第20話 帰郷、そして新たなる旅立ち
翌朝。
クジラおじさんのご厚意により、僕らは食事代のみでレストランに一泊させてもらい、そのうえおじさん手作りのパンまでもらってしまった。
「本当にいいんですか? こんなにしてもらって」
すっかりクジラおじさんと打ち解けたシシヤマさんが、代金+気持ちばかりのチップと引き換えに、パンの入った麻袋を両手いっぱいに抱えて言った。
「売れ残るのは嫌なんだよ。いいから持ってけ、お前らならすぐペロリさ」
シシヤマさんの抱えた袋の上に、これまたお手製のスルメを一枚ずつ積み重ねながらおじさんが言った。
「色々ご親切に、どうもありがとうございました」
最後に、ホホー鳥の背中に乗った僕らがおじぎをすると、おじさんはそれを見届けもしないうちに背中を向けてしまった。
「おじさん! 料理、すっげえ美味かったよ! また来るからな」
シシゾーがその背中に向かって叫ぶと、おじさんは軽く手を挙げて、また来いよ、と言った。
「あ、そうだ」
不意におじさんが振り返り、僕らを乗せたホホー鳥に向かってこう言った。
「おい、ホー! たまには魚や野菜も食えよ!」
ホホー! と元気よく答えて、ホホー鳥が立ち上がり、鼻息をふふんと鳴らしてのっしのっし歩き始めた。
イナホ村は、イモガラ島最南端にあるのどかな村である。
島でもトップブランドの一つである米をはじめとして、野菜に果物、海では魚、と食べられそうなものは一通り収穫できるため、「イモガラ島の食糧庫」と呼ばれている。「仕事がなくてもイナホ村なら生きていける」などという冗談まであるくらいだ。
ホホー鳥の背中に揺られながら、東の海岸に沿って南下していくと、陸地の景色の中にだんだん青々とした田んぼや畑が増えていった。
「イノ、見ろよ! 段々畑だ!」
シシゾーがホホー鳥の背中の上で立ち上がって、今にも飛び降りたそうにウズウズしている。僕は彼が落ちないようにズボンの端をつかみながら、目の前に広がる緑の地に言いようのない安らぎを覚えていた。
「おー。ようやく、帰ってきたというわけか」
どこか他人事のように、シシヤマさんが呟いた。
「ね、シシヤマさんちって、どのへんにあるんすか?」
ワクワクが止まらないといった様子のシシゾーが尋ねると、シシヤマさんは、ここから見えるかどうか、と手を額にかざして遠くを眺めた。
「ここからだと、ギリギリ見えるか見えないか、ってとこだな。……あれっ?」
「何かあったんですか、シシヤマさん」
「や、あのあたり一帯がうちの田んぼなんだけどな、イノ」
シシヤマさんはとある一点を指しながら、ちょっと首をかしげた。僕もその方へ目をこらすと、一面田んぼだらけの中にぽつんと木造の家が建っているのが見えた。
「おかしいな。あんな家、前からあったかなあ?」
「あっ!」
と今度は、シシゾーが叫んだ。
「オレ、テレビであの家、見たことあるッすよ! 今流行りのレストランでしょ、あれ」
「はあ!? そんな話、聞いたことなかったぞ」
目を丸くして、シシヤマさんが信じられないといった顔をした。
「えっ、シシヤマさん知らないんすか?」
すかさずシシゾーがツッコミを入れた。もちろん、彼には何の悪気もない。
「知らねえよ。ここ何年も帰ってないし、電話もろくにしてないし」
「そりゃいけないッすね! 親孝行しなきゃ、シシヤマさん」
「う、うるさい、お前もだぞシシゾー」
シシヤマさんとシシゾーのやりとりに思わず吹き出した僕だったが、その一方で〝親孝行〟という言葉にどこかうらやましさを感じてもいた。親のいない子として育った僕が、親孝行の代わりにできることといったら、一体何だろう?
