第五話 接触 3
□ □ □
公春が連れて行かれたのは森の中腹当り、丘の上に向かう小道の近くにある平坦な場所だった。拘束されてはいないが持ち物は没収されている。切株に座らされ背後に男が一人控えた。
少し離れた樹木の側で数人が話し合いをしている。言葉が全く分からないのでとにかく不安だった。じっとしていると堪らなくなってしきりと周囲を見渡す。
「キミハル」
<あ……。ノ、ノルテ……さん?>
呼ばれて振り向くと金髪の男が手に何かを持って近寄って来た。兜を外していて一瞬誰か解らなかったが、多分ノルテとかいう名だ。公春を捕獲したうちの一人で、全身鎧の方は多分クイントと言う。移動中、二人とも指をさしてしつこく繰り返していたので、恐らく間違ってはいまい。
<……>
公春は目の前に立った男の顔をまじまじと見つめた。顔というより髪の毛を。
(羽……)
ノルテの頭髪には羽が混じっていた。斑に見えた砂色の短い金髪は、よく見ると薄茶色の鳥の羽が混じっている。羽の付け根は隠れて見えず、満遍なく頭部全体に散らばって付いているようだった。
(飾りだよなアレ。変な髪型、手入れとか大変そう……)
「?」
頭髪に目が行っている公春に少し首を傾げたが、ノルテは手に持ったものを彼の膝に置いた。乾パン二つと薫製肉を一切れ、小さな白布を敷いて置く。没収していたペットボトルも差し出した。
<あ……>
あまりにも落ち着かない公春を見かねたのだろう。目が合うと、ノルテは軽く笑って公春の膝の上を示し口元へ運ぶ動作をする。
(食べて落ち着けって事か……)
公春は恐る恐る膝に載せられたものに手を付けた。
緊張気味に出された食事に手を付け始めた公春の様子を確認すると、ノルテは彼の背中を軽く撫で、話し合いの場に戻っていった。
ノルテとクイントが一人の若者を連れて戻って来た時、先に戻っていたアレシーフ達と周囲の者達は何とも表現しがたい顔で三人を迎えた。
「お前等……」
「不可抗力です」
「……です」
平然とするノルテにクイントも追従する。アレシーフはクイントの様子から何か感じるものがあったのかもしれないが追及はしなかった。
王子を中心にアレシーフ達が集まり偵察で得た情報を交換したのだが、問題はやはり連れてきた若者の扱いである。彼については実の所、話し合う事はほとんどない。情報を得ようにも言葉が分らないのである。出来る事と言えば、害意がない事を理解させた上で建物に案内してもらうぐらいだろう。
アレシーフ達の視線の先では、切株に座っている若者が大人しく出された食事を口にしていた。最初の挙動不審から比べれば、かなり落ち着いている。すぐ側には見張りも兼ねた世話役を一人控えさせていた。
「案内してもらうのはいいけれど、あまり暴力的な事は……」
青年が声を上げた。土地柄もあり無体な真似は避けて欲しかった。
「わかっております。しかし、言葉が通じないですから、多少は止むをえません……」
「……」
「軽い脅しというか、見せる程度ですよ。酷い事は一切いたしません」
「信用するよ……、アレシーフ」
色々思う所はあるが青年は一応納得した。
自分には理解不能な言葉で話し合う一団の近くで、公春はもそもそと食事をしていた。保存食なのだろう。乾パンの見た目はやや小ぶりな食パンだったが、硬さや食感は市販の乾パンに近く、味はかなり薄かった。薫製肉もかなり歯ごたえがあるが味は濃く、噛みしめるように咀嚼していると、炭とハーブが入り混じった香りが口の中に広がる。一緒に食べると意外とバランスの取れた味になった。
(水は必須だけど……)
返されたペットボトルに口を付ける。幸い中味はそのまま残されていたので、大いに助かった。
連れてこられた集団は公春が数えた限り総勢二十人。大体の学校は一クラスにつき二十人から三十人前後である。それを考えると結構な規模だ。
服装は中世かファンタジーの世界を再現する勢いだ。全身を覆う甲冑にマントで帯剣。荷物がまとめられている側の樹木の根元には、機動隊のような大きな盾が五枚ほど立てかけられている。明らかに集団から浮いている一般人親子と思しき三人の服装は、鮮やかだが装飾は控えめでデザインは現代に一番近い。鎧も武器も無いのはこの三人だけである。
