第10話 謎の窪み
こうして、秘境の温泉を目指すつもりが、どういうわけか壊れた吊り橋とトロッコを探しに行くことになってしまった僕らは、それからしばらくの間、ひたすら山道をあっちへこっちへとうろうろ歩き回った。
そのうち、微妙に山道の傾斜が険しくなってきた。道の至る所には、何か木の破片のような、それも自然にではなく意図的に加工されたような破片が散らばっていた。よく見るとそれは、バラバラに落ちているというよりは、もともとはそこに敷かれたレールのようなもので一つにつながっていたかのようであった。
「これは……線路の枕木?」
何気なく僕が呟くと、シシゾーもようやくそれに気づいて目を輝かせた。
「ってことは、この辺りにトロッコが走ってたかもしれないんだよな? やった、脈アリだな」
勢いよくその場で飛び跳ねて、すぐ走り出そうとするシシゾーにちょっと待って、と声をかけたところで、僕はまた別の新たな痕跡を見つけた。
葉っぱと小枝に覆われた地面に、妙に不自然な窪みがあったのだ。輪郭はあまりはっきりしていなかったが、いくつか尖ったような箇所が見受けられ、僕とシシゾーが並んで寝っ転がっても収まりそうなほどの大きさがあった。こんな所に、一体なぜ?
見たところ、そこに生えていた草たちが一瞬でぺしゃりと何かに押されてつぶれてしまったみたいにも思える。上から押されて……踏まれて? ということは、これは何かの足跡なのだろうか?
「シシゾー、これは何だと思う? 何かが踏みつけた跡みたいにも見えるんだけど」
未知なるものへの不安を覚えながら、僕はシシゾーにお伺いを立ててみた。シシゾーは僕の指し示した窪みを見るなり、むー、と低く唸り声をあげたかと思うと、とりゃあ! とその窪みに向かってダイブした。ボスッ! 乾いた衝突音が、辺りにこだました。うわあ、いかにも絵に描いたようなリアクション過ぎる。
「おっ、意外とでっかいなこれ!」と、土まみれになったシシゾーが鼻を鳴らして言った。
「でも、穴にしちゃずいぶんと浅いよな? これじゃ、ドッキリにもならないぜ」
えっ、そっち? と半ば呆れつつも、僕はシシゾーの飛び込んだ窪みとシシゾーの身体とを見比べて、やっぱり僕の予測はそれほど間違っていなかった、と確信した。シシゾーは僕よりも小柄だから、窪みの長さに対して少し余裕があるけれど、おそらく僕が入ったらちょうどピッタリくらいだろう。
仮にこれが何者かの足跡だとしたら──足跡の正体は、相当大きな生き物ということになるはずだ。でも、イモガラ島にそんな大きな生き物がいるなんて話は聞いたことがない。もしそうだとしたら、今頃テレビでとっくに大騒ぎになっているだろうに。
色々と考えながらうろうろ歩いていると、また地面が微妙にへこんでいるところに足を取られかけた。先ほどの窪みより少しばかり小さかったが、どこか似たような形をしていた。「やっぱりこれ、何かの足跡なんじゃないの?」
僕の不安は徐々に募っていった。何しろ、いつも先回りして将来に備えるタイプなのだ。
「えっ、足跡? だったらさ、これが続くところを辿っていったらどこかに着くかもな!」
どこまでも楽天的なシシゾーは、実にあっけらかんとしたものだった。
「ほら見ろよイノ、こっちにも同じようなのがあるぜ」
そう言ってシシゾーは、数メートル先にある三個目の窪みを僕に示した。ひぇ、と思わず僕は奇声を上げてしまった。いやな予感がする。
「よっしゃ、さっそくこれを辿ってみようぜ! イノ、早く来いよー」
「来いよ、ってちょっと、シシゾー」
全く、思い立ったら鉄砲玉のごとし、だ。ひょいひょいと山道を駆けてゆくシシゾーの後をついていくのは結構大変だ、と僕は今さらながら思い知ることとなった。シシゾーが力強く地面を蹴ったはずみで、小石が勢いよく僕の足元に飛んできた。うわ、危ない危ない。