「ホホー鳥、そろそろ下ろしてくれないか。……そうだな、もうちょっと船着き場から離れたところ……よし、このへんでオーケーだ」
シシヤマさんの指示で、僕らは海からイナホ村に上陸を果たした。ホホー鳥でもこっそり陸に近づけるように、船着き場から少し離れた砂浜に降り立つと、熱を帯びた柔らかい砂の感触が優しく僕らを迎えてくれた。
「ありがとな、ホホー鳥」
そう言ってシシヤマさんは、ふと何かに気づいて歩きだし、少したってからまた戻ってきた。
「ほら、これでも食べな。落ちて傷物になっているが、美味しさは折り紙付きだ」
彼の手には、はちきれそうにまるまるとした真っ赤なリンゴが乗っていた。ホホー鳥はフンフンと鼻を近づけると、カプリとクチバシの先でリンゴをつまみ、一息に飲み干した。満足した、というように、ホホー鳥はシシヤマさんの鼻先にクチバシをすり付けて親しみの気持ちを表した後、すっと僕らから離れて沖の方へ歩き出していった。
「これで当分は、アイツも穏やかに過ごせるだろう」
とシシヤマさんが言った。
「ホホー鳥、ありがとう! また会おう!」
僕がホホー鳥の後ろ姿に叫ぶと、シシゾーも負けずにオレもだぜ、ホホー鳥! と叫んだ。ホホー鳥の青緑色した羽の色は、しばらくするともう海に紛れて見えなくなってしまった。
南の海は、東の海岸のにぎやかさとはまた違って、静かでとても穏やかだった。
「良かったな、たまたま船がいない時で」
とシシヤマさんが、胸をなでおろした。
「とりあえず、ちょっとあの家へ行ってみよう。気になってしょうがないよ」
シシヤマさんは僕とシシゾーを従えて、慣れた足取りで砂浜から引き上げると、船着き場の見張り台へと歩いていき、窓口から中をそっと覗いた。見張りのおじさんが、新聞を手にしたままウトウトと居眠りをしていた。
「おっちゃん、また居眠りしてるのか」
シシヤマさんが声をかけると、見張りのおじさんはハッと目を覚まして辺りをキョロキョロし、目の前にいるシシヤマさんの姿に気づくとピエッ、と小さな悲鳴を上げた。
「うわあ、ビックリした! あんた、シシヤマさんとこのテルオくんじゃないか」
「よう、こんちわ」シシヤマさんが、笑いをこらえながら挨拶した。
「久しぶりだなあ! こないだの記者会見、見てたよ。ずいぶんえらくなったもんだねえ」
「いやいや、そうでもないよ。ところでおっちゃん、俺んちの田んぼにいつの間にか家が建ってるみたいなんだけど、知ってる?」
「えっ、あんた自分ちのことも知らんのかい?」
おじさんは信じられないといった風に目を丸くした。
「シシヤマさんの田舎レストランっつったら、今じゃテレビでも紹介された人気店じゃないか!」
「レストラン!」
シシゾーが弾んだ声を上げた。
「いいな、オレ腹減ってきちゃったし、行きたいなあ! なあ、イノ」
「行きたい!」
僕も即答した。この長旅で、ちょっとばかりシシゾーの正直さとせっかちが僕にも移ったかもしれない。
「とにかく、すぐに帰って顔見せてやんなよ。みんな喜ぶから、な」
「わ、わかったよ」
今度は逆におじさんに背中を押されて、シシヤマさんと僕らは早速その田舎レストランへ向かうことにしたのだった。
細い道をかき分け、田んぼのあぜ道をひたすら歩き続けること数十分。いい具合にお腹が空いてきたところでちょうど、僕らは気になるお店の前に到着した。
「ここら一帯は昔、うちの親戚が耕してたんだが、手放すことになってうちで譲り受けたんだ。兄貴たちもいるしな。……ま、俺は一人気ままにこんな稼業だが」
シシヤマさんが長く伸びた牙をさすりながら言った。
「うちの元々の田畑は、こことはちょっと離れていて、もっと奥に行ったところにあるんだ。とりあえず、先にこっちだな」
そのお店は小ぢんまりとした木造の一軒家で、建てられてからまだそれほど経っていないようだった。目立った看板などは出ていないけれど、店の中からは確かに、美味しそうな煮物や味噌汁の匂いが漂ってくる。
「ちわーっす!」
気の早いシシゾーが一番乗りで扉を手前に引くと、チリンチリン、と優しい鈴の音がした。温かみのある雰囲気の店内には窓からの自然光がほどよく射し、驚くべきことにほとんどの席がお客さんで埋まっていた。
「ありゃ、本当に人気店なんだな。並ばずに済んだだけでも儲けものだったか」
読みが甘かった、とシシヤマさんが頭をかいた。
「ハーイ、いらっしゃいませー」
ほどなくして、店の奥から元気な声が響き、パタパタと店員の女性が駆けてきた。頭にバンダナを巻き、体格のいい身体にかっぽう着をピッチリと着こなしている。
「あ、どうもこんにちは……って、姉さん!」
「えっ? あら! まあまあまあ、テルオちゃんじゃないの! まあ、若いお友達も、ようこそいらっしゃいました」
