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【番外編】ファムーラ建国物語~お姫様が従者の奴隷根性を叩き直すまでの二年間~  作者: 神崎右京


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23/105

23、呼び名①

 今回、滞在することになった軍事拠点は、大陸の中でも有数の大きさを誇る施設だった。

 雪の気配が近づいている気配に、一行はしばしの間この軍事施設で悪天候をやり過ごすことにした。

 途中、魔物との交戦があったこともあり、戦闘員の身体を休めつつ、初めての魔物との実戦経験で得たことを忘れぬうちに鍛錬する目的もあった。

 遠くの空に厚く広がる鈍色の雲を見ながら、戦士たちは練兵場でガントの指示のもと、鍛錬に励む。勇ましい声が時折外から響いてきていた。


 そんな音を聞くともなしに聞きながら、ミレニアは旧司令官室のふかふかのソファに腰掛け、書庫で見つけた分厚い書物を熱心に読み込む。その横顔は、誰であっても話しかけるのが躊躇われるほどに真剣だ。

 ぺら……と静かな室内にミレニアが紙を捲る音だけが響く。時折、暖炉に入れた火が爆ぜて、パチリと小さく音を立てた。

 ぶつぶつと口の中で何かを呟くようにしながらミレニアが読み込んでいるのは、北方地域で話されている言語についての書物。

 旧帝国とは異なる文法や語彙が使われるそれらを、現地に到着するまでに覚えてしまおうとしているらしい。

 昼食を取った後だというのに、午後の眠気にすら襲われることなく集中を保てるのはさすが神童と呼ばれた少女のなせる業か。

 途中、たどたどしい所作で一生懸命に女の労働奴隷が持ってきた茶を飲む手も、ここ数刻は止まっている。

 翡翠の瞳が何度も書籍の頁を行ったり来たりと忙しくしていると、不意に、ふるりっ……とその薄い肩が震えた。


「ぅ……」


「寒いのですか?」


 小さく呻いて、己の身体を抱きしめるようにしたミレニアに、今まで気配すら感じさせなかった従者が後ろから声をかける。

 そのまま、紅蓮の瞳を暖炉へと向けると、視線一つで暖炉の火が赤々と勢いを増し、煌々と燃え盛った。


「お前は本当に、物音ひとつ立てないまま気配を消すわね」


「……姫の邪魔になってはいけないので」


 つい、集中するあまりそこにロロがいることすら忘れそうになっていたミレニアは、呆れたような顔で後ろを振り返る。

 ロロは気にした様子もなく、いつもの無表情で言いながら、スッと机に備え付けられたベルを手に取り、軽く振って音を鳴らした。

 それは、侍女を呼ぶための合図。温かい飲み物を用意させようという意図だろう。


「お前が気が利く振る舞いをすると、なんだかムズムズするわ」


「……申し訳ございません」


 視線を伏せて、ロロは再び気配を消して視界の外へ逃れようとする。ミレニアはそれを良しとせず、ぐるり、とソファの背もたれに行儀悪く身体を預けるようにしてロロの姿を追った。

