第11話 ドライブスルー・バイ・トロッコ
僕らはいったん、謎の足跡のような窪みを辿るのをやめて、ひとまずはトロッコを探しに行こう、ということになった。
線路の枕木の破片のようなものがあちこちに散らばっていたのが、森の中へ深く分け入っていけばいくほど本来の整然とした配列を取り戻し、だんだん線路のレールらしくなってきた。とりあえず、このレールを辿っていくことにしよう。
念のため、と僕は、少しばかり線路から離れて歩き始めた。もし間違ってトロッコが突っ込んできたりしたら大変なことになる。
「イノ、そんなに離れなくても大丈夫だって!」
シシゾーが、レールの片側をまるで綱渡りするみたいに歩きながら手招きした。
「いや、でも一応さ」
「何か来たら、よければいいんだよ。お前もこっち来いよ、楽しいぜ」
遠慮するよ、と僕はやんわりかわした。あくまでも慎重派の僕にはお構いなしに、シシゾーはそろりそろりとレールの上を歩いていたが、そのうちそれだけでは飽き足らなくなって、よっ、と逆立ちして今度はその姿勢のままひょいひょい進み始めた。すっかり彼なりの〝楽しいスイッチ〟が入ってしまったようなので、あぶないよと注意したくなるのをあえて我慢して、僕は僕で歩き続けた。
僕は僕で、か。ふと、場違いな考えが頭に浮かんできてしまう。ふだん、キノコ町で居酒屋のバイトをしたり、似顔絵を描いているのからすればまったく日常からかけ離れている。トロッコを探しに、とはいえ、どういうわけか、こんなにも深い山の中を歩き続けている。僕が今ここにいるなんて、きっとカリンちゃん──僕の〝お客様第一号〟で、いつも僕の絵をほめてくれるありがたい存在だ──は知る由もないだろうな。今頃どうしてるかな、カリンちゃん……とぼんやり考えながら歩いていたら、突然ガシャーン! という音が辺りに響きわたり、僕は思わず飛び上がった。
「うあぁ、いってぇ~」
気がつけば、シシゾーが地面にひっくり返って頭をさすっていた。逆立ちしたまま、ろくに前も見ず進んでいたシシゾーが、前方を阻んでいた何かにぶつかってしまったらしい。ああ、やっぱり一言注意しておくべきだった、と僕は内心後悔した。一足遅かったけれど。
「シシゾー! 大丈夫?」
あわてて駆け寄り、小柄なシシゾーの身体を助け起こすと、シシゾーはあー、痛かった、と叫んで、すぐ目の前にある自分がぶつかったものの正体を即座に見抜いた。
「イノ! あった、あったよ! トロッコじゃね? これ」
シシゾーが興奮気味に指さしたそれは──確かに線路の上を走る車だと推測できた。ところが、主に赤茶けている部分と苔むしたような部分で、その物体の表面が覆い尽くされているようにも見えた。
「なんだか、モコモコしてるね」
「けど、ぶつかった時痛かったぜ」
僕らは、その車の周りをさまざまな角度から観察し、下から覗き込んだ時に確かに小さいけれど溝のついたタイヤが四方に取り付けられていることを確認した。
シシゾーが、車らしき物体の上によじ登り、四つん這いになってフンフン匂いを嗅いだり、表面にこびりついたものをはがそうとしたりした。僕も、そばに近づいて同じようなことを試してみた。赤茶けた部分は、ひどくサビびついた匂いがした。
「どうやったら、こんなにびっしりサビびついてしまうんだろう。そんなに長い間、ここに放置されていたのかな」
「どこもかしこもサビだらけだぜ。おまけに苔までビッシリだな、アハハ」
