22、告白④
ぽかん……
思わず、ミレニアは間抜けな顔で固まる。
(え……今――え――!?な、なんて――!?)
「俺には、何もないっ……何も、出来ないっ……せいぜい、人より殺し合いにかけては慣れているくらいだっ……俺がアンタのために出来るのは、剣と魔法でその身を守ることくらいだ――!」
「え、ちょ、待って、え……えっ……?さ、さっき、何て言っ――」
「俺がアンタを命を賭けて守りたいと思うのは、初めて逢ったときにアンタに命令されたからじゃない……!っ、それくらいしか、出来ないから――それ以外に、惚れた女の傍にいる術がないからだ――!」
「ふ、ふぇっ!!?」
ボボボボッ
ミレニアの白い肌が真っ赤に染まり、一瞬で頬が燃え盛る。
ロロが、意識を覚醒させているミレニアを前にして明確に恋愛感情を吐露したのは初めてのことだった。
(ちょっと待って心臓止まる――!)
ドドドドドドッと凡そ鼓動が奏でて良い速度ではないスピードで心臓が脈打っている。痛いくらいのそれを持て余し、ミレニアは我知らず胸元の首飾りをぎゅっと握った。
ロロはミレニアの腕を解放し、苛立つように顔を覆って呻く。
「もう、訳の分からない理屈で手を離されるのはうんざりだ――!何千回だって言ってやる。何万回だって誓ってやる。俺の幸せは、アンタに傍にいることを許され、俺の全てをアンタに捧げることだ。俺の不幸は、アンタが本音を隠して『俺のために』といって俺から離れていくことだ――!独りで泣いて、苦しんで、強がってる姿はどうしても見ていられない――!」
脳裏に蘇るのは、”最初”の記憶。
今よりずっと、本音を隠して”主”としての顔ばかりを見せていた少女が、初めて弱さを吐露して、”我儘”を言ってくれた夜のこと。
そして――その”我儘”を撤回して、あっさりと”主”の顔で手を離し、温もりを失っていった夜のこと。
最期の時の笑顔は、見事だった。
激痛で、意識は朦朧としていたはずだ。クルサールの裏切りを前に、傷つき、混乱していたはずだ。血を失っていく恐怖と寒さに、震えていたはずだ。
それなのに――彼女は、微笑って見せた。
ロロを想い、ロロのために、”主”の顔で、微笑って見せた。
初めて出逢った日と同じ、その女神のような微笑みは――
――死の間際ですら、彼女の心に寄り添うことを許されなかった無情な現実を、ロロへとこれ以上なく突き付けた。
お前には決して頼らない――お前ごときに心配される謂れはない、と言われたようだった。
惨く苦しい、未知の”死出の旅路”を前にした恐怖を、ミレニアは決して吐露してくれなかった。
「怖い」も「苦しい」も「寂しい」も――全て”主”の微笑の裏に隠してしまった。
(ただ一言『ついて来い』と言われれば、俺はそれがどんな修羅の道だとしても、喜んで共に旅路を歩むのに――!)
