19、告白①
ロロの部隊が次の軍事拠点に辿り着いたのは、ミレニアと別れてからちょうど三日後の夕方――当初予定されていた行軍どおりのタイミングだった。
半日早く到着していたミレニアたちは、後方部隊が到着するのに備えて、既に拠点内の準備を整えていた。
軍馬と荷車、非戦闘員の乗った馬車が続々と到着するのを見ながら、ミレニアは目当ての人物を見つけて足を踏み出す。
「――待っていたわ。どうやら、被害は無いようね」
「!」
まさか、ミレニアの方から声を掛けられるとは思っていなかったのだろう。
ロロは驚きに目を見張ってから慌てて馬から降り、すぐに地面へと膝をつく。
「顔を上げなさい。”検証”期間はこの軍事拠点に着くまでだったわ。もう、終わりにしましょう」
ミレニアの言葉に少し戸惑った空気を出した後、それでも膝をついたままの従者にクス、と苦笑を漏らして、ミレニアは歩み寄り、そっと手を伸ばした。
「っ……!」
「顔を上げなさいと言ったでしょう。……ほら。いつものように、お前の美しい瞳を見せて?」
奴隷紋が刻まれた頬に手を添えられ、導かれるようにして上を向かされれば、言葉にならない感情が胸の内に渦巻き、暴れ狂った。
「姫――っ……」
「どうやら、言いつけ通り、ちゃんと命令を遂行してくれたようね。私の大切な者たちを、誰一人失うことなくここへ連れてきてくれたこと、感謝するわ」
微笑みを湛えて伝えると、ロロの瞳に灼熱が灯る。
――愛しい、とミレニアに向かって熱心に告げる、美しい瞳。
「今日はもう遅い。魔物との交戦はあったのかしら?どちらにせよ、早く戦闘員たちを休ませてやりたいわ。詳細な報告は明日でいいから、お前も早く食事をとって休みなさい」
「姫――!」
「お疲れ様。おやすみなさい。また明日ね」
道中、ミレニアたちの軍は、魔物との交戦があった。
とはいえ、やはり魔物の巣が発生していたというのは杞憂だったようで、大軍に押し寄せられると言ったこともなく、特に問題なく切り抜けることが出来た。
自分たちがそうだったとはいえ、後方部隊も同じとは限らない。
交戦があったかもしれないし、無かったかもしれない。自分たちよりも大軍だった可能性もゼロではない。
だが、何があったとしても、まずは結果が全てだ。
隊が無事で、欠員を出すことなく辿り着くことが出来たのだとすれば、その詳細報告は明日で良い。
魔物がいるかもしれぬ、と覚悟しながらピリピリと警戒して三日間行軍を続けた一行を、ミレニアはまず何を置いても休ませてやりたかった。
多くの言葉を交わすことなく、ミレニアはくるりと踵を返す。
その口元には、小さな笑み。
(よかった。――皆、無事に、たどり着けた)
心に押し寄せる、安堵の波。
将たるもの、一度下した自分の決断を後悔などしないと決めているが、それでもやはり心の奥底に蔓延る心配の気持ちはなくならない。
(ロロも――変わらず、私への愛着を持ってくれている)
久しぶりに――本当に久しぶりに、ロロの瞳を覗き込んだ。
相変わらず、吸い込まれるように美しい宝石のようなその輝きは、ついうっとりと時間を忘れて眺め入りたくなるから不思議だ。
最後に言葉を交わしたとき、あんな風に冷たく突き放したにもかかわらず、変わらずその瞳に灼熱を宿してくれるのが、嬉しい。
(やっぱり、何度見ても、私はロロのことが大好きだわ。あの瞳が、世界で一番好き。……ロロのことが、世界で一番、大好き)
ふっと誰にも気づかれないように顔を綻ばせる。
幸せがこぼれるような、小さく噛みしめるような、嬉しそうな微笑み。
(やっぱり、たった一週間離れたくらいで、気持ちが無くなるわけなんて、あるわけがないわ。――こんなにも、心から愛しているというのに)
彼の瞳をわずかな時間覗き込んだだけで、トクトクと心臓がうるさい。
