第一話 冬と夏
「え、昨日、深夜の公園で白いワンピースの少女に会った?」
「うん、そうなんだよ」
昼休み。大学の食堂でご飯を食べながら、浩太は友達に昨夜の出来事を伝えた。
友達は、驚くというより、呆れた表情を浮かべる。
「浩太、今は真冬だぜ? さすがにそんな恰好の人間がいるわけないだろ」
「いや、だけど見たんだって」
「仮にそれが本当だとしても、生きた人間じゃなくて、幽霊か何かだと思うぜ?」
幽霊。友達にそう言われて、浩太は昨夜の彼女の様子を思い出す。
「いや、だけどちゃんと歩いてたし、足もあったからさ。彼女は生きた人間だと思うんだ」
浩太がそう反論するが、友達は信じられないという表情を浮かべた。
「それじゃあきっと何かの見間違いだろう。浩太も星もいいけど、そればっかじゃなくて、もっといろんなもの見た方がいいんじゃないか?」
何度目か分からない忠告を聞く浩太。この話はこれで終わりといった感じだ。
それからは、他愛のない話をして、浩太は昼休みを終えたのだった。
(やっぱり幻だったのかな?)
深夜。バイトがお休みで少し昨日より早かったが、浩太は今日も自転車を漕ぎ公園へと向かっていた。
浩太は、昼休みの友達との会話を思い出しながら、昨日出会った少女のことを考えた。
(もしまた出会うことができたら、今日は話しかけてみよう)
そう思う浩太の漕ぐペダルは、いつもより少し速かった。
公園の芝生広場に到着すると、浩太は辺りをきょろきょろと眺める。
(いた!)
浩太の視線の先、芝生広場の北側に備え付けられたベンチに座り、星空を眺める少女がいた。
昨日同様に、白いワンピースを着ている。
浩太は少し勇気を出し、少女の方へと近づく。
少女はというと、近づいてきた浩太に気がついたのか、ベンチから立ち上がり、その場を去ろうとした。
「ま、待って!」
慌てて浩太が話しかけると、少女は少し驚いた表情を浮かべ、しかし、その場で浩太を待ってくれた。
「こんばんは」
「こんばんは。えっと、わたしが見えるの?」
「えっ?」
恐る恐る尋ねてくる少女に対し、今度は浩太が驚く番だった。
「“見える”って、それってどういうこと?」
「ううん、ごめん。特に深い意味はないんだ、うん」
はぐらかされた。浩太はそう思ったが、深くは追及しなかった。
それよりも、“こういう”やり取りができることで、幽霊ではないのかもと安心できた。
「君は、ここで何をしているの?」
「わたし? う~ん、いつもは散歩をしてるんだけど、今日は星を眺めてたんだ」
楽しそうに答える彼女だったが、浩太には少し悲しい雰囲気も感じていた。
「そんな服装で寒くない? 今はほら、真冬だから」
浩太がそう尋ねると、少女は少し困ったような、悲しいような表情を浮かべた。
「“わたしのいる世界”は夏だから。見える景色も夏なの」
「夏!? それって、どういう……」
「ご、ごめんね! わけわからないよね!」
少女はそう言うと、急にその場を去ろうとする。
「待って! そ、それならこれが使えるから!」
少女の言うことに理解はできなかったが、浩太は荷物から“ある物”を取り出し、少女に見せる。
「それは何?」
「これは、星座早見盤なんだ。もう僕には必要ないものだけど、ほら、夏ならこの星座が見えるはずだよ」
星座早見盤を少女に手渡す浩太。少女はそれを受け取り、しばらく眺めてみた。
「どうやって使うの?」
「ごめん、わからないよね。えっと、月日と時刻の目盛を合わせるんだけど……」
「えっと、6月18日だから……こう?」
6月、浩太の世界と半年違ったが、浩太はそんなことはもう気にしなかった。
その後、およその経度を合わせる。
「これで大丈夫だよ」
「教えてくれてありがとう。それでその、どうやって使うの?」
「うん、手前に自分の方角を向けて、こうして……あっ!」
少女の持つ星座早見盤の向きを合わせようとした時、浩太は少女の手に少し触れてしまった。
