第3話 宿探しとこんにゃくおじさん
第3話 宿探しとこんにゃくおじさん
全く、僕としたことが甘く見ていた。
そりゃ、メニューにはちゃんとそれぞれの金額が明記されていたし、僕もある程度様子を見ながら注文していたつもりだったんだけど。
出がけに荷物に加えた、たまたま家のテーブルの上に置いてあった雑誌をゴソゴソと取り出し「イモガランテ」の載っているページを探し当てると、やはりそこには「予算:飲食代+チャージ料(ダンスショーチケット相当)」とあった。よくよく見ればまあ一般的なショーのチケット代よりはるかに割安だけど……それにしても、そこまでお会計が跳ね上がるだろうか。
「いやー、美味かったな、あの店」
満足そうに呟いたシシゾーが、いつの間にかその手に何か重そうな袋を提げている。
「あれ、シシゾー。それは一体」
「ああ、これ? うちの母ちゃんと、兄ちゃんたちにさ」
彼は意気揚々と袋の口を広げてみせた。するとそこにはなんと、「プリンセス・サトコ」の瓶が3本も入っていたではないか!
「ちょ、ちょっと待ってよ。お前、今これを一緒に買ったわけ?」
「そうだよ」悪びれもせずシシゾーは胸を張った。「これ、前にお前も買ってたろ? 珍しいからお土産にしようと思ってさ」
って、今それを買うか? 僕らの旅はついさっき始まったばかりだというのに、よりによってこんな重たい荷物を!
僕はため息をつきながら、先ほどのレシートをもう一度取り出して明細を確かめた。確かにそこには「プリンセス・サトコ ×3」の文字があった。さらにその下の行には、見慣れない名称が書かれていた。
「ねえ、この〝しゅわしゅわプリンセス〟って何?」
「あ、それはほら、これだよ。新発売だってさ、ノンアルコールの」
シシゾーが袋の隅からゴソゴソと取り出したのは、プリンセス・サトコよりもやや小ぶりな、ラベルに子どもウケしそうな絵が描かれた瓶だった。
「これ、店の入り口に置いてあってさ。今なら瓶を3本買うとお試しで1本付けてくれるっていうから買ったんだぜ!」
ああ、そう。と口に出す気力もなく、僕はとりあえず頷いた。明らかに予算オーバーの原因はコイツの衝動買いだ。
「プリンセス・サトコ」は、入手方法が限られている上に、庶民にとってはなかなかの贅沢品である。普段イモガラ島で流通しているイモガラ酒の最上級ランクといってもよい。僕なんか、必死に貯金してようやく「キノコフェスティバル」で買ったのをとっておきの時だけチビチビ味わっているというのに、そのような高級品をこの男は惜しげもなく!
「とりあえずさ、食事代足りてよかったじゃん、イノ」
「いや、実際には足りてなかっただろ。博士が少しだけ援助してくれたじゃないか」
それどころではない。僕らは今や、今夜泊まるための宿代にも困っているのだから。
「大体、旅に出るっていうからには、宿代とかもちゃんと考えて持ってきたんじゃなかったの?」
「とりあえず財布があればいっかな、と思って。身軽な方が動けるしさ」
「そ、そりゃそうだけどさ……はぁ、もういいよ」
「そっか! じゃ、野宿できそうな所を探そうぜ。大丈夫だって、なんとかなるよ」
シシゾーはニカッと笑い、くるっと背を向けると、もう辺りをうろうろし始めた。レストランから離れれば離れるほど、夜道は闇に紛れて底なしの沼みたいだ。時折風が通り過ぎて、木々がざわりと不気味に音を立てる。僕は慌てて懐中電灯を出し、シシゾーの後ろに小走りでついていった。
「やみくもに歩いてもダメだよ、ちゃんと方角を確かめないと」
「お、それもそうだな」
まるで今初めて知ったとでもいうように、シシゾーが感心してみせた。いや、そもそもあらかじめどこへ行くかを決めていなかったのは僕にも責任があるのだけど。
「オレさ、前に毒キノコ食べて倒れた時」
唐突に、シシゾーが語り始めた。いつもの元気な調子とは少し違って、珍しく真面目そうだった。
「これよりも、もっと真っ暗な所をひとりで歩いてたんだ、夢の中でさ。その時出会ったんだ、キノコの神様に」
「キノコの?」
