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イノシチ 旅に出る  作者: 宮本小鳩
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第1話 事の始まり

イノシチ 旅に出る


第1話 事の始まり


 気がつけば今日も朝だ。身にまとった野性味溢れる衣が少し冷えた肌にしっとりとなじんで、寒さを和らげてくれる。

 いつものように朝食を軽く済ませ、皮衣の上からさらに服を着て付け牙をセットし、支度を整え外に出る。いつもの仕事場へ、僕は今日も繰り出してゆくのだ。

 路上で似顔絵を描くようになってから、もうどれくらい経つだろう。さほど絵が上手いわけでもなく、極めて地味な性格だと思うのだが、どういうわけか僕は外見的には割と目立つらしい。そのうえ、以前のとある出来事をきっかけにますます目立つ羽目になってしまった。さすがにもう、そのような視線にも慣れ……いや、まだまだ決して慣れてなどいない。

 いつの頃からか、僕の定位置となった場所に生えていた、腰を下ろすのにちょうどいいあんばいの平べったいふかふかしたキノコが大小三つ。それを目印にして、僕はここキノコ町のメインストリートにやってくる。

 キノコ町は、僕たちイノシシが愉快に暮らす島・イモガラ島の北部に位置する、この島で一番賑やかな場所だ。僕は昔、とても田舎の村にある孤児院「イノハウス」で育ったので、大きくなったら絶対にこの町で暮らそうと心に決めていた。おかげで今は一応夢が一つ叶ったことになるけれど、やはり絵だけでは到底食べていけないので居酒屋のアルバイトもしている。

 この日は夕方からシフトが入っていたので、それまでの間なら似顔絵の商売ができると思いのこのこやってきたのはいいものの……

「よっ、賢者!」

「今日も精が出るねえ、賢者さん」

「また伝説、作っちゃってよー!賢者ー」

 道行くみんな、顔を一目見れば口々にこれだ。みんな、やたら〝賢者〟という言葉を使って僕を呼びたがるのだ。僕には〝イノシチ〟という立派な名前があるのに! そのたびに僕は、曖昧な作り笑いを浮かべてどうにかこうにかごまかすのだった。

 なぜそんな呼ばれ方をするのか、についてはちょっと話が長くなるからとりあえず今は省略する。ただ一つ言えることは、僕は決してそのような御大層な身分ではないということだ。「賢者の伝説の力が奇跡を起こした!」だの、「賢者がワイル島の危機を救った!」だの、まるで嘘臭い開運グッズの謳い文句みたいな言葉を、ある時期以降僕はさんざん耳にしてきた。それは良くも悪くも、僕の人生を大きく変えることとなったわけだけれども。

 キノコ町の片隅で、道行くみんなの似顔絵を描いているだけのさえない僕が、今やどういうわけかイモガラ島親善大使である。親善大使とは、イモガラ島から船で一時間ほど行ったところにあるワイル島との親睦を深めるための重要な役職だ。ワイル島は、イモガラ島と同じくイノシシたちの住む島だけど、長年にわたる王族支配の実態などまだまだ謎に包まれていることも多い。これから僕も、もっと色々勉強しなければ……

「イノシチくーん! 似顔絵一枚、早く描いてー」

「ハッ! すみません、すぐやりますー」

 おっといけない、つい物思いにふけってしまっていた。時間は意外と限られているのだ。愛用のパステルを握りしめ、僕は心の中で気合を入れ直した。誠心誠意、努めさせていただきます! 