その女性はシシヤマさんの顔を見るなり素っ頓狂な声を上げた。楽しい食事とおしゃべりに夢中だったお客さんたちが、一斉にこちらを振り返った。ひえぇすみません、と心で詫びながら、僕はシシヤマさんの後ろから軽くおじぎをしてみせた。シシゾーは全く恥じることなく、どうもー、とのん気に手を振った。
「やだもう、随分久しぶりじゃないの、元気だった? ちょっと待ってね……ねえあんた、大変! テルオちゃんが来たわよ!」
「なんだい、騒がしいなあ。どうしたって?」
前掛けで手を拭きながら出てきたのは、シシヤマさんとよく似た体型の大柄な男性だった。そのひとはシシヤマさんを一目見るなり、
「あっ! テルオじゃないか!」
「……よう、アキ兄」
少し照れ臭そうに、シシヤマさんが言った。どうやら、シシヤマさんのお兄さんらしい。
「なんだいお前、帰るなら帰るって、電話の一つくらいよこせばいいのに」
とお兄さんは、怒ったような声で言ったものの、シシヤマさんを見る目はとても優しげだった。
「テルオ、俺たちは店を空けるわけにいかないから、お前ちょっとハル兄のところに行って声かけてきな。まだお昼前だから、父ちゃんや母ちゃんも一緒に出ているよ」
わかったよ、とシシヤマさんは、素直に兄のいいつけに従って出ていった。普段はちょっと斜に構えているところのあるシシヤマさんも、ここでは弟なんだなあ、と思うとなんだか失礼ながら可愛らしく思えてくるのだった。
「すいませんねえ、バタバタしちゃって。あの奥の席がちょうど空いてますから、どうぞおかけください。今、メニューをお持ちしますね」
アキ兄さんの奥さんは、いそいそと僕とシシゾーを席まで案内してくれた。丸いテーブルの上に飾られた異なる色の花が目を楽しませ、ピッチャーから注がれた冷たい麦茶が、心地よく喉を潤した。
「今日の日替わりは、とろろ麦飯定食ですよ。どのセットも、ご飯とお味噌汁はおかわり自由です」
「えっ、いいんですか?」
思わず僕はそう尋ねてしまった。僕のすぐそばでワクワクしているシシゾーが、どれだけ際限なく食べてしまうかが気がかりで仕方なかったからだ。
「大丈夫ですよ。うちは米農家ですから」
と奥さんはニッコリ笑って答えた。
「なら良かった! じゃあオレ、日替わりとカレーライスとチャーハン」
僕の心の内を見透かしていたかのように、シシゾーが言った。これでさらにおかわりとか言い出しそうだな、と思いながら、僕は野菜炒め定食を注文した。
「シシゾー、あんまり注文すると赤字になっちゃうよ」
コッソリとシシゾーに耳打ちすると、彼はいともあっけらかんとこう答えた。
「そうか? その時はその時だな」
「いや、その時とかじゃなくて」
「もしお金足りなかったらさ、皿洗いでも草刈りでも、何でもお手伝いしようぜ」
「そ、そりゃもちろんだよ」
イモガランテの時の教訓がてんで生かされていない、とため息が出そうになったけれど、心のどこかでまたさっきみたいにシシヤマさんを当てにしてる気がする僕もたいがいだな、とちょっと反省した。孤独なクジラのレストランでは、しれっとシシヤマさんが全額負担してくれたのだ。つくづく、みんなに助けられながらの貧乏旅行なのだった。
そんなことを考えながら麦茶を飲んで待っていたら、ふとどこかから視線を感じた。シシゾーかな、と思って前を見ると、シシゾーは僕どころかもう隣の席のお客さんに話しかけて一緒に笑っている。そんなに美味いんすか、楽しみだなあ、なんて言っているあたり、どうやらこのお店の評判の高さが話題になっているようだ。ていうか、そのコミュニケーション力、まさに高速タックル並み。
それじゃあ一体誰が、と周りを見ると、ほとんどが友達同士やカップル、家族連れで訪れている中、一か所だけひとりで席についているお客さんの姿があった。一番入口に近いけれど、実はお会計スペースの壁際に隠れて見えにくくなっていて、そこにちょうど身を潜めるようにして彼は座っていた。ベージュのパーカーのフードを目深にかぶり、しかもサングラスをかけていた。僕と目が合った瞬間、彼は突然何かに弾かれたように立ち上がり、そそくさとお会計を済ませて出て行ってしまった。しまった、あんまりジロジロ見ていて気を悪くさせちゃったかな。
ちょっとしょんぼりしている僕に、シシゾーが声をかけた。
「イノ、このひとたちもキノコ町から来たんだってよ!」
「えっ、そうなんですか! それは奇遇ですね」
シシゾーのおかげで、僕も隣のお客さんたちの輪に入ることができた。そのうえ、彼らのうちのひとりが、おずおずと僕に話しかけてくれたのだった。