「うん。なかなか美味そうなおじいさんキノコだったよ。そのおじいさんが、オレを元の世界に帰してくれたんだ。その時キノコ狩りに来たのは、もしかしたらこの辺りだったかもしれないな。なんか、懐かしい気がする」
彼が毒キノコにあたったことがある、という話は前にも聞いたことがあったけれど、そのような体験をしていたのは初めて聞いた。僕は暗闇の恐怖を少しだけ忘れ、彼の話に耳を傾けた。
「そもそも、キノコ狩りに来たのが、オレがスポーツジムに就職が決まったお祝いをするためだったんだ。弟や妹たちを連れてさ、みんなでいっぱいキノコを採ってさ。そっかー……でもオレ、今はそのジムをクビになっちゃったんだよなぁ」
途中から、自分の話にしきりと頷いていた。そのどこか遠くを見るような横顔を眺めながら、僕は思った。ああ、シシゾーも本当は、大好きだった仕事を辞めさせられて淋しいんだな。元気出せよ、シシゾー、と言おうとした時、バシィ、と思いきり肩を叩かれた。
「ま、でもおかげでまた自由の身だからさ! 思いっきり楽しもうぜ、イノ!」
「うわ! そ、そうだね」
ビクッとしながらも、僕は安堵した。やはりそれでこそシシゾーだ。そうとも、僕らは今、自由の身なのだ。
僕たちは、木々の間を縫うようにして、ひたすら夜の森を歩き続けた。歩けども歩けども、一向に何かが見つかる気配がない。確かこっちの方角に、ウリ山博士の研究所があったはずなんだけど……どうやら、道を一本間違えたのかもしれない。
ついにしびれを切らして、シシゾーが大きなあくびをしながら地面に仰向けに倒れ込んだ。
「あーっ疲れた! もうこの辺で休もうぜ、イノ。おやすみー」
そう言うなり目を閉じて、数秒後にはもういびきをかき始めた。えっ、早過ぎ。
「シシゾー、ちょっと待てよ、もうちょっとこう……フカフカした所の方が良くない? ねえ、シシゾーってば」
声をかけても身体を揺さぶっても、鉛のように重くてビクともしない。ここまでか、と僕も観念して、その場に座り込んでしまった。
「はぁ……どうしよう」
呑気に眠るシシゾーの方を見ながら、そういえば彼が持っていた袋の中身は大丈夫だったのだろうか、とふと心配になり、彼が持ち手を握り締めたままの袋の中をそっと探ってみた。幸いにも、瓶たちは全て無事だった。やれやれ、余計な心配までさせるんだから。
しばらく背負いっぱなしだったリュックサックをようやく降ろし、上着を引っ張り出してシシゾーの上にファサッとかけてやると、シシゾーはむにゃむにゃと口を動かし異国の呪文のような言葉を呟いてから、また深い眠りに落ちていった。つくづく幸せな奴だ。
──さて。この先一体、どこへ行くべきだろうか? どこへ……
「……もしもし、お兄さんたち。こんな所で寝ていては、風邪をひくよ」
優しく肩を叩かれ、僕は束の間眠りに陥っていたことに気づいた。
「君たち、こんな所でどうしたんだ? 飲み過ぎたのかな?」
僕の目の前には、いつの間にか初めて会う顔のおじさんが立っていた。おじさんは木の帽子をかぶり、帽子の前面に付いた小さな明かりが周りを照らしていた。傍らには、彼のものと思われる木製のリヤカーが停めてあった。
「んあ? もう朝かーイノ……って、おじさん、誰」
まだ半分寝ぼけた様子のシシゾーが、目をこすりながらおじさんを見た。
「あの、僕たち実は……今夜泊まる宿がなかったもので、その」
見知らぬひとと顔を合わせる緊張感と、事情を話さねばならない恥ずかしさとで、僕は俯きながら答えた。
「えっ、じゃあここで野宿を! そりゃいけない」
帽子のおじさんは首を強く左右に振り、言った。
「ここからもう少し西に行ったところに俺の店があるんだが、君たちもよかったら一緒についてくるかい?」
「えっ、いいんすか!? ぜひ、お願いします!」
思いがけない申し出に、一気に目が覚めたシシゾーが興奮気味に叫んだ。
「はっはっは、元気な兄ちゃんだな。よし、そうと決まれば乗った乗った。今日は品物がよく売れてね、ちょうどリヤカーが軽くなってたとこだ」
おじさんはどこかウキウキしたような表情で、停めてあったリヤカーの上を指し示した。まさに渡りに舟とでも言うべき状況だけど、はたして大丈夫だろうか?
