第9話 お次はどこへ行くのやら
不思議な存在感を放つ長老のおばあさまと話をしたあの後、長老の家から戻ってきた僕らは村の人たちにおかえりなさい! と出迎えられた。おそらく、キノコ町に出稼ぎに行った大工さんたち以外のほとんどの住民が、その場に集まっていたと思う。僕がキノコ町では有名な似顔絵描き(それも実力云々以外のところで)だということがいつの間にかバレていたのだ。たちまち僕の前には、行列ができ始めた。うわ、結局こうなるのかと思いつつも、一応手に職が付いていたということが僕にとっては何よりの強みでありがたいことだった。
「お、商売繁盛だな!」
その様子を見ていたシシゾーが、面白がって茶化した。しかも、自ら率先して、はいはーいお次の方はこちらへ、なんて行列を仕切り始めている。調子いい奴だな、と最初は思ったけれど、徐々にそれが効率的で助かるものだということに気づき始めた。そうだ、キノコ町でもこうやって行列の整理をしてくれるひとがいたら!
とはいえ、ここは山あいの村で、しかもいつもより地元のひとたちが少ない。行列といっても、そこまで大げさなものではないか。……って、そもそも僕はプライベートの休暇で来たんすけど!
「イノ、商売には愛想が大事だぜ。スマイル、スマイル」
不意にシシゾーに耳打ちされて僕はハッと我に返った。いつかシシヤマさんに言われた、「好きでやってる商売なんだろう?」という言葉も同時によみがえってきた。そうだ、描かせていただくのは僕の方なのだ。
「みなさん、ありがとうございます。時間の許す限り、お引き受けします」
どうしても緊張が先に立ってしまいがちな心を奮い立たせて、自分なりに精一杯の笑顔で僕は振舞った。少しずつ筆の感覚も戻り始めていたので、いつものキノコ椅子よりちょっとお尻が痛いけど手ごろな石の上に腰かけて、僕は軽やかに手を動かしていった。
僕の横ではシシゾーが、はい毎度ありー、またどうぞごひいきに、なんて言いながら代金を受け取っていた。こういう役割は、やはりシシゾーの方が僕よりも向いている。
少し離れた場所から、こんにゃくおじさんがニコニコしながら僕らの様子を見守りながら、隣に立つトメさんと何やら楽しそうに話していた。
日が暮れてしまうまでの間、僕は一心に似顔絵を描き続けていた。
結局この日も僕らは、こんにゃくおじさんの「カリヤド」に一泊させてもらうことになった。翌朝旅立つ時、親切なおじさんは旅先で食べるようにと、僕らにこんにゃく入りおにぎりをいくつも持たせてくれた。労働の代金を払ってくれた上に似顔絵を注文してくれて、おまけにこれとは。僕もシシゾーも、何度もお礼を言った。
「君たち、実にいいコンビだね。この先ふたりで一緒に、何か商売でもできるんじゃないかね」
「え、そうッすか? 何がいいかなあ」
気の早いシシゾーは、そう言われただけでもう未知なる将来へと思いを馳せている。確かに、シシゾーがそばであれこれ仕切ってくれたおかげで、昨日の似顔絵描きはとてもスムーズだったな、と僕は思った。
「秘境の温泉とか言ってたけど、あいにく俺はあまり詳しくなくてね。近くまで行ったら、地元の住民に聞いてみるといいよ」
「あざっす!」
やれやれ、一時はどうなることかと思ったグルメ旅だけど、意外となんとかなるものだ。それもこれも、この優しいおじさんのおかげだ。僕はもう一度、おじさんに深々とおじぎをしてカリヤドをあとにしたのだった。
湖沿いの街道を、今度はカリヤドとは逆方向へ、湖を右手に見ながら進んでいくことにした。延々と細長い湖の中央には細長い中洲があって、その先に何か意図的に造られた何か、のてっぺんが水面からちょっとだけ突き出ていた。
僕らの左手には、なだらかな山並みが広がっている。人気のレストラン「イモガランテ」から、どこをどう間違えたのかこの山並みを越え、この湖の街道沿いに出ていたのか。あの時は夜中で周りがよく見えていなかったけれど、もう少し間違えていたら湖に足を突っ込むところだった、と今さら気づいて僕は青ざめた。
それにしても、行けども行けども湖、である。一体どこまで続くのだろうか。シシゾーもそろそろ飽き始めているのでは、と様子をうかがうと、彼は木の根元にしゃがみこんで何事かゴソゴソ動いている。
「イノ、キノコ見つけたぜ。これ、後でどこかで料理してもらおう」
彼の両手には、いつの間にか抱えきれないほどの何種類ものキノコがいっぱいだった。
「たっぷりの油でさ、アヒージョにしてもらったらきっと美味いぜ。お酒と一緒にさ」
「あ、それいいかもね」
何気なく同意したその直後……突然、シシゾーが大声を上げた。
「あーっ! 忘れてた!」
「えっ、何を?」
「あれだよ、あれ!お前も大好きな」
それって一体、と僕は首をかしげ、少しの間考えた後ハッと気づき、お互い顔を見合わせて叫んでしまった。
「プリンセス・サトコー!!」
なんということだ。あの森のレストラン「イモガランテ」でシシゾーが衝動買いしたイモガラ酒「プリンセス・サトコ」のセットを、こんにゃくおじさんの店にまるまる置いてきてしまったのだ! 元はといえば、それのせいで僕らはあやうく野宿しかけるところだったというのに!
