第7話 お宅訪問
「おーい、待ってくれよシシヤマぁ」
シシヤマの友人のタバタとポッキーは、急に走り出したシシヤマの後を必死でついていった。パンチパーマにツナギの服を着た方がタバタ、サングラスにフサフサの服をまとった方がポッキー。シシヤマのカジュアルさとは違って、普通にしていてもやたら目立つ格好だが、これが彼らの普段着である。
先ほどまでテレビの生中継に出ていたシシヤマと、派手な格好のタバタ、ポッキーが一緒にいるだけで、たちまち周囲の目が彼らに集中した。けれども、彼らの提唱する〝賢者のたしなみ〟の教えに心酔する者たちが努めて冷静であろうとしたため、大きな混乱もなく彼らはいつも通りの日常を楽しむことができたのだ。
(ちなみに、シシヤマたちが走り去ったのを見届けた周りのひとたちは、彼らの姿が見えなくなるのとほぼ同時に、彼らが腰を下ろしていたテーブルにいっせいに群がり、ここがシシヤマさんの特等席だ! などとてんでに話しながら喜びを分かち合っていた)
「シシヤマ、イノシっちゃんちってどこにあんの」
「あと1分も走ればすぐさ」
シシヤマの言う通り、ほどなくして彼らの前方にキノコ型の家々が見えてきた。このあたりでは、キノコ型住居は最もポピュラーな建築様式なのだ。その中でも一回りコンパクトで可愛らしい、赤い傘のキノコの家の前でシシヤマは立ち止まった。
「着いたぞ。どうだ、いい家だろう」
まるで自分の自慢でもするように、シシヤマは得意げに言った。
「ふぃー……疲れたぁ」
「なんだよお前ら、たまには運動しないとダメだぞ」
まだ息を切らせているタバタとポッキーを軽くたしなめながら、シシヤマが玄関に近づいていくと、そこには一枚の張り紙がしてあった。
『しばらく留守にします イノシチ』
急いで書いたのか、多少落ち着かないような筆跡だったが、紙の大きさに対してはあまりにも小さく細い字だった。
「わ、これイノシッちゃんの直筆! ずいぶん可愛い字を書くなあ」
「てか、字ちっちゃ!」
初めて見るイノシチの生筆跡に盛り上がるタバタたちとは対照的に、シシヤマはまだどこか硬い表情を崩さないままだった。
「ほら見ろ、イノシッちゃんは黙っていなくなるような奴じゃないだろ」
「だよな、いかにも彼らしいよ。なあシシヤマ」
「お前ら、感心してる場合か! まだ家出の可能性が消えたわけじゃないんだぞ」
こういう時のシシヤマは、念には念を入れたがる性格なのであった。
「なんですぐ〝家出〟にしたがるんだよ」
袖のフサフサの感触を確かめながら、ポッキーがやや不服そうに言った。
「俺だって別に、そうしたくて言ってるんじゃないよ」
鼻息荒めにシシヤマが言った。タバタはそんな友人たちを見比べながら、やれやれといったジェスチャーをした。
「とりあえず、シシゾーちゃんちにも行ってみなけりゃハッキリしないだろ」
見かねたタバタも、ポッキーを後押しするように言った。
「そうだな……」
たるみがちなあごをさすりながら、シシヤマは少し冷静さを取り戻した。
「うん、そうしよう。ところで……お前ら、シシゾーんちどこだか知ってるか?」
「!? え、えっ?」
結局、近隣の住民に何度も道を尋ねながら、ようやくシシヤマたちはシシゾーの住む家のある集落にたどり着いた。
そこはキノコ町の中心部からやや山沿いに入ったところにあり、なだらかな丘が広がる中、あちこちに洞穴の入口のようなものが点在していた。あまりにも似通って区別がつきにくいその外観に、シシヤマは見覚えがあった。
「この中のどれかだ、と聞いたんだがなあ」
タバタとポッキーが、物珍しそうにキョロキョロしている。
「このあたりは、ほら穴式住居が主流みたいだな。広々として、大家族にはお勧めだぞ。狭くなったら、新しい部屋を増やせばいいんだから」
とシシヤマは、ゆっくりと辺りを見回しながら言った。
「詳しいんだな、シシヤマ」
「まあな。一応、前から知ってるんだ。さて、はたしてどの家かな」
ちょっと奥に入ったところの少し入口が大きな家、というあまりにもふわっとした説明を頼りに、あっちこっち歩き回ったあげくようやく彼らは目的の家を見つけた。
ちょうどその入口の穴の前では、小さな男の子と女の子が楽しそうに追いかけっこをして遊んでいた。ねえ君たち、とポッキーが話しかけると、子どもたちは一瞬動きが固まった後きゃっと叫んで穴の中へと走って行ってしまった。お前じゃ怪し過ぎたんだよきっと、などとポッキーがシシヤマたちにツッコミを入れられていると、そう時間も経たないうちに今度はもう少し大きな子どもも一緒に穴から出てきた。