 おやつの時間ごろまで、と決めていたのに、席を立とうとすると駆け込みでお客さんが並び始めて、結局この日の似顔絵描きは夕方近くまで延長になった。今度こそ急いで帰らなければ、バイトに間に合わなくなってしまう。

 賢者様握手してください、とすがってくるおばあちゃんの手をやんわり握り返すと、僕は半ば逃げるようにその場を後にした。こういう時、家が近いというのは本当に助かる。

 僕の家は、この辺りではわりと主流の「キノコ型住居」だ。赤い傘のこぢんまりとしたかわいらしいつくりで、それなりに耐久性もあるので居心地よく過ごせる。テーブルの上にあったシイタケチップスをつまみつつバイトの支度をしながら、いつもの習慣でテレビをつけた。イモガラ島にはテレビ局が一つしかないので、チャンネルも一つだけだがコンテンツは意外と豊富だ。この時間はいつも、奥様方に人気のタレントが司会を務めるワイドショーだ。ちょうど、おなじみの三人組タレント「イノシシ探検隊」が、各地で噂の美味しいグルメを求めてロケに繰り出す人気コーナーをやっていた。

『はいはーい! 今日も楽しく美味しいグルメ旅の時間がやってまいりましたよ~。今日はイモガラ島最南端の村──』

 とその時、ドンドンドーン! と立て続けにドアをノックする音が響いたかと思うと、

「イノー! いるかー?」

 バァーン! と容赦なく勢いよく開け放たれたドアの向こうから、ピョコッと小柄な黒毛イノシシの姿が現れた。全く、いつもながら本当に遠慮を知らない男だ。

「シシゾー、何度言ったら分かるんだよ。ドアは静かに開けてくれって」

「おっわりぃわりぃ、気をつけるわ」

 そう言ってるそばからまたバーン! と勢いよくドアを閉めたこの懲りない男はシシゾー、僕の一番の親友だ。とにかく明るくて元気なのが一番の取り柄で、多少のことにはへこたれない超ポジティブな性格。どちらかといえば内向的な僕とは、まるで正反対だ。

「イノ、これから一緒に、グルメ巡りツアーに行かないか?」

「えっ、今から? これからバイトなんだけど」

 騒がしく現れたと思ったら唐突にまたそんなことを言い出すものだから、僕も少々苛立ちさえ覚え始めていた。

「ほら、テレビでもちょうどグルメ旅やってんじゃん。いいなー楽しそうだなー! なあ行こうぜ、イノ~」

 好奇心いっぱいの瞳で僕の顔を覗き込んでくるシシゾーに、僕はいつも弱いのだ。

「えーでも……すぐ、というわけにはいかないよ」

 少し心が揺らぎ始めていたが、仕事を放棄するわけにはいかない。とりあえず出勤しなければ、とカバンの中身を確認していると、つけていたテレビの画面が不意に切り替わり、続いてやや早口のアナウンサーの声が聞こえてきた。

『えー、たった今速報が入りました。あの〝賢者〟でおなじみのイノシチさんが勤める居酒屋〝ひとやすみ〟の店舗が、先ほど突然倒壊した模様です』

 えっ? 今一瞬、とても聞き覚えのある名前が出てきたような気がしたんだけど?

「プッ、賢者でおなじみの、だってよイノ! 有名人だなお前」

 僕の横ではシシゾーが、おそらく僕の思っているのとは別のところでウケている。いやいや、多分重要なのはそこじゃない。僕はテレビを食い入るように見つめた。

『それでは、キノコ町の現場から中継でお伝えします。イノ山さーん』

『はっ、はい! こちらは、キノコ町の居酒屋〝ひとやすみ〟の前です。先ほど、何の前触れもなく、突然の轟音と共にこちらの店舗が跡形もなく倒壊しました』

 画面の中で、僕にとって見慣れたはずの場所が見るも無残な状況になっていた。緊迫したレポーターの声を聞いた瞬間、僕とシシゾーは思わず顔を見合わせた。

「……え?」

「イノ……これってもしかして、お前のバイト先の……」

 数秒間無言になった後、僕らは一緒に同じタイミングで叫んでしまった。

「エエェェェェーーーーー!!!」

「エェエエエどういうことだよこれ! 何にもねーじゃん!」

 シシゾーに至っては、自分に直接関係ないのに、一人でじたばた部屋を走り回る始末。

「ど、どうしようシシゾー! バイト先、なくなっちゃったよ」

「どうすんだよこれ! ていうか、店長は無事なのか?」

 シシゾーのふとした言葉に、僕は頭から血の気が引くのを覚えて床に座り込んだ。そうだ、いつも店長が仕込み中の時間だ。店長にもしものことがあったら……!