「あの、もしかしたら、あなたはいつも大通りで似顔絵を描いているイノシチさん、ですよね? 私、前に一度描いてもらったことがあって……とても気に入って、部屋に飾ってあるんです」
「わあ! ありがとうございます!」
とまあそんな感じで盛り上がっていると、注文した料理が次々と運ばれてきて、ちょうどそこへシシヤマさんも戻ってきた。
「姉さん、ハル兄夫婦や父ちゃん、母ちゃん、みんな揃ってお茶飲んでたよ。えらくビックリされたぜ」
「そりゃそうよあなた、帰ってきたのはあの一件以来だものねえ」
何気なくアキ兄さんの奥さんが言ったのを、シシヤマさんはやんわりといさめた。
「よしてくれよ姉さん、もう過ぎたことさ……それより、俺も注文いいかな」
「あいよ! テルオちゃん、カレー好きだったよね? うちの特製、食べてく?」
「あるのか? じゃあ、それで」
シシヤマさんは、たちまち子どものように目を輝かせた。よほどカレーが大好物らしい。
僕もさっそく、ほわほわと湯気の立つ定食をいただくことにした。まずは炊き立てのつやつやしたご飯を一口。そして、野菜炒めを一口。次は、ご飯の上に野菜炒めを添えて。かみしめるたびに、口の中で踊るごはんが野菜炒めの塩味と混じり合ってどんどんうまみを増していく。特別な味付けはしていないのに、シンプルに美味しい。
「イノ、オレのカレーちょっと食べてみなよ、めっちゃ美味いぜ!」
シシゾーが、早くも食べ終えたチャーハンのお皿にカレーを少しだけ取り分けて、僕にくれた。程良い辛さととろみのルーが、ニンジンやジャガイモと絡み合ってこれまた絶品である。僕はお返しに、野菜炒めをそのお皿の端に少し取り分けてシシゾーに渡した。彼は一口でそれをたいらげると、美味い、美味すぎる、と何度も繰り返した。
「お前ら、あんまり今のうちから食べ過ぎないようにしろよ。今夜はうちで盛大にもてなされるからな」
そう言うシシヤマさんも、いつの間にかカレーライスの二杯目に取りかかっているところだった。
僕はつくづく思った。主食のお米が美味しいということは、大事だけれども実に罪なことである、と。どうしたって、食べ過ぎてしまう。食べたくなってしまうのだ。
シシヤマさんの予告通り、その日の夜はシシヤマ家にて盛大な宴会が行われた。
昼間は学校に行っていた兄夫婦の子どもたちも、みんな本家に大集合して、それはそれはにぎやかな一夜となったのであった。
「イノシチくん、君もずいぶん大人になったねえ。うちのせがれが、何か迷惑かけたりしてないかね」
シシヤマさんのお父さんが、僕にイモガラ酒を注いでくれた。
「いえそんな、むしろお世話になりっぱなしですよ」
「そうかね。まあ、どんどんおやんなさい。遠慮はいらんよ」
お父さんに言われるままに僕がお酒をたしなむ一方で、シシゾーは持ち前の明るさとひょうきんさからすぐに子どもたちと打ち解けて遊んでいた。
「えー! じゃあ、イモほりたいそうっておにいちゃんがつくったの?」
「そうさ! まあ、正確にはみんなと一緒に考えた、ってとこかな。そうだ、オレが直々に元祖・イモ掘り体操を教えてやるよ、さあこっちこっち」
シシゾーは子どもたちを横一列に並ばせ、プロのインストラクターとして「イモ掘り体操」の指導を始めた。
「そうだ、いいぞその調子! さあお待ちかね、元気よく大きな声でイモ掘りのポーズ! よいしょー! よいしょー!」
「よいしょー!」
元気いっぱい動くシシゾーと子どもたちの姿を見て笑い合う中、ふとシシヤマさんのお母さんが言った。
「タダシちゃんたち、今日は来なかったねえ。赤ちゃん連れてくる、って電話で言ってたんだけど」
「きっと、船が欠航してたから遅れてるのさ」
と、シシヤマさんの長兄であるハル兄ことハルオさんが言った。
「キノコ町からは、だいぶ遠いからなあ」
と、次兄のアキ兄ことアキオさんも言った。シシヤマさんは三兄弟の末っ子で、それぞれの名前の由来は、「晴れて・明るく・照らす」=「ハルオ・アキオ・テルオ」なのだ、とシシヤマさんのお父さんが聞かせてくれた。
「テルオ、お前もそろそろ、いい話でもあるんじゃないのかい」
お母さんにさりげなく聞かれたシシヤマさんは、ちょっとだけ不機嫌な顔になった。
「いや、別に今はそんな」
「そういえば、前にほら、えらい美人さんが訪ねてきたじゃないか。名前は何といったっけ、ほらあの、新聞社の」
お父さんの口から「新聞社」という言葉が出た途端、シシヤマさんはバッとお父さんの方を振り返った。その顔は少しも笑ってはおらず、実に真顔であった。
「父ちゃん、今なんて言ったよ」
息子の態度にいささか驚きつつ、お父さんはこんな話をした。