「どこだよ、こわいおじさんって」
「あそこ、あのおじさんたちがね、たべようとしたの」
半泣きになりながらこちらを指さして説明するその姿に、シシヤマは思わず吹き出した。
「大丈夫だよ、食べやしないって」
気さくに声をかけると、少し大きな子が何かに打たれたようにハッとしてこちらを見た。
かと思うと、いきなり大声で穴の中にむかって叫び始めた。
「かあちゃーん! たいへん、たいへんだよ! テレビにでてたひとがきた!」
「何だいもう、うるさいねえどうしたんだい」
穴の中からも負けないくらい大きな声と足音がして、大根を片手に抱えたかっぽう着姿の女性が外に走り出てきた。おそらく、子どもたちの母親であろう。
「テレビのひと、って一体……ひっ!」
母親は、シシヤマの顔を一目見るなり奇声を上げ、目を真ん丸にして彼をまじまじと見つめた。
「も、もももしかしてあなた様は、さっきテレビに出ていたシシヤマさんでは……」
「はあ、そうですが。あの、このあたりにシシゾー君のおたくがあると聞いたのですが、もしかしてお母さんでいらっしゃいますか?」
「んまあー! ってこれ、何かの取材ですか? あらやだどうしましょう、こんな格好で恥ずかしい」
シシヤマの話もろくに聞かず、母親はおろおろとうろたえている。
「いえいえ、全くのプライベートですから、おかまいなく」
「そうですか。あいにく、シシゾーは今……とにかく立ち話も何ですから、ささ、どうぞ中へ。あんたたち、シシヤマさんにご挨拶しなさい」
「こ、こんにちは」
母親はいそいそと穴の中へとシシヤマを案内し、そんな母親の剣幕に押され気味になりながら、子どもたちはそれぞれバラバラにおじぎをした。
「すげえ、おじさんホントにシシヤマテルオなの?」
「こら、シシヤマさんとお呼びしなさい。失礼ですよ」
無遠慮に呼び捨てにする子どもを、母親がすぐさま叱った。
「にいちゃん、シシヤマってだれ?」
「さっきテレビに出てたひとだよ。すっごく有名なんだぞ」
「えーそうなんだー、すごいねー」
子どもたちはいかにも物珍しそうに、シシヤマたちの周りをうろつきながらチョコチョコとついてきた。
「そうだぞ、このシシヤマって男はすごい奴なんだよ、怖くないよ~」
ポッキーが小さな女の子に笑いかけると、女の子はまだ少しポッキーが怖いのか、サッと母親にしがみついて顔を隠してしまった。
穴から中に入ると廊下になっていて、その突き当たりに頑丈そうな扉がある。これで外の雨風をしのげるのだ。通気口もちゃんとある。その扉を出た先に、大抵の場合すぐに客をもてなせるよう居間が設けられている。このシシゾーの家もそうであった。
シシヤマたちが居間のテーブルを囲んで腰を落ち着けると、早速お茶とお菓子がこれでもかとシシヤマたちの目の前に差し出された。
「や、本当にどうかおかまいなく、お母さん。我々は、ちょっとお尋ねしたいことがあって立ち寄ったのです」
「まあまあ、そうおっしゃらずに、少しはゆっくりしていってくださいな」
くださいな、と母親の口真似をしながら子どもたちが笑った。きっと賑やかで楽しい家族なのだろう、とシシヤマは思った。
「実は、さっきちらと小耳に挟んだんですが……おたくのシシゾー君が、職場を辞めさせられた、と話しているひとたちがいましてね」
「あら、シシヤマさんもご存知でしたの。そうなんですよ、つい先日……その日はそりゃあもう、たいそうしょんぼりして帰ってきましてね」
母親の証言に、シシヤマたちはハッとしてお互い目で頷き合った。やはり、シシゾーが仕事をクビになったというのは本当だったのだ。ここは思いきって、勇気を出して本題に踏み込まなければならない。
「それでその……シシゾー君は今、どちらに」
おそるおそるシシヤマが尋ねてみると、母親はやれやれといった表情でこう言った。
「ええ、直後はだいぶ落ち込んでいたようですが……その日の夜ごはんもしっかり食べて、次の日の朝にはこう言ったんです、『母ちゃん、オレしばらく旅に出るわ』って」
「えっ! まさかそれはその、ひとりぼっちでの傷心旅行……でしょうか」
タバタとポッキーも、心配そうに身を乗り出して尋ねた。シシヤマともども、椅子から立ち上がっていた。
「いいえ!」と母親は笑いながら言った。
「グルメツアーに行くんだ、と言っておりました。お友達のイノシチ君を誘うんだ、ってたいそうウキウキしながらね」
