第17話 ギリギリおびき寄せ大作戦
その頃、東の海岸が大騒ぎになっていたことをまだ知らずにいた僕らは、シシゾーを救出するための作戦を大急ぎで考えついた。先ほどまでのひょうは、いつの間にかやんでいた。
「その名も、〝ギリギリおびき寄せ大作戦〟です」
スルメおばちゃんが、壁に掛けられた黒板にカツカツとチョークで文字を書いて説明した。
「あの、ギリギリ、とはどういう意味でしょうか」
僕が手を挙げて質問すると、おばちゃんはオホン、と咳払いして答えた。
「先ほど、東の海岸付近で巨大な鳥が誰かをくわえて歩き去っていくのが見えたとの報告がありました。おそらく、シシゾーさんで間違いないでしょう」
ゴクリ、と僕は唾を飲み込んだ。子どもたちも、心配そうに僕の顔を見つめている。
「これまで得られた情報によると、あの鳥はたいてい、ホホー、ホホーと繰り返しながら海を歩いているようですが、今はその鳴き声が聞こえてきません。これは、いまだホホー鳥がシシゾーさんをクチバシにくわえたままでいるという何よりの証拠!」
普段は冷静なおばちゃんも、つい言葉に熱がこもる。
「一刻も早くあの鳥に追いつき、海と陸のギリギリのあたりで、ホホー鳥の好きな果物を並べておびき寄せましょう。鳥が油断してシシゾーさんを離したところで、速やかに救出する、という流れです」
「わかりました!」
勢いで僕が立ち上がると、子どもたちもそれに続いて立ち上がった。
「せんせい! ぼくたちもがんばって、シシゾーにいちゃんをたすけます!」
「よくぞ言ってくれました!」キリッとしたスルメおばちゃんの表情が、ほんの少しだけほころんだように見えた。
「お前たち、ちょっとこちらへ」おばちゃんは、子どもたちだけをそばに招き、何事かヒソヒソと話をした。すると、子どもたちの表情がさらに引き締まり、よっしゃー! とか、やるぞー! などと、それぞれ一層気合を入れ始めた。
「いいですね。繰り返しますが、お前たちの任務は、イノシチさんの身をお守りすることです。それを常に第一に考えるのですよ」
「はい!」
「よし! いまからオレたちは、イノシチにいちゃんのボディガードだからな!」
何やらスルメおばちゃんに耳打ちされた子どもたちが、やけに張り切って鼻息をフンスフンスさせている。せっかくなので、それじゃどうぞよろしくお願いします、と僕はおじぎをした。
「あら、いいんですよ気を遣わなくても」スルメおばちゃんがあわてて言った。
「これは、この子たちにとっては大切な修行でもあるのですから」
「修行?」
「ああいえ、こちらの話です。さあ、イノシチさん、すぐに裏山へ果物を集めに行ってください。それから先は、この子たちに全て任せます。私は宿の女将ですから、今ここを離れるわけにいかないのです」
「えぇ!?」
子どもたちのためとはいえ、いくらなんでも、それはちょっとあまりにも荷が重いのでは?
「だいじょぶだよ、ボクたちにまかせといてよ!」
「へーきへーき、こわくないからさ」
えっ、何か怖いことでもあるわけ?
「ツタをわたりながら、やまをこえていけばいいんだよ」
行こう行こう! と子どもたちに手を引かれながら、僕は宿の裏にある山へと向かった。
イモガラ島には、「イモガラ珍百景」なる様々な名所があるという。その中でも、季節を問わず色とりどりの花が咲き乱れる庭園や、万年雪の谷と呼ばれる秘境の温泉のそばにある滝など、この地域一帯にはなぜかそれらの名所が集中しているのだそうだ。
「イノシチにいちゃん、あっちにバナナのきがあるよ! はやくはやくー」
走り出す子どもたちの後を必死でついていき、まるでいくつもの風に囲まれたみたいに森の中を駆け抜けてゆくと、なぜかいきなりバナナの木が群生している場所に出た。
「ここ、いつきてもバナナがたくさんなってるんだよ」
