最後の空中戦艦
大洋の上空に一隻の大型飛行船の姿があった。
飛行船が登場したばかりの頃は、その雄大な姿はもちろんのこと、力強い速力や積載量、航続距離といったメリットから民間のみならず各国の軍でも使用された。民間では旅客貨物問わず、大陸間飛行にも用いられ、軍では広範囲における偵察はもちろんこと、敵への威嚇行動、爆撃、洋上の船舶に対する機雷投下まで幅広く活躍した。そして飛行船時代とその地位は長く続くと思われていた。高性能な飛行機が次々と誕生するようになるまでは……。
民間ではそれでも細々と運用が続いていた。しかし、軍では今や偵察に使うことすら危険を伴うようになっていた。
飛行船は当時、戦時下を通して鉄道に次ぐ輸送機関としての地位を築いた。対する飛行機のほうは発展の余地が大いにあったのだ。当初こそ木枠に布張りだった機体はいつしか金属フレームと合板に変わり、そして今では全金属機体が標準的なものとなった。エンジンの性能が向上するたびに飛行速度も増していった。一方の飛行船は、ずいぶん前にその完成度は頂上に達していた。仮にエンジンを最高性能のものと取り換えたとしても、性能向上にはすでに限界があった。もはや運命は決まっていたのだ。
誇り高き帝国空軍の飛行船であった。偵察の任務を帯びていたが、その船体の近くをまるで鬱陶しいハエのように一機の水上機が飛び回っていた。もちろん、それは味方の機体ではなかった。
飛行船の艦長はなすすべもなく、その敵の水上偵察機が飛行しているのを見るだけであった。
「とうとう、バカみたいに大きなフロートを付けた水偵にすら、なすすべがなくなったか……」ため息まじりに呟いた。
そのとき、タタタっ! と乾いた音があたりに響いた。
外でオレンジ色の軌跡が飛んだのが視界に入った。銃座の機銃が火を吹いたのだ。ただ、曳光弾の軌跡は全く、敵機の通りすぎた後ばかりに向かっていた。
「射撃をやめさせろ! 機銃手に射撃中止と伝えろ!」
艦長は咄嗟に叫ぶように言った。
「射撃中止!」
「射撃中止」
指示は反復されて伝声管を伝っていった。
「弾の無駄遣いだ」艦長は苛立ちを含む声で言った。「それに相手を刺激するようなことを、自ら進んですることはない。まったく、早まったことをする」
その時、双眼鏡で左舷の外を見ていた副長が声をあげた。
「艦長、戦艦です」
他の見張り員も続いた。「その他、随伴する艦も視界にとらえました。戦艦一隻と、護衛の駆逐艦二隻と思われます」
「よろしい、その艦隊から目を放すなよ。思った通りだ。この水上偵察機はその戦艦から来たんだろう」
艦影は次第にかたちをはっきりと現した。
「間違いありません! 共和国の重巡です」
「万が一にも対空砲なんか撃たれたらひとたまりもない。できるだけ飛行高度を上げろ」
乗員たちの間でやり取りが交わされた。
「艦首上げ」
「発動機全速!」
艦長は敵艦隊を黙ってにらんでいた。
「それから無線で伝えてやれ。当方に攻撃の意図はなし、と。どのみち無駄なあがきかもしれんが」
直後、副長が叫んだ。
「艦長! 敵艦の主砲が動き出しました。どうやら砲撃の用意に入った模様です」
「なに?」
しばらく様子をうかがっていたが、その時は訪れた。重巡の砲が火を吹いたのだ。少し間があってから、船体後方の離れたところで砲弾が炸裂した。爆風に飛行船が揺さぶられた。
「時限信管か……」艦長は海図台にしがみつきながらつぶやいた。
「各員状況報告!」副長が伝声管に向かって叫んだ。
「主舵いっぱい!」
言葉短いやりとりが伝声管を行き来し、連絡員が船内をあわただしく動きまわった。
「機関全速!」
「高度を維持せよ」
「船体異常なし!」
「気嚢袋圧力異常なし!」
さいわいなことに直撃や至近弾とはならず、被害はなかった。
「きっと連中は、我々を馬鹿にしてますよ」
艦長のそばに立っていた副長がぼそりと言った。
「トリムの安定を維持しろ」艦長はその言葉に構わず指示を出した。「機関は半速を維持。それから指令部に無線報告。艦隊の動きは定例演習と思われる。この海域からはさっさと離脱する」
「少なくとも速力なら、戦艦相手でも負けてませんからね」
副長は乾いた笑みを一瞬見せた後、再び双眼鏡を海上の艦隊へ向けた。
「だとしてもまったく、時代は変わったな」
艦長は遠くを見つめて、昔を懐かしむように言った。「かつては空中戦艦とも呼ばれたもんだが、偵察任務すら危ういものになった。これではまるで、艦砲射撃の的のようだ。それで逃げ足だけは速いときたら、これはもうお笑い草だな」
飛行船は反転すると高度を上げて、もと来た航路を反対に進みはじめた。
タイトルだけ見れば、SFっぽくも思えますが懐古主義。
本来はラレイユシリーズにおける短編として考えていたものなのですが、アイデアのままずっと眠っていたので無国籍風ショートショートとしてリペアしたものです。