不思議なことに、その台車らしきものは、まるでそこだけ時が止まってしまったかのように、すっかりサビと苔に覆い尽くされていたのだった。どうやら、鉄のような素材と、木材とを組み合わせて作られたものらしい。
時を止めてそこに佇む台車の先には、確かに未来を指し示す線路がずっと先まで続いていた。もし、これに乗ることができるならば、きっと違った世界が開けるに違いない。だんだん期待に胸が高鳴っていくのと同時に、一体どうやったらこれを動かすことができるのか、という不安が大きくなっていった。
こんな時、シシゾーならばどうするんだろう? と、何気なく尋ねようとしてシシゾーの方を見たその時、
「うおりゃあああ!」
突然の奇声と共に、シシゾーがモコモコした表面にパンチを食らわせた。えっという間もなく、おりゃあ! とうっ! と、立て続けに二、三発。もう何からツッコんでいいのか分からなくなったので、僕は口を半開きにしたままとりあえず成り行きを見守ることにした。
ベリッ、とどこかがはがれるような音がして、すかさずシシゾーがその音の出どころと思しき場所をためらうことなく手で引っぺがした。ベリベリベリ、と薄いおせんべいを思わせるようなある種心地よい音が続いた。
「ほら、イノも一緒に手伝えって」
「あっ、はい」
わけが分からないままにシシゾーに叱られ、あわてて僕も加勢することにした。先ほどのシシゾーが与えた衝撃によって、ほかの場所にも連鎖してひびが入り始めていた。上の方はシシゾーに任せるとして、僕は側面を攻めていこう。めぼしいところを見つけて、端をつまみ少しずつペリペリはがしていく。うむ、なかなか気持ちいい。……って、これってもしかして下の塗装とかまではがしちゃってたらどうしよう。いやそもそも、こんなに服を脱ぐみたいな感じではがせてしまうものなのか?
迷ってばかりの僕とはまるで違って、シシゾーはいかにも楽しそうに、台車の表面に覆われたサビのヴェールをどんどん引っぺがしていった。うはは、おもしれーなこれ! と歓声を上げながら。
「おっ、いよいよ何かが見えてまいりました!」
すっかり調子に乗ったシシゾーが、実況風にそう言うものだから僕は吹き出してしまった。
「今度は何だい、シシゾー」
「ようやく、オレたちが乗れそうなスペースが出てきたぜ! ……ん?なんか、ハンドルみたいのが……二つ?」
表面を覆っていたサビと苔のヴェールをあらかたはがし終えると、中からはトロッコの姿が現れてきた。思っていたよりは汚れてもいないし、古くもなさそうだ。そしてシシゾーの板通り、僕らがちょうど並んで入れそうなスペースがあり、その中央には二つのハンドルのようなものが向かい合って付いていた。
「これを使って、動かすのかな?」
二つのハンドルは、中央の棒から両側に伸びていて、手前に押したり上に引いたりするタイプのように思われた。試しに両手でハンドルを持ち、ぐっと力を込めてみたものの、ハンドルはうんともすんとも言わない。
「あ、もしかしたらここがサビついて動かないんじゃね? 油さしでもあればなあ」
当然のことながら、そのような便利道具など近くにあるはずもない。どうしたものかと思っていると、シシゾーも僕のやったようにハンドルに手をかけ、ふんぬっ、と歯を食いしばり、思いきり体重をかけてハンドルに乗りかかった。
すると──最初はミシミシミシッ……と実に不安になるような軋む音がし、そのうちだんだんとギイ、ギイと何かの運動を繰り返すような響きに変わり始めた。いつの間にかシシゾーが、あれだけビクともしなかったハンドルを上下に動かしているではないか!