コノハが得意げに胸を張ってみせると、あーそれオレがいおうとおもったのに! とコカゲがちょっと不満そうに口をとがらせた。まあまあ、と一番おっとりしたコノミが二人をとりなした。
「イノシチにいちゃん、ここにいっぱいバナナをあつめようよ」
そう言いながらコノミが、懐から大きめの風呂敷をバッと取り出し、バサァ! と勢いよく広げると、風呂敷は意外にも畳二畳分くらいあった。よーい、ドン! と、いつの間にか号令がかかって、気がつけば子どもたちが一斉にバナナの木めざして走り出し、僕はひとりぽつんと取り残されてしまった。おっと、いけないいけない、ここは僕が率先して皆をリードしなければ。
「あの、みんな気をつけて登るんだよ」
僕の注意はほとんど彼らには届いていなかったようだけど、そんな心配など無用だった。なぜって、彼らは僕なんかよりもずっと運動神経が抜群に良かったからだ。それどころか──これは一般的なそれとは、明らかに質が違う。やっぱり何か、特別な訓練でもしているんじゃないだろうか……
「イノシチにいちゃーん! いくよー、うけとってねー」
突然、ひょーい、とバナナの房が投げ落とされ始めた。うわわ、と僕はうろたえながらもどうにかバナナをキャッチした。しかし安心はしていられない、まるでわんこそばのように次から次へと、容赦なくバナナが落とされ、僕はひたすらそれを受け止めまくるという地道ながら大変な作業に追われることとなった。あっという間に、地面に広げた風呂敷の上はバナナで埋め尽くされた。
「ちょっと取り過ぎたんじゃない?」
「じゃあ、一本ずつたべちゃおうよ」
僕らは遠慮なくバナナの皮をむき、さっそく一口かじってみた。じっくり待ちわびた、という表現がまさにふさわしいほどの甘みが口いっぱいに広がってゆく。それでいて、みずみずしさも失われていない。これは確かに、ホホー鳥もトリコになるわけだ。
「これを波打ち際のギリギリに並べて、ホホー鳥をおびき寄せるんだね」
「うん! はやくうみへいそごう」
そう言うなり子どもたちは、ためらうことなく近くの木から垂れ下がっていたツタに飛び乗り、イエー! と奇声を上げながらどんどん先の木のツタへと乗り移ってゆく。あっ、待ってよ、と僕はバナナの包みを背負ってよちよちと後を追いかけた。
少しばかりそうやって走り続けていたけれど、それは長くは続かなかった。子どもたちが飛び移っていたツタが、並び立つ木々の終わりとともにパタリと途絶えてしまったのだ。
「あー、おわっちゃったー」
子どもたちが、しぶしぶ地上へと降りてきて、残念そうにため息をついた。
「ねえ、この辺りから海へ行くための乗り物ってないの?」
「んーとね、ないよ!」
あっさりと子どもたちは答えた。僕は思わず頭を抱えた。
「じゃあ、どうやって海まで行くの? 飛べでもしない限り……」
「うん、とぶよ」
「えっ?」
子どもたちは、懐からサッと何かを取り出し勢いよく広げた。先ほどバナナを包んだのよりはもう少し小さな風呂敷の四隅を手足に装着すると、それはムササビのようなマントになった。
「ぼくらは、これでとべるけど」と、コノハが僕を見ながら言った。
「イノシチにいちゃんはとべないし、バナナはどうしようかなあ」
そこが一番肝心だと、僕も思った。
「みんなで一緒に移動できなきゃ、意味がないと思うよ」
「そうなんだけどさあ」
「どうしようか?」
うーん、とみんな考え込んでしまった。こんな所で、モタモタしているわけにはいかないんだけどなあ、と途方に暮れながら、僕はちょっとだけウロウロ歩き回った。
「ん?」
ふと、地面に見慣れない長い棒のようなものが落ちているのに気づいた。よく見ると、棒状のものの周りにフサフサと何かが生えている。毛? 違う、これは羽だ。青い海のような色をした羽……ホホー鳥の羽だ! これはまた随分と長くて立派なものだな。あちこち移動しているうちに、偶然抜け落ちたのだろうか。軽い気持ちでその羽を拾い上げようとしたら、これが思いのほか重い!