鼓動の騒がしさを周囲に悟られぬように、ミレニアはそっと胸に手を当ててから、ほんのりと熱をもって赤らんだ頬を綻ばせ、軽やかな足取りで自室へと戻っていくのだった。
◆◆◆
とっぷりと世界が暗闇に包まれたころ、ミレニアは旧司令官室でグスタフが持ってきた書類に目を通し、何かを書きつけていた。
「……ミレニア様。そろそろ、お休みになられては」
ポットに残った最後の茶を注ぎ終えたカップを差し出しながら、グスタフは控えめに声をかける。
ハッと声を掛けられて初めてミレニアは顔を上げて外を見た。いつの間にか、随分と時間が経っていたようだ。
「もうそんな時間かしら?」
「はい。夕方に到着した者たちも、既に就寝しているようです」
ちらり、とグスタフは窓の外に視線を投げる。窓の奥にある兵舎は、戦闘員たちが寝泊まりしている建物だが、明かりがついている部屋は一つもない。
四人一部屋に押し込められれば、誰かが寝ると言い始めれば、それに合わせて消灯するためだろう。どうやら戦闘員たちに疲労がたまっているのは確かなようだ。
「そう。……ごめんなさい。私が寝ないと、お前も休めないわね」
「私の身体ではなく、ご自身のお身体をご心配なされませ」
慌ててペンを置いたミレニアに、白髪交じりのバトラーは呆れたように嘆息する。
決して体力があるとは言えないミレニアだ。無理をして体調を崩しては元も子もない。
「何のためのリラックス効果のある茶ですか。気持ちよくご就寝いただくためのものであり、決して気持ちよく仕事に邁進していただくためのものではありません」
長い付き合いの従者からの小言に、むぅ、と呻く。
確かに、既に寝支度まで整えて、後は寝るだけ――となってから、既にだいぶ時間が経ってしまった様に思う。
今日は全員疲れている。拠点の見張りをさせるため、と昼間に仮眠を取らせた者たち以外は、夜に仕事をさせるわけにはいかないため、今夜ミレニアに護衛は付いていない。
代わりに、グスタフが就寝までを見届けるつもりなのだろう。
「お疲れなのは、ミレニア様も一緒です。配下の者ばかりに気を配って、ご自身をないがしろにされぬよう――」
「わかった、わかったわよ」
エンドレスで続きそうな小言をあしらいながら、大人しく淹れてもらった茶を啜る。ふわり、と鼻腔を擽る香しい香りは、カモミールを多めにブレンドした心を落ち着かせるものだった。
(本当は、もう少しやってから寝たいけれど――駄目ね。グスタフに無理をさせるわけにはいかないわ。明日早起きして着手しましょう)
確かに、香しい匂いは、心を解きほぐして入眠を手伝ってくれそうだった。
ほ、と我知らず息を吐いて、もう一口カップに口を付けようとしたところで――
コツコツ、と控えめに扉が叩かれた。
「……何かしら」
「さて……緊急事態でも生じましたかな……?」
夜分遅くに司令官室の扉を叩く音、となれば当然警戒を強めざるを得ない。
さっと顔色を変えたミレニアを手で制すようにしてその場にとどめ、グスタフは足早に扉へと向かった。
曲者の襲撃――などということは考えられないが、念のため、ミレニアの位置を確認し、何があっても初撃ではミレニアを狙えない角度で扉を開き、己の身体で少女を庇いながら、応対する。
「おや……これはこれは……」
「グスタフ……?」
扉を開けてつぶやいた紳士の背中に、固い声を投げかける。
グスタフは、チラリとミレニアを振り返り、横顔で苦笑してから、ゆっくりと扉を大きく開け放った。
「ミレニア様。――貴女の騎士殿がいらっしゃいましたよ」
「!」
ガタッとミレニアは慌てて腰を浮かす。
扉が開け放たれた先――見慣れた黒いマント姿のシルバーグレイの旋毛が、廊下に膝をついて静かに首を垂れて控えていた。




