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猿酒  作者: ふりまじん
付録 音声ソフト用
5/7

音声用1

城下から、少し離れた田舎に、りきゅうは呼ばれて足を運ぶ。


静かな昼下がり、ちくりんを抜けて、川のおとに近づく頃、約束の場所につく。


それは、少し立派な、平屋の民家で、竹で編まれたさくがあり、飛び石を踏んで渡ると、打ち水をした、小さいながらも、コザッパリとした、玄関にたどり着く。


そこから、使用人の少年の案内で、廊下を歩く、すると、手入れの行き届いた庭が、りきゅうの右横で、展開してゆく。


まだ、日は高いはずだが、さくの向こうのちくりんと、水をふんだんに含んだ苔のみどりの広がる庭は、どことなく薄暗く、それでいて、気持ちを落ち着かせる。


どこからか、かれくさを燃やす薫りが、遠くから流れてくる、川のおとを含ませて、りきゅうの気持ちを、心地よく湿らせてゆく。


あまりの穏やかさに、りきゅうは、少し不安になる。


ここへ自分を呼び寄せたのは、間違いなく太閤殿下なのだ。


しかし、これは殿下の趣味から外れている。あの明るいきんと赤を好む、あのおかたの趣向とは思えない。


しばらくして、廊下の外れに来ると、案内の少年は、縁側をおりて、りきゅうに草履を差し出した。


縁側を降りると、飛び石の向こうに、小さな作業小屋がみえる。


「あちらで、太閤様がお待ちしております。ここからは、お一人で向かわれますよう、申し使っております。」

少年は、たどたどしくそう言って、りきゅうにこうべを下げた。


よくみると、利発そうな、器量のよい少年ではあるが、どこか、あか抜けないぼくとつとした部分が、透けてみえる。


この土地の少年だろうか。


りきゅうはふと、少年におさないころの太閤殿下が重ねて見えた。


いつもは、少し、憂鬱になる殿下のお茶会だが、今日は不思議と興味を引かれ、心がときめく感じがする。


「わかりました。おさがりなさい。」

りきゅうは、穏やかに少年に微笑みかけ、彼を緊張の呪縛からほどいてやると、静かに、かのひとの待つ小屋へと向かった。


作業小屋の周りは清掃され、打ち水をされていた。

古びた引き戸は手をかけると、思いがけず素直に開き、なかの風景をりきゅうにさらした。

囲炉裏や柱は、長いあいだのすすをかぶってはいたが、毎日の手入れの良さで、窓の光を受けて黒曜石のように、滑らかな光をにじませている。


窓からの光は、白い薄絹の幕のように、部屋をわけて流れていて、どことなくりきゅうの懐古趣味を刺激する。


いっぷくの水墨画のようだ。


遠くから流れてくる、川のおと、近くの農民がかったのか、爽やかな、草の香りを含んだ夏風を胸に納めながら、りきゅうは、豊かな時間をしばらく楽しんだ。

「おお、りきゅうどの、まいられたか!」

突然部屋の奥から、赤地に金糸の刺繍の、着物を羽織ったひでよしに、からすの鳴き声のような、鋭い口調で声をかけられて、りきゅうは夢から覚めたように、辺りの風景がいろあせてゆくのを感じた。

「これは太閤様。おひさしゅうございます。」

りきゅうは、穏やかな作り笑いを浮かべて、光の幕の向こうから、ひとなつっこくりきゅうに駆け寄る、ひでよしにこうべを垂れる。


「そのようにかしこまらずとも。今日は夢見が良くてな、子供の頃に戻って、りきゅうどのと遊ぼうと思うて。ひでよしと呼んでくだされ。」

耳障りな甲高い大声で、ひでよしは慈愛のこもった言葉をかける。

「ありがとうございます。それでは、私もりきゅうとお呼びください。ひでよしさま。」

りきゅうは、じょうひんにおもてをあげて、柔らかい作り笑いを浮かべながら、注意深くひでよしを観察する。


ひでよしとりきゅう。


呼び名としては、それほど親近感の感じない、名詞の意味を、10畳ほどの狭い小屋全体から探る。


ひでよしは、一見ふざけたような行動をとりながら、相手の心情を的確にとらえる男だ。

一瞬の油断が、一族、一門の命を奪うことすらある。

「立ち話もなんじゃ、さあさ、まずは座ってゆるりとなされよ。」

ひでよしは上機嫌でりきゅうをさそう。


しかし、りきゅうは気を緩める気など一筋もない。

ひでよしの機嫌は、秋の空のように変わりやすく、ひとたび嵐が訪れれば、夏の雷のように激しく残酷なのだ。


囲炉裏を向かい合わせて、りきゅうは真新しい、いぐさの座蒲団に座った。


かわかぜが優しくくびすじをなでた。


りきゅうの場所からは、光のまくに遮られ、ひでよしの顔は良く見えなかったが、そのほうが、全体の雰囲気を壊すことなく、穏やかに話が出来る。

りきゅうは、そっと目を閉じて、足元からほのかに立ち上る、いぐさの香りを吸い込んだ。


しばらくの沈黙。


しかし、心地のよい沈黙だ。


りきゅうは、ひでよしが話し出すのを、山鳥の鳴き声でも待つように、穏やかに座って目を閉じた。


いや、意識はしてなかったのかもしれない。


深い懐かしさと心地よさがそこにあり、一人の世界に沈みこみたい衝動に何度かかられたからだ。


「気に入られたかな。」

不意をつくように、深く響く低い声で、心の奥をつまびくようにひでよしが語りかけてきた。


「はい。この度は、随分とおもむきの違うもてなし。りきゅう、感服しております。しかし、茶の道具が見当たりませんが、これも趣向のうち、と、言うことなのでしょうか。」

りきゅうは、一瞬かおに浮かんだ驚きを、すずやかで知的な視線で覆い隠してしまう。


それにして、どうしたのだろうか?


