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【番外編】ファムーラ建国物語~お姫様が従者の奴隷根性を叩き直すまでの二年間~  作者: 神崎右京


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17、冷却期間②

「っ――!」


 絶望的な宣言を受けて、ザァっとロロの無表情が青ざめる。


「姫っ……!何故ですか……!?もしも、万が一のことがあったら――!」


「黙りなさい。この一行の総大将は私。決定に逆らうことは許さない」


 ぴしゃり、と冷静な声が飛び、ぐっとロロが言葉を飲み込む。

 小さく嘆息してから、ミレニアは軽く睫毛を伏せて口を開いた。


「確かに、万が一、億が一――最低最悪のことを想定することは大事だわ。お前の言う通りのことが起きないとも限らない。それは否定できない」


「では――!」


「だけど、仮にお前の言う通り、本当に昨日今日というタイミングで魔物の巣が発生して、かつて帝都を襲ったくらいの勢力を率いる魔物が誕生していたとして――そうだとしても、やはり、編成を変えるほどには至らない。そう判断したの。……決定は覆らない。さっさと自分の持ち場に戻りない」


「な――!」


 冷ややかな声に、一瞬絶句した後、ロロはさらにミレニアに詰め寄る。


「何故ですか――!?納得のいく説明をしてください!」


「どうして?」


 ひやり

 静かに返す声音は、氷を思わせる冷たさだった。


「総大将の私が、それがベストだと判断した。そして、正式に命じた。――いちいち、その背景を説明しなければ従えないというのかしら?」


「それはっ……ですが、事態が事態です!姫の御身に危険が迫る事態を前に、俺は――!」


「では、私の説明を聞いて、納得できなければ、お前は命令に逆らうの?」


「――――!」


 淡々とした口調と裏腹に、翡翠に宿る強い光は、女帝の誇りを宿していた。


「もしそうなら、今すぐこの一行から出て行きなさい。今が、魔物の大規模襲撃を控えた危機に瀕しているというのなら、なおのこと――隊の人間の命の危険が迫るほどの緊急事態において、命令系統を無視する者は秩序を乱すわ。混乱を招き、味方を窮地に陥らせる。……そんな男を、重要な役割に就かせることはもちろん、隊に組み込むことすら出来ない。今すぐ踵を返して帝都に戻るなり、この街に定住するなり、ゴーティスお兄様に重用してもらうなり、好きにしなさい」