 だが、その不安は幸いにも杞憂に終わった。

『事故当時、こちらには店長がいましたが、奇跡的に建物の外に出ていたため無事でした。それでは、その時の様子を店長にお聞きしたいと思います。店長、このたびは大変でしたね』

『そうなんですよ~! いやーもう、生きてると何があるかわかんないっすねえ、ハッハッハ』

 一瞬でも心配して損したんじゃないか、と拍子抜けするほど元気な声が聞こえてきた。埃と煤まみれで全身真っ黒に汚れた居酒屋の店長が、カメラの前に立っていた。彼は、鼻の穴に詰まった汚れを何度も鼻息で外に出そうと試みていた。

『ともかく、無事で何よりでした。店長、カメラを通してお伝えしたいことはありますか?』

『そうっすねえ……』

 と店長は少しだけ考え込む素振りを見せたものの、すぐにこう叫んだ。

『イノシチくーん、バイトのみんな! とりあえず、俺は無事だから心配しないで。ていうか、これ当分無理だから! しばらくの間休みだから! まあそれぞれ、好きに過ごしてください。目途が立ったら、また改めて連絡しまーす。それじゃあ、また!』

 それはこの状況からは信じがたいほど、まるで親しい友人に電話するような気軽さだった。

 以上、現場からお伝えしました、というレポーターの声を無意識に脳内で感じながら、僕は突然の出来事にただ呆気にとられるしかなかった。

 あまりの衝撃に、僕はしばらくその場に座り込んだまま動けずにいた。心配したシシゾーが、おそるおそる僕の顔を覗き込んで肩を叩いてくれた。

「なあイノ? 大丈夫か?」

「えっと……あんまり大丈夫じゃない、かも」

 蚊の鳴くような声で僕は答えた。だがここからが、僕の親友シシゾーのシシゾーたる所以ともいえる言動の始まりだった。

「なんつーか……ともかくさ! 店長が無事だったし、お前もちょうどヒマになったことだしさ。早速行こうぜ、イノ!」

「は? いやいやちょっと待てって。好きでヒマになったわけじゃ」

「これもきっと、何かの思し召しだよきっと」

 と、てんでひとの話を聞いていないシシゾーはさらに続けた。

「実はさー、オレもスポーツジムの仕事、クビになったんだぜ!」

 エヘン、と胸を張るシシゾーに、再び僕は心の中でツッコミを入れた。そこは決して威張れるところじゃない。それにしても、これまた寝耳に水。

「えっ? なんでまた」

「ああ、それはさ。色々、壊しまくったから」

 その言葉で瞬時に僕は理解した。この男、とあるスポーツジムでインストラクターをしていたのだが、あまりにも馬鹿力過ぎてジムの備品をしょっちゅう壊しまくっていたのだ。僕がジムを訪ねるたびにいつも、マッチョな先輩から怒られてばかりいたっけ。それでもシシゾーは、気さくで人懐っこいのでお客さんたちからはえらく好かれていたらしいから、まさかクビになるなんて僕も予想していなかった。

「まあ、これでお前もオレと一緒だな、イノ!」

 ニカッと笑うシシゾーに、つい僕は苦虫を嚙み潰したような表情になった。

「お前と一緒にしないでくれよ」

「とりあえずさ。オレと一緒に、ゆっくりのんびり、旅に出ようぜ!」

「……わかったよ。行こう、シシゾー」




 こうして僕は、全く思いもかけなかったキッカケにより、シシゾーと気ままな旅に出ることになったのであった。







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