「お前が新聞社にいた頃さ、ちょっといい仲だった子がいたろう。お前がいったん帰ってきて、一ヶ月くらいしてから、またキノコ町に戻っていった、あのすぐ後さ。ご丁寧に、高級そうなお菓子をくれてね。『このたびは、テルオさんをあんなことに巻き込んでしまって、申し訳ありませんでした。どうか、お許しください』ってね。あんまりしょんぼりして、気の毒だったからね、その晩はうちに泊めて、あったかいごはんをいっぱい食べさせて休んでもらったんだよ」
シシヤマさんは、呆然としながら、その話に耳を傾けていた。
お父さんの隣では、お母さんもそのことをしみじみ思い出しながら言った。
「あたしもよく覚えているよ。まあべっぴんさんだったわよねえ、名前は確か……そう、イノハラ……サツキさん」
「!」
その名前を聞いた瞬間、僕は思わず、サツキさんってまさかあの……、と独り言を呟いてしまった。僕の不穏な様子をいち早く察したシシヤマさんが、お前ちょっと、と手招きしながら立ち上がり、ちょっとタバコ吸ってくるわ、と、うまいことごまかして、僕を連れ出し外へ出た。
一歩家の外へ出ると、そこは街灯もなく、一面星空の海が頭上に広がっていた。音もなくきらめく宝石が、こんなに落ちてきそうなほどに綺麗なのに、実際ははるか遠くで光っている存在なのだということが、ものすごく尊いことに思えた。
「どうだ? 田舎の星空はいいもんだろう」
シシヤマさんが、言葉を失い立ち尽くす僕に言った。
「僕、もしかしたら、この星空に見覚えがあるかもしれません」
あることを思い出しかけた僕は、ようやく言葉を発した。
「だろうな」とシシヤマさんは、少しも動じることなく言った。
「お前の育ったイノハウスは、この村からは案外近いんだぜ。セキュリティとかの問題から、あの場所はあまりはっきりとした住所がない、『イモガラ特区』に指定されているけどな。イナホ村の住人にとっては常識だ。ま、俺のじいさんが作った施設だからな」
「……そうだったんですか」
身寄りのない僕は、幼いころから「イノハウス」という養護施設で育ち、高校を卒業すると同時にそこを出た。それ以来、あの場所へは行っていない。ただ、もしもの時のためにと住所と電話番号は控えてあるのだ。
確かに、あの場所は特別に守られている、という印象を子どもながらに感じていた。外部の者たちにとっては近寄りがたい場所だ、という噂も耳にしたことがあったけれど、僕らはそんなことはこれっぽっちも思ったことはない。懐かしい、永遠の「我が家」だ。
「ところで、イノシチ。……お前、何か知ってるだろ」
不意にシシヤマさんが、先ほどの話題に戻ってきた。
「えっ? 何か、って何すか」
「とぼけるなよ。サツキさんだよ」
ああ、やっぱり! シシヤマさん直々からその名前が出てくるとは。
「実は……」
観念した僕は、できるだけ簡潔に、見守りの岬の灯台でサツキさんに会ったという話をシシヤマさんに説明した。その時彼女が、イモガラタイムスについて熱弁を振るっていた、ということや、シシヤマさん脚本の舞台を楽しみにしている、ということも。ただ、彼女が、シシヤマさんの若い頃の写真を今でも大切にしている、ということに関しては一応伏せておいた。
「……」
僕の話を聞き終えたシシヤマさんは、しばらくの間黙り込んだまま、目を閉じて物想いにふけっていた。タバコを吸うと言って出てきたのに、吸ってはいなかった。
長い、長いため息を、時間をかけてフーッと吐き、ゆっくりと目を開けたシシヤマさんは、僕の顔を見て一言、ありがとな、と言った。
「シシヤマさん、サツキさんに会いに行かないんですか」
僕の問いに、シシヤマさんはそうだな、と苦笑いしながら言った。
「いずれは、な。でもまあ……元気そうなら、何よりさ」
そして少しばかり口元を引き締めて、こう続けた。
「とにかく今は、彼女のためにも、そして待ちわびている賢者ファンのためにも……俺は何としても、今度の舞台を成功させてみせる。みんなが大いに楽しんでくれるような、あっと驚く脚本を仕上げてみせるよ」
僕も、その言葉に力強くうなずいた。実に、良い夜だった。
そろそろ戻るか、と促されて、家の中へ入ろうとした時、シシヤマさんが言った。
「イノシチ、明日の朝、お前とシシゾーに見せたいものがあるんだ」
翌朝、少しばかり早起きした僕とシシゾーは、シシヤマさんに連れられて、イナホ村の山間部へと向かった。
稲刈りの季節であれば、シシヤマさんのみならず僕らも迷わず手伝いに駆り出されただろう、とシシヤマさんは笑っていた。
「……なんて、何年も田舎に帰ってなかった俺が、偉そうに言えたことじゃないがな」
「そうッすよ! オレなんか、いつだってお手伝いする気満々ッすよ!」
「ぼ、僕もですよ!」
なんて話をしながらたどり着いたのは、どこかで見たことのある光景の場所だった。山の斜面のあちこちに、きれいにくり抜かれた入口があった。けれども、どうやらそこにはもう、誰かの住んでいる痕跡はほとんど残っていないように思われた。