一瞬、シシヤマたちは言葉を失い呆然とした後、不意に風船が破裂したみたいに大笑いした。
「なあんだ! グルメツアー、って」
「やっぱりイノシッちゃんが一緒だったじゃないか!」
「アッハッハ……はぁ……良かったぜ」
シシヤマは笑いながらも、どこか気がゆるんだのかへなへなと椅子に座り込んでしまった。
「いやぁ全く……それならいいんです、お母さん。安心しました」
出されたお茶がちょうどぬるくなってきたので、シシヤマはそれを一気に飲み干し、一息ついた。ちなみにそのお茶は、とても香ばしいゴボウ茶だった。
「私は、あの記者会見の後、メインストリートの行きつけの喫茶店でこいつらとお茶してたんです。ちょうど座っていたところから、いつもイノシチが絵を描いている場所が見えたんですよ。ところが、今日に限ってイノシチの姿が見当たらない。その後、立て続けにシシゾー君の噂を聞いてしまったものですからね、共通の友人である身としてはどうにも気になってしまって、ええ」
「まあ、そうでしたか。それはわざわざ、ご足労をおかけしました」
申し訳なさそうに言って、母親はシシヤマの湯のみにゴボウ茶のおかわりを注いだ。
「おたくのシシゾー君、たいへんな人気者だそうですね。スポーツジムでも争奪戦だった、と噂されてましたよ」
「あら、あの子が? まあ、ちっとも気づかなかったわ! ご存知の通り、元気ばかりが取り柄みたいな子ですから、皆さんにご迷惑でもかけていないかと思っていたんですよ」
母親がそこまで話した時、シシヤマたちは奥の壁際から何やら気配を感じた。
そこにはいつの間にか、先ほどの子どもたちよりもさらに大きく成長した──シシゾーの年頃にかなり近い感じの少年が、壁にもたれてじっとこちらの様子をうかがっていたのだ。シシゾーに比べると落ち着いた雰囲気だが、ふわっとしたパーマに黄色いトラックスーツをまとい、本人はクールに決めているらしかった。
「ふん、どうせ周りを振り回していい気にでもなってるんだろ。バカだから、あいつは」
どこか斜に構えた感じの漂うその少年は、腕組みをしたまま不愛想に呟いた。
「まっ、シシロー! 何だい、その口の利き方は! ……すみません本当に、この子はすぐお兄ちゃんに張り合おうとする癖があって」
慌てて母親がシシローを叱りつけた。シシローはというと、さしてこたえていない様子で、すぐにぷいっとそっぽを向いてしまった。
「っるせーな、オレそろそろバイトだからもう行くわ」
彼はシシヤマたちをもう一度ちらっと見た後、すぐに背を向けて部屋を出て行ってしまった。まさに生意気盛りという言葉がピッタリだった。本当にお見苦しいところをどうもすみません、と母親は何度もシシヤマに頭を下げた。
「いえいえ、お気になさらず。私もあれくらいの頃は、ずいぶんやんちゃしてたものです。なんだかんだ言って、きっとお兄さんのことが気がかりなんですよ、きっと」
シシヤマが慰めるように言うと、母親もホッとしたように微笑んだ。
「そうなんでしょうね、きっと。あんなこと言っても、本当はお兄ちゃん想いの優しい子なんですよ。シシゾーが毒キノコにあたって倒れた時、まっさきに駆けつけて病院に連れて行ってくれたのはあの子なんですから」
ほほう、とシシヤマは感心しながら母親の話に耳を傾けていた。タバタとポッキーは、聞き耳を立てつつふたりの会話を邪魔しないようにと、このゴボウ茶美味いな、お菓子もな、といった他愛もない話を何度も繰り返していた。
「ねえおかあちゃん、あたらしいおへや、いつできるのー」
先ほどポッキーのことを怖がっていた女の子が、母親の服の裾を引っ張りながら言った。
「かあちゃん、ぼくもおへやがはやくほしい」
女の子と追いかけっこをしていた男の子も、一緒に催促した。
「シシヤマおじさん、ぼくんちこんど、あたらしいへやがふえるんだよ」
小さい子たちより少しだけお兄ちゃんな子が、シシヤマに教えてくれた。
「へえ、そうなのか! 一体どこに増えるのかな? 見たいなあ」
「うん、いいよ! ね、いいよねかあちゃん」
自分は真っ先にオーケーしておきながら、その後すぐお母さんに同意を求める子をシシヤマは可愛いと思った。と同時に、さりげなくよそ様のプライベートな空間を覗かせてもらうことへの好奇心としたたかさとが隠しきれない自分に対して、ちょっとずるいな、などと考えたりもしていた。
「こっちだよ、こっちこっち」