全員が酷く汚れていた。武装集団の意味深な汚れも非常に気になるのだが、焼け出されて着の身着のままといった感じで、戦から逃げてきました。という風体だ。
公春は出来の良いコスプレ集団かと笑い飛ばしたかった。漂う雰囲気が重々しく逼迫したものでなければ。
ちらりと視線を別の場所に向ける。鎧を部分的に外されて二人が横たわっていた。ついさっき患部の処置をする所をたまたま目にしたが、あまりの酷さに顔を背けた。作りものや演技には見えなかった。
再びペットボトルに口をつける。
ひやりと彼の背を滑り落ちるものがあった。
(これって、アレなのかな。やっぱり……)
脳裡を過るのはすっかり一大ジャンルと化した小説作品群である。巨大になり過ぎたジャンルは、有名小説投稿サイトの分類を改めさせるに至ったのだ。
(ラッキーなの? アンラッキーなの? どっちだよコレ……)
当事者となった奇跡を喜ぶべきか嘆くべきか、何となく顔を上げた。青々と茂る木々の隙間から覗く真っ青な空。森の前の道路からは通り過ぎる車やバイクの音。近所の住人達の楽し気な井戸端会議の声。
(……)
一つの可能性が脳裡に浮かんで消えない。けれど考えない事にした。きっと答えを出さない方が良い。公春は目の前の色々に目をつぶった。
□ □ □
由美子は茂みに埋もれていた竹箒と適当に中味の入ったゴミ袋を見つけ、がっくりと肩を落とした。庭の掃除は中途半端で終わっており、あちらこちらに取りこぼしがあって、隅の方は手つかずの状態で丸々残されている。
「目を離した途端にこれだよ、もう……」
おそらく、自分が呼びに来る前に戻ってきて、掃除していた振りをするつもりだったのだろう。いないという事は遊びに夢中で忘れたのだ。全くどうしようもない。念のため向かいにある橋本商店さんを覗きに行ったら、結構前に買い物に来たと言うではないか。
「とりあえず説教か」
眉間に皺を寄せて息を一つ吐き出すと、息子を呼びに森へ分け入った。
□ □ □
乾パンと薫製肉を粗方腹に収めた頃、公春はノルテに呼ばれた。立たされると何処かへ向かうように背中を押される。六人の男が公春とともに歩き出した。
周囲を警戒しながら男達が歩いていくのは公春の自宅や社殿のある方向である。さもありなんと半ばあきらめ気味な彼は、前後を挟まれるように歩きながらふと思った。
(そういえば、いま何時だろう。もう昼にはなってるよな……)
持ち物は没収されているので時間を確認する手段は無い。感覚で何となく昼食時だと判断しているが、戻らなければサボリがばれてしまうだろう。
(母さん……、確実に俺を呼びに来るよな……)
ぞろぞろと連なる男たちを眺める。
連れてこられた当初より公春の恐怖感は薄くなっていた。彼等の緊迫感は変わらないのであるが、公春に向けられる視線は総じて軟らかい。扱いもどちらかと言えば丁寧だった。漫画や小説のような初っ端どん底展開もなさそうだ。
(どうしよう、この状況……)
<あ、あのう……>
公春が控えめに前を歩く厳つい男に声をかけた。移動前にアレシーフと名乗った男だ。
「何だ?」
歩調を緩めアレシーフが振り向く。
「どうした?」
<あのう……、多分確実に母が来ると思うんだけど……。ああー、コレ、どうやって伝えれば……>
公春は進行方向を示し自分達を示し、あたふたと手を彷徨わせた。身振り手振りを使っても確実に伝わらない。
「済まない。言いたい事があるのは分るが、君の言葉は分らないんだ……」
アレシーフが苦笑した。互いに伝わらない言葉で話し合っているのが笑いを誘う。
<ああ――、あのー……母さんが……。あー、ヤバイ、どうしよう……>
次第に挙動不審になってきた公春に、アレシーフが眉を寄せる。
「何かあるのか……?」
<――――っ!>
気づかわし気に公春の肩に手を置いた時、誰かの呼び声が男達の耳に飛び込んできた。
「散れ!」
<おわっ!>
