21、告白③
「俺の……?」
「えぇ。――頭を冷やしなさい、と言ったでしょう?」
クス、と吐息を漏らし、そ……とミレニアはロロの頬から手を離す。
「お前は、少し、私と一緒にい過ぎなのよ」
「……?」
「この五年間、ずっと――いいえ。お前の”やり直し”た分まで含めるならば、何十年もずっと、毎日毎日、一緒にいたのでしょう?」
「はい」
「酷い扱いを受けていた奴隷小屋から買い上げ、枷を外した主だから――まるで、世界を知らない雛鳥が、生まれて最初に見るものを親だと思い込んで後を付いて回るように、私を慕ってくれたのかもしれないでしょう?」
「――!」
「これでも一応、最初に、お前の意志を無視して、無茶な命令をした自覚はあるのよ」
少しだけ困った顔で、ミレニアはそっと今まで誰にも打ち明けなかった心の内を打ち明ける。
それは、彼女に自覚はないだけで――”最初”の時間軸からずっと続く、彼女の魂に刻まれ続ける感情だった。
「どうしても、お前を手に入れたくて仕方がなかったから――絶対に、手放したくなかったから。自由を与える、なんて言って、その実、私は言葉でお前を縛った」
「お待ちください――」
「弱い心を分かち合う”家族”を得られず、寂しい想いをしていた当時の私は、”家族”にはなれなくてもいいからと――従者としてでもいいから、永遠にずっと傍にいてくれる存在になってほしいと、お前を手に入れた。買い上げられた奴隷という立場で、私に逆らうことなど出来ないのを利用して、お前の人生を自分の我儘で振り回したわ」
「待ってください――!俺は――」
「お前はとても優しいから、私をいつだって甘やかしてくれるけれど――一度、私の存在が感じられない場所で、己の人生を見つめ直してほしかったのよ」
今はもう、彼を苛んでいた悪夢のようなループは存在しない。
ミレニアを執拗に狙う死神の魔の手から逃れて、誰も予測が出来ない新しい時間を歩き始めているのだ。
「お前が言った通り、今の私には、たくさんの信頼できる仲間がいる。紅玉宮の古株も、かつての紅玉宮の従者も、今回の件で新しく私に忠誠を誓ってくれた者たちも。……クルサール殿が各地に派遣した司祭の力のおかげで、旧帝国領を出るまでは、予期せぬ魔物の巣が発生でもしない限り、深刻な戦闘を強いられることはないでしょう。――だから、ね。ルロシーク。……今だけ、なのよ。お前が、私と離れて、己の人生を見つめ直せる期間というのは」
「――――」
言葉を失い、縋るような目をしたロロの顔を覗き込む。
いつものように穏やかな微笑みを湛えた美貌には、ほんの少しだけ、寂しそうな色が翡翠に滲んでいた。
「何をするにも、世界を私中心に回してしまうお前だから――とても、心配なの。最初に、そう仕向けてしまったのは私だけれど……だからこそ、得難いチャンスでもある今のうちに、どうかきちんと考えてほしいと思っているのよ」
「待ってください――……」
「一週間では、足りなかったかしら。……それでは、もう少し延長しましょうか。さすがに、周囲の者に気を遣わせてしまうとわかったから、もう、今回のようにあからさまに振舞うことはしないけれど――そうね。お前を私の護衛の任からは外して、隊の中の配置も少し遠くへと――」
「お待ちください!」
言葉を遮るように、ガッとミレニアの細い腕をロロが掴む。
驚いたように翡翠が瞬いて、口が閉ざされた。
一瞬の沈黙が降り――ミレニアは、言い訳するように言葉を重ねる。
「お前が、私の安全が確かめられる位置でないと正気でいられないというなら、それはちゃんと考慮するわ。仮に再び隊を分けなければならなくなったとしても、私の隊へと組み込むと約束する。もう、あんな脅しのような言葉で、無理に命令に従うことを強要したりはしないから――」
「そんなことを心配しているわけじゃない!」
言い募るミレニアの言葉を遮って、ロロは再び声を荒げた。
びくり、と細い肩が驚きに小さく跳ねる。
「意味が分からない――……!」
「ぇ……?」
「アンタが、何をしたいのか、全く、わからない……!」
苦し気に眉根を寄せるのと同時、ぎゅ……と手首のあたりを掴まれた力が強くなる。
「な、何を……って……だから、少しお前が私から離れて、冷静に――」
「そんなものっ――!っ……今更わざわざ機会を設けられなくても、今まで、何十回と繰り返してきたっ!」
「ぇ――?」
