18、冷却期間③
街を離れ、お世辞にも綺麗に整備されているとは言い難い街道を馬車が行く。ベテラン御者であるファボットは、なるべく揺れない行路を見極めてくれているだろうが、それでもガタン、ゴトン、と時折身体が浮きそうになるほどの衝撃が伝わった。
あまりぺちゃくちゃとおしゃべりをしていると、舌を噛む――というのは、この車内の沈黙の言い訳でしかない。
ガタゴトと揺れる車内で、なんとも言えぬ沈黙に耐え兼ね、それを破ったのは、黒髪の少年兵だった。
「……で?あれで、本当に良かったのかよ」
「何のことかしら?」
「すっ呆けるなよ。……アンタの専属護衛兵の話だ」
む、と唇を突き出したネロに、クス、と吐息で笑みを漏らす。
「良かったも何も――そもそも、本来ロロの役割は専属護衛だわ。この道程だって、彼がこちらの軍に随行して、ガント大尉が後ろを担うのが自然だったでしょう。ロロの仕事は、私を守ることなのだから。……それを、彼の酷く個人的な下らない主張のために、編成を変えたのよ。ここで、またロロの個人的な我儘を聞くわけにいかないでしょう。……示しがつかないわ」
「それは……でも、アイツが言ってたことも、一理あっただろ?万全を期すなら、アイツがこっちにいた方がいいのは事実だ」
「まさか。……万全を期すならなおのこと、ロロは後方よ。こちらに組み込むわけにはいかない」
肩をすくめてミレニアは告げる。
ガタン、と車体が石を乗り越え、一つ大きく揺れた。
もしもロロが言った通りに、魔物の巣がこの辺りに突如発生していたとして、それに襲われたとしたら――そして、ロロが前方に組み込まれていたとしたら、後方部隊は被害甚大となる可能性が高くなるだろう。
「前方には、私もお前もいる。先の帝都侵攻を見るに、クルサール殿の力が込められた聖印は魔物を追い払うのに有効だった。ならば、前方部隊が被害を被ることはほとんどないでしょう」
「そりゃ……でも、クルサールのは、俺らの普通の光魔法じゃなくて、”神の奇跡”だし――」
控えめな反論を聞いて、ミレニアは苦い顔で押し黙る。
ネロをはじめ、ロロとクルサール以外の誰も、ミレニアの背中にもクルサールと同じ”聖印”が浮かぶことを知らない。
クルサールの”神の奇跡”が、本当は、並外れた光魔法に過ぎないことを知っているのは、この世で三人だけである。
そして――ミレニアも同等の光魔法使いであることも、同様に、伏せられたままだ。
(とはいえ、エルム教信者のネロにその辺りを説明するわけにもいかないし……)
クルサールに出来たことがミレニアに出来ぬはずがない――という論拠示すことが出来ないのだ。
「こっちにいるのは、非戦闘員を除けば、基本的に全員が地水火風の魔法使いなんだろ?無属性の白布ってやつは後方に全部任せたっていうから――」
「そうね。でも、私はクルサールから特別に強い力をもらっているから、安心なさい。お前と二人掛かりなら、なおのこと問題はないわ。……第一、ガント大尉は優秀な指揮官よ。赤布も黄布も、旧帝国の兵士よりも優秀な戦闘力を有していると、出立前に報告を受けたわ。私たちが光魔法を使うまでもなく、切り抜けられる可能性もある。私の指揮もあるのだから」
やや強引にネロの心配をねじ伏せると、一応納得してくれたようだ。
ミレニアは安心させるように微笑みを湛えて、言葉を紡ぐ。
「それよりも、心配なのは後方部隊よ。精鋭の青布を配備しているとはいえ、数が多いのは白布。そのうちの何割かは光魔法属性だと判明しているけれど、魔法の訓練をまともに受けたことがある者はほとんどいないから、付け焼刃でしかない。……帝都侵攻クラスの大群が押し寄せれば、白布の兵士は無傷ではいられないでしょう」