 背もたれの上に乗せた両腕に顎をちょこん、と乗せてじぃっと長身の護衛兵を見上げる。


「……何か……?」


「ふふ。……見ていたいだけ」


 とろりと蕩けた笑みを浮かべる主に、すぃっと視線を左下に逃がす。


「あら、駄目よ。こちらを見て?それではお前の瞳が見えないわ」


「……はぁ……」


「こちらに来て、もっとよく見せて頂戴」


 頬を上気させて嬉しそうに微笑んだミレニアに苦い顔をしてから、主が掛けているソファに近づき、すっとひざを折る。

 視線の高さが逆転し、ロロがミレニアを見上げる形になった。


「あぁ――やっぱり、何度見ても、お前の瞳は美しいわ。世界で一番価値のある紅玉ね」


「……こんな気味の悪い色の瞳を、美しいなどとおっしゃるのは姫だけです」


「そうかしら。……あぁ、素敵。この美しさを、独り占めしてしまいたいわ」


 そっと頬を撫でるようにしながら、じぃっと瞳を覗き込んでくる翡翠に、戸惑うように瞬きで風を送ってから、ロロは呻くように口を開く。


「……俺は、姫の物です。頭の先から、足の先まで、全て、余すところなく、貴女だけの物です」


 独り占め、などと――初めて出逢ったその瞬間から、彼女のその願いは叶っている。

 身体も、命も――心までも、全て、ミレニアに捕らわれ、生涯決して傍を離れられぬ身なのだ。

 ミレニアがこうして戯れに独占欲を露わにしてロロに執着を示してくれるだけで、胸の奥で耐えがたい灼熱が疼き、愛しさが溢れるほどに。


「まぁ。……では、やはり夫に――」


「それとこれとは話が別です」


 間髪入れずに鉄壁の無表情で返す護衛に、むぅ、と口をとがらせる。どうにも強情な従者だ。

 言葉を重ねようとした瞬間、コンコン、と扉を叩く音が響き渡った。


「ミレニア様。ヴァイオレットです。お呼びでしょうか」


「レティ、お茶のお代わりを持ってきてほしいの。身体を温めるような茶葉をブレンドして頂戴。少し休憩をしたいから、お前の分も一緒にね」


「かしこまりました。すぐにお持ちいたします」


 扉の前から、しずしずと去っていく気配がする。

 ロロは、丁度よく話題が切れたと安堵し、すっと立ち上がって再びミレニアの視界から逃れようとした。


「あっ、待ちなさい」


「……まだ、何か」


「ずっと慣れない文字を読んで疲れてしまったのよ。少しくらい雑談に付き合ってくれてもいいじゃない」


「雑談……」


 それは、ロロが一番苦手とする分野だ。雑談がしたいなら、正直、ジルバ辺りに頼んでほしい。

 気まずそうに視線を落とすロロの考えていることなど、手に取るようにわかっていたが、ミレニアは無視して話を進める。


「お前が言ったのよ。しばらくは、訓練を免除して私の傍に控えたいと」


「それは――そう、ですが」


 生きた心地がしなかった三日を経て、もうこの軍事拠点にいるうちはミレニアの身に危険が迫るようなことはないとわかっているはずなのに、夜中にミレニアを失う夢を見ては飛び起きることが続き、ロロの方から恐る恐る申し出たのだ。

 ミレニアも、少しやり過ぎたかもしれない、と反省した部分もあったのだろう。何も言わずに了承し、ロロの気が済むまで好きにさせてやることにした。


「私の傍にいるなら、たまにはおしゃべりに付き合いなさい」


「……はぁ……」


「そうね……では、私と離れていた一週間について」


 少し悪戯っぽい光を宿したミレニアの瞳に、嫌な予感がする。ぎゅっとロロの眉間に皺が寄った。


「お前は、何が一番つらかった?」


「……今、この瞬間、御身の安全が確保されているかわからないこと。そう申し上げたと思いますが」


「それは、護衛兵として?」


 揶揄するように言われて、ぐ、と言葉に詰まる。

 ふふ、と笑い声を漏らしてから、ミレニアは歌うように唇を開く。


「ちなみに私は、お前の瞳をじっくりと眺めることが出来なかったことが一番辛かったわ」


「……はぁ……」


「お前がここに到着して、やっとそれを覗き込めたときは、とっても嬉しかった。……お前は?再会して、何が一番嬉しかった?」


「ですから、御身の無事が確認できたことが――」


「もう!それは既に聞いたわ!今日は、それ以外のことを話して」


 ぷくっとむくれて我儘を言う少女に、ロロは微かに表情筋を動かし苦い顔を返す。

 こんな子供じみた我儘を言う少女すら、愛しく思えてしまうのだからたちが悪い。

 視線をいつもの位置に落とした後、観念したように、小さく嘆息する。

 ――悪夢のような記憶が戻ってからは、どんなに小さなことでも、少女が口に出した我儘はなるべく叶えると、決めていた。


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