第12話 わくわく温泉ランド
秘境の温泉をめざしていた僕らは、いったんトロッコから降りてスルメを食べながら休憩することにした。
トロッコを停めていた所は線路の本線からちょうどそれていて、そこが切り替えポイントになっていた。スルメが運ばれてきた箱が設置されていた木のすぐそばに、ちょろちょろとではあるがきれいな湧き水が流れていた。僕もシシゾーも、スルメを少しずつ裂いては食べ、湧き水を飲み、を繰り返して疲れを癒していた。
「このスルメ、うまいな」とシシゾーが、口をもぐもぐさせながら言った。
「塩加減がちょうどいいね」
「さすが、あれだけおススメしてただけのことはあるよな!」
そんなことをのんきに話していたところ──背後から、なにやら騒がしい声と音とが同時に近づいてきた。ほどなくしてそれはきゃあきゃあはしゃぐ子どもたちの声と、ガタンゴトン走る車の音だと分かった。そしてその車はなんと、僕らが乗っているのとは別のトロッコだった!
「アハハ、いいぞーもっとはしれー」
「うわーい、はやいはやーい」
トロッコはぐんぐんスピードを上げてきて、とうとう僕らのいる所まで迫ってきた。がしかし……
「あっ! あ~~~」
そのトロッコは、あっという間に僕らのすぐ横を通り過ぎてしまった。乗っていた三人の子どもたちは、明らかに僕らの姿に気がついて反応していたけれど、トロッコはそんな彼らの思惑をまるっきり無視して、行ってしまった。
「な、なんだぁ!?」
シシゾーがすっとんきょうな声を上げ、トロッコの走っていった方を見やった。
「シシゾー! 僕、気づいちゃったんだけどさ」
と僕は言った。
「あのトロッコ……自動で動いてたよ。あの子たち、全然こいでなかった」
「えっ、そうかぁ? けど、オレたちの乗ってるこのトロッコと、大して変わらなかったぜ。ハンドルもついてたし」
動体視力の良いシシゾーが言うのだから、おそらくそうなのだろう。それにしても、ずいぶんと飛ばしていたなあ。いったいどういう仕組みなのだろうか?
「よっしゃ、イノ! オレたちも後を追いかけようぜ」
そう言うなりシシゾーが、えいやっとトロッコに飛び乗った。
「あ、待ってシシゾー」
とっさに僕は、線路の進行方向を切り替えようとそのスイッチを探した。どうやって切り替えればいいんだ。
「シシゾー、このままじゃ進めないよ。進路を切り替えないと」
「え? じゃあ、こうするか」
そう言ってシシゾーは、飛び乗ったトロッコからいったん降りると、小柄な体で両腕を精一杯広げて、ふんすとトロッコの車体にしがみついた。
「んんんーーーおおおりゃあ!!」
なんと、トロッコの車体が線路から浮き上がり、ズシーン! と地響きかと思われるほどの音を立てて本線のレールの上に移動されたのだ。しかも手動で。
「エエェェェーーー!!!」
あたりに僕の絶叫がこだました。シシゾーの馬鹿力は前から承知していたつもりだったけど、まさかここまでとは。
「そぉれ、一気に追いつくぜぇ!」
僕らは再びトロッコに乗り込み、お互い息を合わせてハンドルを上下に動かし続けた。たちまちトロッコは加速してゆき、重い車体がまるで浮き上がりそうなほどに、僕らのこぐトロッコはあっという間に前を行くもう一台のトロッコの姿をとらえた。
先ほど勢いよく走り去っていったトロッコには、ヤンチャ盛りとおぼしき子どもたちが三人、大はしゃぎしながらそのスピードを楽しんでいた。よく見ると、トロッコ全体がまるで空気のかたまりのようなものに覆われ……というよりはむしろ、空気の流れがトロッコをぐいぐい押しているようにも思われた。そして、やはり僕の見間違いではなく、彼らは誰ひとりとしてトロッコをこいではいなかった。
「あっ!」不意に子どもたちのひとりが、迫りくる僕らに気づいて両手をバタバタさせた。
「さっきいたひとたちがおいかけてきた! やばい、もっとスピードアップだ!」
「えームリだって、これがいまのおれたちのウルトラマックスなんだぜ!」
「じゃあもっとウルトラマックスにしようぜ! いくぞ~……はぁぁ!」
そういうなり、彼らはいっせいに目を閉じ、両手を胸の前に突き出して何事かムニャムニャ唱え始めた。すると、彼らをトロッコごと包み込んでいた空気の層が、少しだけ厚みを増したように見え、その拍子にトロッコはわずかながらも加速したのだった!
