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イノシチ 旅に出る  作者: 宮本小鳩
8/20

第8話 出張絵描き、そして長老との出会い

 


 さて、再び舞台はモミジ村外れの「見守りの岬」灯台。

 休憩中、たまたま付けたテレビでなんと、僕らの知り合いであり今大人気のライター兼賢者評論家・シシヤマさんの記者会見が生中継で放送されていた。

 普段はライターを仕事としている彼が、〝賢者のたしなみ〟を提唱し世に広めたことがきっかけで、たちまち空前の賢者ブームが湧き起こった。徐々に彼はテレビや雑誌への登場が増えてゆき、近頃満を持して著書『猪突猛進にはこだわらない~賢者のたしなみに学ぶイノシシのあり方~』を出版、これもベストセラーとなっている。

 記者会見の内容は、その著書を原案とした新作演劇の脚本をシシヤマさんが手がけることになり、出演者など詳細は未定であるが、そのお芝居はあの由緒ある「旧・王室劇場」にて上演されることが決まった、というセンセーショナルなものであった。

 最終的には、興奮した記者たちが次から次へと質問を繰り出し、シシヤマさんがちょっと苦

 笑いしながら「とりあえず自分はしばらくお休みをいただきます」と宣言して記者会見は終わった。

「ふふ、やっぱりイノシシはイノシシだねえ」

 おかしそうにこんにゃくおじさんが呟いた。

「また少し、太ったわね」

 と、サツキさんも小さく笑みを浮かべて言った。からかうような言葉とは裏腹に、その横顔はどこか慈愛に満ちて、優しげだった。

「うーん、なんかよくわかんねえけど、すげえな!」

 シシゾーが、本当にわかってないんだなとしか言いようのないコメントをした。

「正直、ちょっとうらやましいわよね」とサツキさんが言った。

「このお芝居、見に行ってみたい気もするけれど」

「僕も行きたいです」気がつけば僕も、そう口走っていた。

 だがしかし、そのためにはチケット代を稼がねばならないという問題が目の前にそびえ立っていた。何しろ、今の僕には観劇をするような余裕など到底なかった。アテにしていた仕事が当分できなくなってしまったのだから。と言いつつ、なぜか親友とのんきな旅に出ているのもよくわからないが……急に現実に引き戻された気がして、ついため息が出てしまう。

 とはいえ、僕には一応似顔絵描きの一面もある。完全独学亜流だけど、それなりに個性的だという自負はある。いつかシシゾーが「美味そうだ」と表現してくれたその言葉が、思いのほか長い間僕を地味に勇気付けてくれているから。……って、何を考えてるんだ僕は。

 多分、シシゾーは自分じゃそんなこと覚えてやしないんだろうな。いつもの勢い任せでつい口走った迷言かもしれないし。いや、でもコイツは本当にいい奴だから悪気はない。ない、と断言できることが時に相手をイラッとさせるけれど。

「そういえばおじさん!」

 不意にシシゾーが大きな声で話しかけた。

「このイノシチ、実は似顔絵描きなんすよ! キノコ町ではちょっとした有名人で」

 ひえっ、いきなり何を言いだすかと思えばこの微妙なシンクロ率ときたら。

 ほほう、と感心したような顔で、こんにゃくおじさんが改めて僕の顔を正面からじっくり見つめてきた。非常に恥ずかしく照れくさかったが、僕も頑張っておじさんの顔を見つめた。こんなこと言うのも失礼かもしれないが、おじさんはお年の割につぶらで可愛らしい目をしていた。

「イノシチくん、似顔絵というのは、こんな風に一対一で向かい合って描いてもらえるのかな?」

「え、ええまあ」

「ふふ、そうなのか。なかなか興味深いねえ。じゃあ、もしよければ今、俺の顔を描いてはくれないだろうかねえ?」

「えっ」

 思いがけない申し出に、つい胸が高鳴ってしまった。

「なあイノ、いつもの商売道具、持ってるんだろ?」

「う、うん」

 シシゾーに促され、あわてて僕はリュックの中身をゴソゴソ探り、日々使い慣れている似顔絵描きセット一式を取り出した。

「今日は仕事の日じゃないし、昨日からお世話になってるのでお代は結構です」

「いや、それはいけないな。こちらから頼んだのだから、きっちりお支払いさせてもらうよ」

 それならば、と僕も表情を引き締めて、いつも以上に緊張しながらこんにゃくおじさんの似顔絵を描かせてもらうことになった。何しろ、すぐそばではシシゾーやサツキさんも興味津々で僕の手元に注目している。正直、やりづらいことこの上なかったけれど、居酒屋でたちの悪いお客さんにえんえんと絡まれるよりはまだいいかな、と無理に思い直して僕は踏ん張ることにした。良くも悪くも、お客さんあっての商売なのである。

