第三話 接触 1
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一刻半(約三時間)程の休息の後、魔道騎士と道士達はゆっくりと目を覚ました。木々に遮られて太陽の位置は不明だが、陽射しの角度を見るにまだ朝の内であろう。王子達はまだ眠っている。やはり彼等の疲労の色は濃い。眠りを妨げぬよう、一同は静かに活動を始めた。
「まず初めに、皆に伝えておきたい事がある。昨夜行った道士の調査と王子の助言から、この森は小規模ながら聖域の可能性が非常に高い。域内では穢れに該当する行為は慎むように」
隊長の言葉に彼等は騒めき、動揺が走る。
自国では、他国にあっても神聖な場所はいかな理由が有ろうと、決して穢してはならぬと厳しく教えられるのだ。小石や草木から大気に至るまで全てに命が宿り、聖域はそれら命の中心地と考えられていた。聖域とは守り愛しみ大切に敬うべきなのである。
チラチラと互いに顔を見合わせては、皆一様に戸惑い微妙な表情を浮かべていた。アレシーフは顔には出さず心で頷く。自分も昨夜、同じ様に思ったので理解できた。
「あー……、皆の気にしている事は分らんでもない。だが、王子の言によれば、ここで起こした事ではなく、我々は逃れてきたので。まあ、大目に見てくれるだろう。との事だ」
それを聞き、一同の表情が緩んだのを確認すると話を進める。
「その上で……、可能な限り情報を集める」
アレシーフが斥候の情報を元に描かれた大まかな森の地図を全員の前に広げた。
引き続きティセラには衛生班として負傷者を任せた。先ほどまで見張りだった四人は休ませ、代わりに活動に支障のない軽傷者二人に動いてもらう。見張りに三名を残し、アレシーフを含む五名で偵察にでる事にした。
「クイントとノルテは建物のある側。俺とペスカード、カスカーダは道に沿った森の縁だ。森からは出るなよ」
図面に指を滑らせながら、それぞれの担当場所を指示していく。
「現在分かっている限りでは、この世界では術を使えない。従って隠形術は無しだ。現地人に悟られないよう細心の注意を払え。万が一接触を余儀なくされた場合は、可能な限り友好的に接する。騒ぎを避け手荒な事はするな」
一人が軽く手を挙げた。
「荒事が避けられなければ?」
「ならないように避けろ」
「流石に無茶ですよ。隊長」
「……その場合は、誤解を解き、相互理解を深めるため、慎重かつ丁重に御招待させて頂く」
「慎重かつ?」
「丁重に」
「分りました……」
質問した男は肩を竦めて手を下した。
次に、集団のすぐ後ろで話を聞きながら、軽食を口にしている四人に視線を合わせた。見張り役から解放された面々は少々眠そうだ。
「ティセラには悪いが、あいつ等が寝てる間はお前にここをまとめてもらう。どうにもならん時はソレルスを叩き起こせ」
「分りました」
ティセラが失笑する。
「いいな、ソレルス」
「へーい」
片手を上げたソレルスの軽い返事に、アレシーフは眉を片方引き上げた。改めて一同の顔を見渡すと静かに告げる。
「では、行動開始だ」
その場にいる十三名が一斉に動き始めた。
見張りが所定の場所に立ち、偵察隊の姿が視界から消えた頃、ティセラは地面に座ったり横になってうとうとしている四人に声をかけた。
「悪いんだけど、水を汲んでこれないかな? 湧水があるという話だっただろう」
自分の後ろに置いてある背嚢の中から、空の革袋を二枚取り出して彼等に渡す。厚いが柔軟性のある大型の皮袋は、内部加工で保存性を高めてある。
「飲み水以外が欲しい。人数の事もあって少し不足しているんだ。どれだけの期間ここに留まるかは分らないけど、当面必要な分だけでも確保しておきたい。休みたいだろうけど、その前に頼むよ」
「あー、俺は一応残る。隊長に言われてるし」
寝転がっていたソレルスが片手を振って真っ先に外れた。
大きく張り出した木の根に腰かけ、緩めたばかりの肘当てと膝当てのベルトを締め直しながら、別の一人が背後を振り返る。
「いいよなソレルスは。俺も寝てぇ。……ったく、じゃあ俺ら三人で。シンザ、案内よろしく」
「おう…………、まかせて。」
地面に座り、外した甲冑の部品を置こうとしていたシンザは渋々頷いた。軽く腹に入れた事もあり眠気が加速されているのだが仕方ない。外したばかりの部品を装備し直し、兜をかぶるが面頬は上げたままにする。道士の簡易な甲冑を少し羨ましく思った。魔道騎士達が身につけている全身甲冑は、部品が多く重さもあって着脱が面倒なのだ。
立ち上がって剣を腰に吊るすと、先に準備が整っていた二人と連れ立って歩き出した。
「じゃあ行ってくる」
「気を付けて」
「がんばれ~」
シンザを先頭に森を下って行く水汲み要員を寝転がったまま見送り、ソレルスはマントを体に巻き付ける。
「何かあったら起こしてくれ」
「わかってるよ。お休み」
少し離れた位置からティセラが緩く笑った。
すぐ側には負傷で意識の怪しい二人が毛布に横たわっている。一人は左肩口と右大腿部に傷を追い、もう一人は右腕全体に火傷を負っていた。二人とも処置はしているし命に別状ない。とはいえ、今の状況ではどう転ぶかわからない怖さがある。
