第6話 シシヤマテルオも旅に出る
イノシチたちが、モミジ村外れの「見守りの岬」の灯台で休憩しながらテレビを見ていた頃──
所変わって、ここはキノコ町の某所、とある会議室。
今まさに、この場所でとある記者会見が開かれようとしていた。しかもその模様は、テレビで生中継されることになっていた。
会場には多くの報道陣が詰めかけ、〝重大発表〟とやらが行われるのを今か今かと待ちわびていた。
「うちの予想じゃ、多分あのことだと踏んでるんですがね。おたくはどう思います?」
迅速なスクープを売りにしている週刊誌の記者が、隣に座っていた演劇専門雑誌の記者に耳打ちした。
「いやあ、まだ確定ではないですが、でもまあ、おそらくそちらの予想とさして変わらんでしょうな。むしろ、私どもとしてはそのような展開を大いに期待するところですよ」
そんなどこか暗号めいた話をしていると、マイクに電源が入れられる音がした。いよいよかと一同が見守る中、司会とおぼしき人物が出てきてあ、あーとマイクの具合を確かめた後、さっそく話し始めた。
「皆さま、そろそろ記者会見のお時間となりましたので、始めさせていただきたいと思います。それでは、よろしくお願いいたします」
記者たちはそれきたと居住まいを正し、にわかに引き締まった表情になり、ある者はカメラを構え、またある者はメモの準備を始めた。
ほどなくして、この場の主役であるライター・シシヤマテルオをはじめとして、何名かのいずれも名のありそうな者たちがのしのしと壇上に上がり着席した。普段はトレーナーにチノパンといったラフな格好の多いシシヤマだったが、この日ばかりは買ったばかりとおぼしきストライプ柄のスーツに身を包み、いささか緊張した面持ちでずらりと控える報道陣たちに向かって話し始めた。
「えー、本日はお忙しい中、足をお運びくださり誠にありがとうございます。早速ですが、今この場をお借りして皆さまにお知らせしたいことがあります。……なんと! 恐れながらもこの不肖・シシヤマテルオは、皆様のご支持のおかげで、このたび初めて舞台の脚本を手がけさせていただくことになりました」
おお、と一斉に報道陣からどよめきが湧き起こった。先ほどひそひそ話をしていた週刊誌の記者と演劇雑誌の記者は、互いに顔を見合わせてうむ、と頷き合った。
記者たちの反応に多少手ごたえを感じたのか、かすかに口元をゆるめながらシシヤマは続けた。
「公演日時、出演者等、詳細についてはまだ未定ですが、大まかに言えば、皆さまも既におなじみの〝賢者のたしなみ〟をモチーフとした喜劇のお芝居であります。つまりこれは──〝賢者のたしなみ〟の概念を、まさにこの目で、耳で、そして肌で体感できるという、まさに賢者ファンが待ちに待った一大プロジェクトなのであります」
待ってました! と誰かが声を上げ、それを合図にあちこちから拍手が起こった。どうやら記者たちの中にも少なからず〝賢者〟ファンが存在していたらしい。
「シシヤマさん! 主演として候補が挙がっているのは誰でしょうか」
ついに興奮を抑えきれなくなった記者のひとりが、鼻息も荒くシシヤマに突撃せんばかりの勢いで質問した。あっ、質疑応答は後ほど、と司会が制するのも聞かず、それに続けとばかり、ほかの記者たちも次々に質問を浴びせ始めた。
「やはり〝賢者〟といえばあの人の出演もあるんですよね?」
「きっと見に来るお客さんも大いに期待していると思いますよ!」
「サプライズゲストの登場はあるんですか?」
あまりにも皆がいっせいにやんややんや騒ぎ立てるものだから、これにはさすがのシシヤマも苦笑いした。何しろ彼は先日『猪突猛進にはこだわらない~賢者のたしなみに学ぶイノシシのあり方~』という本を出版し、早くもそれがベストセラーになっていたからだ。今彼の目の前に広がっている大騒ぎの光景はまさに、イノシシがとかく形容されがちな〝猪突猛進〟を地で行くものであった。
