32、従者と家族②
「ふぇっっ!!?」
思わず、美丈夫の顔を二度見――いや、三度見くらいする。
目を白黒させて驚く主を、疑問符を上げて眺めながら、ロロは当たり前のように言葉を重ねた。
「身体を動かすのが、億劫だと」
「いっ……いやいやいやいや、お前、真顔で何を言っているの!!!!さすがに自分で食べられるわっっ!」
まさか、表情筋をピクリとも動かさずに、市井の恋人同士でもなかなかしないようなことを提案されるとは思わなかった。
「……大丈夫ですか?」
「だっ、だだだ大丈夫よっっ!!」
ぼふん、と顔から湯気が出そうなほどに全身が赤くなり、手からは大量の汗が出ていたが、無理矢理ロロから皿と匙を受け取る。
「熱いので、お気をつけて」
(ぅぅぅ……なんで今日のロロはこんなに過保護モードを爆発させているの……!!!)
いつもの五倍くらいの過保護っぷりを発揮する美青年の破壊力はとんでもない。
ときめきすぎて、心臓が持たないから、本当にやめてほしい。
口の中を火傷しないよう、少しずつ掬ってそっと唇に運び、もぐもぐと咀嚼しながら、胸中で呻く。
(じ、自分で食べられると言ってしまったのは、失敗だったかしら……せ、せっかく、疑似的とはいえ、ロロと恋人同士のようなやり取りが出来る絶好の機会だったのに――)
普段、そんな機会はそうそう起きることがないからこそ、冷静になるととんでもなく惜しいことをしてしまった気になってくる。
ごくん……と一つ粥を飲み込んでから、チラリ、と視線だけで寝台の脇に腰掛けている青年を盗み見た。
シルバーグレーの長い睫毛。切れ長な双眸は、いつも通りの魅惑的な紅玉をのぞかせている。
すっと通った鼻筋と、男らしい褐色の肌。著名な芸術家が命を賭して作り上げた彫刻と言われても頷けるくらいの、思わず息を飲んで見惚れるほど美しい容貌は、完全なる黄金比だけで構成されているのではないかとすら思えた。
(くっ……何度見ても、顔面が嫌になるくらい完璧な男……!あ、駄目、この顔に至近距離で恋人みたいに食べさせられたら私、鼻血吹いて倒れそう……)
「?……何か」
「っ……な、何でもないわっ……」
低く響く声まで魅力的で、思わずぱっと顔を伏せてごまかすように匙を進める。レティの作った薬膳粥は、絶妙な塩加減で食べやすい。
心の中で菫色の瞳をした少女に感謝しながら、紅くなってしまった頬をごまかすように必死に口を動かす。
(駄目よミレニア。正気に戻りなさい。ロロが自ら匙で食べさせてくれたとして、甘い雰囲気になると思う?……否。断じて、否よ。どちらかというと、餌付けに近い感覚――いえ、子ども扱い?どちらにせよ、今の私には必要のない行為だったわ。ロロには少しでも早く、私がもはや一人前の大人の女性なのだと認識してもらわねばならないのだから)
ミレニアが欲しいのは、幼子を慈しむような愛情ではない。一人の大人の女性として認識された上で求められる、情熱的な愛情だ。
頭に浮かぶのは、豊満美女のラウラ。過去、ロロと彼女がオトナな関係にあったことは疑いようがない。
あれほどの色香を振り撒いて初めて、”女”として意識してもらえるのだとしたら、今の自分が女扱いしてもらえないのも仕方ないだろう。だとすれば、たとえほんのわずかな時間でも、彼に子供扱いされるような行為を享受している暇はない。
ただでさえ、歳の差があるのだ。さらに、彼にとって強烈な体験として残っているであろう初対面の時の自分は十歳という幼さだった。
ミレニアとしては、早急にそのイメージを覆さなければならない。
ついうっかり、美青年からの「あーん」の魅力にソワソワしている場合ではないのだ。
「……ご馳走様。レティにお礼を言わなきゃ」
「その前に、まずは御身を休めてください。また倒れては本末転倒です」
匙を置いたミレニアから器を受け取りながら、ロロが眉根を寄せて苦言を呈す。
ミレニアは過保護な護衛兵に嘆息して口を開いた。