 ゴーティスお兄様もそんな人材は要らないと言うでしょうけれど、と付け足してくるりと踵を返す。

 オロオロと状況を見守っていたファボットの待つ馬車へと足を進めながら、ミレニアは口を開く。


「ジルバ。次の軍事拠点で合流したら、金貨をあげるわ。私が間違っていたみたい。――どうやら、私は随分とその男を買いかぶっていたみたいね」


 ビクリ、とロロの肩が震える。

 追い縋らなければと思うのに、足が動かない。

 いつの間にか、視線は縫い留められたように地面に固定されていた。


「その男が使い物にならないようなら、ジルバ。お前が代わりに後続部隊を指揮しなさい。見事やり遂げたなら、金貨を三枚に増やしてあげるわ」


「……そりゃどーも」


 頬を歪めて皮肉気に笑う従者に命令し、ミレニアはファボットにエスコートされながら、レティとネロを引き連れて馬車へと進む。

 バタンッ――と鉄製の扉が閉まる音がして、ハッとロロは顔を上げた。


「っ、姫――!」


 反射的に、みっともなく追い縋る。

 冷ややかな少女の態度は、明確にロロへの失望を露わにしていた。

 だからこの行動は、より少女の心証を悪くするだけだとわかっていたが、それでも足が勝手に動く。バクバクと心臓が不穏な音を立てて暴れ狂っていた。


「頼む――頼む、俺は――俺は、もう、二度と、アンタを失えない――!」


 バンッと閉ざされた鉄の扉に手をついて、絶望に満ちた声で懇願する。

 陽光降り注ぐ温かな昼間にもかかわらず、全身がぐっしょりと冷や汗で濡れていた。


 脳裏をよぎるのは、気が狂いそうになるほど繰り返した、”やり直し”の記憶。


 美しい翡翠の瞳が、瞼の裏に永遠に隠れて。

 普段から雪のように白い肌が、血の気を失って真っ白に染まって。

 ぞっとするほど冷たい身体は、どれだけ揺すっても反応を返さなくて。

 歌うような美声を紡いだ唇が、二度と、開くことはなくて。


「”次”はもう――正気でいられない――!」


 気が遠くなるほどの年月の果てに、やっと、死神のしつこい魔の手から逃れられたと思ったのだ。

 もう、何が起きてもこれが最後だと覚悟を決めてやり直した、この時間軸で――それでもまた、ミレニアを失う運命だとしたら――


 今度こそ、絶望に膝をついて、二度と立ち上がれなくなる。

 何をしても、どれだけ時間を巻き戻しても、決して逃れられぬ運命なのだと悟ってしまう。


 悟ってしまったところで――少女を失って生きることは、出来ないのに。


「頼む――!俺に、アンタを、最期まで守らせてくれ――!」


 ミレニアを失えば、どうせ、生きていくことなど出来ない。

 ならばせめて――最期は、ミレニアを守る盾となって、死にたい。

 それだけが、ロロの唯一の望みなのだから――


「……お前の境遇は、十分理解しているつもりだけれど」


 ぽつり、とミレニアは馬車の中から静かに言葉を発する。

 ハッとロロが縋るように顔を上げた。


「それは、お前の個人的な事情であって、建国を目指す大多数の人間にとっては、関係ない。個人の感情や信条を優先して、大軍の方針を決めることなど出来ないわ。――私は、私に夢を託してついてきてくれる者たちの期待に応える義務がある」


「っ、ですが、貴女を失えないのは、一行に属する全員の総意で――」


「間違えないで。――皆が望むのは、私の命が守られること。……それを成すのが誰であろうと、関係ない。お前が守っても、ネロが守っても、ジルバが守っても。……関係ないのよ。結果だけが、全て」


 ミレニアは、扉に縋るロロを視界に入れることなく、前を見据えて座ったまま、毅然とした横顔で言葉を続ける。


「お前が、己の手で私を守ろうとするのは、ただのエゴよ。お前が積み重ねた、常人には理解しがたい経験とトラウマのせいで、頑なになっているだけ」


「だが、俺がこの軍で一番アンタを守れるのは事実だ――!」


「単純な戦闘力で言うなら、そうでしょうね。それは認めるわ」


 そこまで言ってから、初めてミレニアはチラリ、とロロへと視線を投げる。


「……何か、勘違いをしているのかもしれないけれど」


 石の冷たさを感じさせる翡翠の瞳が、ロロを映す。


「私は確かにお前を特別に思っていると告げたし、愛していると言ったけれど――私は、私を信じてついてきてくれた者たちのことも信じているし、大切に想っている。老若男女問わず、全員を愛しているわ」


「――!」


「彼らは全員、私が救い、導くべき民よ。彼らを誰より信じているし、彼らを一人残らず守らなければと思っている。私の肩に、彼らの人生が載っているの。……私が判断を誤れば、全員が惑い、命を無為に散らしてしまう」


「…………」


「先行部隊には、お前がいなくても、十分に魔物の襲撃を乗り切れるだけの戦力を集めているわ。とても優秀な兵ばかりだもの。私は、彼らの実力を信じている。……それなのに、お前は、彼らを信じるに足りないと言うの?冗談じゃないわ。あまり、私の大切な者たちを見くびらないで」


 ぐっとロロが言葉に詰まり、うつむく。

 ミレニアは小さく嘆息して、ゆっくりと瞼を閉ざした。

 長い睫毛が、白い頬に影を落とす。


「お前は偉そうに、私の気持ちが勘違いに過ぎないと――少し冷静になるように、と言ったけれど。……そのまま、お前に言葉を返すわ」


 すっと瞼が音もなく開いて、吸い込まれそうな翡翠がロロの紅い瞳を捕らえた。


「一度、頭を冷やしなさい。――それが出来ないなら、今すぐ隊を離れなさい。今のお前には、大事な隊の皆を任せることも――私の命を預けることも出来はしない。……ゆっくりと己の人生を見つめ、本当の心がどこにあるのかを見極めなさい。その結果が――私ではなくても、構わないから」


「――!」


 ハッと息を飲んでミレニアを見る。

 翡翠の瞳が揺れて――ほんの少しだけ、寂しそうな色を宿した。


「ひ――」


「安心なさい。お前がそうして己を見つめた結果、どんな結論を出そうと――無理に引き留めたりはしないわ」


「お待ちください!俺は――」


「ファボット。馬車を出して」


 御者台に声をかけると、はい、としゃがれた声がして、鞭の音が響いた。

 ギッ……と車体が揺れて、ゆっくりと車輪が回り始める。


「姫――!姫、お待ちください!俺はっ……!」


「おいおい、待ちな。さすがにそこらへんにしとけ」


 動き出した車体に追い縋ろうとしたロロを、ジルバが引き留める。


「離せっ!」


「そういう訳に行くか。嬢ちゃんからの命令だ」


 どんどん距離が離れていく車体に焦りを募らせ、手を振りほどこうとするも、今度はジルバも許してくれなかった。がっしりと掴まれた手が、主へと追い縋ることを阻む。


「お前に残された道は二つだけだ。――お嬢ちゃんに任された隊を纏めて任務を全うするか、ここで俺らとは道を分かつか」


「っ……!」


「それ以外の選択肢は用意されてない。――それが、我らがオヒメサマのご意向だ。お前ほどじゃねぇが、俺も嬢ちゃんにはそれなりに忠誠を誓ってる。お嬢ちゃんがこうだと決めたことを全うするよう動くのは俺の仕事だ。お嬢ちゃんの意図に反する奴を放っておく義理はない。あんまり我儘言ってると、全力で身体にわからせるぞ」