「まあまあ、皆さまひとまず落ち着いてください」
ようやくシシヤマが立ち上がり、周りを見回しながら両手でこれを制した。
「皆さまのはやるお気持ちはよくわかりますが、現時点においてはっきりと申し上げられることはただ一つ。今回、この公演を行う会場となるのは──旧・王室劇場の大ホールであります」
その言葉を聞いた瞬間、会場の空気が一変した。物珍しさをもてはやすようなどよめきから、大いなるものへの畏敬の念をこめた感嘆の声に変わったのだ。
「なんと!」
「まさかあの由緒正しき劇場で」
「これは間違いなく伝説の公演になるぞ」
例のスクープ雑誌の記者もまたいそいそとメモを取りつつ、すぐ隣の演劇雑誌の記者の様子をそっとうかがうと、こちらはもはや興奮を通り越して真顔になり、まるで会社の面接を受ける直前のような、なんとも言いようのない緊張感に包まれていた。
「もしもし、大丈夫ですか」
思わず心配になって彼は尋ねた。演劇雑誌の記者はハッと我に返ったものの、まだうまく状況を整理できていないふうだった。
「は、これは失礼」
「おたくにとっては、またとないスクープじゃないですか」
「いやあ実に……すごいことですよこれは」と声を潜めて彼は言った。
「あの劇場は、ようやく大衆に開かれたとはいえ、まだまだ審査が厳しいんです。伝統のあるロングラン公演ならまだしも、このような極めて新しく俗っぽ……失礼、庶民的なお芝居を取り扱うというのは前例がありません。これはチケット争奪戦必至でしょうな」
「そうなんですか!」と驚きつつ、スクープ雑誌の記者は内心、この人に頼めば公演のチケットがあわよくば手に入るかもしれない、などと図々しいことを考え始めていた。
しばらく記者たちの動向を見守っていたシシヤマが、えー、静粛に、と再び話し始め、一同は急いで姿勢を正して壇上に向き直った。
「そうそう、もう一つ忘れていました。私、シシヤマテルオは、この一大プロジェクトに取り組むにあたり、しばらくの間休養をいただくことになりました。いいですか皆さん、誰でもそうですが、休める時に休んでおかないと、良いものも作れやしません。しっかり休みを取ってこそ、真の芸術が生まれるのです」
一同は、分かったような分からないような顔つきで、それぞれあいまいに頷きながらも必死でカメラを構えたりメモを取ったりするのに夢中になっていた。
こうしてシシヤマの記者会見は、イモガラ島全土にリアルタイムで知れ渡るところとなった。
会見を生中継したテレビ番組の瞬間最高視聴率は80パーセントを超え、中継終了直後からチケット売り場や劇場(なぜか関係ない会場にまで)には問い合わせの電話が殺到した。予想以上の反響の大きさに驚きつつ、シシヤマは壇上で肩を並べていた旧・王室劇場の総支配人や舞台監督といった関係者たちと共にプロジェクトの成功を誓い合ったのだった。
「それにしても、あんたは肝が据わっていますな」
と、舞台演出家がシシヤマに言った。
「これだけの大きなプロジェクトを発表しておきながら、自分はまず休養を取りたいなどと、いやはや大したもんですよ」
「おや、それはほめ言葉と受け取ってもいいんですか? それとも皮肉ですかな?」
とシシヤマは、いつものようにちょっと斜に構えてけん制してみせた。
「まあ、正直に言ってしまえば両方ですよ、シシヤマさん」
と演出家はためらうことなく言った。
「普通だったら、早速これから少しずつ計画を進めていきます、とかなりそうなものだが、まずはワンクッション置いてから、というのはよほど自信がおありなのかと」
「いやいや。むしろ、その逆ですよ」
とシシヤマは謙虚に答えた。
「なにせ、初めてのことだらけですからな。事前の勉強は大事でしょう。それに、うかつなものを出してお客様をがっかりさせるわけにはいかんでしょう」
