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猿酒  作者: ふりまじん
付録 音声ソフト用
6/7

音声用2

「真田に探させた、世にも珍しい仙人しゅじゃ。」

ひでよしは興奮で頬を染めて、すの残忍さを顔の奥に覗かせる。

「おとぎばなしに良く出る、あのお酒ですか?」

用心深くりきゅうは訊ねた。

少年のような残酷さを浮かべて、興奮するひでよしから、得意気に説明をする楽しみを奪っては、命がない。

「おおっ。りきゅうどのもご存じか!いや、そうじゃ、あれは有名な話じゃ、聡明なりきゅうどのが、知らないわけはない。それでは説明は、りきゅうどのに頼もう。」

ひでよしは気前良く、一番自分がしたかったろう、自慢の口上をりきゅうにくれた。

が、りきゅうからすればありがた迷惑だ。

あぶらがみと蝋を使い、厳重に封をされたその小さなつぼは、日のもとと言う国を統べる、この気まぐれな男を子供に戻し、無邪気な残酷さを、小屋全体に解き放させる。りきゅうは説明が悪ければ、どんなお叱りを受けてしまうのだろうか、不安になった。

とりあえずりきゅうは、一度、深く息を吐き、それから、深く吸い込んだ。


「申しわけございません。生意気な発言を致しまして、間違っているかもしれませんが、お話から、山男が噂する、山が醸す天然の酒の話を思い出しただけなのです。」

りきゅうの答えを、ひでよしは気に入ったようだ。慎重に外側の蝋を外す作業の手を止めて、キラキラと瞳を輝かせながら、子供がイタズラを発見したときのような、含みのある無邪気な笑顔で、りきゅうを見上げた。

「そうじゃ。山で迷った男が、えもいわれぬ香りにさそわれて、匂いをたどるそのさきの木のウロに、コンコンと湧いている赤い酒じゃ。」

ひでよしは、そとの蝋を取り外し、夢見るように軽く持ち上げて、日の光に淡く輝く白い陶磁のつぼを見つめた。

「しかし、それには、ちゃんとカラクリがあってな、不思議な話でも、何でもないのだ。これは、木のウロに猿が葡萄を集めて忘れたものが発酵し、たまたま出来た酒なのじゃ。


不思議でも、何でもない。が、しかし、実物を見るのはとても珍しい、貴重な体験だ。そうわ思いませんかな?りきゅうどの。」

つぼの栓をとるにあたって、激しく興奮しながら、ひでよしは大きく瞳を見開いて、りきゅうの一言を待った。


「まことに、その通りにございます。」

りきゅうは、この短い言葉に自らの命を乗せて、腹に力をいれた。

ひでよしは、能面のように張り付く、穏やかで無感情な、この茶の道の師の顔を数秒間、ゆっくりと、思い出を焼き付けるように、名残惜しそうに眺めて、


「よし、よいぞ。」


と、深く低い覇者の号令をおのれの口から発した。すると、おとをたてて窓の木戸が閉まり、漆黒の静寂が訪れる。



りきゅうは動かなかった。

最近疑りぶかくなった、この男の残忍さは、身に染みている。自分のことを疎ましく感じ出していることも、とても好きでいてくれることも、ひでよしにとって、自分は、反抗期に越えられなかった、父の代わりではないかと思うことがある。りきゅうを壊すことで、何かの呪縛から逃れたい、そう考えているように思うのは、気の迷いなのだろうか。


何があるかは知らないが、殺されたとしても、自分一人のこととしてひでよしを鎮めてしまいたかった。

一族に類のかからないように。


ひでよしの心の核をしめる部分は、穏和で寛大なのだと思う。だから、いっとき、激しく怒り、無惨に殺されたとしても、落ち着いた瞬間、あの人懐っこい顔に涙を浮かべて、自分の死体にしがみつくようなそんな男だから、静かに殺されてしまえば、一族までは襲うまい。

りきゅうは不思議な穏やかさを暗い部屋のなかで感じていた。


幾度となく、残忍な武将と席を共にしてきた。


意味も分からず、命の危険を感じたことも一度ではない。


それでも、今日は何か、いつもとは違う胸騒ぎが、からだを駆け巡る。


「この酒の薫りの部分から味わおう。」



ぽん。


闇の中、木の栓が抜ける軽快なおとがして、甘いぶどうの薫りが立ち上ってきた。


それは、今まで嗅いだことの無いような、軽く全身を痺れさせるような甘い香りで、乙女の歌う恋のため息のように、心をなごませ恥ずかしいような、くすぐったい初恋の気持ちを呼び起こした。



夏の美しい夜空に、流れ星が雨のように降り注いで、それを見ている村の人達のざわめきが遠くから聞こえてきた。


用水路の方から水を含む冷たい風が流れてきて、美しい乙女のわらべ歌が聞こえてきた。


あれは、誰なのか?