ふ……と静かに睫毛を伏せる。
脳裏に過るのは、あの悪夢のような夜に、無残に命を散らせてしまった、かつて白い布を身に纏っていたという鳶色の目をした少年奴隷。
「仮に後方でガント大尉が指揮を執ったとしても、個々の戦闘力が上がるわけではないから、被害を出さないというのは無理でしょう。最小限に抑えてはくれるでしょうけれど。……でも、ロロなら、別よ。あの天下無双の武をもってすれば、青布たちの強力な戦闘力と相まって、不可能を可能に出来る。……それくらいの、唯一無二の実力なのだから」
苦笑を刻んで、今この世に生き残っているという唯一の肉親ゴーティスを思い出す。
あの、ナショナリズムの塊で生粋の皇族たる振る舞いを崩さぬ元帝国元帥たる男が、己の信条を曲げてでも配下に奴隷を引き入れようとするくらいには、ロロは規格外の戦力なのだ。
「白布の中の光魔法使いは、魔法を覚えたばかりよ。魔物を前に動転すれば、襲い来る敵に向かって冷静に魔力を練ることが出来ないかもしれない。でも、安全な場所――例えば、内側に守られている非戦闘員たちが乗る馬車の上とか――から、落ち着いてロロや青布たちに治癒魔法をかけ続けるだけでいい、と言われれば、冷静に役目を果たせるでしょう。……極論、ロロをずっと回復させ続ければ、どんな大群が来ても乗り切れるわ。……最悪の場合は、周辺をロロの炎で無尽蔵に焼き払ってから、炎の障壁を後方に造り出して全力で逃げればいい。障壁から漏れて追いかけてくる魔物も、青布と、魔力を回復させたロロとで十分迎撃出来るでしょう」
「……すげぇ信頼だな」
「そうね。……帝都くらいなら、いとも簡単に火の海に沈められる男だもの。それくらいは簡単でしょう」
顔を引きつらせながら青ざめさせたネロに嘆息して、ミレニアはゆるりと窓の外を眺める。
「私は、私を信じてついてくると言ってくれた者たちを、一人も失いたくないわ。……だから、今の編成ならば、ロロは後ろにいてくれなくては困る。これは、ロロを誰よりも信頼しているからこその命令なのよ」
全ての情理をそぎ落として、総大将としての合理を優先すればとてもシンプルな結論を導き出す。
ただ、ミレニア個人の感情と、ロロ個人の感情が複雑に絡み合ったせいで、やり取りが妙に拗れたように見えただけだ。
(臣下に心配されるようでは駄目ね……私たちの個人的な問題は、あくまで私たち個人で完結させないと……今回の”検証”の方法は失敗だったかしら)
ここ数日のあからさまな”検証”を傍で見ていたからこそ、ネロやレティはこの馬車の中でしばらく沈黙を保っていたのだろう。
だが、だからこそはっきりと告げねばならない。
「私の優先順位は、いつだって私を慕い、ついてきてくれる者たちだわ。――私の命などという小さなものを優先するはずがない。より多くの者を救い、導くのに最適な方法を選択する。それだけよ」
ロロを引き入れれば、ミレニアの身の安全がより強固に保証されるとわかっていても――後方部隊に甚大な被害が出かねないならば、それを良しとはしない。
それが、ミレニアが従者たちに示す、明確な優先順位。
「……クルサールが、アンタを嫁にしたいって言ってた理由が、少しわかったよ」
ネロは軽く嘆息して肩をすくめる。
何一つ揺るがぬ翡翠の強い瞳は、きっと、『正しさ』を渇望するクルサールの心を捉えて離さないのだろう。
「でも、ロロが隊を離れるっていう選択をしたらどうするんだ?」
「まぁ。……あるわけがないわ。そう思わない?レティ」
「はい。あり得ないと思います。……ロロさんに限って、ミレニア様のお傍を自ら離れるなど、そんなことは、決して」
クスクスと笑いながら菫色の瞳を持つ友に声を掛ければ、レティは迷うことなく頷き、きっぱりと言い切る。