ふんぬううう、と歯を食いしばって、巨大な応援旗を掲げるみたいに羽の芯を両腕で抱え上げた。羽の先端がどうにか空を指した直後、突然羽全体がバサァ! と開ききって、オオォーン! と唸り声のような轟音と共にとてつもない大風が巻き起こった。
「う、うわぁぁあ〜!」
風呂敷マントをまとった子どもたちが、まともに風を受けて数メートルほど吹っ飛んだ。僕もよろめいてその場に尻餅をついてしまった。
「すっげえ! なに、いまの!」
吹っ飛ばされてもあっという間に起き上がり、僕を助け起こしながら子どもたちが口々に歓声を上げた。
「いたたた……君たち、ごめんね。大丈夫だった?」
「うん! おもしろかった!」
「ねえ、これならもしかしたら、イノシチにいちゃんもとべるかもよ」
「でも、一度風が吹いたくらいじゃ、ずっと飛ぶことは難しいんじゃないの?」
僕の問いに、子どもたちは少しばかり頭をひねって考え、すぐにいいこと思いついた! とワイワイはしゃぎだした。
「あのね、かぜをパワーアップさせればいいんだよ!」
「アレをつかえば、きっとできるって」
「アレ、って?」
「えっと、かぜをおこしたらね、かぜをつよくするの」
頭の中に疑問符が十個くらい湧いてきた僕だったが、子どもたちによると作戦の内容はこうだった。
まず、ホホー鳥の羽を思いっきり僕に向かって振り下ろし、大風が起こったところで、その風にいわゆる〝魔法〟をかけると、その風がより強いものになるのだ、という。そしてすかさず、自力で飛べない僕が風力によって舞い上がったところで、子どもたちが自力で空中へ浮かび上がり、僕が落ちないようにサポートしながら東の海岸をめざす、ということになった。
「本当に、こんな作戦でうまくいくのかな?」
「たぶん、なんとかなるよ!」
全くアテにならない言葉に後押しされながらも、僕はこわごわと身構えた。
「それじゃ、いくよ! よいしょー!」
甲高いかけ声が響き渡り、思わず吹き出しそうになりながらも必死で僕は風を受け止めようとした。装着した風呂敷からは、さっきバナナをたくさん包み過ぎたせいか、すっかり甘い匂いが漂った。
「今だ! いっせーの、〝かぜつよつよのじゅつ〟! よいしょー!」
元気いっぱいに繰り返される「よいしょー!」のかけ声、それはまさに、シシゾーがかつて勤めていたスポーツジムで大流行していた「イモ掘り体操」のかけ声だった。そういえば、テレビの取材も何度か受けたことがある、とシシゾーは言っていたっけ。
「よいしょー!」
気がついたら、僕も一緒になって叫んでいた。その拍子に、風が急に倍以上の威力になり、僕の身体をまるごとくるんでフワリと浮き上がらせてくれた!
「やった! よし、オレたちもいくぞ!」
コノハ、コカゲ、コノミはホホー鳥の羽を投げ捨て(というよりは重さに耐えかねて手を離し)、風呂敷マントを広げて一斉に高く舞い上がった。
「イノシチにいちゃん! あとはぼくらにまかせて!」
そう言うと彼らは、それぞれ僕の身体の端を掴んで、そのまま風の力を利用しながら東の方向へと舵を切った。
「ひ、ひぇえぇ〜」
情けない悲鳴を上げながら、僕は子どもたちにバリアのように囲まれて飛び続けた。もうとっくに〝かぜつよつよのじゅつ〟の効果は切れているはず、と何度も疑いかけては、いやいやいやそんなこと考えちゃダメだ! と必死に思い直す、それの繰り返しだった。あれほど時の長さが果てしなく長く感じられた瞬間はなかった。
「あっ! うみだ!」
「もうすこし、だからがんばろう!」
子どもたちはありったけの力を振り絞って、僕を砂浜の上まで誘導した。ようやく僕が砂の上にボフッ! と降り立ったのを見届けるなり、力尽きたのか次々と落下して砂の上に大の字に倒れこんだ。みんな、小さな身体でハアハアと荒い息をしている。僕はつくづく、この子たちに申し訳なくなってしまった。
「みんな、ありがとう。後は、僕が引き受けたよ」
そう声をかけると、子どもたちはいかにもやりきったというように片腕を軽く上げてみせた。僕は急いで背中にしょっていた風呂敷を下ろし、子どもたちが持っていた分のバナナと一緒に手元に集めると、バナナを一本ずつもいで砂浜の端からズラリと並べていった。
並べ終えた後でようやく僕は、周りの惨状に気づいた。観光客がバカンスを楽しんでいたであろうパラソルやチェア、バーベキュー台などがめちゃめちゃに踏み荒らされた痕跡。おそらく、突然のホホー鳥の来襲に慌てふためいたであろうイノシシたちの乱れた足跡の数々……
おそらく、まだホホー鳥はこの近くにウロウロしているはずだ。そして、シシゾーも一緒に。本当に、こんな作戦でうまいこと姿を現すだろうか? 考えれば考えるほど、良からぬ想像が頭をよぎって身体が震えてきたけれど、僕は負けるものかと砂浜に足を踏ん張り、腹から声を出して叫んた。
「ホホー鳥! 来るなら来い! シシゾーを返せ!」
と、その時。
突然、背後からけたたましい物音が響いた。僕が思わずビクッとして振り返ると、
「その声はまさか……イノシチ!? イノシチなのか?」
なんとそこには、シシヤマさんとその友人たちがいたのだった!