 この日、灯台には僕らのほかに訪れる客もなく、窓からの日差しは柔らかく影を落とし、時折爽やかな風がそよりと吹き抜けるばかりだった。実に穏やかな昼下がりのひととき、僕は旅先にて似顔絵を描くというなかなかに文化的な過ごし方をしていた。

 絵を描いている間、おじさんは身じろぎもせず真剣に僕に向かい合ってくれていた。サツキさんは、元新聞社勤めというだけあって、僕の仕事ぶりをじっくりと観察するように眺めつつ、時折絵を覗き込んでは感心したように頷いたりしていた。シシゾーは、予想通り途中で飽きていつの間にかすやすやと居眠りを始めていた。

 15分ほどしたところで、ようやく一枚の似顔絵は完成した。こんにゃくおじさんが、こんにゃく団子とおにぎりを手にして優しそうな微笑みを浮かべている構図にした。色調も暖色系で統一してみた。

「あの、こんな感じでいかがでしょうか」

 恐る恐る絵を差し出すと、こんにゃくおじさんはつぶらな瞳をいっそう見開いて、ほほう! と感嘆の声をあげた。

「これはこれは……いいねえ、一言ではうまく言えないが、そこはかとなく良い」

「あら、可愛らしいこと」とサツキさんも、横からまた絵を覗き込んで嬉しそうに言った。

「ねえイノシチ君、便乗みたいで悪いけれど、私にも一枚描いてくれるかしら?」

「! も、もちろんでござる」

 うっひょ、これはなんという幸せな巡り合わせ! 興奮のあまり語尾がおかしくなったが、そんなことなど気にしない。僕は張り切って、二枚目の似顔絵に取りかかったのだった(その間じゅう、シシゾーは僕が起こすまで全く目を覚ますことはなかった)。


 こうして、見守りの岬の灯台でひとときを過ごした僕らは、再びモミジ村の中心部に戻ることにした。

 サツキさんもまた、僕の描いた絵を大いに喜んでくれて、額に入れてどこかに飾りたいとまで言ってくれた。そこまで僕の絵を丁重に扱ってくれるという発言を聞くのはめったにないことなので、僕も内心鼻高々で灯台を後にしたのだった。

「イノ、何かいいことでもあった?」

 ずっと居眠りしていたせいで何も知らないシシゾーだったが、僕がおじさんたちに似顔絵を描いたという話を聞かせると、そうか、良かったな! とニッコリした。

「お前のことほめてもらえると、なんかオレまで嬉しくなるぜ」

「ちょ、やめろよ照れるから」

 臆面もなく言ってのけたシシゾーに、僕は全力で顔の前で手を振ってごまかした。

「うんうん、君たちは本当に仲がいいねえ」

 とこんにゃくおじさんが、我が子を見守るような眼差しで僕らを見た。

「そしたら、この後はどの方面へ行く予定なんだい?」

「そうッすねえ……とりあえず、秘境の温泉とか?」

 シシゾーが、ほんの一秒だけ考えた後ハキハキと答えた。そうか、秘境の温泉か。

「ふむ。確か、あのあたりには昔鉱山で使われたトロッコ列車がまだ走ってたっけか」

 おじさんがひげをさすりながら思案していたところへ、ひとりの村人が僕らを見つけたかと思うと勢いよくこちらへ走ってきた。

「ああ、カッちゃん! ちょうどいいところに戻ってきた!」

「おやトメさん、どうしたんだい、そんなにあわてて」

「それが……今、長老が目を覚ましたんだよ!」

 息を切らせながら、トメさんは説明した。

「おばあさま、今日はずっと眠っている日だと思っていたんだがね。急に起き出して、お客さんはまだいるかね、ってこう聞いたんだよ! とにかく、一緒に来てくれないか」

 そりゃ大変だ、とおじさんはトメさんの後について早足で歩きだした。シシゾーと僕も後を追った。

 先ほど村人に紹介された木彫りのキノコ像のほこらの、その横に細い脇道が続いており、その道を少し入ったところに一軒の石造りの家があった。丁寧に石を積み上げて建てられたその家の玄関の上方には、キノコ像によく似た姿のオブジェが見張りのように飾られている。

「おばあさま、お客様をお連れしました」

 トメさんがそう呼びかけると、重そうな扉がギイィと左右に観音開きになり、開かれたその空間の奥から、入りなさい、とどこか威厳のある声が聞こえてきた。

 ひんやりとした廊下を進み、突き当たりを右に曲がってさらに突き当たったところの部屋の扉が開かれていて、その奥には柔らかそうな綿のクッションを敷き詰めたものの上に、幾重にも年を重ねてきたであろうおばあさまがちょこんと座っていた。

「おばあちゃん、こんちは!」

 真っ先に誰よりも早く、シシゾーがその老婦人に挨拶した。お付きのひとたちは一瞬ぎょっとした顔つきになったが、おばあさまはたちまちくしゃりと頬をゆるめて言葉を発した。

