80、世界で一番③
ぱちぱち、とロロは瞬きを速めた。
彼が驚いているときの、癖。
「ずっと、ずっと、渇望していたんだもの。一度きりの人生、伴侶にくらい、それを求めても良いと思わない?」
「それは――勿論……」
「絶対譲らないわ。『世界で一番』、よ」
「はぁ……」
念を押すように重ねられるミレニアの言葉に、ロロは怪訝な顔で頷く。
ミレニアの主張に、特に異論を示す気はないらしい。
クスッ……と笑ってから、ミレニアは続ける。
「私、やっとわかったの。昔からずっと、漠然と思い描いていた”家族の愛”――具体的に、どんなものなのか、説明しろと言われても出来なかったわ。当たり前よね。私、それを注がれたことがないのだもの。見たことも体験したこともないものを表現しろだなんて、無理な話だわ」
うんうん、と頷きながら、ミレニアは続ける。
「ずっと、”正解”を探していたのだけれど――よく考えたら、”正解”なんて必要ないのよね。だって、誰かにとっての最高の”家族の愛”は、私にとって最高かどうかわからない。レティにとって、ネロにとって、ジルバにとって、ルーキスにとって――全員きっと、違うものだわ。私には、彼らが求める”家族の愛”を察することなんて出来っこないのよ」
「……はぁ……」
「当然、私にとってのそれも同じ。だったら、”正解”を探すなんて馬鹿なことをやめて、自分の中だけにある、『私が渇望している”家族の愛”』を定義することが重要なのだ、と気付いたのよ」
「……なるほど……?」
少し怪訝な顔をしながらも、ロロは神妙な顔で頷く。
(気づかせてくれたのは、昨夜のロロの言葉だったと言うのに――変な感じね)
苦笑しながら、ミレニアは続ける。
「そこで、考えたの。私が渇望している”家族の愛”は、先ほど言った通り――”ただのミレニア”を愛してくれること。私に、地位も名誉も富も全てなくなっても、弱くて愚かで浅ましく人間臭い一面があると知っても、若さも美貌も何もかもがなくなってしまっても――愛情に飢えて、幼い子供のように泣きじゃくる、情けない私の姿を見ても、変わらず優しく頭を撫でで、『世界で一番愛している』と言ってくれること。――それを与えてくれる殿方こそが、私が”家族”になってほしいと思う人なのよ」
「――――――」
ぎゅっとロロの眉根が寄る。
複雑そうな顔で押し黙る美青年の心の声が透けて見えそうで、ミレニアはくすくすと笑った。
物言いたげな視線で、紅玉のような美しい瞳を下から覗き込むようにして話しかける。
「でも、困ったわね?お前は、他の殿方との結婚を勧めて来るけれど――私、そんな殿方、心当たりが、世界で一人しかいないわ」
案の定の話の帰結に、ロロは苦虫を嚙み潰したような顔になって呻いた。
「……姫は、俺を買いかぶり過ぎです。貴女を愛す男など、星の数ほどいる。わざわざ俺のような下賤な男を選ばなくても、貴女ほどの女性であれば、世界中、どんな男でも――」
「まぁ、忘れたのかしら。私の”幸せ”は、"無償の愛"と切っても切り離せない。つまり私を”幸せ”にしてくれるのは、『世界で一番私を愛してくれる殿方』だけなのよ。たとえどれだけたくさんの人に愛してもらったとしても、その中で一番深く、強く、誰より一番、命を賭けて私を愛してくれる人と結ばれたいの」
「……それは」
「それともお前――お前以上に、私を愛すような殿方が現れると、そう思っているのかしら?」
挑発するように告げられ、ぐっと言葉に詰まる。
紅い瞳が揺れて、何か反論しようと口を開きかけたところを制すように、ミレニアは言葉を重ねた。
「世界で一番、ということは、そういうことよ。例えば、お前が何度も勧めてきたエーリク殿は、お前以上に私を愛してくれるかしら?」
「それは――いえ、今すぐではなくとも、きっと、エーリク殿も、貴女と結婚し、愛を育んで行けばそのうち――」
「まぁ。お前、それ、本気で言っているの?――お前の愛は、その程度だったの?」
わざとらしく驚いたように声を上げて、大きな翡翠の瞳がロロを煽る。
ぎゅっとロロの眉間に皺が寄った。
「私が認識しているお前の愛は、言い表せないほどの大きさのはずよ。だって――私を愛しているくせに、私に愛を返してもらえなくてもいいと言えるくらいなのよ?」
「それは――」
「そもそも私を愛していない、なんて下らない反論は聞かないわ。まさか、愛情のない相手のために、何度も気が狂いそうになりながら、魔物と契約してまで、人生をやり直したりするかしら?」
ぐ、とさすがに言葉に詰まったのだろう。押し黙った青年に、怒涛のように畳みかける。
「そこまでして私と生きる未来を探そうとするくせに、掴み得た未来の先で、私と結ばれることは”過ぎた願い”だと言ってしまうような男なのよ?愛して、愛して、愛して――何度も失っては、やり直して、また愛して。そんな途方もない時間の積み重ねの先に望むことが、己の愛の成就ではなく、私が”笑って生きていること”なんて当たり前のような顔で言う男なのよ、お前は」
「それは――そう、ですが……」