守りたかった。どんな時も、どんなものからも、守りたかった。
奴隷の身であるロロが、女神に等しいミレニアへの愛を昇華するには、それくらいしか出来ないから。
「頼むから、執着してくれ――!俺が必要だと言って、永遠にどんな時も傍にいろと命令してくれ――!見返りなんか求めない。愛してくれなんて言わない。ただ、傍にいられればいい……!時々、気まぐれに振り返って、名前を呼んでくれるだけで、俺は、息が止まりそうなくらい幸せだから――!」
自分の命が、無価値だと思っているからこそ。
ミレニアの傍に控えるには相応しくないと、自覚しているからこそ。
――傍にいて、と少女が囁くその言葉が、どれほど尊く得難いことか、これ以上なく理解しているから――
「頼むから――っ……二度と、あんな寂しさを堪えた顔で、俺を遠ざけようとしないでくれ――」
”最初”のときから数えて何十年――今日の、この部屋でのやり取りまで、ずっと。
もう数えきれないほど繰り返されたやり取りに、ロロは深く慟哭する。
寂しい、苦しい――彼女の瞳がこれ以上なくそう訴えるのに、言葉で拒絶されるのはもううんざりだった。
涙を堪えて笑って、影で独り泣いている彼女から離れることなど、ロロには決して出来はしないのに――
「ルロシーク――」
ミレニアは真っ赤な顔でそれを眺め――口を、開いた。
「――――結婚しましょう」
「――――――は――?」
やけにきっぱりと、いつになく強い口調で告げられた言葉に、ロロが思い切り眉根を寄せて怪訝な顔で問い返す。
ミレニアは、頬を上気させたまま、キリリと強い意思を翡翠の奥に光らせて、堂々たる態度で再び口を開く。
「結婚しましょう。それがいいわ。そうしましょう」
「な――にを、言って――」
「お前は私のことを愛している。お前は生涯私の傍にいたい。――私もお前を愛している。私も生涯お前の傍にいたい。……この両者の望みをかなえるには、やはり、結婚が最適だわ」
力強く言い切るミレニアに、ひくっ……とロロの焼き印が刻まれた左頬が引き攣った。
「どうしてそうなる――!?」
「あら。逆に、どうしてそうならないの?理解に苦しむわ」
「っ……だからっ……!俺は、アンタの傍にいられるだけでいいんだ……!それ以上のことは望んでいない!」
「伴侶として傍にいてくれればいいのよ。いつものように視界の外で、影のようにひっそりと私の後ろに寄り添うのではなく、私の横で、私と一緒に生きればいいんだわ」
頬を上気させ、世の中の男を全て虜にするような極上の笑みをこぼす。
一瞬、その美しさに息を詰めてから、ロロは慌てて言い募った。
「意味が分かりません。俺は本当に戦う以外、何も出来ない無価値な男です」
「あら。そんなことないわ。いつぞや、お前は私を幸せに出来ないと言っていたけれど――お前は、そこにいてくれるだけで、私を幸せにするのよ」
「意味が分からない――!」
「それに、戦うだけ――って言うけれど。大陸最強の名を恣にしておいて、それだけ、とは随分な謙遜ね。無価値だなんてとんでもない。十分すぎる能力でしょう。――あのゴーティスお兄様が、蛇蝎のごとく嫌う私に交渉を挑んでまでものにしたいと思った男なのよ、お前は。本当に稀有な事なのよ?胸を張りなさい。……落ち着いたら、きっとまたお兄様から連絡が来るわね。……ふふ。絶対にあげないけれど」
ふわり、と嬉しそうに笑みをこぼすミレニアに、ぐっと息を詰める。
とろりとした蜜のように甘い空気が、部屋の中に漂い始めた。きっと、かつての紅玉宮の従者がここにいたら、「いつものことだ」と軽く顔を顰めて気配を消して退室したことだろう。
「何度水を向けても、『そういう次元じゃない』なんて言って決して認めなかったお前だもの。てっきり、ずっとそういう――恋愛対象として好きなわけじゃない、というスタンスを貫くのかと思っていたわ」
「な――」
「そうだとしても諦めてあげないけれど――でも、そうね。認めてくれるのなら、余計に諦められない。私やっぱり、絶対に、お前を手に入れたい」
「!」
ドキン、と胸が音を立てる。
それは――ロロが、ずっと、ずっと、いつだって欲しいと思っている言葉。
「勘弁してください――」
「どうして?いいじゃない。――大好きよ、ルロシーク」
「っ……頼むから――」
”女”を感じさせる蕩ける笑みと共に、飛び切り甘い声で名前を囁かれては、心臓が口から飛び出しかねない勢いで暴れ出す。
「もう二度と口にしません。忘れてください」
「嫌よ。絶対に忘れないわ。そして、何度でも言わせてみせる」
間髪入れず返され、ぐっと言葉に詰まる。
「頼むから目を覚ましてくれ……アンタは、俺みたいな男と一緒になっていいような存在じゃないんだ――」
「あら。一週間、お前の主張に従ってみたけれど、目は醒めなかったわ。――これから先、一生目が覚めないなら、もう、観念して一緒になってくれればいいでしょう?」
極上の笑顔で甘く囁きながら距離を詰めるミレニアに、のけぞるようにして距離を取りながら、ロロは熱を持った顔を持て余してごくりと喉を鳴らし、灼熱を飲み込む。
結局、白旗を上げて対話を強引に切り上げたロロが退室するまで、ミレニアの甘やかな責め苦が夜の司令官室でしばらく続いたのだった。