(ふむ、意外と真面目なところがあるんだな)と演出家は、シシヤマの大きな体を上から下まで眺めながら思った。友人の演劇仲間と一緒に知る人ぞ知る小劇場で気が向いた時にだけ公演を行ったり、かと思えば突然どこから湧いてきたかもよくわからない〝賢者マーク〟のデザインをあしらったグッズを流行らせてみたりと、このシシヤマという男に関する情報はそれまでの彼にとってどこかうさんくさいものばかりだったのである。
「なるほど。休養、と称してその間に色々下準備をなさると、こういうことですな」
「ええ、少なくとも半分は。もう半分は、完全なる休養ですがね」
シシヤマもまた、物おじすることなく言い放った。彼より年上の演出家も、これには思わず吹き出した。
「いや全く、なかなか面白いね君は。実は私は、君のお祖父さんにお会いしたことがあるんだが、その話しぶりを聞いていると実にそっくりだ。脚本、私も楽しみにしているよ」
「それはどうも、ありがとうございます。精一杯、努めさせていただきます」
(これで確実にハードルが上がってしまったなぁ……)と内心思いつつ、シシヤマは目の前にいる演出家と、そしてこの身に余るほどの光栄に、深々と頭を下げた。
さて、とようやく会見その他を終え解放されたシシヤマは、とにかくまずはこの堅苦しいスーツを何とかしたいと思い、急いで普段着のトレーナーとチノパンに着替えた。そして会見場をそそくさと後にすると、真っ先に向かったのはいつもよく訪れるメインストリート沿いのオープンカフェだった。
「おーい! こっちこっち」
呼び止められた先のテーブルには、既にふたりの先客が席についてシシヤマを待っていた。
彼らはシシヤマの古くからの友人で、学生時代から細々と趣味で演劇活動をしていた。
「よう、お前ら。わざわざありがとな」
「気にすんなって。テレビ、見てたぜ。たまにはスーツも決まってんじゃん」
「今度から、毎回スーツでテレビ出ろよシシヤマ」
「ばっか、あれを毎回はキツいぜ」
気の置けない仲間に囲まれ、心身ともに緊張でこり固まっていたシシヤマもあっという間にリラックスしていった。ちょうど近くに来た店員にコーヒーを一杯注文して、彼はテーブルの上にあったナッツを一粒口に放り込んだ。
「ん、美味い。ここのナッツの味加減が、俺は一番好きなんだ」
幸せそうにシシヤマは目を細めた。友人たちは、そんな彼の飾らない様子に今日もひと安心して、自分たちは彼にとって必要な存在なのだと喜ばしく思った。
「なあシシヤマ、お前しばらく休み取るんだって?」
「ああ、ここのところ働き過ぎたからな。ま、たまにはいいだろ」
「へー! あんな一大発表の後で、度胸あるなあ。これからが大事な時じゃないのか」
運ばれてきたコーヒーを一すすりしてから、彼は愉快そうに笑って言った。
「それ、さっき別のお偉いさんにも言われたぜ」
「マジで! ウケるわー」
「ていうか、お偉いさんでも俺たちと同じこと考えるんだな」
友人たちもつられて大笑いした。やっぱり、記者会見の後こいつらと会う約束をしておいてよかった、とシシヤマは心から思った。
キノコ町のメインストリートは、今日も活気に満ちている。イモガラ島の各地から、この町に憧れてやってくるイノシシたちのエネルギーが集中しているせいなのだろうか。立ち並ぶお店のにぎわいから少しだけ視線を落とせば、路上に座り込んでギターをかき鳴らして歌う若者、ジャグリングを披露する大道芸人、そしてそれに群がるイノシシたち……
(……ん?)
ふと、シシヤマの席から見渡せるちょうど端の方に、平たいキノコの椅子のようなものが見えた。その一角の妙な違和感とでもいうべきか、ともかくその場所にシシヤマは何かいつもと違うものを感じ取ったのだ。
(あれは確か、いつもだったら……そうだ!)