苦し気な呻き声を上げた一人の額を濡らした布巾で拭った。
(本当に、ここは異界なんだ……)
鳥のさえずりや虫の声に混じり、人のざわめきやドラムに似た重低音が通り過ぎていく。森の中は静かだが、外では様々な気配が満ち溢れ活発に動いていた。音も匂いも漂う気配さえも、自分達が慣れ親しんだものとは違う。
ティセラは周囲を見渡した。
(僕等は、帰れるんだろうか……)
世界から切り離されたような気がして、彼の心に小さな波紋が広がった。
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「ちょっと、公春。ちゃんとやりなさいよ!」
「わかってるよ、やってるって!」
公春は慌てて竹箒を動かした。落ち葉や小枝を一か所にかき集めていく。こちらに背を向けて細かな雑草を鎌で刈っていたはずの母親が、いつの間にか鋭い視線を投げていた。
専門学校の夏季休暇が始まって早数日、彼は母親から雷を落とされた。日がな一日部屋でごろごろ、ネット動画とゲームアプリ三昧。時々メッセージアプリそして食っちゃ寝。怠惰ここに極まれりと言った生活態度に、早々母親はキレた。普段滅多に家業を手伝わないゆえに、ここぞとばかりに公春は社殿周りの掃除を命じられたのである。
公春の家は神社だった。本神を祀っている社殿と、関連する神を祀っているごく小さな社が二つある。一般的な小規模神社だ。規模に反して土地だけは広かったが。
休みは休むから休みなんであって、休まなかったらそれは休みじゃない。と内心で抗議しながら、表面上はさも真面目に務めておりますと言った風を装いつつ、しかし手元はいい加減だった。落ち葉や小枝、カラスの羽等を集めている割に、あちこちに細かい取り残しがあって微妙に片付いていない。
これからどんどん熱くなるのにやってられるか。
というのが公春の気持である。データ放送で確認した一時間ごとの天気は夜まで快晴であった。腰に下げたボトルホルダーからペットボトルを掴みだし、麦茶を喉に流し込む。早朝から始め、朝食をはさみ二時間ほどひたすら竹箒や落ち葉と仲良くしている。腕が疲れていた。
「公春ー……?」
「はいっ! 大丈夫です!」
ペットボトルを素早く腰に戻し、竹箒を派手に動かしては取りこぼしを集めてくず山に追加する。母親は屈んで除草作業をしているため、後ろの少し離れた場所にいる公春は全く見えていないはず。なのに測った様に飛んでくる鋭い声に、センサーついてんのかと口の中で再び毒づいた。
「何なら、向うをやってくれても良いんだよ。中々手が付けられなかったら、凄く助かるわ~」
公春に向き直り、つばの大きな日よけ帽子を被った母親はくっと顎をしゃくった。
「いえ! そのような大役、未熟な己にはとても……!」
情けない声と共に公春は大仰に身体を引いた。
「遠慮はいらないよ~」
「いえいえいえいえいえっ! 滅相もございません。勘弁して下さい! 本当、ごめんなさい! いまの仕事で十分満足しておりますです、はいっ!」
母親が示した目と鼻の先にはちょっとした林が広がっていた。いや、「元」林というべきか。現在は間伐を免れた木々が好き放題に育ち、下草は自由を謳歌しまくり、小さいながらも鬱蒼とした森に様変わりしていた。小規模のわりに土地だけ広い理由がこの「元」林であった。
以前は祖父母と両親で丁寧に世話をしていた。祖父母が無くなった後も両親と姉で管理していたが、父が腰を痛めて以降は余裕がなくなり、姉も就職して手伝えなくなった。そして手が入らなくなり今に至る。それでも、建物に近い場所は綺麗に草を刈り森の侵蝕を防いでいたし、二、三年に一度は業者を呼んで倒木の処理をしている。しかし、森を通る小道の手入れや人工の小川、二か所ある四阿は結構おざなりだ。下草も刈っていない。辛うじて世話が届いているのは森の中の小高い丘にある御神木の周りぐらいである。
「はあ……」
公春は無駄なあがきを止め、大人しく竹箒を動かし始めた。
更に一時間半ほど作業を続け最終的に四十リッター用ゴミ袋を二つ満杯にした所で、彼は周りを見渡した。社殿に続く参道や二つの社周りは片付いた。残るは社殿の裏手である。裏手には狭い庭があり件の「元」林へ入る小道もあった。母親から受け取ったゴミ袋はあと一枚。
公春は空を見た。雲が殆ど無いまさしく快晴である。陽射しが辛い。熱い。日陰に入りたい。「元」林は茂った木で陽が遮られとても涼しいのである。公春は奔放に育った森を案外気に入っている。ただ涼む以外にも親に隠れてイロイロする時などは中学時代からお世話になった。蜘蛛や蚊には困ったけれど。
母親は腰を痛めている父の様子見と昼食の支度をするために、少し前に家の中に戻っている。昼ご飯までは掃除を仰せつかっていた。ベルトに通してある小さなポーチからスマートフォンを取り出して時刻を確認。社殿の脇で竹箒を動かしながら、家の窓を気にしつつ裏手へ移動した。狭い庭を適当にはいて落ち葉を適当にゴミ袋に突っ込む。繁茂する下草の影にゴミ袋と竹箒を隠すと、公春は下草をふみしめ森の中へと歩き出した。
本文中に出てくる甲冑の面頬とは兜の顔を覆う部分です。