三個目の窪みの横を通り過ぎると、その次の窪みまでの間隔は少し長くなっていた。そのまた次の窪みまでは、さらに長い距離となっていた。本当にちゃんとそれを確認してるんだかしてないんだか、と思ったけれど、シシゾーは何の迷いもなく窪みの続く方へと走っていく。僕はそれについていくのが精いっぱいだった。途中、木の根っこにつまづいて転んだりしてちょっと時間をロスしたけれど、必死で彼を見失わないように歩いていった。前方から、かすかに水の流れる音が聞こえてくる。川が近いのだろうか。
似たような形の窪みは、思っていたほど多くはなかった。それらが忽然と姿を消した場所の前で、僕らは思わず立ち止まった。いや、立ち止まらざるを得なかったというほうが正しいだろう。
「な……何じゃこりゃあ!?」
シシゾーがすっとんきょうな声を上げた。
無理もなかった。そこには確かに、かつて吊り橋と思しきものが掛けられていた痕跡があったのだが──橋は跡形もなく破壊されていて、橋をつなぎ留めていたであろうロープや渡し板の残骸が、こちら側と対岸の両端に情けなくぶら下がっているばかりだった。橋の入口にあった看板らしきものさえ、地面に刺さっていた杭の部分しか残っていなかった。
そして、本来橋がかかっていたであろう部分のその真下は深い谷底になっており、川がざあざあと荒い音を立てて流れていた。
「こりゃひどいな! 誰がこんなことしたんだよ」
シシゾーが、彼にしては珍しく、怒りの感情をあらわにした。僕は、おそるおそる別の可能性を伝えてみた。
「でも、自然災害ってことも考えられるんじゃないかな?」
「だとしたら、このあたり一帯被害を受けてるはずだぜ、イノ」
なるほど、それもそうだ、と己の浅はかさを反省していると、ふと足元に一枚の板きれが落ちていた。大きさからすると、橋の入口にあった標識らしかった。拾い上げて汚れを払い落としてみると、表面には「この先 温泉」と書かれていた。ああ、やっぱり!
「シシゾー、これ見てくれよ」
がっくりとうなだれながらシシゾーに板きれを手渡すと、それを見たシシゾーも、うわ、と言ったきり絶句してしまった。事前に通りすがりのひとから、吊り橋が壊れてしまっているという情報を聞いていたにもかかわらず、こうして現実を目の当たりにしてみるとやはりショックが大きかった。
「……あーあ、一緒に温泉入りたかったなぁ」
いかにもつまらなさそうに、シシゾーが口をとがらせた。こんなに機嫌が悪くなることがめったにない奴だけに、いかにそれが彼をがっかりさせた出来事だったかというのがひしひしと伝わってきた。
「ごめん、シシゾー」
無意識のうちに僕はそう呟いていた。えっ、とシシゾーが僕の方を振り返った。
「なんでお前が謝るんだよ、イノ」
「だって、お前の望みを叶えてあげられなくてさ」
それを聞いたシシゾーは、いきなり笑いだして、僕の肩を叩いて言った。
「何言ってるんだよ! オレたちじゃどうにもならないことなら、しょうがないじゃないか」
それを聞いて僕はハッとした。確かにそうだ、自分たちの力でどうにもならないのは仕方がないのだから、それ以上執着することもない。そう思ったら、少しだけ気が楽になった。
とりあえず、これで秘境の温泉へ行くためのルートが今使えないということはハッキリした。お次は、今はどうなっているか分からないトロッコを探しに行くことにしよう。そう切り替えることで、だんだん元気が湧いてくるような気がした。
「じゃあ、引き返してトロッコ探しに行こうか」
自分でも思いもよらなかったほど、妙にハキハキとした声が出た。シシゾーもそれに負けじと、おお! と元気なガッツポーズで答えた。
