第二話 小さな森の中で
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二十人の集団は、夜のうちに目指す場所へ辿りつく事が出来た。
皆一様に泥や煤で汚れている上に半数以上がマントに剣と鎧姿、しかも酷く血塗れている。時代錯誤な身なりで正体不明の集団が列をなし、息を潜めて住宅街を移動する様は、一種異様な光景であった。が、眠りと目覚めが入れ替わる間の微妙な時間帯が幸いしたのか、運よく誰にも見咎められずに済んだ。せいぜい異変を察知した犬が唸ったり、驚いた野良猫が走り去ったくらいである。
整然と並ぶ建物群の中に突如現れた小高い森の影は、彼等の目には夜にあってなお暗い異空間の様に見えた。簡単な柵をまたぎ越して腰ほどもある草むらに足を踏み入れる。数歩のうちに平地は緩やかな斜面に変わった。外から見えにくい程度の浅い場所に全員を潜ませ、再び斥候を走らせる。
空はまだ夜を保っているが鳥の羽ばたきがぽつぽつと聞こえる。今にも遠くの空が白み始めそうで不安に駆られた。焦燥感が漂い始める中、比較的短時間で戻ってきた斥候達の案内で、一行は森の中へと分け入った。
森は小山と平地に分かれていた。平地側は適度に開墾されていて何棟かの建物があり、平地付近の森は手入れされているが、他は手つかずになっている。また、山の中を大雑把に廻るように走る細い道の側には、湧水のある場所が三か所程あり、それに合わせ人工の小川も流れている。山頂は狭いが開けた場所があり、子供の背丈ほどの簡易な祭壇と思しき建物と、近くに古めかしい藁縄が巻かれた大木が一本ある。
斥候からの情報を受け、集団は平地と山頂を避け、草をかき分けながら森の中を四半時(約十五分)程歩き続けた。小山の中腹よりやや山頂に近い位置で、平らに近い場所があった。一行はひとまずそこに腰を落ち着ける。
木々の合間には倒木や古い切り株が見えた。所々にこんもりと茂る低木や草の塊があり、視界が悪い代わりに比較的身を潜めやすい。側に小道が通っているのは気になるが、落ち葉や下生えで半ば埋もれており、最近使われた形跡もない。人が来ない事を祈るのみである。
「今日は、ここで一旦休もう」
付近の確認を終え、集団を指揮していた隊長アレシーフは足元に背嚢を下した。背後に向き直り指示を出していく。
「ノリス、ペスカード、ドゥナ、フルト。お前たちは見張りを。ティセラは負傷者の確認。道士達はもう一度確認をしてくれ。他の者は食事の用意。火は使うな、携帯ランプもだ」
灯りが欲しくなる気持ちを抑え、近距離で数人づつ固まっての食事。皆、黙々と保存食を口に運んでいる。アレシーフは王子と公の側に場所をとった。他の者もあぶれる事無くまとまっている。負傷者はティセラを中心にして、気がかりだった母娘と少年は、二人の騎士が呼び寄せて側に座らせたようだ。
一同にとって何かを口にするのは、王子と貴族を引き連れ『門』を目指して以来である。ただの水と味気ない保存食が、豪華な食事以上に極上で忘れ難い物になったのだろう。あちらこちらで、ほうっと緩んだ溜息が漏れ聞こえる。
いつの間にか周囲の闇が薄まっていた。人を何となく判別できる程度には薄れている。夜が明け始めたのだ。
「隊長」
「ノルテか」
ノルテたち道士三人がアレシーフに近寄る。彼らの表情を見るに芳しくはないのだろう。
「話は食事をしながらだ。みんなここに座ってくれ」
用意してあった水と食料を渡していく。アレシーフを囲むように三人は腰を下ろした。
「それで、どうだった?」
「使えない事はありませんが、苦しい事に変わりありません」
「光や火種を作る程度の小さな術が、短時間使える程度だと思います」
「結界や隠形は無理か。簡易な隠形術だけでも使えればよかったんだが……」