「おお、イノ、動いたぜー! 乗った乗ったぁ」
早くも数十センチ動き始めたトロッコに、僕はあわてて飛び乗った。
ガタゴトト、とやや不規則な音を立てながら、トロッコは少しずつ速度を上げていった。
僕とシシゾーは、向かい合って交互にハンドルをこぎ続けた。僕から見た方向へ進んでいたので、シシゾーは前が見えなくてちょっと悪いかな、と思っていたら、シシゾーはシシゾーで意外と楽しそうだった。
「イノ、これ思ったよりも速いな! 景色がビュンビュン飛んでくぜ」
「ホントだね! なかなか気持ちいいな」
線路の両側にはすぐそばまで木々が迫り、アーチのように僕らを出迎えた。見上げれば、木もれ日が穏やかに降り注ぎながら僕らと一緒についてくる。まさか旅先で、こういう体験ができるなんて思わなかった。
「あ! 今、何か走ってった」
シシゾーが、僕の後ろの方を指さした。えっ、と振り返った時にはもうそこには気配はなかった。
「めっちゃ一瞬だったぜ! 一体何だったのかなあ」
「ま、まさかそれってホ……さっき話に聞いたアレじゃないよね?」
「違うんじゃね? だって、オレたちくらいの大きさだったもの」
そんな一瞬でよく見えたなあ、と感心しつつも、僕らと同じくらいということはもしかして誰かにつけられてたりして……?
「あ! あそこ、いっぱい花が咲いてる」
またシシゾーが叫び、示された方を見るとそこにはまあなんと、色とりどりの花たちが咲き乱れているではないか。不思議なことにその辺り一帯だけが、見渡す限り花、花、花。
「いい匂いがする。ちょっと降りてみよっか」
と言った瞬間、少しもスピードを緩めることなくトロッコはそこを通過してしまった。
「えっ、何か言った、イノ?」
「……い、いや別に」
アハハ、とあいまいに笑って僕はごまかした。まあ仕方ない、ああいう珍しいものを見られただけでも面白い、と心の中で言い聞かせていると、ふと前方に四角い看板があるのが見えてきた。
「ん?」
その看板には、たった一文字、『ス』とだけ書かれていた。これまた何事もなかったかのように、あっけなくその看板の前はスルーされた。
何かの暗号だったのかな? と思っていると、また次の看板が近づいてきた。
「またあった……『ル』?」
不思議そうな顔をしていた僕の様子に、無邪気にトロッコをこいでいたシシゾーもようやく気づいた。
「あれ、どうかしたか? 何かうまそうなもんでもあった?」
「や、なんか続けて謎の看板を見たもんだから」
「え! なんだよ、早く言えって」
一気に興味を示して食いついてきたシシゾーに、僕は看板とそこに書かれていた文字について説明した。
「うーん……ス、ル、と来たら次は何だろうな」
「何かを『する』のかな?」
などと考えながら相変わらずトロッコをこいでいると、はたして三枚目の看板が間近に迫ってきていた!
「あ、ほらあれだよあれ」
「マジで!? 超気になる!」
シシゾーが勢いよく後ろを振り返って、看板の文字を見るなり叫んだ。
「『メ』……! 分かった、スルメだ!」
「スルメ?」
と繰り返していたら、間を置かずまた別の看板が現れた。
そこには──実に期待を裏切ることなく、いかにも当たり前のようにこう書かれていた。
『スルメ』
これにはシシゾーも僕も大笑いした。そこまでスルメという言葉を強調したかったのだろうか、しかしよりによってなぜスルメなのだろうか?
まさかもうこれ以上は、と内心期待してしまいながら前方に注目すると──やはり、それはあった。
『オイシイヨ』
『コノ先』
『アト少シ』
もうここまでコンボが続いてしまうと、笑いが止まらなくなってしまった。
「そこまでスルメ食わせたいのかよ! アッハハハ」
「な、何なんだろうここまでのスルメへの熱意は!」
「こうまで言われたら、食べたくなっちゃうよなあイノ」
「ホントだ、なかなかうまい商売だね」
そんなツッコミを入れながら二人で盛り上がっていると、新たな看板と共に今度は線路の先にも別の標識が。
『一時停止』
「わ、ちょ、止まらなきゃ」
「って、どうやって止めるんだよこれ!」
ひたすら何も考えず手を動かし続けていて、うかつなことに僕らはトロッコの止め方をてんで知らなかった!