「あれ! なんかここらへん、オレんちそっくりじゃん」
シシゾーが驚きの声を上げると、だろ? とシシヤマさんがドヤ顔になった。
「俺は子どもの頃から、お小遣い稼ぎによく、このあたりのほら穴式住居の穴掘り作業を手伝っていたんだ」
とシシヤマさんは言った。
「ここで、かつては多くのイノシシたちが住んでいた。……お前によく似た姿のな、イノシチ」
「え!」
今度は僕が驚く番だった。それはあまりにも不意打ちの言葉だった。
「だが、彼らはもうここにはいない。──ただひとりを除いて、な」
ただひとりを除いて。意外とサラリと話されたけれど、僕にとってはかなり重大な事実のように思われたのだった。
「なんだか、急にお前たちにここを見せたくなってな。もしこの先、イナホ村のことを思い出した時に、ついでにほんのちょっとでも、一緒に懐かしく思ってくれたらいいな、ってさ」
「オレ、この場所好きッすよ。引っ越してもいいなあ」
シシゾーが迷わず即答すると、シシヤマさんは嬉しそうにうなずいた。
「よし、そろそろ朝ごはんでも食いに戻るか」
こうして僕らは、朝の散歩を終えて、田んぼの中にあるレストランへと再び足を運んだ。レストランを取り仕切るアキ兄さんと奥さんは、愛想よく僕らを出迎えてくれた。
「テルオちゃん、当分こっちでゆっくりしてくんでしょう?」
「あー……そうだなあ。たまにはいいかな」
シシヤマさんと次兄の奥さんが話していると、チリンチリン、と優しく鈴が鳴り響き、
「おはようございます!」
と、堂々とした挨拶と共に一組の家族が入ってきた。聞き覚えのある声に一同振り返ると、
なんとそこにはキノコ町の巡査・イノガタさん一家の姿があった。いつもは折り目正しい制服を着ているイノガタさんも、今日はポロシャツにチノパンという比較的カジュアルな服装だった。イノガタさんの奥さんは、赤ちゃんを大事そうに抱えてニコニコしていた。
「まあ! タダシちゃんじゃないの! まあまあ奥さんもようこそ。あら、可愛らしいおちびちゃんだこと、いないいないばあ~」
赤ちゃんは無邪気にキャッキャと笑い声をあげ、周りの大人たちはみんなその可愛さに一瞬で癒された。
「どうも、長いことお伺いできず、ご無沙汰しておりました」
「おいおい、プライベートなのに、何をかしこまってるんだよ、イノガ……タダシ」
「いや、挨拶はきちんとしなければならんだろう、シシヤ……テルオ」
イノガタさんもシシヤマさんも、お互いわざわざ下の名前で呼び直したのを不思議に思っていると、僕とシシゾーが一緒なのを知ったイノガタさんが、ちょっと照れ臭そうに言った。
「いやあ、まさかイノシチたちまで一緒にいるとは思わなかった」
「イノガタさん、お久しぶりです! あの、こちらへは休暇で?」
「ああ、子どもをシシヤマさん一家にぜひ会わせたくてね。長期休暇を取るのはいささか心苦しかったが、思い切って遠出してよかったよ。イナホ村行きの船では、みなさんとても良くしてくださってね」
「そうなのよ、イノちゃん」と、とにかく明るいイノガタの奥さんが嬉しそうに言った。
「『お父さんもお母さんもお疲れでしょうから、せめてこの船旅の間はゆっくり休んでいてくださいよ、その間に赤ちゃんは我々が見守っていますから』って言ってくださったのよ。もう本当にありがたくって、涙が出ちゃったわ」
「本当に、世の中まだまだ捨てたものではないな。テルオ、私は大変感動したよ」
と、父になったイノガタさんも感慨深げに言った。
「あのな、身内同士でいる時以外は、基本的に名字で呼び合うことになってるんだ。イトコなのにな、俺たち」
僕の疑問に手を差し伸べるように、シシヤマさんがコソッと耳打ちした。
「俺は、面倒くさいから嫌だ、って言ったんだが、アイツはみんなのお巡りさんだから、公私混同になりかねないって言って聞かないんだよ」
いかにも生真面目なイノガタさんらしい、と僕は吹き出してしまった。
「そうだ、ところでシシゾー君、ちょっとこっちへ来てほしいんだ。実は、君に大事な伝言があるんだ」
急にイノガタさんに呼ばれたシシゾーは、例のごとく赤ちゃんを笑わせるのに夢中になっていたのだったが、何すか? とイノガタさんの前にやってきた。
「シシゾー君。君は先日、勤めていたスポーツジムを退職させられたそうだね。私もその話を聞いて、心を痛めていたんだよ」
「そうなんすよ~。いやあもう、参っちゃったぜ」
努めて明るく振る舞うシシゾーの姿に、道中時折そのことを思い出しては淋しそうな表情をしていた彼のことを僕は思い出していた。
「実はあの後、ちょっとした騒動が起きてしまってね」