「街で半日休んでから出立する手はずになっているから――きっと、出立まではそれなりにうじうじと悩むことでしょうけれど。……でも、悩むと言っても、隊を抜けるかどうかで悩むわけではないわ」
「はい。……きっと、ミレニア様にお許しを頂くにはどうしたらよいのか、ミレニア様の言いつけを破りたくなるのを必死に堪えるにはどうしたらよいのか、そんなことを悩まれるだけです。――万が一、総大将の任を放棄したとしても、彼がやってくるのは、この隊の傍。ミレニア様をお守りするために、追い縋ってくることはあっても、王国に留まったり新帝国の勢力に合流したりなどはしないでしょう」
「ふふ……レティもだいぶロロのことがよくわかって来たのね」
「あれだけ、ミレニア様への並々ならぬ感情を一年も見せつけられれば、嫌でも」
クス、とレティも吐息だけで苦笑する。
ミレニアはもう一度窓の外へと視線を投げる。
「自惚れと言われるかもしれないけれど。――ロロが、自分から私の傍を離れるなんて、あるわけがないと思っているのよ。……だからきっと、今回だって、私の言いつけを守るはずだわ。そうしないと、私はロロが傍に控えることを許しはしないと言い切ったのだから」
「そうですね。……あのときのロロさんの絶望に満ちた表情は、ちょっとさすがに気の毒でした」
「ロロが悪いのよ。そもそも、私に”検証”なんてさせなければ、最初からロロをこちらの軍に組み込んで、別の編成を考えていたわ。”勘違い”だなんて、下らないことを言い出した罰だと思って反省すればいいのよ」
ふん、と鼻を鳴らしてミレニアは言い切る。ネロは、呆れた顔を少女へと向けた。
「まぁ、どちらにせよ、ロロも頭を冷やす良い機会でしょう。これから先、似たようなことはきっと何度か起きる。いつだって私の傍にべったり、という訳にはいかないはずよ。……私のために、仲間を信頼して私の傍を一時離れる、という選択が出来るようにならないと困るわ」
「それは、まぁ……そうかもしれないけど……」
「それにもし、何か、天変地異が起きるほどの天文学的確率で、ロロが心変わりをして、私への執着は勘違いだった、これからは好きなように生きたい、と言ってきたとしても――」
ふ、とミレニアは苦味の混じった笑みを漏らす。
車窓に映った己の顔は、少し情けない顔をしていた。
「――その時は、その時よ。己の不徳の致すところと、受け入れるまでだわ」
とてもそんな事態が起きるとは思えないが――そうするのが、主の務め。
(……なんて。……そんな綺麗事を言っていられるかは、その時になってみないと、わからないけれど)
もしも本当にそんなことが起きてしまったら、みっともなくミレニアの方が縋りついてしまうかもしれない。
行かないでほしいと、生涯ずっと傍にいてほしいのだと、泣きながら縋ってしまうとしても驚かない。
――ロロは、世界で唯一、ミレニアに”綺麗事”を忘れさせることが出来る男なのだから。
「……まぁ、無いでしょうね、そんなこと。もしそんなことになったら、私、土壁を作って閉じ込めてでも引き留めて、頑張ってロロさんを説得しますから。きっと、他の皆も同じです」
「まぁ。ふふっ……」
しれっとレティの呆れたような声が飛んで、ミレニアは静かに笑いを漏らす。何とも頼もしい援軍ではないか。
「さて。そろそろ、商隊が襲われたという地点に差し掛かるわね。街道に比べて逃げ道がない大橋も、もうすぐだわ。最大限警戒しておきましょう。――ネロ。いつでも対応できるように、気を引き締めておいてね」
「お、おぅっ……!」
キリリと顔を引き締めたミレニアにつられるようにして、パン、と気を引き締めるようにネロは己の頬を軽く叩くのだった。




