28、雪の中で④
ギッ……と微かな音を立てて、馬車が停車する。
「ミレニア様。到着いたしましたよ」
「……えぇ。ありがとう」
レティの言葉に返事をして、そっと瞳を開くと、パァッと微かな光が車内に浮かぶ。
驚いた顔をした侍女に、クスっと笑って説明する。
「眠気が残っていたようだったから」
「あ……そうでしたか」
そういえば、意識を覚醒させるための魔法がある、という話を思い出し、レティは安心したように微笑む。
「よかった。少し眠られたせいか、顔色も良くなったようですね」
「えぇ、おかげさまで。ふふ……魔法もいいけれど、やはり原始的な疲労回復の手法も馬鹿に出来ないわね」
そんなことを話しているうちに、ガチャ、と外から扉が開かれる。
ファボットが鉄製の扉を開き、足元に小さな階段状の台を置いてくれた。
まずはネロが出て、その次にファボットに支えられるようにしてレティが外へと踊り出る。
「姫。……お手を」
「ありがとう、ロロ」
当たり前のような顔で外に控えていた紅い瞳の従者に礼を言って、差し出された手を取り、馬車を降りる。
「……姫……?」
「?……なぁに?どうかしたかしら」
「いえ――……」
雪原にふわりと舞い降りた妖精のような少女を前に、ロロは視線を下げてエスコートした手を眺め、軽く握ったり開いたりしていた。
「いつもより――お手が、冷たいような気がしたので」
「まぁ。……さすがに、この気温ですもの。私も手くらい冷えるわ」
「そう……で、しょうか」
「そもそも、お前の手が冷たいのもあるでしょう。いつも以上にそう感じたのではなくて?」
手袋に関しては、手に入れられた数は限られており、まだ全員に行き渡ってはいない。優先度をつけて配って行ったため、支給されていない者もいるのだ。
まず最初に支給されるのは、もちろん行軍時に常に外にいる戦闘員と御者たち。その中でも、火属性の魔法使いたちは、己で生み出した炎で暖を取ることも出来るため、後回しにされていた。
故に、ロロの手は雪中行軍をしている今もむき出しのままだ。
さすがに有事の際に手が悴んで剣をうまく握れない、などということがないように定期的に温めているだろうが、平時よりも体温が下がっていることは疑いようがない。
(だが、それでも……今までの冬では、ここまで冷たい手をしていなかったように思うんだが――)
ロロの中には、ミレニアと過ごした何十回という冬の記憶がある。
ミレニアは冷え性ではない。まして、ミレニアがいる馬車は、一行の中で最も防寒設備が整っている。馬車そのものの作りも、持ち込んでいる防寒グッズの質も量も。本人は辞退したが、従者たちがこぞって譲れないと主張したため、一行の中では最も温かな装備になっているはずだった。
その割には、ミレニアの手が、指先まで冷たすぎるように思えたのだ。
(とはいえ……さすがに、季節ごとの手の冷たさまで記憶していると言われるのは、姫も気味が悪いか)
ロロにとって、ミレニアの身体に触れることが出来るのはめったにない機会だ。それゆえ、一つ一つの得難い機会について、毎度深く記憶に刻むようにしているのだが、それをミレニアが知れば、気味が悪く思うかもしれない。そもそも、身体に触れるなどという行為自体が、汚らわしいと言われても仕方のない身なのだ。
ミレニアに嫌悪の感情を抱かせぬよう、それ以上の追及を避けて、ロロは口を閉ざした。
「さて、戦闘員と男の労働奴隷たちを中心に、狩りと採集に出かけてもらいましょう。女たちは、まずは火をくべて雪を水に変えて、飲み水の確保。光魔法遣いたちは、念のため沸かした水に解毒の魔法をかけなさい」
てきぱきと早口で指示をしながら一団の中を歩いていくミレニアの後ろに、いつものようにそっと黒装束が寄り添う。
「ロロ。お前も狩りの部隊について行きない」
「は――……」
ぱちり、と一つ紅い瞳が瞬きをする。
「ないとは思うけれど、魔物が出たりしたら大変だわ。冬眠をし損ねた凶暴な大物の野生動物がいても、お前は役に立つでしょう。適材適所、よ」
「魔物が出る可能性を考えるなら――」
「女たちがいるこの野営地点には光魔法で結界を張るから大丈夫よ。お前は狩りに出て頂戴」
口答えしようとした従者を困った顔で窘めると、少し不服そうな顔をしたものの、危険はないと判断したのか、しぶしぶ従ってくれるようだった。
ほ、とミレニアは息を吐く。
雪原に負けないような真っ白な顔が印象的だった。
「姫――」
「なぁに?……ほら、もう狩りの部隊が出ていくわ。お前も早く準備なさい。……私は大丈夫よ。ちゃんと傍にネロを控えさせておくから」
ミレニアの微笑みに、ぎゅっとロロは眉根を寄せて何かを考えた後、静かに礼をして踵を返した。大将であるミレニアの顔を立てるべきだと考えたのだろう。
前回の行軍でのひと悶着があってから、ロロなりに、この集団内での相応しい振る舞いについて考えてくれているようだった。
ミレニアは、ふぅ、と安堵の息を吐いてから、キリリと頬を引き締める。
「ここから視界に収められる範囲の際に、光魔法でぐるりと円形に結界を張るわ。活動に支障が出るようなことはないでしょうけれど、不用意に遠くに行かないようにしなさい」
周囲の者に声を張って指示を出し、瞳を閉じて集中する。
じわり、と額に玉の汗が浮いた。
ヴン……
小さな音を立てて、無事に結界が展開されたことを知る。
ゆっくりと瞳を開いた後、ミレニアはくるりと振り返り、護衛のために近づいてきていた少年兵に声をかけた。
「ネロ。少し、ついてきて頂戴。……カドゥーク、レティ、後は任せたわ」
従者らの顔を見ることなく黒髪を翻して指示を出し、迷いなく足を大きく踏み出して歩き出す。
「姫サン……?どこいくんだ?」
「いいから黙ってついてきて」
剣を腰に差して後を付いてくる少年が怪訝な声を出すも、ぴしゃり、と遮られてしまい、閉口する。
ズンズンとミレニアが脇目も振らず進んでいくのは、林の奥。男たちが採集や狩りのために進んで行った方角だ。
「姫サン?”花摘み”なら、あんまり先へ行かない方が――」
一応気を利かせて忠告してやる。男たちが向かった先、ということは、野生動物がいる可能性があるエリア、ということだ。万が一、獣に襲い掛かられても面倒だ。
「大丈夫、よ……もう少し……」
はぁ、と白い吐息がミレニアの口から洩れる。
一心不乱に雪の中を行く聞き分けのないお姫様に肩をすくめて、ネロは仕方なく黙ってついて行く。
随分進んだ先で、ふと、ミレニアが立ち止まって横顔でネロを振り返る。
「ネロ。後ろ――女たちから、こちらはもう見えないかしら」
「?」
何故そんなことを気にするのか――怪訝に思いながらも、ネロは素直に後ろを振り返る。
視界に入るのは、一面の林。距離が離れたことに加え、背の高い木々に覆われて、とても彼女たちの位置からこちらを見ることは出来ないだろう。
「たぶん、大丈夫だと思うけど――」
「そう――よかっ……」
再びミレニアを振り返る途中で、声が不自然に途切れる。
視界を戻した先――
ドサッ……
「姫サン!!!?」
身体ごと雪の中へと崩れ落ちる少女に、思わず慌てて声を上げた。