りきゅうは、優しい笑顔のしたで、したたかな計算を始める。


ひでよしは意味もなく、人を呼びつける人間ではない。

お互い忙しい身の上だし、わがままに見えて、そういう気遣いは出来る人物なのだ。


「おどろきましたか。そうでしょう。」

ひでよしは一人で納得をし、話を続けた。

「実は、この趣向はりきゅうどのの発案でしてな。」

「わたくしの、ですか?」

りきゅうは、言葉の意味を理解できずに聞き返した。

ひでよしは、混乱するりきゅうの顔を、面白そうに観察しながら、得意気に謎の答えを話し出す。

「正確には、わしの夢の中のりきゅうどのの考えを使わせてもらいました。本日、出国するなんばんじんが、前世の夢を見られると言う酒を献上してきたので、試してみたら、りきゅうどのがその夢にでて来て、今からするような、もてなしで南蛮じん…ローマとか言う所の貴族を驚かせていたのです。」

「ろーま…」

りきゅうは、不思議な話について行けずにいたが、

「夢のお話ですか。それでは私は、生まれる前は南蛮じんだったのですね。」

と、無難な返答をすかさず返した。

「そのようだった。その夢では、りきゅうどのも、わしも、ひでながも朝日も、みんな南蛮じんで、暖かい港町に住んでおったわ。わしの小僧時代にいた、きよすのみなとのような、水青く、美しい場所でな。」

ひでよしわたのしげに話す。それを聞いて、りきゅうは、ふと、ひでよしが小僧時代に住んでいたという、きよすのみなとを思い出す。


信長さまの父君の信秀様が統べるそのまちは、尾張で一番の港町で、各国の珍しい品々が何でもそろっていた。

広い川が流れ、伊勢詣での人が行き来し、活気のあるまちで、ひでよしは様々な事柄を学んだのだろうか。


「わしは、シチリアと言う名の島の、いよのくによりすこしばかり大きなしま国の出身で、レクスと呼ばれる人物になったようだ。」

ひでよしは、その前世の夢が気に入ってるらしい。

「それでは、ひでよし様には小さすぎたのではありませんか?」

りきゅうは、ひでよしの虚栄心を軽くくすぐった。

「いやいや、島の大きさは小さいなれど、温暖で豊かな大地と、様々な人種の行き交う活気のある島で、名高い王達が、みな欲しいと願う、玉のような美しい島であったぞ。」

ひでよしは、満足そうに頷いて、夢の美しき島を思い出しているようだった。


「それは、さぞ、美しい光景なので御座いましょう。わたくしも少し見てみたくなりました。」

りきゅうは、本心でそう言った。この世の贅沢をすべててにし、派手で無粋な趣向のひでよしを、このような物静かな時と場所を演出させたそのしまを、一度みたいと思ったのだ。

「ああ、青、藍、紺碧、青磁、はなこんじょう、青の名前はあまたあるが、それでも足りないと感じてしまうほど、美しい海が見えた気がした。」

ひでよしは夢見る少年のように、顔をくしゃっと歪めて、光のまくに包まれて無邪気に笑った。


「夢の中では、同じく豪農の廃墟とわいえ、石造りの見事な白い邸宅で、りきゅうどのの前世の男は、屋根が無くなった廃墟の、白亜の宮殿で、ぶどうしゅをそれは美しくふるまっていた。」

ひでよしは、懐かしい物を見るような言葉遣いで話す。

「ぶどうしゅ、ですか。」

そこでこれから自分に振る舞われるものの正体を、りきゅうは察した。


「いかにも、ぶどうしゅ。なれど、これは我が国の特別な酒で、なかなか手に、はいらない『猿酒』と言うもの。」

ひでよしは得意気に顔をあげて、甲高い声で興奮ぎみに話す。すると、それを合図にするように、引き戸を叩く音がした。


「太閤様、準備が整いました。」

知らない年配のおとこのこえが小屋にひびく。

「よし、入れ。」

元来のひでよしの力強い声が戻り、男を動かす。


男は、引き戸を開けると、歴史上名高い二人の男のオーラに一瞬おじけ、それから、気を取り直して青みの入った陶磁のつぼを盆にのせて運んできた。


「おおっ。これだ。沢の水で良く冷えておる。」

ひでよしは、いとおしそうにつぼを受け取り、光のまくを破ってりきゅうの前にあらわれた。

「これが猿酒だ。」

ひでよしは自慢げに陶磁のつぼをりきゅうの目の前の床に置いた。


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