 いつも軽薄で飄々とした色しか宿さない瞳がギラリと輝いて、それが脅しではなく本気の発言であることを感じさせる。

 ぐっと言葉に詰まり、何事かを考え――ロロは、呻くように口を開いた。


「……隊に、戻る」


「そうかい。……後悔、しねぇか?」


「しない。――するはずがない」


 きっぱりと言い切ると、すっとジルバはロロを引き留めていた手を離す。

 いつもの無表情には、苦しそうな表情が乗っていた。


「あの方と道を分かつなど――出来る、はずがない……」


「……なら、ちゃんと仕事を全うしてくれ。次の拠点まで、お前が俺たちの大将だ。魔物の脅威に晒されるのは、嬢ちゃんたちの隊だけじゃない。同じ道を行く以上、俺たちも危険は一緒なんだ。……頼むぜ、大将。コイツは命を預けるに足る男だ、と思わせてくれよ」


 ぽん、と拳で軽く肩を押すように叩いてから、ジルバはくるりと踵を返す。先行部隊の連絡員とのやり取りをしに行くのだろう。


「姫――……」


 もう影も見えなくなった馬車が消え去った方角を眺めて小さくつぶやく。


『お前がそうして己を見つめた結果、どんな結論を出そうと――無理に引き留めたりはしないから』


 耳の奥で、少女の声が蘇って、絶望的な気持ちで空を仰ぐ。


(これは――想像以上に、参る……)


 眩しい蒼天が網膜に突き刺さり、ぎゅっと瞳を閉じる。

 眩んだ瞼の裏に、どこか寂しそうな翡翠の瞳が揺れていた。


「引き留めてくれ――頼む、から――……」


 もう、うんざりだ。

 彼女が覚えていないだけで――もう何十回と、彼女から無情に手を離された、絶望の記憶が、魂に刻まれている。


 自分から離れることこそがロロの真の幸せなのだ、と訳の分からない理論をもって、女神のような笑顔で手を離される、絶望の記憶。

 ”最初”の人生からずっと、何度も何度も繰り返された、気が狂いそうになる光景が、ミレニアの言葉で一気に蘇った。


(そんなに、過ぎた願いなのか――?)


 天を仰いで両手で顔を覆い、自問する。


 望みはただ一つ。

 どんな形でもいいから――ずっと、ずっと、傍にいたい。

 ただ、それだけ。


 愛を返してほしいなんて言わない。

 視界の外に置いてくれるだけでいい。

 無駄口は利かない。気配だって消して、存在すら感じさせなくていい。

 ないがしろにしてくれて構わない。道具のように扱われたって文句は言わない。

 彼女の幸せを邪魔することはしない。

 彼女の美しさを、高潔さを、この汚れた身が傍にいることで穢してしまうようなことはしないと誓う。


 だから――だから、せめて、傍にいさせてほしい。


 いつか、心臓が鼓動をやめて、呼吸が止まるその瞬間まで――笑顔で幸せそうに生きる少女を視界に収め続けることを、許してほしい。


 己の手でミレニアを幸せに出来る、などと思い上がったりしない。

 彼女が選んだ、彼女を幸せにしてくれる誰かと、彼女が笑顔でこれ以上なく幸福な毎日を送るその日常を――そっと陰から守ることが出来れば、それだけが、ロロにとっての、至上の幸福。


「離れる、なんて――出来るはずが、無いだろう――……」


 彼女は知らない。

 彼女の声も聴けず、顔も見られず、ただ毎日首の翡翠を眺めるだけで心を慰めて日々を過ごしたのは、これが初めてではないことを。


 その昔、一週間どころか、年単位で彼女から引き離されたその時も――彼女への想いは募り続けるばかりで、決して醒めることなどなかったことを。


(愛しているんだ――どうしようも、ないほどに)


 隊に戻れば、大将としての振る舞いを要求されるだろう。

 ミレニアの傍にいたいなら、そうせねばならない。

 ――それが出来ない男は傍に要らない、と明言されてしまったのだから。


 今すぐにでも馬を駆って馬車を追いかけ、魔物の脅威がなくなるまで、一番傍で守りたくなる衝動を必死に押し殺し、絶望に覆われた心を隊員の前で無表情に隠して振舞えるようになるまで、ロロはただそこに立ち尽くすしかなかった。


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