「ちょ、どうするんだよシシゾー! 今からじゃもう引き返すにも遠いよ」
「どうするって、そりゃ……」
シシゾーも多少は罪の意識を感じたのか、一瞬言葉に詰まった。と思いきや、彼はあっけらかんとこう言い放ったのだ。
「まあ、いいや。おじさんが代わりに飲んでくれればさ」
「何のん気なこと言ってるんだよ」
これには普段温厚な僕もさすがにキレかけた。悪い悪い、とシシゾーは頭をかきながら無邪気に笑った。
「でもさ、それくらいあのおじさんには世話になったんだし、いいんじゃね? 誰かのためになるんだったらさ」
ぐぬぬ、と僕は口ごもった。そう言われてみれば確かにそうかもしれない。それに何より、今は多少なりとも持ち合わせがあるおかげで、僕も心の余裕を取り戻し始めていた。全くゲンキンなものだ。
「イノ、秘境の温泉ってどこにあるか知ってる?」
さっき採ったばかりのキノコをかじりながら、シシゾーがのん気に尋ねた。
「僕もほとんど知らないんだ。イモガラ山のふもとのもっと奥にある、としか」
僕は自信なさげに答えた。いつだったか、僕のお世話になっているキノコ町の巡査・イノガタさんのお宅でみんなと一緒に見ていた番組で、大人気のお笑いトリオ「イノシシ探検隊」が訪れていたのが、これから僕らが行こうとしている秘境の温泉だったのだ。
ようやく、湖の端までたどり着いた。ぐるりと湖に沿って迂回して、今度は湖の南側へ回ると、つい最近建てられたばかりらしき看板が目に留まった。「この先 花咲くキノコ発見の地」とある。
「花咲くキノコ」──それはかつて、知る人ぞ知る幻の存在であった。キノコの専門家であるウリ山博士は、長い間ずっとこのキノコについて調査を進めてきた。そこへある日、シシゾーの何気なく拾ったキノコが、思いがけずそのキノコの可能性があるということで一気に話が進展し、シシゾーはもちろんのこと、なぜか僕までそのキノコを探す旅に同行する羽目になって……あの出来事は今でも、昨日のことのように鮮明に覚えている。そうか、こっちの道を行くとそうなのか。
けれども今は、そっちに寄り道するわけにはいかない。何しろ、どこにあるのかもよく分からない地を訪ねるのだから、時間に余裕を持って行動しなければ。そうだろ、シシゾー、と振り返るとそこにシシゾーの姿はなく、あわてて辺りを見回すともう数メートル先まで進んでいた。しかも、たまたま通りかかったひとに臆せず話しかけているところだった。
「こんちは! あの、この先に秘境の温泉ってありませんかね?」
「秘境の温泉? ……うーん、聞いたことある気もするけど、場所はよく分からないねえ」
「そっすかぁ。そこへ行くには、トロッコに乗ったりするんすか?」
「トロッコ? ……あれはもう、鉱山が閉まってからは走ってないんじゃないかな」
「ええーそうなんすか! あざっす」
ペコリと頭を下げると、シシゾーが僕の方へ小走りで戻ってきた。
「イノ! トロッコ、もう走ってないかも、だってよ」
「でも、トロッコじゃなきゃ行けないとか、まだ分からないよね」
それもそうだな! とシシゾーは、また別の通りがかりのひとを見つけて元気に話しかけた。しかし、思うように情報は得られなかった。その通行人は、トロッコという単語を出すと、瞬時に表情を曇らせ、「トロッコかあ……あれはちょっとなあ……」と言葉を濁したのだ。何か良からぬことでもあったのだろうか。僕が若干の不安を覚え始めていると、シシゾーがまた別の通行人を見つけた。
「すいませーん! この先に、トロッコに乗れるところってありますか?」
えっ、微妙に質問がズレてる気がする、と思ったけれど、シシゾーがとても一生懸命なので僕はやんわりと助け船を出すことにした。
「あの、僕ら秘境の温泉ってところに行きたいんです」
「えっ、秘境の温泉?」と、その眼鏡をかけた旅人は少し気難しそうな顔をして言った。
「今のところ、あすこへ行くのは大変そうだよ。こないだ、あの温泉へ行くための吊り橋が壊れてしまったらしいんだ。残念だけど、君たちも諦めた方がいいんじゃないかな」
そのひとはいかにも残念そうに、それじゃ、と立ち去っていった。
あっさりと希望を打ち砕かれた僕たちは、顔を見合わせてしばらくの間言葉を失った。急に疲れを覚えて座り込み、どうしようか、と僕が途方に暮れていると、
「イノ。とりあえず、これ食えよ」
ぽん、と手渡されたのは、さっきこんにゃくおじさんが作ってくれたおにぎり。運のいいことに、すぐそばに湧き水もあった。とりあえず、今は休憩する時だ。
「むぐむぐ……うん、美味かった!」
シシゾーはあっという間におにぎり3個をたいらげ、湧き水をがぶがぶ飲んで満足そうに息をついた。この男、何も考えていないように見えて、実は意外と的確に先を読んでいるのかもしれない。
「シシゾー、せめて温泉の近くまででも行ってみないか? もともとこの旅には大きな目的もないんだし、気ままでいいじゃないか」
我ながら何だかシシゾーに似てきたかな、と思いつつ、僕はそれとなく提案してみた。
それを聞いたシシゾーはハッと顔を上げ僕を見つめると、パアァと顔をほころばせた。
「いいなそれ! いいじゃん、そうしようぜ! 壊れた吊り橋を見に行って、トロッコを探しに行こうぜ」
もはや何がしたいのかよくわからなくなってきたけれども、それもまた旅の醍醐味だな、と僕は思い始めていた。