僕の心配をよそに、単純なシシゾーは遠慮のかけらもなく、それじゃおじゃましまーす、とリヤカーに飛び乗った。僕もおそるおそる後に続いた。
「おじさん、このリヤカーで何か売り歩いてるの?」
「俺か? 俺はね、もともとこんにゃくイモ農家なんだ。じっくり育てたこんにゃくイモをこんにゃくに加工して売っているんだが、最近ではこんにゃくそばなんかも作っているよ」
「こんにゃくそばか、美味そうッすね! オレも食べたいなあ」
「お安い御用さ、おじさんが腕によりをかけて作ってやるよ。そっちのお兄さんも、どうだい?」
「えっ? あ、はい、いただきます」
シシゾーの、初対面との異様な距離の縮め方に恐れおののきつつ、僕は自分としては精一杯愛想よく答えた。
リヤカーは慣れた風で、それまで僕らが進んでいたのとは逆の方向へガタゴトと進んでいった。イモガラ島のやや中心部には大きな湖があって、その北側には湖に沿うように街道が東西に伸びている。その街道を西に向かってしばらく進むうち、前方に小さな木札が立っているのが見えてきた。『この先 こんにゃくそばの店 カリヤド』と書かれている。
「ほら、もうすぐだよ。この看板も、俺が作ったんだ」
やがて、街道の右手側に、小ぢんまりとした巻貝のような屋根の建物の姿が見えてきた。
「あ! もしかしてこれ、ヤドカリ型住居ですか」
思わずピンときた僕は、そう口走っていた。言ってしまってから、こんな夜中に声が大きすぎたかな、とちょっと反省した。
「大当たり! 君、よく知ってるね。この辺りでも、あまり見かけないタイプかもしれないな。でも、俺の店にはおあつらえ向きなんだよ、これが」
「ヤドカリ型住居」というのは、イモガラ島でも主に海岸近くの集落に多く見られる建築様式だ、と以前テレビで見たことがあった。ヤドカリが自分の住処となる巻貝を引っ越しするように、巻貝型の屋根の部分が取り外し可能になっていて、傷んだりした時にすぐ交換できるのが便利だと紹介されていたものだけど、僕もこのタイプの住居を生で見たのは初めてだった。
「さあ、どうぞ入って。カリヤドへようこそ」
建物の中に入るとすぐ、いくつかのテーブルと椅子が並べられていて、部屋の端には小さな厨房が設けられている。奥の突き当たりには、別の部屋へつながっているであろう扉があった。
「こっちの部屋は食堂になっていて、奥の部屋が簡易宿泊所になっているんだ。だから、仮の宿=カリヤド、ってね」
「すげえ! おじさん、天才ッすか?」
「ハハハ、シシゾー君はおだてるのがうまいなあ」
和やかに談笑するおじさんとシシゾーにやや気兼ねしつつも、僕は思いきって尋ねた。
「あのぉ……でも、僕たちさっきも言ったように、お金がないんですが」
「気にするなよ、そんなこと」木の帽子を脱ぎながら、おじさんが笑った。
「困った時は、お互い様だろ? まあでも、そんなに気になるんだったら、それ相応の手伝いをしてくれたら助かるなあ」
「手伝いですか? 僕らにできることだったら、ぜひやらせてください」
「オレも! 力仕事なら任せてくださいッす!」