「大丈夫よ。今回のことで、疲労回復の魔法のメカニズムが何となくわかったわ。要するに、その時点で残っている体力を魔力で一時的に増加させて、誤魔化しているだけなのよね。だけど、魔法をかけて元気になったつもりで動き回っている間も、元となっている本来の自分の体力は目減りしていくから、何度もかけ続ければ、疲労するスピードも速くなるし、疲労を感じるときは症状が重くなっていく。そして最後、元となる体力がゼロになったら、ゼロには何を掛けてもゼロだから、どれだけ強力な光魔法使いが魔法をかけたとて、全く効かなくなる。今回、倒れてしまったのはそのせいよ」
ミレニアの説明を聞いて、ロロの眉間にさらに深いしわが刻まれる。あれほど酷い倒れ方をしたというのに、何を暢気に分析しているのか、という想いが強いのだろう。
「そう怖い顔をしないで。建国に向けて、やることは山積みなんだもの。並行して進められる案件はなるべく沢山着手して前に進めるべきだわ。特に光魔法は、今はまだ未知のことが多いけれど、有事の際に活躍する機会も多くなる魔法よ。皆が苦しんでいるとき――失敗のリスクを冒すことが出来ない状態で検証するよりも、十分にリスクヘッジが出来る今のうちに、可能な限り検証は進めておきたいのよ」
困った顔で訴える。
人の命を救うことすら出来る光魔法だからこそ――決して、失敗は許されない。いつか来るかもしれない”有事”に向けて、今のうちに失敗を含めて実験をしておきたかったのだ。
「だから、今の私は、一度ゆっくりと寝て、レティの薬膳粥まで食べて、しっかりと元手となる体力を回復させた状態。少し倦怠感が残っているけれど、元の体力が少しでも残っているなら、疲労回復の魔法は十分に効くはず。……勿論、乱用は出来ないと知ったから、不用意に乱発することはしないけれど、また不意に倒れて意識を失うとか、そういう、お前が心配するようなことにはならないわ」
「ですが――」
「だから、一刻も早く出発しましょう。今は、夕方と言っていたわね。少しファボットに仮眠を取らせて、その間に出発の準備をして――夜のうちにここを発つのよ。そうすれば、明日には保養所に辿り着ける。そこで一晩だけ眠って、すぐに翌日に出発よ。想定外の遅れを解消しなければ」
言いながら、ミレニアは軽く己の黒髪を手で撫でつけるようにして整え、シーツを剥いで寝台から降り立とうとして――
「――いけません。出立は、明日の朝。今夜は大事を取って、ゆっくり寝てください。体力を万全にするまで、ここを発つことはありません」
「な――」
ミレニアの身体を丁寧に、しかし有無を言わさぬ力で押しとどめ、再びシーツの中に導きながら言われた言葉に、絶句する。
「何を言っているの!もう三日も後れを取っているのよ!?それをさらに一日延ばせというの!?」
「はい。……そもそも、外は雪です。無理に雪中行軍する危険もあります」
「騎馬一頭と馬車の一つくらい――お前の火があれば、夜の闇も、寒さも、積雪も、どうとでもなるわ!仮に途中でお前の魔力が尽きても、私が回復させられるもの!」
ロロの実力を信頼しているからこその言葉が飛び出るが、下僕の意志は固いようだった。
ふるふる、と首を横に振って、起き上がろうとする身体を再び制される。
「なりません。お休みなさいませ」
「ふっ、ふざけないで!」
「今の姫に無理をさせてまで行軍をするメリットがありません。これは、ここに残った三人と――おそらく、今保養所にいる者すべての総意です。仮に、異を唱える者がいたとしても、俺が説得します。姫は、ここで、魔法など必要ないほどに体力を完全回復させるまで、休息を取ってください」
「なっ……」
いつも通りのピクリとも動かぬ頬で冷静に言い切られ、カッと頭に血が上る。
「お、お前っ……従者の身で、将である私の決定に意見するというの!?」
思わず、感情に任せて叫んだ言葉に。
「従者――……俺は、”従者”ですか……?」
先ほどはミレニアをときめかせた低い声が、ほんの少しの闇を伴い、静かにポツリと、響いた。




