歩いたところで、俺は立ち止まった。
歪な形をした取手、明り取りの丸い小窓がついた上部がアーチ型をした木製の扉。その横には備え付けの丸みを帯びた金具にぶら下げられた洋燈が僕を照らしていた。
この扉を見るといつも洒落ていると思う。
アンティーク調ダークブラウンの無垢材の縦長い板を6枚繋いだ古びた扉。
悠久の時を海と共に過ごし、その身をなめらかに磨き上げた流木の取手。
所々に擦り減った、白と灰色を混ぜた色合いの甃の道に洋燈の中で揺らめく蝋燭の灯。
中世ヨーロッパを思わせる独特な風体。古典的で古びていて、味がある。
そんなアンティークの雰囲気が好きな俺がいつ見ても惚れ惚れとする品なのだ。
―――いっそ持って帰ろうか?〝あいつ〟の長ったらしい嫌味を聞いてやるのだ、それぐらいしても罰は当たらないだろう?
だが、考えた末の結論はいつも同じ・・・
「まー〝無理〟だけどねー」
持って帰る事の叶わない、この雰囲気を十二分に堪能し、満足した俺は扉を開け中へと入っていったのだった。
古くなった蝶番の嫌にかん高い金擦れが小部屋に響いた。
六畳ほどの小部屋には古書が壁一面にずらりと並んだ本棚と、大木を輪切りにした一枚板の円卓の机と椅子が各一脚。卓上には白色の広鐘型をした鈴蘭の花を模した洋燈が一台。垂れ下がった十程の小さな花が、机を中心に部屋全体を優しく照らしていた。
部屋の隅々に至るまで揃えられた調度品の数々が俺のアンティーク愛を擽るのだ。
『あいかわらず室内まで小洒落てるな・・・・・・』
『―――あっ!!!洋燈が変わってやがる⁉』
その時だ、
「――――――おかえりなさいませ」
扉を入って右側に立っていた老執事が深々とお辞儀し声をかけてきた。
「やぁ、バスク」
待機しているであろうと予測していた俺は、顔見知りの老執事バスクへと気さくに返事をしたのだった。
燕尾服を着こなし、手に付けた白い手袋にはシミ一つない純白そのものである。凛とした佇まいは、只々(ただただ)美しい。
「創司様、応接室にて主がお待ちでございます」
「了~解」
丁寧なバスクの言葉に、軽く返事をした。
そして、俺が先程入ってきた扉を、今度はバスクが開け館の長廊下へと歩み出た。
俺はその後へと続き、部屋を後にしたのだった。
第三書庫と呼ばれる部屋を出た廊下左側の窓から見える景色は、広く整備された花壇。
色とりどりに咲き誇る数々の花々が陽の光を一身に浴びようと、その身を伸ばしている。高々と上った太陽の傾きは昼過ぎを告げていた。
進む先の右側、館の中央に向かって広がる大広間が見えてきた。
大広間は四階までの階層を抜いた、高さ十数メートルはある吹き抜けになっている。
そんな大広間の中心に向かって伸びる大階段を上り、左右に折り返しのある階段を二階へと上った。上った先は先ほどと同じ左右に伸びた廊下を右へと進む。
少し行くとまた突き当りを右へ。またしばらく行くと三階へと続く階段の上って・・・・・・。
・・・広い。――――――あいかわらず広い。
なんだって〖応接〗室なのに三階まで登らないといけないのか?金持ちの考える事は本当にわからないものだ。
館内を知り尽くしているわけではないが、部屋数がゆうに数十はあると思われる。
そんな館の主が〝あいつ〟なのである。
「どうせまた、小洒落た茶菓子に合わせて珈琲か紅茶でも飲んでるんだろうな」
ふいに思ったことが口から飛び出し、バスクがその問いに答えた。
「――――――そうでございますね。また新たな食の発見は主の望むところ」
「昼食の際に料理長へ指示を出していましたので、その試食をなさっておいでです」
第三書庫を出てから十分程歩き、やっと応接室の前へとたどり着いた。
館内の部屋移動に十分など、個人宅として考えられない広さである。
バスクが扉を二回ノックする。
そして「創司様をお連れ致しました」と室内にいる主へと声をかけた。
「・・・・・・・・・・」
「―――――入ってくれ」
了承を待ち、主からの入室の許可を得たバスクはゆっくりと扉を開けた。
そして中で待つ主の元へと、俺を進めたのだった。
室内へ進むとそこには四メートルほどの高天井に吊り下げられたシャンデリアが、まず目にはいる。室内の至る所に散りばめられた〝あいつ〟のセンスがここでも光っているのだ。
ミルキーホワイトのアーチ型の天井に、オリーブグリーンの壁。高天井から伸びた、ブラウン木調の丸みを帯びたシャンデリア。アカシアの無垢材をV字に張り合わせたヘリンボーンの床。部屋の中央に置かれた、猫足のローテーブルとソファ。壁に飾られた数々の絵画からは、油彩独特の風合いを醸し出し、趣ある部屋を華やかに彩りを与えていた。
「よっ!お疲れ~」
猫足の長いソファに座り、難しい顔をした〝あいつ〟に声をかけた。
「あぁ、お疲れ様」