なんだかすがすがしい気分になってきて、つい鼻歌が口をついて出た。シシゾーがつられて同じような調子で声を合わせてきて、いつの間にかふたりしてわけのわからない歌を大きな声で歌いながら、もと来た道を謎の窪みを目印にして引き返していたところ、向こうからやってきた旅人らしきグループが、僕らから一番近い窪みの前で立ち止まった。どうやらあのひとたちも、これは一体何だろう? と不思議に思っているに違いない、と予想していたら、実際はそれ以上だった。
「こんちはー! おじさんたちも、旅の途中ですか?」
まっさきにシシゾーが手を振って、旅人たちに挨拶をした。やあこんにちは、と旅人のおじさんたちも笑顔を見せたものの、すぐに真面目な顔になって僕らにこう尋ねてきた。
「あんたたちも、この窪みに気がついていたかね?」
「あ、はい。なんだか……ちょっと足跡みたいにも見えて」
と僕が答えると、にわかにおじさんたちがザワザワと落ち着かない様子を見せ始めた。
「足跡……ということはもしかしてあの」
「シッ! めったなことを言うもんじゃねえだよ、たたられちまう」
「はぁぁなんてこった、ついにこの辺にも現れただか……」
何やら不穏な反応の数々に、シシゾーと僕は何だかただならぬものを感じた。
「あの、たたられる、って何すか?」
迷いなくシシゾーが尋ねると、おじさんたちは顔を見合わせていかにも恐ろしそうに身を震わせ始めた。
「あんたたち、まさか知らないわけじゃないだろうね。その名を呼んだだけでもたたりが訪れる、というあの恐ろしい存在を」
「いんや、都会からきた若いもんにはわからねえべよ」
「それだったら無理もねえけどな」
……? えっ、何それ。僕が驚き戸惑っているその隣で、カラリと能天気な声が答えた。
「いや、そのまさかッすよ。何すか、それ? オレたち知らないんで、教えてください」
こういう時、シシゾーみたいな正直者はつくづく得をするよな、と思ったが、僕ももちろん教えてほしかったので彼に続いてお願いします、と言った。
「実はな、」とおじさんのひとりが僕らに耳打ちした。
「この島のどこか……いや、この島の近く、と言ったほうがいいのかねえ? 俺たちイノシシとは比べ物にならねえくらい、でっかい鳥がいるらしくてよ」
「鳥……ですか?」
「そうなんだよ。それがこないだ、東の海岸沖に出たらしいんだわ。俺たちも見たことはねえけど、長い長い脚でのっしのっし歩いて、ホホー、ホホーって鳴くんだと。だからホホー鳥、って言われてるのよ」
「ホホー鳥……プッ! おもしれー!」
ついその名前を叫んでしまったシシゾーが、あわてておじさんたちに口を塞がれてしまった。
「こら、でけえ声出すでねえだ、ばちが当たるべ」
「むぐ……そ、そんなに悪い奴なんすかね?」
シシゾーの何気ない問いに、おじさんたちは一瞬動きを止め、うーんと考え込んだ。
「悪い奴……とかどうとか、ともかく俺たちは、そいつに会ったらたたりが来る、って聞かされてきたからなあ」
「聞いた話だけじゃ、ホントかどうかわかんないッすね!」
「むー……それもそうかもわからねえけどなあ」
これ以上おじさんたちを困らせるのも悪いと思ったので、僕はあわてて皆の間に入った。
「あの、教えてくれてありがとうございました。とにかくそのホ……それには十分に気をつけた方がいい、ってことですよね」
「そ、そうだ、そうだぞ。あんたたち、本当に気をつけなよ」
それじゃあ、と言っておじさんたちは、そそくさと逃げるようにその場を離れていった。
「なんか、めちゃくちゃ怖がってたな、あのおじさんたち」
シシゾーが、だんだん小さくなる彼らの後ろ姿を見守りながら言った。
「ホ……その鳥のことは、全然知らなかったなあ。シシゾーも、だろ?」
「うん。会ってみたいよな、そいつにさ」
僕の問いかけに即答したシシゾーは、早くも次なる未知への憧れを募らせ始めていた。
「よし、決めたぜイノ。トロッコと謎の鳥、両方一緒に探そう!」
そう来ると思った、と思わず吹き出して、僕も迷わず首を縦に振ったのだった。