僕らが同時に身を乗り出したことに目を丸くしたおじさんは、ほんの数秒ほど僕らの顔をポカンと見つめていたが、だんだんと嬉しそうな顔に変わっていくのがよくわかった。
「そうかい。嬉しいねえ。それじゃ、早速明日は一日、俺の仕事についてきてもらおう。構わないかな?」
もちろんです、と僕らは即座に頷いた。
これが、ようやく、僕とシシゾーの旅の目的が一つ生まれた瞬間だった。
「よし、まずはおじさん特製の里山こんにゃくそばを作ってあげよう。適当に座って待ってな」
おじさんは、いそいそと厨房に入って支度を始めた。
でも、手を洗う時に一瞬淋しそうな表情になって、聞こえるか聞こえないかくらいの声でこう呟いたのを僕は聞いてしまった。
「うちの息子も、これくらい素直でいい子だったらなあ……」
そうぼやきつつも、さすがに商売しているだけあって手際は良く、茹で上がったそばをチャッチャッと湯切りして、器に注いだ熱々のだし汁の中にトポンと入れると、刻んだねぎや菜っ葉を適量載せ、最後におろしショウガも少々添えて、それをふたり分。席で待ってて、と言われてもつい興味が湧いてしまい、僕らはおじさんの調理するところをワクワクしながら観察させてもらった。
「さあお待ちどおさま、特製里山こんにゃくそばだよ」
「わあい! いただきまーす」
レストランでたらふく食べたとはいえ、その後何時間も歩き回っていた僕らはすっかりお腹ペコペコだったので真っ先に飛びついた。そばの心地よいのどごしと、おつゆの温かいだしの味とが絶妙に絡み合い、たちまちシシゾーも僕もとりこになってしまった。いつしか部屋の中には、僕らが無心でそばをすする音ばかりが聞こえていた。
「どうだい? 気に入ってもらえたかな?」
おじさんにそう聞かれてハッと我に返り、口をモゴモゴさせながらカクカク頷いた。シシゾーに至っては、「む、むむいっふ(う、美味いッす)」ともはや異言語と化していて、これには思わずおじさんも吹き出してしまった。
「あはは、そんなに焦って食べなくても大丈夫だよ。そうかそうか、よかったよかった」
「おじさん、おかわり!」
無事口の中のものを飲み込み終えたシシゾーが、ホクホクしながら空の器を頭の上に掲げた。
「シシゾー、少しは遠慮ってものが」
僕がシシゾーをやんわりと諫めると、おじさんは微笑みながら僕の肩に手を置いた。
「まあまあ、せっかくだから追加で作るよ。イノシチ君もどうだい? 君たちの食いっぷりを見ていたら、なんだか俺まで腹が減ってきちゃったよ」
「やったー! みんなで食べよう!」
無邪気なシシゾーのはしゃぎぶりに、僕とおじさんは顔を見合わせて大笑いした。
このおじさん──これからは〝こんにゃくおじさん〟と呼ぶことにしよう──は、この日の出来事がきっかけで、僕らはもちろんシシゾーの家族ともすっかり仲良しになり、やがてキノコ町でもこんにゃくそばのお店を始めることになるのだけど……それはまた、別のお話。
そんな感じで、奇遇にもこの日、僕らは二度にわたって食を通じた出会いを得ることができたのだった。
でもこれは、これから続いていく長い旅のほんの序章に過ぎなかったのである。