難しい顔をしている時の〝あいつ〟の返事は、いつも素っ気ないものだ。
テーブルを挟んで対面に置かれた猫足の一人掛けソファへと進み腰を下ろした。
対面に座る〝あいつ〟の目線が凝視するその先を追い、声をかけた。
「―――なんだ、これ?」
テーブルには、すでに湯気の立っていないコーヒーカップが一客とコーヒーポットが一つ。オーバルプレートに並んだ一口サイズのクラッカー。
そして、その隣に置かれたスフレカップには見慣れない物が入っていた。
テーブルを見回しているとバスクが新たに淹れたコーヒーを二客運んできてくれた。
主に一言声をかけ新たに淹れたカップをテーブルへと並べかえる。そして冷めたカップを引き上げ隣の部屋へと姿を消していった。
「食べてみてくれ」
言われたとおりに、ローテーブルに置かれたクラッカーを手に取り口へと運ぶ。
ゆっくりと咀嚼し感想を伝えた。
「――――――うん、美味い。」
「これは――――――全粒粉クラッカーだな!」
「全粒粉小麦(小麦をまるごと粉状にしたもの)の香ばしさ、少しだけ感じる甘味は・・・・・・
キビ砂糖だな。くどさがなくて儚げな甘みが全粒粉に絶妙に合うな」
「アクセントのコクのある塩っ気は、天日塩だな。丸みがあって尖っていない、ミネラルが豊富でほのかに甘みがある。これもベストだ」
「焼きたてならもっと美味いだろうな」
呆れた顔をした〝あいつ〟が残念そうに見つめていた。
「――――――バスク・・・・・・新しいのを頼む」
いつの間にか後ろに控えていたバスクに声をかけ、新たなものを隣にある厨房へと取りに行かせた。
しかし、まだ呆れ切った顔で残念そうに見てくる〝あいつ〟。
『―――何か変だったのか?』
「それにつけて食べるんだよ」
――――――それ?
あぁー横に置かれたスフレカップね。クラッカーの感想を求めてるのかと思ったよ。
言ってくれなきゃわからないよね~――――――。
・・・・・・・・・。
――――――もちろんわざとである。
たまに〝あいつ〟を冷やかすのが面白いのだ。
真面目な〝あいつ〟は馬鹿な奴だと冷ややかに見てくるが、それも互いの間柄なればこそである。〝あいつ〟の間柄は多少なりとも複雑なのだ。
パートナーであり、パトロンであり、理解者でもあり――――――まぁ色々だ。
いつも教師ぶってくる〝あいつ〟とちょっかいをかけて楽しんでいる俺。そんな間柄だ。
「あぁ、これな!」
〝あいつ〟が、それといったスフレカップを手に取り見慣れないクリーム状の物へと顔を近づけた。かなり白よりのクリーム色の中に、砂粒程の黒い点々が疎らに混ざっている。
「――――――バニラと・・・・・・バター?」
甘い香りが鼻を抜け、奥ゆかしい乳の香りが後に続いた。
「正解〝バニラバター〟だ。まぁ、これぐらいわからなければ話にもならないがな」
―――一言、多いのである。
少しムッとしたが、冷静に気持ちを抑えた。
素直にほめる事が出来ない〝あいつ〟は可愛い奴だ。そう思うことにして話を戻した。
「―――っでだ、これをつけて食べればいいのか?」
短い肯定を受けとり、新たに運ばれてきたクラッカーへと手を伸ばした。
手に持つことの出来るギリギリの熱を帯びたクラッカーからは、先ほどは感じられなかった、麦の焼けた香ばしさが漂っている。
常温で少し柔らかくなった〝バニラバター〟をティースプーンですくいあげクラッカーへとのせた。
クラッカーの熱を受け取ったバターがクリームの形状から半液状へと姿を変えようとした時、溶けだしたバターに内包されていたバニラの香りが、僕の鼻へと届く。
温められたバニリン(バニラの香り成分)の甘美な香りが、全粒粉小麦の香りと合わさり、僕の鼻腔をくすぐる。
トロリと溶けだした、その艶まめかしい誘惑が食欲を刺激し、手に持っていたクラッカーを慌てて口へと運び入れた。
そしてゆっくりと咀嚼し、その味を噛みしめる。
先ほどはなかった焼きたてクラッカーの、香ばしくサクッとした食感が合わさり咀嚼するごとに小気味よさが頭の頂点にまで響き渡る。
その小気味よさに合わせて溶けだしたバターのすっきりとした風味と乳のコク。天日塩がアクセントとして加わった中にあふれ出るバニラの芳醇な香り。
混然一体となった口の中を、幸せな余韻だけを残して駆け抜けたのだった。
――――――――――――美味い―――――――――――――。
「どうだ?」
幸せの余韻に浸っていた俺に向けられた〝あいつ〟のしたり顔に、いつもなら現れる苛立ちも今日に限ってはどこ吹く風というものだ。
「―――――――――顔見ればわかるだろ」
満面の笑みを浮かべた俺に〝あいつ〟は満足げである。
「・・・これが王位継承課題の一つか――――――」
―――〔 王 位 継 承 課 題 〕―――
王位継承権をもつ現王の子息・息女に与えられた課題。