吐き捨てるようにして告げられた言葉に耳を疑い、思わず聞き返す。
ロロは、苦悶の表情のまま、ミレニアの腕を掴んで口を開く。
「それこそ、”最初”のときから――アンタは、どの時間軸でも、毎度毎度必ず俺を、遠ざけようとする――!」
「え……」
「それが俺にとっての幸せなのだ、と訳の分からない理論で、毎度毎度、こっちの言い分なんか一切聞かずに、勝手に離れていく――実際に、年単位で、アンタと引き離されたことだってある!」
「そ――そうなの!?」
驚いて声を上げる。
さすがにミレニアも、今、ロロと年単位で引き離されるとなれば、抵抗を示すことだろう。
過去、そんな選択をした自分がいたことに驚いて、思わずロロを見返すと、ロロは苦し気に呻くように言葉を絞り出した。
「第一、何度俺がアンタから引き離されたと思ってる――!毎度、毎度、何度だって――俺を置いて、一人で死出の旅路に向かうくせに――!」
「!」
ハッとミレニアは息を飲む。
紅玉の瞳が、悲痛な光を湛えて、ミレニアを見つめた。
「アンタが死ぬ度に、毎度、絶望する――もう一度繰り返したところで、どうせまた助けられないんじゃないかと、こんな生き地獄を何度も味わうくらいならもう終わりにしたいと、何度も考えた……!帝都の、何の罪もない住民を地獄に叩き落してまで、己のエゴを貫き通す身勝手さに、自分自身で失望して、さっさと自分で命を絶って終わらせてしまえばいいと何度思ったかわからない――!」
ぎゅぅっと手首が握り締められる。
まるで、必死に縋りつくように。
「どんなにアンタと引き離されても――生きているうちの別離でも、死別でも――俺は、そのたびに、アンタを決して諦められなかった。その結果が、今、この瞬間だ――!」
「ロロ――」
「アンタが、自分の気持ちを整理したいと言って離れるなら、理解出来る――アンタの安全性が保たれるという条件下でなら、いくらでも距離を取ってやる。視界に入らず、言葉を交わさず、ただ、遠くからアンタを見つめるだけで我慢しろと言われれば、従ってやる。それで、アンタが、自分の幸せのために本当に必要なものが何かを見つめ直せるというなら、いくらでも、協力してやる……!」
ミレニアの細い腕を握り締めたまま、ロロの慟哭にも等しい絶望の声が続く。
「だが、俺の気持ちを整理するために離れろという命令には納得できない――!何度、どれだけ引き離されようが、俺の気持ちは変わらないっ……!天地がひっくり返ったって、そんなことは起きるはずがない――!」
「で、でも――」
「アンタは俺を遠ざけて、何がしたいんだ……!?顔も見たくない、傍にいるのも目障りだ、と言うなら、視界に入らないように気を付ける。気配を消して、口も利かない。アンタの人生に口を出すつもりもない。アンタはアンタのしたいことをして、俺のことなんか頭の片隅からも忘れ去り、人生を好きに謳歌すればいい。それじゃ不満か……!?」
「そ、そういうことじゃないの!そうじゃなくて――その、えぇと……お前が、あまりに人生の何もかもを私を中心に決めてしまうから――」
「それの何がいけない――!?」
「い、いけないというか……例えば、今のままだと、お前は自分のことを自分で決めないでしょう。どこへ行くにも、何をするにも、その瞬間私がどこで何をしているか、私が何を望んでいるかを考えて、己の行動を決めるなんて――」
「問題ない――!俺は、アンタの傍で、アンタの役に立つことが、何よりの生き甲斐だ――!」
「そ、そうは言うけれど……!それは、私がお前を奴隷小屋から買い上げたからでしょう!?恩義を感じるのはわかるけれど、そのせいでお前の人生から自由を奪うことになるのは、嫌なの――!」
「自由を奪われてなんかいない!俺は、俺の意志で、ここにいる。何度アンタとの別離を突きつけられようと、魔物と契約をしてでも、と願ってやり直した!自由に生きろと言われれば、アンタの傍で生きる。別の場所で生きることを強要されれば、抵抗する。何としても、アンタの傍で生きる道を探す。それが、”自由”を得た俺の意志だからだ」
「でもそれは――やはり、最初に私が――」
「何度説明されても理解できない……!それとも、アンタたち上流階級の人間たちの中では、男が惚れた女の傍にいたいと願うことは、そんなにもおかしなことなのか……!?」
「――――――――へ――……?」