アレシーフの指示に六人は無言のまま周辺の茂みや灌木へ素早く身を潜めた。公春もアレシーフに引きずられ茂みに押し込まれる。緩んでいた空気が一気に引き締まった。
<――――っ!>
<―み――る―っ!>
声は何度も繰り返され、下草をふみしめる音が近づいてくる。
<あ、あの……>
「しっ!」
小声で呼びかけた公春をアレシーフが制する。アレシーフの左手は腰元の鞘に掛かり、いつでも行動できるよう構えていた。慣れた声が公春を呼び続けている。感情が乗った強い声は耳にする者の心拍数を押し上げた。
<きみはる――っ!>
「……キミハル……」
呼び声を聞き取ったアレシーフが自分の横にいる若者を見つめる。公春は引きつった笑顔を浮かべた。近寄る誰かは容赦なく彼の名を連呼している。
周囲を見回しながら進行方向から現れた人物はゆっくりと、しかし確実に向かってきた。息を潜めている一行の緊張が高まった。
<公春――っ! きーみーはーる――っ! ご飯出来たよ――っ。あんたっ、掃除サボってんじゃないのっ!>
「キミハル……。気にしていたのはあの人か?」
<ああ、うん……>
やってきた人物を指さしてアレシーフが視線だけよこす。言葉が分らないなりに、知っているかどうか問われた気がして公春は素直に頷いた。
「そうか……」
数舜考え込んだアレシーフは公春を茂みから強く押し出した。
<わわっ! ちょっ、アレシーフさんヒドっ……>
茂みから勢いよく転がり出た公春が焦って声を上げるのと、音と声に後ろ姿が振り返ったのはほぼ同時だ。
<公春っ!>
<か、母さん……>
<あんた……、何だってそんなトコに隠れてんの?>
服についた汚れを払いながら立ち上がる公春に、母親が呆れながら近づいた。腰に手をあて大きく一度息を吐き出す。
<か、母さん、あのう……。これはその、ちょっと……>
状況について行けない公春は流されるまま口を開く。途端に母親のお小言が飛んだ。
<サボってんじゃないよ。あんたは全くもう。どうせ適当に誤魔化そうとか考えたんだろ>
<あはは……、ごめん母さん……。それで、あー、ちょっと相談が……>
脳内が恐慌を来し、焦るばかりで公春は自分でも何を言っているのか解らない。
母親の左後方、自分が出てきた低木の茂みからアレシーフが静かに立ち上がり、公春はぎょっとする。
<何? 言い訳は昼ごはんの後でたっぷり聞いてあげるから、楽しみにしてな>
胸の高さに上げられたアレシーフの右掌が翻り上下に数回揺れた。母親の背後、少し離れた位置にある草の茂みから男が一人姿を現す。
息子の様子に不信を感じ取った母親の視線が周囲を見ようと横にずれた。
<いや、ちょっと待って! あ、あの、大事な話があって……>
公春は咄嗟に大げさな身振りで自分に注意を引き戻す。
<何よ、それ。今ここでいう必要あるの?>
母親の後方右側の太めの樹木の影から一人。
<うん。ちょっとその……、聞かれたくないというか。あのー、本当にごめん。母さん>
同じく斜め後方、死角ギリギリの右横に近い位置の低木から更に一人。
<んー? 何なの? さっきから……>
息子の今一つはっきりしない態度に、母親の眉間に皺が寄り始める。
<母さん……実はさ……。あ、あのさ……怒らないでほしいんだけど……>
チラチラと意味ありげに目だけを動かし、公春は苦し紛れに笑った。不審な表情を崩さず背後を振り返った母親は、慌てて周りを見直した。
<は……、え? え?!>
身体を回し若干ふらつきながらも、唖然とした顔で息子に視線を戻す。
最後に、ゆっくりと公春の背後を固めるように二人が姿を現した。
<……!>
母親が声を失くし目を見開いて凍り付く。
甲冑に身を包んだ六人の男達が公春と母親を取り囲んでいた。腰元にある剣の鞘に分かり易く手を置いて。
「ご婦人、申し訳ないが、騒がないでくれると有難い」
静寂に包まれる森の中アレシーフの低音が滑らかに響く。
やはり、どれだけ耳にしても話している言葉は全く分からない。渋くて無駄に良い声だというのは分るが。
<ああ……>
小さく呻いた公春が、ここではない遠くを見つめだした。
□ □ □