王位継承権を持つ者の中から、立候補、又は推薦によって選出される。選出者に年功序列による上下関係の優位性はない。
また、それに準ずる行為、または妨害などは禁止事項となっている。もしもこれらを破った場合は、皇族からの身分剥奪と国外追放の重い罰則が待ち受けている。
そして、課題は全部で三つ。王位継承までに費やす期間は五年にも及ぶ。
まず、三つの課題によって得られる評価点の加算方式により上位四名を選抜、ここまでが四年である。そして上位四名による、総当たり代理戦が行われる。
それは、国内最大の祭りであり次世代の国王を選抜する極めて重要な国祭。
その名は【 菓王祭 】
そして、その優勝者のパートナーが次代の王となるのだ。
そう〝あいつ〟改め、シエル――――――。
フルネーム〈シエル・ミュスカ・ラヴァルディア〉は、ラヴァルディア王国の第三王子だ。
王家に連ねるものとしての教育を受けてきたシエルはかなり頭が良い。少なくとも一般的な家庭で育ち、専門学校卒の俺とでは頭の出来がまるで違う。真面目過ぎて面白みに欠けるのが残念なところだ。よく言えば合理的、悪く言えば冷酷な奴だ。
名前のミドルネームには王族独自の習わしが使われている。その瞳の色にちなんだ果実の名前が入るのだ。ミュスカ―――フランス語でマスカットを意味しその名の通りマスカットグリーンの瞳を持っている。
シエルの身長は175cmほどと、俺とほぼ変わらないぐらいだ。だが、全長は180cmをゆうに超えているとおもわれる。
容姿端麗と言われるだけあって整った顔立ちだとは思う。・・・だが、容姿に関して俺には判断をつける事が出来ない。
なぜなら――――――ラヴァルディア王国は〝ウサギ〟が治める国なのだ。
着ぐるみなどを着ているわけではない。まぎれもなくウサギがしゃべり、二足歩行で歩き、服をまとって生活を送る。
人の姿形がウサギになっているだけの、まぎれもないウサギの国なのだ。
・・・・・・ここに初めて来たときは本当に驚いた。
ファンタジーを具現化した異世界が目の前に広がっていたのだ。
驚き興奮冷めやらぬ俺が考えた答えは、流行りの異世界転生か転移だと思っていたほどだ。胸躍る冒険や魔法に夢見たのもほんのひと時だ。
目の前に現れたシエルによってもたらされた答えは〝夢の中〟だった。
――――――まさかの夢オチ・・・。
冒険を夢見ていた俺は、その場に膝から崩れ落ちた。目の前に現れたシエルに異世界転生、又は転移の二択だと、さも「わかりますよ」とばかりに一人で力説していたのだ。能力は~云々(うんぬん)、チート云々、職業は云々・・・etc。
夢の中で赤面である。
―――夢の中だと。目が覚めてしまえば消えてしまう世界だと。起きてしまえば忘れてしまう世界だと。俺が見ている夢は、俺が創造した夢の中の世界だと思っていた。
だが、シエルの答えは違った。
「人が見る夢の世界は、私たちにとってたった一つの現実です」
「―――――そして、私たちの見る夢の世界もまた、あなたたち人間にとっての現実なのです」
なんでも、三つの条件を満たした者だけが夢の中にある世界への扉を開けるのだそうだ。
そして、そんな世界に招かれシエルと共に王位継承課題に挑むパートナー兼代理戦の出場者が俺というわけだ。
本名は兎月創司、現在二十六歳の男だ。生まれは日本の兵庫県伊丹市だ。職業は菓子職人をしている。
三年と少し前に他界した祖父の後を継ぎ、祖父母が始めた日本屈指の老舗菓子店『 菓匠 月乃兎 』の二代目として、現在シェフパティシエとして日々悪戦苦闘している。
初めて夢の世界を訪れたのは二十四歳を迎えた日だ。
招かれた俺の前に立っていたのがシエルだったわけだ。
そして、この世界の事、王位継承課題、代理戦の話を聞き、パートナーにならないかと誘われたのだ。
せっかく夢の世界へ来れたのだ、そんなもの受け入れるはずもなく、丁重に断り夢の世界を楽しもうとしていた。
だが、そのあと優勝者に与えられる特権を聞き、パートナーとなることを受け入れた。そして必ず王位継承課題をクリアし代理戦に出場を勝ち抜き優勝すると誓った。
今考えると、シエルに踊らされて気がしないでもないが・・・。
優勝者に与えられた特権、それが今は亡き身近な者に再開する事が出来るのである。
シエルは言った、生と死の狭間に存在し、繋ぐ架け橋になるのが夢の世界だと。
生者と死者が繋がる不思議な夢の世界。
それが夢の世界【 Gateau 】なのだ。
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菓子=Gateauの物語は今、始まった・・・。
こうご期待です! ではまた。
A bientot♬
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