子どもたちははやる気持ちを抑えきれず、シシヤマの腕を引っ張ってしきりに案内したがった。シシヤマもちょっと見てみたかったので、子どもたちに囲まれながら増築が予定されている場所へと移動した。タバタとポッキーも、後からホイホイついてきた。
一番奥の部屋の突き当たり、明らかに壁だった場所が既に少し削り取られ、これからさらにどんどん掘り進めていく予定であることをうかがわせた。
「やあ、久しぶりに見ましたよ、こういう〝作業中〟の部屋を」
シシヤマが嬉しそうに言った。初めてほら穴型住居の中に入ったタバタとポッキーは、興味津々で壁の具合を観察したり匂いをかいだりしていた。
「これはなかなか、完全に一部屋分掘り終えるまでには当分かかりそうですな」
とシシヤマはシシゾーの母親に言った。そしてしばらくの間、その突き当たりの場所を見つめながら何やら考え込んでいたが、やがて友人たちの方を振り返ってこう言った。
「なあタバタ、ポッキー。どうだろう? ここで会ったのも何かの縁だし、少しばかりここを掘り進めるのを手伝わないか?」
友人たちは、一瞬疑問符だらけの表情になり、お互い顔を見合わせた。
「でも、いいのかよシシヤマ? 人様のおうちに、よそ者の俺たちが勝手にそんなことして」
「いや、多分大丈夫じゃないか?」とシシヤマは、まるで他人事みたいに言った。
「俺のもといた村では、こういう家で部屋を増築するって話を聞くと、じゃあ部屋掘りを手伝いに行くか、っていうのが割と当たり前だったんだ。……って、そうだよな、まずはご家族の了承を得てからでなきゃな。どうですか、お母さん? もしよかったら、この部屋を掘るお手伝いをさせてはもらえないでしょうか? ある程度掘り終えておけば、その後の費用も少し浮きますよね」
さすがシシヤマ、こういう時は口の上手さが功を奏した。
シシゾーの母親も、最初はあっけにとられていたが、だんだんとその気になっていった。
「そうねえ……じゃあずうずうしくも、お願いしちゃおうかしら? あなた、随分お詳しいのね」
「え、ええまあ」とシシヤマは、少し喋り過ぎたかなと我に返りながら答えた。
「困った時は、お互い様ですから」
タバタとポッキーも、それもそうだと頷いた。
こうして彼らは、シシゾーの家の部屋の増築のお手伝いに一役買うこととなったのであった。もっとも、頑丈な土壁はちょっとやそっとのことではなかなか崩しきれず、思っていた以上に作業は難航し、結局のところ大して掘り進めることはできなかったのであるが。
それでも、シシゾーの弟、妹たちや母親は、あの有名人シシヤマがプライベートで友人たちと一緒に、しかも完全にボランティアで増築の手伝いに汗を流してくれたということをとても喜び、あれよあれよという間にせっかくだから夕飯も一緒に、いやいやそれどころじゃないぜひ泊まって行ってくださいよ、という流れになっていった。
「おい、まさかこれが目的だったんじゃないだろうな」
みんなと一緒に山菜カレーを頬張りながら、タバタがシシヤマにそっと耳打ちした。
「そんなわけないだろうが」と言いつつも、シシヤマの表情は嬉しそうだった。実はシシヤマはカレーが大好物なのだ。
「あくまでも、後からついてきたことさ。なんか急に、思い出したんだよ。まだ小さかった頃のことを」
シシヤマの脳裏には、先ほどからずっと、故郷で見たある光景が浮かんでいた。かつては彼の故郷の村にも、この家のようなほら穴型住居が何軒も立ち並ぶ地域が存在していたのだった。
「なあシシヤマ。お前、たまには実家に顔見せに帰った方がいいんじゃないの?」
そんなシシヤマの様子を気にして、タバタがさりげなく提案した。
「そうだよ、そうするといい。何も、俺たちに遠慮することはないぜ、シシヤマ」
ポッキーもまた、タバタに全面同意した。もしかしたら、彼らはもうずっと前から、自分にこれを言いたくても言えなかったんじゃないだろうか、とシシヤマには思えてきた。
確かに、シシヤマ自身もそれはうすうす感じていた。彼がこの前田舎に帰ったのはもう何年も前のことだ。そう、忘れもしないあの人生どん底の時期……いや、今はそんなことなど考えるのはよそう。シシヤマは頭を左右に強く振り、うす暗い考えを一時的に頭の隅へと追いやった。
「……そうだな。じゃあ、途中までは一緒に行くことにするか。俺も久しぶりに、東の海が見てみたいしな」
「うん、じゃあ決まりだな!」
友人たちも納得し、嬉しそうな顔になった。シシヤマは、少しばかり引き締まった表情でまた何事かを考え始めていたが、見た目にはただひたすら、美味しいカレーを途切れることなく頬張り続けていたのだった。