イノガタさんは、苦笑いしながら続けた。
「あのスポーツジムには、どうしてシシゾー君をクビにしたんですか、という抗議の電話と、お願いだから彼を復帰させてください、というお願いの電話が殺到してしまったんだ。中には、シシゾー君がいなくて残念だ、と元気をなくしてジムを休んだり、退会してしまう利用者さんまで現れた。そしてそのことは、私の勤める交番にもすぐ広まってきてね。お巡りさん何とかしてくださいよ、と泣きついてくるひとまで出てきたんだ」
「へ、マジで!?」
さすがのシシゾーも、これには心底仰天したらしかった。そんな大ごとになっているなんて、想像もしていなかったのだろう。もちろん、僕もそのひとりだったが。
「そこで立ち上がったのが、君の幼なじみの女の子・カリンさんと、あのウリ山博士の姪御さんのうり子さんだ。彼女たちは、この状況を何とかできないものか、と直接スポーツジムに掛け合った。そして、シシゾー君が辞めさせられた主な原因が、わざとではないのにジムの備品をしょっちゅう壊してしまうということだと知った彼女たちは、キノコ町で有志を集めて、シシゾー君をジムに復帰させるための署名運動を行ったんだ。署名は規定数を大幅に上回り、スポーツジムは再三にわたる会議の結果、シシゾー君が極力ジムの備品を壊さないことを条件にこれを受け入れた。つまり、シシゾー君」
そこでイノガタさんは、きちんとシシゾーの正面に向かい合って、彼の両肩にポンと手を置いて言った。
「おめでとう。君は、またあのスポーツジムに復帰できることになったよ」
「ウウゥウヒョー!! マジで! やったぁ!」
まるで宝くじにでも当たったみたいに、シシゾーは天井に頭をぶつけそうな勢いで飛び上がって大喜びした。笑いながら、大泣きしていた。
「うう、オレはなんて……なんって幸せ者なんだー! よっしゃー!うおー!」
嬉しさのあまり絶叫しながら、あざっす、あざっす、と彼はその場にいたひと全員(店員、客含む)に握手をして回った。良かったねえ、と声をかけられたり、よくわからないけれどもおめでとう、と戸惑い気味に祝われたりした後、最後に僕のところへやってきて、イノー! と思いっきり抱きつかれた。肋骨が折れるかと思ったけど、良かった、おめでとう、と僕もシシゾーに抱きついた。そして心の中で僕は、〝お客さん第一号〟であるひそかな想い人・カリンちゃんと、シシゾーの片想い相手のうり子さんに何度もお礼の言葉を繰り返したのだった。
「あ! しまった」
不意にシシゾーが僕から離れて、一番目立たない席にぽつんと座っていたベージュのパーカーの男性──昨日も同じ席に座っていたひとだ──に走り寄った。そして、
「忘れててすいません! あざっす!」
と、ひときわ強く力を込めて彼の手を握り締めた。男性はわけもわからず、はあ、とあいまいに返事しながら握手したものの、あまりにもその力が強すぎたのか、ちょっとしかめっ面になっていた。
「あ、あの、おくつろぎのところをすみません、お騒がせしました」
あわてて僕もその男性の席へ走り寄り、昨日の一件も含めたつもりでおわびをした。
するとその男性は、シシゾーに握手された時よりも驚いた様子を見せた。そして、深くかぶっていたパーカーのフードを脱ぎ、おそるおそるサングラスを外した。そうして現れた彼の素顔に、僕は驚きのあまり一瞬心臓が止まりそうになった。
彼の顔は──まさに僕の“何も身につけていない”時の顔の色と、あまりにもそっくりだったのだ。
彼はそっと立ち上がり、ペコリ、と僕に一礼した。
「あの、はじめまして。イノシチ君、ですよね?」
彼もまた、僕に似てどこか人見知りらしかった。
「……僕は、トクハタ シシオといいます。そこにいる、シシヤマテルオ氏の友人です」
とっくにお見通し、と言わんばかりに、シシヤマさんがよう、と僕らの後ろから声をかけた。
「いるならいるって言えよ、トクハタ。お前はもっと、堂々としてていいんだよ」
そうだね、とトクハタさんはうなずいて、僕の首に巻かれたバンダナをじっと見つめた。それに気づいたシシヤマさんが、さりげなくこう言った、
「イノシチ、そのバンダナの賢者マーク、実は、このトクハタがデザインしたんだ」
「え……エエェェエー!」
僕もシシゾーも、同時に叫んでしまった。トクハタさんは、ほんのりと顔を赤くしてバンダナから目をそらした。
かつて、路上の片隅で細々と似顔絵を描いていただけの僕が、ひょんなことからこのバンダナに描かれた〝賢者マーク〟を身につけている、というだけで賢者の登場だとまつり上げられ、大騒ぎになってしまったことがあった。そのブームをシシヤマさんと共に裏からけん引していた張本人が、今まさに目の前にいるとは!