「おっ! やるな、アイツら」
シシゾーが、負けていられないとばかりにさらにハンドルに力を込め、それにつられるように僕も必死でこぎ続ける。子どもたちを乗せたトロッコは、いったんは加速したものの、次第に遅れ始め、僕らとの距離がだんだん縮まっていった。
「わー、おいついちゃうよー、もっともっと」
「ムリ! むーりー!」
子どもたちがわあわあ騒ぎ、シシゾーがすかさず声をかけた。
「おーい! 待ってくれよー! オレたち、秘境の温泉めざしてるんだよー」
「え、なーにー? きこえなーい」
まさかこんな速さで追いかけられるとは思ってもいなかった子どもたちは、ちょっと焦っているようだった。
「なあ君たちー、なんでそんなに速く走れるんだー?」
「えっ? し、しらないよー! しらないんだからなっ」
「なー、ひみつだもんなー」
「えー、オレにもその秘密、教えてくれよー」
「ダメー!」
シシゾーの無邪気な質問に、むしろ子どもたちの方がタジタジになって、ますます慌てだした。
「って、ちょっと! 前、前!」
不意にあることに気づいた僕は、あらんかぎりの大きな声で、シシゾーにも子どもたちにも注意を促した。
「えっ、まえ?」
「あー! ぶつかるー!」
つい最近見覚えのある感じだと思ったら、さっき衝突したばかりの赤い壁と同じものが前方にそびえ立っていた。なんでまたそこにあるんすかー!
「ちょ、おまえなんとかしろよ」
「もうちからでないよー」
子どもたちは、どうにかして必死で目の前の壁に立ち向かおうと頑張ったものの──
ボフッ! さっき聞いたばかりの音が、あたりにこだました。僕らも続けて突っ込んでしまう、と頭を抱えてしゃがみこんだけれど、不思議なことに僕らの乗ったトロッコへの衝撃はそれほど大きいものではなかった。子どもたちの乗っていたトロッコの後部がぐしゃりと潰れたけれど。
「うわ! 君たち、大丈夫かよ!?」
シシゾーがもう一つのトロッコに飛び乗って、ひっくり返っている子どもたちを助け起こした。おそるべき機動力の高さである。
「うーん……もうちょっと、とばせるとおもったんだけどな」
子どもたちのひとりが、悔しそうに天を仰ぎながら呟いた。
「こんどはもっと、いっぱいくんれんしてからやろうぜ」
「うん、そうしよう」
彼らはお互いに無事を確かめ合い、顔を見合わせてうなずき合った。
「ねえ、訓練、って?」
大丈夫そうなのが確認できたので、僕も子どもたちに近づいて話しかけた。ところが、僕の何気ない質問に対して、子どもたちはにわかにギョッとした顔つきになって警戒心をあらわにした。
「べ、べつに、なんでもないんだからな!」
「そうだぞ! きぎょうひみつなんだぞ!」
いかにも怪しさ満点のぎこちない答え方に、思わず僕は吹き出しそうになった。何だか不思議な能力を使った可能性が大きいけれど、この時はまだその秘密を知る由もなかった。
僕はトロッコから降りて、改めて周囲の風景を見渡した。深い緑をたたえた木々が互いにそよそよと彼らの言葉で会話していた。その合間に、虫の羽音や笛のようなさえずりが彩りを添えるように聞こえてきた。普段暮らしているキノコ町では感じることの難しい空気感だ。
この綺麗な空気を胸いっぱいに吸い込もうとしていたその時、
「あらあらあら、まあ! なんとしたことでしょう! 大丈夫ですか、皆さん」
大きめの三つ編みを振り乱して、赤い壁の向こう側から女の人がたいそうあわてた様子でこちらへ走ってきた。彼女の姿を見た子どもたちは、ヒャッと飛び上がって脱兎のごとくどこかへ逃げ去ってしまった。
「あっ、こら! 待ちなさい、お前たち! ……はぁ、まったく本当に」
女の人は、大きな大きなため息を一つついた後、急に凛とした表情でこちらに向き直り、深々と僕らにおじぎをした。
「このたびは、私どもの集落の子どもたちが悪さをいたしまして、とんだご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。おけがなどされていませんか? この償いは、誠心誠意させていただきますので」
「いえ、僕らは大丈夫ですよ」と僕もおじぎをしながら言った。「あの、僕たちは秘境の温泉があると聞いて、このトロッコに乗ってきたんです」
「まあ! それはどうもありがとうございます。私は、秘境の温泉で民宿を営んでおります女将でございます。」
「えっ! マジッすか!」とシシゾーがすかさず割り込んできた。
「いやー、吊り橋が壊れて行けないって聞いてたし、トロッコはなかなか見つからないしで、大変でしたよ! でもよかった、もしかしてあの子たちが案内してくれたんすかね?」
その話を聞いた女将さんの表情が、少々こわばり気味になったのを僕は見逃さなかった。
「えっ……トロッコがなかなか見つからなかった、と?」
「はい、実は」と僕は答えた。
「なんていうか、全体が苔とサビみたいなものに覆われていて、すぐには見当たらないような感じでした。しかもそれ、ベリベリはがすことができたんです」
「そういえばあの子たち、ちっともトロッコこいでなかった、ってさっきお前言ってたよな、イノ」