自然のある場所ならばと、多少なり期待していたのだが当てが外れた。アレシーフは顔には出さなかったが、声に落胆が滲む。
「この森は規模が小さいですし、ここに来るまでの感じでは周辺の木々や緑といった物は極端に少ないと見えました。術の行使に必要なだけの力を集めるのは、骨が折れますね」
「しかし、気力は希薄ですがこの森は他に比べて大気がかなり清浄です」
「それは多分、ここには「すごいモノ」がいるからのようだよ」
アレシーフの向いで樹木に背を預け、普段よりも噛みしめる様に食事をしていた青年が口を挟んだ。
「王子?」
「凄いモノ……ですか?」
青年は背にした樹木と対話していたようだ。食事が妙にゆっくりだったのはそのためだ。
「ああ……。凄いというか、大きい? 古い? 何だろう。今一つよくわからないんだけど、何か、彼等にとってのそんなモノがいるみたいだね」
ふわりと上がった左手が小道を指さした。草に埋もれた道が緩やかな斜面を蛇行気味に登っていく。その先にあるのは山頂だ。
「あちらの方にいるらしい。とても大切にしているようだ」
その場を囲む全員が、青年の示す方角を見る。
「小さな祭壇のような建物と、いわくありげな大木の場所ですね」
「では……、ここは本当に神聖な場所のようだな」
青年の右隣で水に口をつけていた壮年の男が呟く。集団の中では一番の年長だ。
「そんな場所なら、我々のこのナリは酷く不味いのでは……」
「散々殺りまくってきたしな」
道士達とアレシーフはそれぞれの格好を見やり、何とも言えない顔になる。泥や煤の他、全身いたる所が返り血塗れで異臭を放ち、酷いありさまなのだ。顔と手は拭ってあるが、不敬を通り越して穢れの塊である。
「ここでやった訳じゃないし、逃げてきたのだから、大丈夫じゃないかな。大目に見てくれるよ」
肩を竦めた青年に、アレシーフが控えめに尋ねる。
「ならば、『石』たちに食わせてやることはできそうですか?」
「んー……。それはどうかな。一応、彼らのいう「大事なモノ」と会ってからだろう。でもまあ、話せば分かってくれると思う。ただ……、ちょっと気になる事もある」
「気になるとは?」
「アレシーフ、今はそれぐらいで。細かい事は後だ。皆疲れている」
壮年の男が苦笑する。アレシーフは目の前の一同を見渡し、次いで周囲に視線をやった。
一行はささやかな満足を得た後、体を横たえ休んでいる。地面は石と木の根、落ち葉や下草が入り混じり寝心地は悪いが、横になれるだけでも随分違うだろう。
「ああ……。申し訳ありません王子。続きは後にして、休みましょう」
話しを切ると、彼等も眠るための準備をする。アレシーフは道士二人を連れてその場を離れると寝入りかけていた二人を起こす。同士と合わせて見張りを交代させた。役目から解放された四人を軽く労いながら食事を渡すと一様に表情を緩めて集団の中に戻っていく。
一方、ノルテが王子と公のために簡易な寝床を作ろうとしたが、二人は非常時だからと辞退した。何かを言われる前に、騎士達に倣ってマントで身体を包んで横になる。ノルテは戸惑ったがふっと肩を竦めると説得をあきらめて眠る事にした。
アレシーフが見回りに行くと、母娘と少年は完全に寝入っていた。三人は予備のマントで作った寝床で毛布にくるまっている。長い間恐怖と緊張を強いられた彼女らの寝顔には、自分達よりはるかに深く濃い疲労が窺えた。激しい戦乱から異界へ。巻き込んでしまった事を内心で詫びながら、子供達の頭を一撫でした。そうして一通り回り終えると、元の場所でマントに包まり横たわる。
朝靄にけぶる森の中で鳥のさえずりを耳にしながら、暫しの休息に身を委ねるべく、彼は静かに瞼を閉じた。
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2020/08/15 「皇子」表記を「王子」に修正。