「……いつかは、色々とご迷惑をおかけしました。僕自身も、あんなブームになるなんて思っていなかったもので」
申し訳なさそうに頭を下げるトクハタさんにつられて、いえいえそんな、と僕らも頭を下げた。
「僕はかねがね、ありのままの姿で堂々と生きる君に、とても憧れていたんですよ」
とトクハタさんは言った。
「僕らは見ての通り、周りのみんなとは少し違う外見でしょう? でも君は、それをコンプレックスに思うよりもむしろ、自分の個性として確立させている。そこが実に……しびれるんですよ」
「は、はぁ」
そこまで大それたこととは毛頭思っていなかったので、いささか恐縮しながら僕は相槌を打った。それよりもむしろ、目の前に自分と同じような見た目の〝仲間〟がいるということ、初めてそのような存在に巡り会ったということが、かなりの衝撃だった。そうか、僕だけじゃなかったのか。もしかしたら僕は、このことを知るために、はるばるとここまで長い旅をしてきたのかもしれない。そう思った。
そしてトクハタさんはさらに、僕にこう宣言したのだった。
「イノシチ君。君のおかげで、僕ももう一度、きちんと自分と向き合う覚悟がつきました。僕は、この後出航する特別便の船に乗るつもりです。ここからさらに南にある、モミガラ島へ行くために」
「モミガラ島?」
不思議そうな顔をして、シシゾーが繰り返した。僕もまた、その島の名前を誰かの口から直接聞くのは生まれて初めてだった。地図にはひっそり載っているけれど、学校の授業などではほとんど触れられることのない謎に満ちた場所──それが、ここイナホ村から船でしか行くことのできない小さな楽園・モミガラ島なのだ。
「ねえ、モミガラ島って知ってる?」
「さあ、俺も名前までは知らなかったな」
イナホ村に暮らすシシヤマさんの兄夫婦でさえも、首をかしげている。ましてやキノコ町では、イモガラ山の秘境以上に謎めいた存在であることは間違いなかった。
「モミガラ島……」
僕は未知なる島の名を、そっと声に出してみた。自分の見たことのない世界が、まだまだイモガラ島の外には広がっているのだ。僕はまだ、大して何も知らないままだった。
「あの、イノシチ君」
トクハタさんが、ちょっと声を強めて僕に言った。
「ここで出会えたのも、何かの縁です。もし、君さえよかったら……僕と一緒に、モミガラ島へ行ってみませんか? そこには、僕らと似た外見の仲間が、多く暮らしているそうなんです。僕は、ぜひこの目でそれを確かめてみたい。君が一緒に来てくれたら、僕も心強いし……何より、モミガラ島の住民の皆さんに、イモガラ島にも同じような仲間がいるんだ、ってことを直接伝えたいんです」
この思いがけない申し出に、僕の心臓がとくんと音を立てた気がした。
生まれて初めて、イモガラ島から離れて外の島へ行く。それだけでもう、気持ちとしては大冒険だ、と思った。
どうしようか? 似顔絵の仕事ならば、どこでだってできる。でも、居酒屋のアルバイトは? ……もっとも、当分の間は建て直しに時間がかかりそうだけど。
何よりも僕は、ここまで一緒に旅してくれた親友のことを思った。晴れてスポーツジムに復職できることになったシシゾーは、もうすぐキノコ町へ帰らなければならない。僕ひとりだけで、ずるいなんて思われないだろうか? それに、シシヤマさんだってきっと、こんなめったにない面白そうな話に飛びつかないわけがない。さあ、どうする?
「ったく、何を悩むことがあるんだよ、イノシチ」
呆れたような声に、僕はハッと振り返った。シシヤマさんが、答えはもう出てるだろう、とでも言いたげに、僕に笑いかけた。
「イノ、オレのことならもう大丈夫だからさ! 行ってこいよ、モミガラ島。オレがお前だったら、迷わずそうするぜ」
シシゾーが力強くガッツポーズして、僕にエールを送ってくれた。
「イノシチ、お前は自分の信じる道を行けばいいんだ。恐れないで、前に進みなさい」
町のお巡りさんらしく、イノガタさんが生真面目に、そして温かく励ましてくれた。シシヤマさんの次兄夫婦、それに一般のお客さんたちまで、うん、うん、とうなずいた。
こうなるともう、後は自分の勇気、ただ一つだった。既に、僕の心は決まっていた。
「……わかりました。僕も、一緒に行きます。モミガラ島へ!」
一斉に周りから拍手喝采が起こり、頑張れー! と声援があちこちから飛んできた。僕の返事を聞いたトクハタさんは、ようやくホッとしたような笑みを浮かべて、ありがとうございます、と僕に頭を下げた。
僕は、急に思い出して、ずっとズボンのポケットに入れっぱなしにしていた空気笛を取り出し、シシゾーに手渡した。
「これ、シシゾーを助けに行く時、スルメおばちゃんから預かった空気笛なんだけど、よかったらお前が持っててくれないかな。もしもの時の、護身用? みたいな」
「おっ! オレにくれるのか? サンキュー」
ニッコリ微笑んで、シシゾーは大事そうに空気笛を受け取った。
「向こうに着いたら、手紙くらい送ってくれよな、イノ」
空気笛と一緒に、僕の手もきゅっと握りしめてくるから、僕は正直ちょっと可愛らしいな、と思ってしまった。
「うん。着いたら、連絡するよ」
僕はシシゾーの頭を撫でながら、元気よく言った。
こうして、僕とシシゾーの珍道中は、賑やかに幕を下ろすこととなった。
けれども、それぞれの旅は、これからもずっと続いていく。
僕は本当は何者で、これから一体どこへ行くのか。
今はまだ、わからないことだらけだ。これから先だって、もしかしたらずっとわからないままかもしれない。
それでも僕は、この終わりのない旅を続けていくことだろう……
「ちょっと! とりあえず、あんたたち何かお食べなさいよ、朝ごはん、まだなんでしょう?」
束の間の感傷は、威勢のいい言葉であっという間にかき消された。
「あ、すっかり忘れてた! お腹ペコペコだよ~」
「姉さん、俺カレー食いたい」
「あ、僕はおにぎりセットと……」
「はいはい、少々お待ちくださいね~」
今はとりあえず、みんなと一緒に美味しいごはんをいただくことにしよう!
<おしまい>




