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【番外編】ファムーラ建国物語~お姫様が従者の奴隷根性を叩き直すまでの二年間~  作者: 神崎右京


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20、告白②

 五年前にロロが紅玉宮に来たころから二人を見ていたグスタフは、驚いて立ち上がり言葉を失ったミレニアに苦笑してから、「私は先に失礼いたします」と空気を読んでさっさと空いたポットとカップを持って退室してしまった。

 しん……と束の間の静寂が降りる。

 たっぷり一呼吸おいてから、ハッとミレニアが我に返って口を開いた。


「ど、どうしたのかしら。報告は明日でいいと言ったでしょう」


 廊下に膝をついたまま、じっと控えているロロに思わず近づく。


「顔を上げなさい。もう、”検証”は終わりと告げたでしょう。立ちなさい」


「は……」


 小さく呻くように返事をして、許しを得たロロはゆっくりと立ち上がった。

 ミレニアは足早に近づき、逞しい長身を見上げる。

 いつもの無表情が、透き通った美しい紅玉の瞳でミレニアを見下ろした。


「夜分遅くに申し訳ございません」


「それは、いいけれど……何かあったのかしら?」


 夕方に見えたときに、既にあいさつを終えていた。その際の、ミレニアに構わず就寝しろという命令を無視してまで来たのだ。何かがあったのかと不安になる。

 しかし、ロロは微かに眉間に皺を寄せて苦し気な表情を見せた後、ゆっくりと口を開いた。


「どうしても――我慢が、出来なくて……」


「我慢……?」


「この三日間――生きた、心地が、しなかった――」


 ぐっと紅玉の瞳が苦し気に眇められる。無骨な手が、無意識に胸元に伸びて、服の下の宝石を握り締めながら、苦しそうに吐息を吐いた。

 ぱちぱち、と翡翠の瞳が瞬くのを眺め、ロロはもう一度苦悶の表情で口を開く。


「申し訳ございません。不敬だと、理解しています。ですが――」


 ごく、と喉が音を立てる。

 苦しそうな吐息の合間に、懇願する声が漏れた。


「――お手を、触れても……?」


「へっ!?」


 飛び切り切ない声で言われて、思わずミレニアの頬に熱が宿る。

 言葉を紡ぐことが出来ず、こくこく、と頷いて答えた。


「っ――申し訳ございません。失礼します」


「ひゃ――」


 ぐ、と性急に腕を引かれたと思った次の瞬間――黒装束の胸の中にいた。

 バクバクと心臓が思い切り暴れて全力疾走を始める。


「ろ、ロロっ……!?」


「っ……生きて、いる……ちゃんと……温かい――……」


 ミレニアを腕の中に抱き込んで、存在を確かめるように身体に触れられる。

 ドキン、ドキン……と心臓が高鳴る合間に、ふと、一度同じような抱きしめられ方をしたことを思い出した。


(ぁ――東の、森で……)


 あれはきっと、ロロが”やり直し”の記憶を取り戻した直後のこと――

 気が狂ってしまうのではと思うほどの苦しみの果てに、正気を取り戻した瞬間、ミレニアを痛いくらいの力で抱きしめた。

 そして、今のように、何度も確かめるように、身体を武骨な掌が身体を辿った。


「良かった――……っ……良かった――!」


 はぁっ……と肺の中の全ての空気を押し出すような熱い吐息と共に、安堵の呻きが耳元で響く。


「だ、大丈夫よ。私はこうしてちゃんと生きているわ」


「っ……」


「ごめんなさい。心配をかけてしまったかしら」


「当たり前だろう――!」


 ぎゅっ……と抱きしめられる腕が強くなり、耳元で押し殺した声が響く。


「毎日――毎日、生きた心地が、しなかった――!道を行く途中で、もしも不意に壊滅した先行部隊が現れたらと――魔物に無残に食い殺されたアンタの亡骸を抱えて慟哭する光景を、何度も白昼夢として見た……!何度、気が狂いそうになったかわからない――!」


「ご、ごめんなさい……」


 押し殺した声に宿る剣幕に冗談の響きはない。

 思わず謝ってしまいながら――ミレニアは、バクバクとうるさい心臓を持て余していた。


(ろ、ロロが、緊急時でもないのに自分から私に触れるなんて滅多にないから――まして、こんなに強く、だ、抱きしめられる、なんて――)


 魔物に襲われて死ぬことはなかったが、このときめきのせいで今、死にかねない。それくらいの衝撃だ。

 

「頼む――頼む、もう、危険がその身に迫るような状況で、俺の視界からいなくならないでくれ――」


「ぇ!?」


「そのためなら、何でもする――アンタの傍にいるためなら、何でもする――!俺の全てを捧げると約束するから――だから、頼むから――今、この瞬間、アンタが息をしてるかどうかがわからないような状況で、俺を独り置き去りにするようなことは、もう二度としないと誓ってくれ――」


「ロロ――……」


「っ……」


 そっと名前を囁くと、ぎゅぅっとさらに腕に力がこもった。

 ドキン……と心臓が一つ音を立てる。


「俺だって、仲間を、信じていないわけじゃない……!ガント大尉は信頼に足る男で、何度もやり合った青布や赤布の強さは、誰より俺が一番知っている……!アンタが”神の奇跡”と言われたクルサールと同等の光魔法を使えることも、いざとなったら闇も光も二つの属性が使えるネロが傍にいることも――それこそ、本当の有事の際には、周りの奴隷たちが、戦闘員も非戦闘員も、須らく全員がアンタのために肉の壁になってでもアンタを助けようとすることくらい、知っている――!」