「わっ、何かあるよ、ぶつかっちゃう」
「うわ、わー」
突如として現れた赤い壁のようなものに行く手を阻まれ、必死で足でスピードを落とそうとしたりしてみたものの……ボフッ! と勢いよくその壁にめり込む形で、強引にトロッコは一時停止した。
カチカチの硬い壁じゃなくてよかった、と僕は心底思った。ぶつかった赤い壁に手を触れてみると、分厚いスポンジみたいな素材が丈夫な革状のカバーで覆われていた。僕らは半ばふらつきながらトロッコを降りて、ぶつかった赤い壁の反対側に回ってみると、線路の行き先はちょうどそこで途切れていた。途切れる数メートル前にさかのぼると、線路の切り替えポイントがあり、そこからルートが別方向へと分岐していた。
そして、赤い壁の横に生えた大木の幹には平たい木箱がくくりつけられており、隣の木の幹にはスルメの値段表が貼り付けられ、木箱の方に矢印が示されていた。どうやら、個数分の代金をこの木箱に入れてくれ、ということらしい。
「意外と安いね」
「見ろよイノ、10枚につき1枚サービスだってよ! 買おうぜ」
「え、ちょっと待ってよ」
大いに乗り気のシシゾーに対して、僕は今一つ半信半疑だった。だって、誰もいないのにこんなところに不用意にお金を置いたりして大丈夫なんだろうか?
「いいからいいから、物は試しってことでさ」
僕の答えを待たずに、シシゾーがさっさとお金を木箱の中に入れてしまった。本当に大丈夫かなあ、と僕は不安でたまらなくなった。
「もしものことがあったら、責任取ってもらうからな、シシゾー」
「いいぜ、その時はオレが何倍も働いて取り返す」
頼もしくシシゾーが答えた直後、いきなり木箱にカタカタカタッと小刻みに振動が走った。一体何事かと見つめていると、木の幹にくくり付けられていた木箱が、シューン! と解き放たれて、森の奥へと姿を消してしまった。
あっと叫んだ時には既に遅し。ほら見ろ、と僕はシシゾーを肘でこづいた。
「もう、どうすんだよ、やっぱり怪しいと思ったんだ」
「待てよ、まだ決めつけるには早いぜ、落ち着けよ」
シシゾーになだめられて仕方なく、僕はしばらく様子をうかがうことにした。ほんの一、二分が、何十分もの長い時間のように感じられた。
辛抱強く待っていると、やがて木箱が消えた森の奥辺りから再び、シューン! という音と共にあの木箱が現れた。木箱の中には、先ほど入れたお金の代わりに、10枚(+1枚)のスルメがきちんと袋詰めされた状態で入っていた。
「やったあ! あざっす!」
シシゾーが、森の奥に向かってお礼を言った。本当に買えたんだ、と思いながら僕も、口には出さなかったがその方角に向かっておじぎをした。なんだか妙な買い物をしたなあ、と感じていた。
一方、その頃。
ここは、深い山の奥にある、とある隠れ里の屋敷。
その屋敷の大広間の上座で、ひとりの女性が古い巻物状の書類に目を通していると、部下らしき女性が部屋に入ってきた。
「申し上げます! たった今、森に偵察に出ていた者から、例のスルメが売れたとの報告がありました」
「何! それはまことか」
報告を受けた女性は、ハッと目を上げると、あわただしく書類を丸め直して立ち上がった。
「こうしてはおられぬぞ。あのスルメが売れたということ、それはすなわち……トロッコにて客人が秘境の温泉に向かっているということ。久方ぶりのお客様ぞ、皆心して出迎えよ、と伝えるのだ」
「ハッ! 承知いたしました」
命令を受けた部下は、ぺこりと頭を下げるとそそくさと退出し、走り去った。
「……さて、」
と上司の女性は再び座り直して、巻物のそばにあった菓子皿を手元に引き寄せた。その皿の上には、イノシチたちが買ったのと同じ製法のスルメが食べかけの状態で置かれていた。
「私もまた、忙しくなるねえ」
スルメの端をちぎってかじりながら、女性はそう呟いたのだった。