彼はハッとした。
ようやく気づいたのだ。いつもならばあの場所にいるはずの──彼がいないことに。
「なあ、そういえば今日は来てないんだな。イノシチ」
さりげなく友人たちに聞いてみると、彼らもまた今それを知ったとばかりに目を見開いた。
「えっ? ……ホントだ、いつもだったら、あのキノコ椅子の辺りに座って絵を描いてるよな」
「珍しいこともあるもんだな。大抵はあの場所に来るのに、どうしたんだろうな、イノシッちゃん」
彼らもまた、以前イノシチが勤める居酒屋で知り合ったのがきっかけで、お互い顔なじみになっていたのだった。
「バイト先があんなになっちゃったから、しばらくは似顔絵一本で行くのかと思ってたんだけどなあ」
「まさか、ショックで家出したとか?」
まさかねえ、と冗談を言って友人たちが笑い合っているのを聞きながら、シシヤマはだんだん不安を覚え始めた。
「……いや、あいつのことだからそうかも分からんぜ。何事もなきゃいいんだがな」
そうシシヤマが話していると……彼らのすぐそばで、買い物帰りの女性たちが何やら立ち話を始めた。結構大きな声なので、嫌でも聞こえてしまうほどだった。
「ねえねえ、大変よ奥さん! スポーツジムのシシゾーちゃん、この前クビになっちゃったんですって」
「んまあ! それ本当なの?」
イノシチに続いて、これまた顔なじみの名前が唐突に挙がったので、思わずシシヤマたちは聞き耳を立てた。
「本当よあなた、だってうちのお義母さんが言ってたんですもの」
「そういえば、おたくのお義母さん、あのジムに通ってたわよね」
「そうなのよ! シシゾーちゃんの担当する〝イモ掘り体操〟が大人気で、お義母さんも毎回それを楽しみに通ってたのに」
「んまーお気の毒様。通ってないあたしでさえ、あのジムの噂はよく聞いてるわよ」
元気なマダムたちは、互いに身振り手振りを交えながらにぎやかに話している。一体いつ終わるんだろうと思いつつ、シシヤマたちはついついコーヒーをたしなむフリをして会話を熱心に聞いていた。
「あのジムはみんないいひとたちばかりで、親切に指導してくれるから運動が楽しくなるって評判よね」
「そうなのよ、中でもシシゾーちゃんは最高にユニークで面白くてね、子どもからお年寄りまで幅広く人気があって争奪戦なんですって。それなのになんでまた……お義母さん、ショックで寝込んじゃってもう大変よ。『シシゾーちゃんがいないならもうジム通いは辞める』とまで言い出しちゃって」
「それはあんまりだわねえ!」
(本当にあんまりだなあ)と、シシヤマたちも内心一緒に同意していた。何よりシシヤマを驚かせたのは、イノシチの親友・シシゾーがこんなにも人気のある男だということだった。出会った時から勢いのある面白い奴だとは思っていたが、まさかここまでとは。
(すげえな、あいつらは人気者同士で親友同士でもあるのか)
なんとなくそう思ったところでシシヤマはあっと叫んで立ち上がった。
「……おい! もしかしてこりゃ、大変なことになっちまったんじゃねえのか!?」
「な、何だよ急に」
驚く友人たちに構わず、シシヤマは言った。
「もしかして、だが……あいつら、まさか一緒に家出でもしたんじゃないだろうな」
「……えっ」
先ほど冗談で口走った言葉の重さに気づいた友人たちは、次第に青ざめていった。
まさか彼らも、こんな展開になるなんて思いもよらなかったのである。というのも、シシヤマが長期休暇を取るらしいと聞きつけた彼らは、この機会に三人で東の海岸へでも旅行に行こうかと計画していて、この日はその話をするつもりだったからだ。
「と、とりあえず! イノシチの家とシシゾーの家に行くぞ!」
「あ、ちょ、ちょっと待てよシシヤマ!」
まだお皿に残っていたナッツを慌ててかきこみ、全員分の代金をテーブルにバンと置くと、シシヤマは大急ぎで走り出した。友人たちは転びそうになりながら、すぐ後に続いた。