「――!」


「だが――そういう問題じゃ、ないんだ……!」


 ミレニアの肩口に額を押し当て、絶望に塗れた声が悲痛に訴える。


「アンタがいない世界では――どうやって息をしたらいいかすら、わからない――」


「……ロロ……」


 ふと、数日前のジルバの言葉が蘇る。


『どーせ、魔物が出たりしたら、アイツはまともに仕事なんかできやしない』


 あれは、このことを言っていたのだろうか。

 

 ふと、ミレニアは己を抱きしめる腕が、カタカタと小さく震えているのに気が付く。

 恐らく大陸一の武勇を誇るであろう男が、ミレニアを失うかもしれないと思い、恐怖に震えているのだ。


(ロロからは、”やり直し”た時間の話を、詳しくは聞いていない。初めて彼からその話を打ち明けられたときは、ゆっくりしている時間なんてなかったから、必要な事実だけを淡々と聞いただけだった。ロロの反応を伺う限り、思い出したくないような出来事があったんだろうと予想はしていたけれど――)


 どうやら、彼の心に根を張るトラウマは、ミレニアが想像するよりずっとずっと深刻なようだ。

 恐怖に震える背中に、そっと手を回す。

 そのまま、落ち着かせるようにゆっくりと撫でた。


「落ち着いて、ロロ。大丈夫。私はこうして、無事に生きているわ」


「っ……」


「そんなに怖かった?……それなのに、言いつけを守って、予定通りに行軍を率いてくれたのね。ありがとう」


 焦燥に駆られ、無理に隊の進軍速度を上げることも出来ただろうに、後方部隊が到着したのは当初の予定通りの時間だった。

 発狂しそうだった、とまで告げる恐怖の中でも、ロロが理性の糸を必死に手繰り寄せて、己の役目を全うしてくれた証拠だ。

 可哀想なほどに震える従者を労い、ミレニアはくるりと視線を巡らせる。


(リラックス効果のある紅茶は――先ほど、飲み干してしまったわね)


 ぎゅ……とミレニアの小柄な身体を抱きしめたまま動けずにいるロロは、きっと、心に深く根を張った闇に捉われているのだろう。

 一度ズタズタにされた心は、そう簡単に治らない。身体の傷と違って、目に見えないから、なおのこと厄介だ。

 ミレニアは少し眉根を寄せて考えてから、すっと掌をかざす。


 ぱぁっ……


「姫……?」


 周囲を取り囲んだ淡い光は、少女の魔法の欠片。

 ロロは、顔を上げて怪訝な声を出す。


「どうかしら。……光魔法における”治癒”の範囲は、かなり広いようだから、もしかして、精神にも左右するのではと思ったのだけれど――少しは、落ち着いたかしら?」


 抱きしめられたままの至近距離で、ロロの瞳を覗き込み、緩く笑みを湛える。

 もう、心臓がドキドキとうるさく騒ぐことはない。

 ただ、目の前の青年が愛しくて、彼の苦しみを取り除いてやりたくて――慈愛にも似た穏やかな感情だけが、ミレニアの胸を支配していた。


「っ……失礼、しました……」


 するり、とロロの腕が解かれる。

 光魔法に心の闇を晴らす効果があったのか、ミレニアの女神の慈悲を湛えた笑顔が効果的だったのかはわからないが、どうやら衝動的な心理的負担は軽減されたようだ。

 左下に視線を伏せて、そっと身体を離して礼の形を取る。


「いいのよ。それでお前の不安が取り除かれるなら、いくらでも抱きしめてくれて構わないわ」


「ですが――」


「いいの。……私は、お前に抱きしめられることが、嫌ではないのだから」


 ふわり、と笑んでミレニアはいつものように左頬に手を伸ばし、顔を上げさせるようにして紅い瞳を覗き込む。

 そして、ほんの少しだけ上気した頬で、嬉しそうに告げた。


「検証期間の一週間が過ぎたけれど――私、やはり、お前のことが変わらず好きみたいだわ」


「っ……お戯れを――」


「あら、どうして?……私、お前に抱きしめられたら、ドキドキしてしまうの。一週間、この美しい瞳が恋しくて仕方なかったわ」


「っ……」


「お前が私に対してはとても過保護で、有事の際に我儘を言われるのは、総大将という立場を思うと困ってしまうけれど――だけど、私個人としては、お前が私を大切に想ってくれていると実感すれば、浮ついてしまうのを止められない。ふふ……冷たく突き放したにもかかわらず、私に愛想をつかさずに、隊を離れずここまで来てくれたことが、何よりも嬉しいわ」


「愛想をつかす――など……そんなことは、あるはずが――」


「そうかしら。……一週間も離れれば、”勘違い”は醒めてしまう。そう言ったでしょう」


 きゅっと眉根を寄せて反論しようとしたロロに、苦笑してミレニアは告げる。

 紅い瞳が、怪訝そうに瞬いた。


「この”検証”は、私の気持ちだけではなく――お前の気持ちも、検証する期間だったのよ」


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