娘の白いふくらはぎだけが、沈みかけた月明かりを含み真珠のように目に焼き付き、なまめかしい気持ちをさそった。


こんな夜更けに娘が一人で出歩くとしたら、それは、愛しい男と逢瀬を重ねるつもりなのだろう。


そう考えると、若いりきゅうは、いたたまれなくなり、しかし、見つかりたくもないので、どうやってその場を離れようか思案した。


闇をまとい、おとを消して、静かに上半身を引き起こした時、娘が帯を解いて裸になった。


月の光が流れるように娘の背中を撫でてゆく。それを気持ち良さそうに受けながら、娘は長い髪を解き放ち、用水路に向かって飛び込んだ。


りきゅうの心臓がはやがねのように鳴り出した。


混乱する頭の中で、今が逃げどきと思い立ち上がるが、足は、不思議と用水路に向かう。


このままでは、裸の娘と鉢合わせしてしまうと言うのに、娘の背中から目が離せない。


用水路へと向かう、自分の姿に気がついて、娘がこちらに泳いできた。


ままよ。



りきゅうは、折り畳まれた娘の着物の横で、彼女が来るのをまつ。


からだが熱い。



やがて、娘は、顔に張り付く髪を耳にかけながら、静かに岸に立ち上がり、月の光を背に浴びて、乳房と顔に闇をまとい、両手を開いてりきゅうに微笑みかける。



白いからだのふちに、月の光と滴が集い、後光のように神々しく娘を飾る。


りきゅうは娘の顔を良く見ようと近づく。


娘は両手をりきゅうの頬にかけて、自分の顔を近づけてくる。りきゅうはそのとき、薄暗く彼女を覆う意識の闇を取り払い、その顔を見た。


刹那の衝撃と一瞬の破壊的快楽に突き動かされるように、りきゅうは娘を引き寄せる。


次の瞬間、りきゅうわ目を見開いて、娘から手を離した。


「りきゅうどの?」

聞き覚えのある、深い脅しを含むようなひでよしの声が、りきゅうの背中をざらつかせる。

女は、女の顔は、あのひでよしの顔に塗り替えられ、美しいからだは、月の光で静かに溶けて流れてゆく。



う、うあぁぁぁぁ……。



りきゅうは、りきゅうであることも忘れ、ちからの限り叫び声をあげながら、闇に含まれる見えない何かを取り払おうとした。





しばらくして、つよく脈を打つ自分の心臓のおとを聞きながら、りきゅうは深い夢想から解き放たれ、作業小屋にいることを思い出させた。


「酔いは、覚めましたかな?」

いつのまにか、窓は開き、陶磁の薄い茶碗に、先程のぶどうしゅが、赤々と見事な曼珠沙華のように色めききらめいている。


「申しわけございません。わたくしは、何か大変な粗相をしてしまったようですね。」


りきゅうは、深い反省をしながら、憂いだ瞳でひでよしを見た。

が、ひでよしは穏やかに、むしろ、とても好意的にりきゅうに微笑みかけている。

「気にしなくてもよい。ほんのいっとき、酔いに任せて眠りについていた、それだけのこと、それより、ほれ、一緒に味わおうではありませんか。信長さまも口に出来なかった甘露の酒を。」


りきゅうの顔に、不安な気持ちがにじみ、それを見つけたひでよしは、とてもいとおしそうに目を細めた。


「川魚はいぶした物を用意した。このぶどうしゅにはとても良くあいますぞ。」

ひでよしの言葉に、りきゅうは、いつもの穏やかな作り笑いで気持ちを覆い、美しい箸さばきで川魚に手をつけた。


「はい、桜の枝で薫製にされたアユの香りに、この酒は良く合います。」

りきゅうは鼻から抜ける、不思議な酒の香りに、ふと、気をそらされる。


気になって、今度はぶどうしゅだけを慎重に一口含む。


「何か、気がつきましたか?」

ひでよしの声に、りきゅうはこの酒が、普通の代物ではないことを悟る。


目を閉じて、舌の感覚に集中する。


爽やかな若い山ぶとうの酸味と、柿や桑、アケビのような果物の甘さと芳香に混ざり、何かの古酒、カビを思わせる独特の苦味が鼻孔の奥にまとわりつく。


確かに、独特の飲み物ではあるが、毒の類いを感じることもない。

不可解に思いながらも、りきゅうはこう答えるしかなかった。


「特に、何も。。。ただ。申し上げにくいのですが、これは、山の神が醸したものではございません。これは人による人工物だと思われます。」


りきゅうは覚悟を決めてひでよしの顔を見つめた。


あれほど自慢していた代物を偽物だと言ってしまった以上、それなりの罰は受けねばならぬのだろう。


しかし、ひでよしは怒ることなく感心するようにりきゅうを見つめた。


「さすがわりきゅうどの!この酒の秘密を暴いてしまうとは。こうもあっさりと見破られると、残念にも思わぬものだな。これは、南蛮じんにもろうた酒をもとに、真田に改良を加えさせた輸出用の酒じゃ。そうだ、わしに献上された、南蛮じんの酒と飲み比べてもらおうかのう。」

ひでよしは声をあげて人を読んだ。すぐさま用意された赤い液体が、おちょこにほんの少しいれられてきた。


「それでは、ご相伴に預かります。」

りきゅうは、少し濁りのある、怪しげな赤い液体を用心深く口にいれた。


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