「おお、よく来なすった。入りなさい」

「おじゃましまーっす!」

 シシゾー、声が大きいよ、と耳打ちしながら、僕らはぞろぞろとおばあさまの前に立っておじぎをした。

「いやあびっくりしましたよおばあさま、昨日も起きておいでだったのに、大丈夫なんですか」

 僕らを案内してくれたトメさんが気遣うと、彼女はむしろ憤慨したようにふんと鼻を鳴らして言った。

「たまにはこういうこともあるわい。そなたら、〝いれぎゅらぁ〟という言葉を知らんのか」

 おばあさまの口から思いもよらなかった単語が出てきて、危うく吹き出しそうになるのを僕はこらえながら言った。

「あの、僕はキノコ町から来ましたイノシチと申します。隣にいる、シシゾーと一緒に旅をしていまして」

「ほほう。存じておるぞ」

 特に驚くこともなく、おばあさまは悠然と言った。マジで! とシシゾーが驚きのあまりまた叫んだ。

「すごいッすね! オレたちが来るって知ってたんすか?」

「知っていた、といえばまあそうじゃな」とおばあさまは、シシゾーの大声にも動じることなく答えた。

「そなたたちもまた、キノコによって導かれし者たちじゃな。私にはわかるぞよ」

「えっ、そんなことまでわかるんすか! すげー、超能力者みたいだな」

 悪びれもせずまくしたてるシシゾーに、内心もう恥ずかしいからやめてくれと思っていた僕だったが、このおばあさまはやはりただ者ではなかったようだ。

「さよう。周りではそう呼ぶ者もある。じゃが、あまりにも昔からこの力と共に生きてきたからね、もはや私には当たり前の日常でしかない」

 さすが長老、とこんにゃくおじさんは静かに感動を噛みしめているようだった。シシゾーもまた、〝何だかわからないけどとにかくすごい〟ものを目の前にした時の驚きと感動とを全身で感じ取っているらしかった。もちろん、僕も。

「時に、シシゾー。そなたもまた、キノコの神様に出会ったそうじゃな」

「はい! 実は、毒キノコで倒れた時に……」

 嬉々としてシシゾーが臨死体験を語り始めた。僕はこの話を何度聞いても、よくもまあ無事に戻ってきたなあと思ってしまうのだった。後から笑って話せるというのは、ある意味かなりの癒しになるのかもしれない。

「……ふむ。それは、私がかつて出会った時の状況によく似ておるな。やはりキノコ神様は、我々をお見捨てにはならない」

「そうッすよねえ! オレもそう思います」

 シシゾーが満足そうに頷き、その様子を横で何気なく見守っていた僕だったが、

「さて、イノシチ」

 不意に名前を呼ばれ、は、はいぃ! と僕はあわてて長老の前に向き直った。

「そなたは……今、この先にあるもの。それを見つけに動き始めたところじゃ」

「……?」

 一瞬よく分からず、僕がポカンとしていると、長老はオホン、と一つ咳をしてからゆっくりと語り始めた。

「よいか、イノシチ。その手がかりとなるものは、既にそなたの目の前に現れたことがある。望むと望まないとにかかわらず、おのずとそこへ導かれてゆくことになろうぞ」

「は、はい」

 手がかり、って一体何だったんだろう、と頭の中で必死にこれまでの記憶を辿りながら、僕は返事をした。なんだかものすごく重大な任務を負わされたような、そんな気分だった。

「今のところ、私に見えているのはそれくらいかのう。会えて良かった、それではまた」

 そう言うと長老は、うーんと手を伸ばしながら大きな大きなあくびを一つした。そして、フカフカのソファから立ち上がると、ひょこひょことそばにあるベッドへ歩いていき、魚が岩陰に逃げ込むような速さで布団に潜り込むと、たちまちグウグウ寝息を立て始めた。僕らはあっけにとられながら、その一部始終から目が離せずにいた。しばらくの間、その部屋にいたみんな、誰一人として口をきかなかった。

「……どうやら、またお眠りになられたようです。ご足労、ありがとうございました」

 一同が落ち着いたところでようやく、お付き係たちが丁寧に僕らに頭を下げながら言った。いえいえそんな、と僕らもつられて頭を下げた。

「すげえなあ。本当に、すげえよ」

 シシゾーが、いかにも語彙力のない感想をため息混じりに呟いた。

「そうだね……」

 僕も、それしか返すことができずにいた。ここまで圧倒的な何かをまとった存在に出会ったのは、おそらく初めてのことだったから。

 長老の部屋をおいとまする時、そういえば、とシシゾーがお付き係に話しかけた。

「ちなみに、長老の名前は何ていうんすか?」

 お付き係は、トメさんやこんにゃくおじさんと互いに目を合わせた後、改まって答えた。

「長老のお名前は、カエデ様であらせられます」

「へえー! 可愛い名前ッすね!」

 エエェ目上の人に対してさすがにそれはちょっと、と僕が焦っていると……

 布団にすっぽりくるまった身体が一瞬だけ、ピクリと反応したような気がした。



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