「むむ……まことか、それは」
僕とシシゾーのやりとりを聞いていた女将さんの口調が変わった気がしたのがちょっと怖かったけど、僕ははい、とうなずいた。
「……オホン。失礼いたしました。トロッコが隠されていたのはおそらく、先ほどのあのいたずらっ子たちのしわざでしょう。彼らには、後で厳しく言い聞かせておきますゆえ、ここは私に免じてどうかお許しいただけますでしょうか」
「大丈夫ッすよ! オレ、全然気にしてないッすから」
シシゾーが明るく答えた拍子に、ポケットにねじこんでいた食べかけのスルメがポトリと地面に落ちた。三秒ルール! と叫んでシシゾーがスルメを急いで拾ってパクリと頬張ると、その場の空気がふっと和らいだ。
「そのスルメは! ああ、やはりあなたがたでしたか、まあまあ重ね重ね、ありがとうございます」
女将さんが、両頬に手を当てて大げさなくらい驚いてみせた。
「……というと、もしかしてあのスルメは」
「ええ、実は私のお手製でございますの。お気に召していただけたようで、光栄です」
そう言って女将さんは、自分も懐から袋に入ったスルメを取り出して見せた。
「女将と呼ばれるのも、あまり慣れていませんで、もしよろしければ〝スルメおばちゃん〟とでもお呼びくださいまし。さあ、ここからあと一、二分ほど歩けば宿に着きますよ」
なんだかこんにゃくおじさんみたいだな、と思いつつ、僕はシシゾーと一緒に女将さん、もといスルメおばちゃんの後について歩きだした。
スルメおばちゃんは、自分でおばちゃんと名乗ったわりにはそこまでおばちゃんでもないのに、と僕は思った。でも、せっかくそう呼んでねと言われたのだったら逆にそのあだ名で呼ばなければ失礼にあたるのかな? ……などと僕がつまらないことを考えている間に、さっそくシシゾーはなれなれしく、おばちゃん、このスルメうまいッすね、と話しかけていた。それは良かったわ、とおばちゃんも嬉しそうに目を細めていた。こういうことにかけては、シシゾーには到底かなわないんだよなあ。ちょっとため息が出てしまう。
けれど、頭上から時折降り注ぐ木もれ日は、何も言わず優しく僕らを見守り、立ち昇る草と土の匂いとが混じり合って、トロッコをこぎ続けて疲れていた身体に少し元気が湧いてくるような気がした。
そのまま道なりになだらかな上り坂を歩いていくと、素朴な藁葺き屋根の家が何軒か並んだ集落が見えてきた。どうやら、ここが秘境の温泉の民宿、なのだろうか?
家々の前では、同じ色のお揃いの作務衣を着た女性たちが、野菜を洗ったり、洗濯物を取り込んだり、それぞれの作業に励んでいた。彼女たちは僕らの姿に気づくとすぐに作業の手を止め、皆ていねいにおじぎをした。
ふと後ろの方から視線を感じたような気がして、僕は振り返ってみた。さっきのトロッコに乗っていた子どもたちが、茂みの中から顔を出しているのが見えたけれど、ほんの一瞬で小さな顔たちはぴょいッと引っ込んでしまった。
「さあ、着きました。ようこそ、秘境の温泉の宿へ」
スルメおばちゃんの言葉に、なぜか僕は一種の緊張感を覚えた。いつの日だったか、キノコ町の巡査・イノガタさんのお宅にお邪魔した時、みんなで一緒に見ていた番組で紹介されていたのが、まさにこの場所だったのだ、ということを急に思い出したのだ。僕も意外と、流行りに影響されやすい性格だったんだなあ、なんてことまで考えて、我ながら吹き出しそうになった。
一方のシシゾーはというと、温泉! 温泉! と腕を振り回して大はしゃぎしている。旅の始まりから、ここへ来るのは目的の一つだっただけに喜びも倍増だろう。
何軒か立ち並んだ家のうち、一番大きな家の中に入ると、上がりはなに受付らしきスペースが設けられており、文机に向かって帳面をチェックしていた女性がハッと顔を上げた。
「久しぶりのお客様ですよ。心しておもてなしなさい」
スルメおばちゃんの凛とした声に、その女の人は背筋をピンと正して、はい! と大きな声で返事をした。
「ようこそ、秘境の宿にいらっしゃいました。恐れ入りますが、こちらにお名前を」
僕らがそれぞれに帳面に名前を記すと、それを確認した女性の顔色がサッと変わった。
「まあ! おめでとうございます! あなたがたは、この宿が開業して以来1000組目の記念すべきお客様でございます」
どこからともなくブォー、ブォーとほら貝が鳴り響き、パァン! という乾いた音と共に紙吹雪が天井から降り注いだ。な、何事!? と僕はうろたえ、シシゾーは飛び上がって無邪気に喜んだ。
「やったぁ! オレたちついてるな、イノ!」
「え、なんか、いいのかなぁ」
「いいじゃんか! きっと何か記念品とかさあ」
するとスルメおばちゃんがにっこりとうなずいて、僕らに言った。
「特別記念サービスとして、今回の宿泊費を無料とさせていただきます。どうぞ、存分におくつろぎくださいませ」
「うわぁお!!」
僕らは同時に叫び声を上げてしまった。なんという渡りに舟! ここまでの旅のうちでも、それは最もラッキーな瞬間といっても良かった。
こうして僕らは、しばらくの間、この民宿に滞在することにしたのであった。