「愛される、どころか――視界に入ることも、言葉を交わすことも、手を触れることも無くていい、なんて言ってしまうのよ?これを、私が欲しがっていた”無償の愛”と呼ばずして、何というの」
舌戦で主に勝てるなどと思ってはいないが、それにしても一方的にやり込められ過ぎだろう。
これ以上なく苦い顔を晒すロロに、ミレニアはふふん、と得意げに胸を張った。
「どうしても私と結婚したくないと言うなら、お前以上に私を愛してくれる殿方を見つけてきなさい。いい?”お前以上”に、よ。いざというとき、お前ですら躊躇ってしまうようなことを、『ミレニアのために』と言って私を助けるためにいとも容易く行動できてしまうような、そんな殿方しか私は認めないわ」
ロロは視線を下げて押し黙り、胸中で呻く。
(そんな男など――いるはずがない)
何故ならそれは――ロロの存在意義を根底から揺るがすことと同義なのだ。
ミレニアが誰を愛そうが、構いはしない。
ロロが、そこまでの無償の愛を注げるのは――自分こそが、世界で一番少女を愛しているのだと自負しているからだ。
己の身も、心も、命さえも全て捧げ、女神のために生きて、女神のために死ぬ。
それだけが、ロロがこの世に存在している理由そのもの。
自分以上にミレニアを愛し、ミレニアのために行動できる男などが現れれば――それは、ロロにとっては、生きる価値を失うに等しい事態だ。
(有事の際、姫を第一に考えてもなお、俺が何かを躊躇うなどあるわけがないが――もしも、姫の言うような事態が起きて、俺には出来ないことをやってのける男がいたとしたら――)
脳裏に”もし”の世界を描いてみようと努力するが、すぐに頭を振って視線を伏せた。
――こんな仮定に、意味はない。
きっと、そんな事態が起きた瞬間、相手と競うようにロロは、躊躇った行為にすら身を投げ出すだろう。
躊躇った自分を恥じて、堪え切れぬほどの罪悪感に苛まれ――それでも、少女のための最上位の献身を示すのは自分なのだと――そこだけは譲れぬと、どんな運命であっても進んで足を進めるだろう。
だから、ミレニアの言うような事態は、起きるはずがない。
仮に、ロロ以上にミレニアを愛す者が現れたとしても――張り合うようにして、きっと、ロロは、その男以上にミレニアを愛そうと努力する。
ロロが、ロロである限り、それは必ず達成される。
世界で一番にミレニアを愛すのは、これから先、どれほど年月が経ったとしても、ただ一人――彼女がこの広い世界で見つけ出し、死ぬまで一番傍にと願って名前を与えた”紅蓮の騎士”以外に存在しないのだ。
視線をいつもの定位置にやったまま押し黙った男を前に、ゴホン、とわざとらしく咳払いをしてミレニアは口を開く。
「勿論私は、お前から見たら、まだまだお子様なのかもしれないけれど――私だって、その、そういうことも、ちゃんと学んでいくわっ」
「?」
ぐっと拳を握って頬を赤らめながら宣言した主に、何のことを言っているのかわからず、疑問符を浮かべる。
「だから――いつか、お前が、自ら私に触れたいと願い、思う存分触れられても、私が戸惑わなくなるまで、少し待っていてね」
「姫……?一体、何を――」
はにかみながら告げられた言葉に、怪訝に眉を顰める。
ミレニアはそのままくるり、と踵を返して部屋を後にしようとする。
「では、またね、ロロ。今日はお休みだから、お前の望むようにしなさい。身体を休めてもいいし、私の傍にいたいと言うなら、好きにしたらいいわ」
「ちょ――お待ちください、姫っ……!結局俺は昨夜、一体何を――」
言い逃げるようにしてそそくさと退室してしまった主から、最初に問いかけた質問をはぐらされてしまったことに気付いて慌てて声を掛けるが、ミレニアは聞こえないふりで扉の奥へと消えて行ってしまった。
「……何だったんだ、一体……」
眉間に皺を刻んで、戸惑うように俯く。
どうやら、最近ミレニアを悩ませていた出来事は、解決したらしい。それは良かった。
だが――それ以外の問題は、全く解決していない。
「……観念しろ、とでもいうつもりか……」
他の男との結婚を推し進めるなら、ロロ以上にミレニアを愛している男を連れてこい、等という無理難題を突き付けられては、ロロとしてはお手上げ状態だ。
その男が、自分以上にミレニアを愛しているなど――認められるはずがない。
身分もなく、薄汚い虫けらである自分が、たった一つだけ、自分自身にも胸を張って誇れること――
それは、世界で一番、ミレニアを愛しているということだけなのだから。
文字通り、命を賭けていると言っても過言ではないくらいに――
「…………」
ふるふると頭を振って、いったん考えても仕方のない事柄を頭から締め出す。
この地へ来てから、ミレニアの傍に丸一日控えることを彼女自身に許してもらえる機会など、滅多になかったのだ。今は、一秒を惜しんで少女の傍に行くべきだろう。
――後日、ジルバから爆笑と共に宴会場での振る舞いを暴露されて、ロロがこれ以上ない渋面を晒すことになるのは、また、別の話――