浩太は慌てて手を引っ込めた。
「ご、ごめん!」
「ううん、大丈夫だよ。えっと、こうかな?」
「う、うん。それで星空の星座がわかるよ」
浩太は、赤く染まった頬を見られたくなくて、慌てて星空へと指を伸ばした。
「僕には見えないけど、夏の星座だと、そうだな、あの辺りに有名なはくちょう座があると思うよ。その中で一際明るい星が、デネブ」
「あった! あれならわたしも知ってるよ! 明るい星……ほんとだ!」
少女は、星座早見盤と見比べながら、星空を眺めていた。
口調からもだいぶ楽しんでいる感じだった
「デネブの右の方に、こと座のベガ、はくちょう座とこと座の間の下にわし座があると思うんだけど、その中の一番明るい星、アルタイルがあるんだ。デネブとベガ、それからアルタイル。この3つを線で結ぶとできるのが、夏の大三角って言うんだよ」
浩太が教えると、少女は星座早見盤と星空を交互に眺めながら、夏の大三角を見つけたようだった。
「わぁ! あったあった! ありがとう! いつもなんとなく眺めていたけど、星座がわかるとすごく楽しいのね!」
満面も笑みを浩太へと向ける少女。浩太は、その表情を見て、改めて可愛い思った。
「ねぇねぇ! もっと教えて、星のこと。君の見てる冬の星空も!」
「もちろん!」
浩太と少女は、星座早見盤を使いながら、しばらくお互いの星空を眺めるのだった。
「ふわぁー。もうこんな時間か」
「ほんとだ、遅くなっちゃった。さすがにもう帰らないとだね」
時刻は2時を過ぎていた。少女はすっかり星空の虜といった感じだった。
「ごめん、こんな時間まで」
「ううん、今日はすっごく楽しかったから、むしろお礼を言いたいくらい。ありがとう」
「どういたしまして。そう言ってもらえて良かったよ」
浩太はそう言うと、荷物を抱え、自転車の方へと歩きはじめる。
「待って! これ」
少女は手に持っていた星座早見盤を少年へと返そうとする。
しかし、浩太はそれを受け取らなかった。
「最初に言ったけど、僕はもうそれは必要ないんだ。星を見ただけで星座がわかるから。だから、よかったらそれは君にあげるよ」
浩太がそう伝えると、少女は何度目かの満面の笑みを浩太に向けた。
「ありがとう! これから星を眺めるときに使うね。えっと……」
「どうしたの?」
「その、名前は?」
「え? あぁ、そうか。自己紹介してなかったや」
今更だったが、浩太と少女は名前を教えあうこともなく、今の今まで星空を眺めていたのだった。
「僕は浩太。浅井浩太だよ」
「浩太……。うん、覚えたよ。浩太、今日はありがとう!」
「どういたしまして! 僕も誰かと星空を眺めるのは初めてだったから楽しかったよ。えっと、よかったら名前、僕も聞いていいかな?」
「もちろん。わたしは莉那、久野莉那だよ」
「久野?」
浩太は少女から名前を聞き、一瞬脳裏に何か過ったが、すぐに元に戻った。
(なんだろう、今の? 煙?)
「浩太、どうしたの?」
「ううん、ごめん。少し眠いみたい。もう大丈夫だよ、久野さん」
浩太は、心配そうに覗き込む少女に、笑顔で答えた。
(久野さんじゃなくて、“莉那”でいいのにな)
「ごめん、なにか言った?」
「ううん、何も言ってないよ」
そう答える莉那は少し残念そうな表情を浮かべていた。
「それじゃあ、久野さん、もう帰るね。久野さんも夜遅いから気をつけて。えっと、よかったら送っていくけど?」
「ううん、大丈夫。結構近所なんだ。浩太こそ気をつけてね! その、最後に聞いてもいい?」
「うん、何?」
「明日もここに来る?」
「もちろん!」
浩太がそう答えると、莉那は嬉しそうに星座早見盤を抱え込んだ。
「それじゃあまた明日!」
「うん、また明日」
初めて言葉を交わし、初めて一緒に星空を眺めたその日。
見る景色は違うけど、星空は確かに二人をつないでくれた。星座を作り上げる、星と星を結ぶ線のように。
続く……。